撤退

 道に出たところで、馬のいななきと

「リッド! エリー!」

 というロッディの声と出くわした。

 危なっかしい手つきで手綱を操りながら、アーウィリドが言う。

「ロッディ、ちょうどよかった。いま、あんたを迎えに行こうと思ってたところだ。ところで、あのおばさんはどうした?」

「いや、それが」

 彼は困った顔になる。

「屋敷に兵士が待ち構えていてね。用事を思い出した、と言って一も二もなく逃げ出してきた」

「……仕方ありませんね」

 エリクシルの表情が険しくなる。対照的に、「それにしても」と言うロッディの顔は明るいものへと変わった。

「わたし、ちょっとリンダバーグさんを見直したよ。あの人にあんな政治的判断ができるとは思わなかった」

「どういうことだ?」

 アーウィリドの疑問には、エリクシルが答えた。

「兵の配備には、村の責任者なり、有力者なりの協力が必要不可欠です。黙って配置して情報が洩れては困りますし、農民たちに被害を出してもいけませんから」

「なるほどな」

 アーウィリドはうんうんと素直にうなずいている。

 この反応を見ても、最近仕事を始めたという彼の言葉は嘘ではなさそうだ。先生の教えをよく聞く生徒のようなその反応に、ついさっきあれほど圧倒的な強さを見せつけられたギャップも相俟って、ジルはちょっと微笑ましい気持ちになった。

「ついでに言うと、ロッディ。今回のリンダバーグ氏の行動は、別に政治的判断でも何でもありません」

「――え?」

「自分の妻を誘惑した色男の顔を、できれば自分の手でズタズタに引き裂いて殺してやりたかった。ただそれだけですよ」


「――なんだ」


「……ぷっ」

 ジルは思わず吹き出した。というのも、いまの『なんだ』が、『今日はねえ、お肉よ』という答えを期待して『お母さん、今日の晩御飯はなあに?』と尋ねた子どものあてが外れたときの『なあんだ』というかわいらしい響きに似ていたからである。しかも、口元に手をやるという動作により、その効果はさらに相乗されている。思わず、尋ねた。

「ロッディくんと言ったかな。君はいくつだ?」

「二十一です。それが何か?」

 うむ。まさしくギャップ萌え。

 が、かわいらしい彼は、次の瞬間には“大人の男”の顔になり、エリーに尋ねた。

「で、これからどうするんだい? エリー」

「はい。村を出て、ひとまず砦に向かいます。さしあたって、あなたにはクレイグとフェルを迎えに行ってもらいたいのです。多分、酒場にいるとは思いますが、予想が外れた場合、村中を回ってもらわなければなりませんから。我々は教会にいるだろうクレスとセレネ、それにジェスティンを迎えに行きます」

「そうかい。クレスは残念がるだろうね」

 ひとしきり感想を述べた後、ふと思いついたようにロッディが言った。

「しまった。なら、リンダバーグ氏のところにいた兵をいくらか減らしておけばよかったかな?」

 エリクシルは首を横に振る。

「いいえ。それでよかったのです。我々はあくまでも降りかかってきた火の粉を振り払っただけ。少なくとも、建前上はそれを貫かなくてはなりません」

「わかった。……ところで、このお二人のことは? どうする?」

 彼の深海色の瞳には、今まで見せなかった不審と警戒の色がある。少し、空気が冷たくなった。エリクシルの返答は短かった。

「このまま一緒に来ていただきます。村の、西側の入り口で落ちあいましょう」

「――わかった。行こう、マドンナ」

 馬首を返して、ロッディは行ってしまった。

「―では、行きましょう!」

 エリクシルの声を号令にして、他の四頭も走り出した。


「おしっ、来い、来いっ!」

 小さくガッツポーズを取りながら喜びを露にする男の横で、十二、三才くらいの子どもがおろおろとしている。

「ねえ、クレイグさん」

「なんだよ。いまいいとこなんだよ。邪魔すんなよ」

「そろそろ帰らない?」

「ああ? 俺への仕事の依頼はないんだから、遊んでてもいいだろ」

 およそ三十代の容姿には似つかわしくない、子供のようないいわけを並べ立てる男の隣で、銀髪の、こちらは現役の子どもはがっくりと肩を落とした。

(だめだ……。やっぱりお兄ちゃんか、ジェスを連れてくればよかった)

