『護衛隊長さん』の不安

 さて、怪我の手当てを終えたアーサーは、自身の予想に反して叱責を受けることはなかった。が、その代わり予想外の危機に直面していた。

「カサノヴァ様! どうか、お考え直し下さい!」

 なんと、主人は自ら馬を駆って、彼らを、というかロッディ・バーロウを追うと言いだしたのである。

「追跡は、わたしの部下にもさせていますし、王国軍の皆さんも協力して下さっているのでしょう? でしたら……!」

「うるさい、うるさい、うるさーい!!」

 完全に頭に血が上っているようだ。振り上げたこぶしを振り回す、子供のような主に、アーサーはこの日何度目になるかわからないため息をひっそりとついた。


「失礼」


 ふいに後ろから声がした。

「ここの警備責任者は、どなたですかな?」

 低く威厳溢れる声に、アーサーの背筋が自然と伸びた。思わず、敬礼して答える。

「はっ。わたくしですが」

「ジゼル・リズ・ド・クロヴェールと申します。今後の作戦の指揮を執るべく、たったいま到着いたしました。初めまして」

「はっ……。アーサー・テナーと申します」

 多少の戸惑いを覚えつつ、握手に応じる。関節のごつごつした指に、厚い掌。しっかりしているを通り越して、油断していると骨が粉々に砕かれてしまいそうな力強い手だ。アーサーは何となく不安を感じて、それとなく、しかし、早々に手を引いた。何と言うか、これは苦手な手だ。

「どうやら、お目当てには逃げられてしまったようですな」

「面目次第もございません……」

 声が次第に小さくなったのは、恥じ入ったというより、大きな不安を覚えたからだった。

 アーサーは、彼らがここに来た理由をまだ知らない。アーサーが『取り逃がした』と思っているのは、ロッディ・バーロウというあの青年だが、それは果たして、彼らとの“共通事項”なのだろうか。

 考えあぐねているアーサーに、さらに大きな不安要素が一つ現れた。


「おっさん、ごめーん。取り逃がしちゃった」


「……おお」

 一人は、まだ少年。もう一人は、軍人風。そして、マントを纏い、フードを被った若い女。しかし、そのいずれも我がシムチエールの兵ではなさそうだ。

「そうか。逃がしてしまいましたか」

 ジゼルと名乗った男が敬語を使うあたりからも、それを見てとれる。

「クロヴェール殿、彼らは一体……」

 アーサーの隠し切れない不安に、ジゼルはさらりと答えた。

「ガルディアンからの援軍です」

「ガ、ガルディアン?!」

 思わず大きな声が出た。が、ジゼルは落ち着いたものだ。

「今回の件について、ご協力いただけるとのお申し出がありましたのでな」

「……」

「どうした? 何を驚かれることがある? ガルディアンと我々シムチエールは、同盟国。軍事活動における双方の協力は、なんら不思議なことではありますまい」

「それは、そうですが……」

 確かに、両国は同盟関係にはある。しかし、互いの建国の経緯と両国が歩んできた歴史を鑑みても、決して友好的な間柄でもなければ、心安い交流を持てるような間柄でもない。


 それが、なぜ。


 アーサーが疑問を口にする余裕を、ジゼルは与えなかった。多分、わざと。

「それより、今回の件についてのご報告をお願いできますかな? さ、ガルディアンのお客人たちはお疲れでしょう。ご主人、お手数ですが、お部屋のご用意をお願いできますかな」

 ずっとその存在を忘れられていた主が、なにか言おうと口を開いた。それを紫色の眼光が封じた。ジゼルは、もう一度だけ言った。


「お部屋のご用意を」


 さすが、一隊の指揮官ともなれば迫力が違う。一瞬で青ざめた主の顔は、次いで赤くなり、ぐぬぬぬと言いたいことをこらえた後、彼は一目散に駆け出した。遠くから、「おい、部屋を用意しろ! 早く!!」という、やけくそが入った八つ当たり気味の、主の怒鳴り声が聞こえてくる。ジゼルは次に三人に顔を向け、こくりとうなずいて見せた。軍人風の男が「行くぞ」と他の二人をうながす。三人が通り過ぎるとき、女と目が合った。感情のない不気味な黄金色だった。


「……さて」


 三人の後姿を見送った後で、ジゼルがあらためてアーサーに向きなおる。

「ひとまずこれまでの経緯と、それから、あればでよろしいのですが、レグルス傭兵団のメンバーのリストをお願いできますかな?」

「は、はい」

 手短に、アーサーはこれまでの経緯を、主に不名誉にならない程度に話し、次に、彼らの情報をまとめた文書を差し出した。その代わり、と言うわけでもないのだろうが、ジゼルの方でも今回の作戦の目的と理由を話してくれた。

 国家の大事を、主が私的な理由で台無しにしたことがわかって、アーサーとしては恥じ入るばかりだ。

「……ふーむ」

 次々と文書をめくっていたジゼルの指が、ふいに止まった。

 何か不備があったのかと、思わず彼の手元をのぞきこむ。が、ジゼルの興味は意外なところにあった。

「このロッディ・バーロウというのは……」

「あっ、その、その彼が、あの、例の……」

「ひょっとして、その彼。絶世の美女をそのまま男にして、そのくせ、ものすごく腕が立つという、反則的な青年ではありませんでしたか?」

「そ、そうです!」

 ジゼルは角ばった顎をなでながら、呟く。

「それはそれは。命拾いなさいましたな」

「……は?」

 穏やかな笑みを湛えながら、ぞっとするようなセリフをジゼルは吐いた。


「なにせ、わたしが指導した中でも、総合力で十指。戦闘能力だけなら、五本指に入るような子でしたからな」


「……あの」

「はい?」

「失礼ですが、指揮官殿は――」

「……ああ」

 文書を閉じ、ジゼルは言った。


「つい先日まで、幼年士官学校にて、学校長を務めておりました」


 茫然としているアーサーに文書を返し、ジゼルはくるりと踵を返した。階段を下り、玄関を出る。もう間もなく、ジゼルの、幅の広い副官も到着するはずだった。

 これから、強さが増す一方の太陽を見上げて、ジゼルは呟いた。


「どれ。教え子と、愚息の顔を見に行くとするか」


 アーウィリド・フォス捕獲作戦。後には、作戦ではなく戦争にまで発展する、最初の一戦。その指揮を執るのは、ジゼル・リズ・ド・クロヴェール。年齢は五十二才。

 

そして、ジル・リジッタ・クロヴェールの父である。

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