 頼れる長兄と、騒々しい次兄を思い浮かべる。

 長兄なら「まったく、もう」と言いながら、店からひきずり出してくれただろうし、次兄ならあまりの騒がしさに、クレイグは自ら席を立つはめになっていたに違いない。弓を教えてくれる先生と慕っているフェルマークの弱みにつけこんで、この、腕は立つが私生活は滅法だらしない大人は、まだまだフェルマークを困らせ続けるつもりに違いない。

「ね、この間もお兄ちゃんに言われたじゃない。次は叩き出されても助けませんよって。だからさ……」

「うるせえ。あんな小姑」


「誰が小姑ですか」


 上から降ってきた声に「げっ」とクレイグは呻き声をあげた。

 ぱっとフェルマークの顔が輝いた。

「お兄ちゃん!」

 抱きついてきた弟の頭を優しく撫でつつ、大人のくせに子どもを困らせる不埒者に、少しばかり厳しい口調でロッディは言った。

「エリーから召集がかかりました。この村から引き上げて、砦に向かいます」

「ああ?! 何でだよ!」

 珍しく勝っているところを邪魔され、クレイグは噛みついた。が、クレイグ曰くの小姑は強かった。

「ジェスから聞かなかったんですか? 王宮から使者として二人、騎士が来たんですよ」

「え? あ? あー?」

 聞いたような、聞いてないような。

 反応したのは、フェルだった。

「え? 王宮から騎士様が来たの? どんな人? やっぱり恰好いい?」

(よし、おれは聞いてない。決定)

 疑問が解決したところで、ゲームに戻ろうとしたクレイグの手は。

「二人とも砦に来るから、もうすぐ会えるよ」

 ぴたりと止まった。

「は? 何で王宮騎士さまが、むさ苦しいうちの砦なんかに来るんだよ」

「詳細は、エリーから。さ、行きましょうか?」

 クレイグは思った。

 こいつがこんな素敵な笑顔のときには、ろくなことがない。

(よし、無視だ、無視!)

「……お兄ちゃん」

 腕を組んだまま、じっと事態を見守る長兄を不安げに見上げる三男坊。おもむろに、兄の腕が伸びた。

「もう」

 クレイグの襟首つかんだ長兄は、そのまま外へ向かって歩き出す。

「さ、行きますよ」

「ロッディ! てめえ!」

「どのみち、もう遊んでいられませんよ。だって」

 店を出たところで、びゅんっと風を切る音が、クレイグの耳元でした。

「……」

 入口脇の壁には、矢が深々と刺さっている。

「ね?」

 そう言った兄の笑顔は、弟の自分から見ても最高に輝いている。

「『ね?』、じゃねーよ! こういうことなら、もっとちゃんと説明しろよ!」

 ロッディは不思議そうに言った。

「だって、見ればわかることを何でいちいち説明しなくちゃいけないんです? 第一あなた、くどくどとした説明なんか、おとなしく聞ける性質じゃないでしょ?」

「……」

「じゃ、行きましょうか。フェル、お前は兄さんと一緒にマドンナに乗りなさい。クレイグ、あなたはそのへんの馬を勝手に調達してください」

「……」

 明らかな差別に抗議することもできず、なかばやけくそまじりにクレイグは『そのへん』の馬へと向かう。

 フェルは思った。

 お兄ちゃんは小姑なんかじゃない。旦那さんを尻に敷く、鬼女房だと。



「へえ。王宮から騎士様が」

「そう! 遠目だけど、すっげえ恰好良かった!」

「そう。よかったね」

 遊んでいる子どもたちに優しく目配りしながらも、蜂蜜を溶かしたような琥珀色の髪と瞳の神官は、ジェスティンの話に耳を傾け続ける。神官クレスの隣にいる、深緑色の髪と瞳を持つ乙女が、くすりと笑った。

「ジェスは、本当に騎士様が好きなんですね」

「そりゃあ、もちろん! だって、兄貴も騎士見習いだったのに、その頃の話は全然してくんないしさ」

「……そうなんですか?」

「らしいよ。フェルもそう言ってたし。……ロッディって、本当にお伽の国の騎士様みたいだよね。女の子だったら、誰でもきっとあんな騎士様に守ってもらいたいよねえ」

 ここで神官は、神官らしからぬ人の悪い笑みを浮かべる。

「ね、セレネ?」

 ぽっとセレネがほほを赤らめた。

「え、ええ。まあ……」

「え? セレネって兄貴のこと好きなの?」

「い、いいえ! そうだったら、ちょっと素敵だなあって、そう思っただけで……」

 クレスが小さく笑い声を立てる。――と、教会の扉が大きな音を立てて開いた。

 子どもたちが驚いたように顔を上げる。入ってきた、招いた覚えのない客の不穏な空気に、クレスの笑みが引っ込んだ。

「――何だよ、あんたら」

 最初に動いたのは、ジェスティンだった。

 十五才にしては恵まれた体格の彼は、入ってきた兵士たちにも決して引けはとらない。

「ちょ、ちょっと待って! ジェス!」

 というわけで、この細腕の神官がケンカっ早いこの少年を止めるのはひと苦労だ。こういうときは「いいから、やめなさい。お前」のひとことでこの場を収められる、彼の兄の腕力がたまらなく羨ましくなる。

「いきなりケンカ腰はまずいよ。まずは話を聞いてから……」

「どけ」

 言うなり兵士はクレスを突き飛ばし、悪いことに、これがバーロウ家の短気な次男坊の怒りに火を点けた。

「何すんだよ!」

 怒ったジェスティンが、剣の柄に手をかけ、

「ま、待って!」

 クレスが急いで制止しようとした瞬間、

「取り込み中悪いな。邪魔するぞ」

 兵士が後ろから蹴り倒された。


「……」


 呆気にとられたみんなの前で、兵士の頭を踏みつけているアーウィリドだけが。


「ん?」


 ――わかってない。

「リッド! て、て、て、てめえ!」

「なんだ?」

「なんだじゃねえよ! おれがせっかくこれからいいとこ見せようと思ってたのに!」

「それはすまんな」

 まったくすまないと思っていない口調で、ずかずかとアーウィリドは教会に――まさしく、踏み込んでくる。それはまるで、彼のほうこそこの教会に対する侵入者であるかのような踏込っぷりであった。

 さらに、


「時間がない。一緒に来てもらおう」


 ――この台詞。

 入口まで来ていたエリクシルがため息をついた。

「リッド、それではあなたが悪役です」

 そんなエリクシルのさらに後ろで、二人の騎士の片方――黒髪の騎士が声を立てずに苦笑した。

 めざとくそれを見つけたジェスティンが

「あっ」

 と小さく声をあげ、大股で二人の騎士に近づく。

「あんたら、王宮から来たっていう騎士様たちだろ?」

「君は?」

「おれ、ジェスティン!」

 興奮しすぎて短すぎる自己紹介に、エリクシルが説明を補足した。

「さっき会った、ロッディの上の弟です」

「弟?」

 ジルは思わず、驚きを露にしてしまった。兄があれほど美しいので、弟もさぞや美しいのだろうと勝手に思い込んでいたのだ。が、どちらかと言うと線が細い文学青年のイメージすらある兄に対し、弟は決して不細工ではないのだが、がんがん野良仕事をこなす典型的な田舎少年といった感じだ。はっきり言って――。


「おれ、似てないだろ? 兄貴と」


 考えていたことをずばり言い当てられた。

 思わずうろたえてしまったジルに、ほがらかに彼は言ってのける。

「おれは親父似で、多分、兄貴は兄貴のお袋似だと思う」

「兄貴のお袋……?」

 奇妙な表現の理由を、さらっとジェスティンは説明した。

「おれと弟のお袋は同じだけど、兄貴だけ、お袋が違うんだ」

「そ、そうか」

 普通の人なら言い淀むようなことをあっさり言いのける辺り、気質も、兄とはずいぶん違うらしい。複雑そうな家庭事情にジルがそれ以上思いを馳せる前に、せっかちなエリクシルの声が割って入った。

「ジェス、あまり時間がないんです。話は砦でゆっくり。クレス、セレネ、急ですみませんが、村を出ます」

「え?」

「ちょっと事情があってな。オレはどうやらお尋ね者になったらしい」

 クレスがぎょっとした顔になる。次いで彼の顔から、みるみる血の気が引いていった。

「リ、リッド、どういうこと? きみ、まさかとうとう……」

『とうとう』という言葉が出るあたり、ガルディアンに身柄を求められるだけの心当たりが、この神官殿にはおありなのだろうか。

(聞いてみたいような、聞いてみたくないような)


 いや、やっぱり聞きたくない。


 ジルは思った。

 出会ってまだ数時間とたたないつきあいだが、彼が“豪快”という言葉が裸足で逃げ出したくなるような思い切りのいい性格であることだけはよくわかる。正直、この調子でこれまで一体どこで何をやらかしてきたのやら。考えるだけで頭が痛くなりそうだ。だが、その頭痛と種ときたら。

「違う。多分、おれは何もしてない――と思う」

 ほら、この調子だ。

「何もしてないと『思う』だけでしょ? ね、ねえ、一体何がどうなって……」

 普段友人に振り回されている自分の姿と重なって、ジルは青ざめている神官殿が何だか気の毒になってきた。できれば彼の心を軽くすべく、なにか言葉をかけてやりたいところなのだが、生憎うまい言葉が見つからない。

「とにかく、いまぼくたちがここにいるのは危険なんです。クレス、あなたの心配はもっともですが、とにかくこの場を離れましょう」

「いっちゃうの? しんかんさまー」

 子供の声に、神官殿はにわかに現実に引き戻されたようだ。

 彼の手を握りしめ、ぶらぶらと振る。動作は可愛らしいが、不満げにその女の子は言った。

「げんきになったら、たくさんあそんでくれるっていったのにー」

 クレスが跪き《ひざまず》、真摯に言った。

「ごめんね」

 その子の小さな手をぎゅっと握ったその手と声に誠実が溢れている。


 ――クレスが残念がるだろうね。


 ロッディの洩らしたひとことが、ふいに思い出された。

「でも、ごめんね。行かなくちゃ」

「……うん」

 女の子が、あきらめたように手を離した。

「また会える?」

「うん。きっと」

 ジルはこのとき、クレス・ハートという人間を知っていたわけではなかった。

 だが、この言葉は嘘だと思った。――なぜか。

「行きましょう」

 エリクシルがみんなをうながす。外に出るなり、彼はてきぱきと指示を出し始めた。

「クレスとセレネは、この馬に一緒に乗ってください。ジェスはリッドと。ぼくは……」


「よろしければ、俺の馬にどうだ? 軍師殿」


 黒い子どもが、赤い眼光を一瞬鋭く自分に向けた。

「……そうですね。お願いします」

 とことこと近寄ってきた子どもを、ジルは片腕で軽々と抱き上げる。

「よろしくな、軍師殿」

「こちらこそ。……ええっと」

 そう言えば色々ありすぎて、まだ名乗ってなかった。素早く、ジルは言った。

「ジルだ。ジル・リジッタ・クロヴェール」

「では、改めてよろしくお願いします。ジル殿」

 ジェスティンがためらいがちに口を開いた。

「エリー、いいのかよ」

 繊細とはほど遠い性格ではあろうが、意外に彼の観察眼は鋭いようだ。――とは、腹に一物持つ者同士の穿った見方だろうか。

 腹に一物持った片方は、微妙に核心をずらした答えをした。

「あなたの馬の扱いもたいがいですが、まっすぐ走れる分だけ、リッドよりまだましです。言っときますけど、今回は逃げることが最優先ですからね。くれぐれも反転して、追手を迎え撃ったりしないように」

「お、おう」

「はっ!」

 先導は、クレスと呼ばれた神官とセレネと呼ばれた少女を乗せた馬だった。手綱を握る神官殿は優しそうな見かけどおり、優しい気性のようで、馬が安心して走っているのが見てとれる。

「……」

 それに比べて。

「おい! ちゃんと走れよ!」

 馬の扱いが荒いことも確かだが、見たところ二、三才の元気な牡馬は乗り手を完全にバカにしているのだろう。

「みんな!」

 村の西側の入り口には、すでに二頭の馬が轡を並べて待っていた。

 白馬にはロッディと十二、三才の子ども、もう一頭の葦毛馬には三十前後の赤毛の男が乗っている。

「これでみんなそろったかな?」

 ロッディの言葉に、「ああ」とアーウィリドがうなづいた。

「フェル、クレイグの馬に移って下さい。殿をあなたがた二人で守ってもらいますので、手綱はフェルが」

 子どもがうなずいて、馬を変えた。

「ロッディ、先頭は任せました。くれぐれもクレスとセレネの馬を離し過すぎないように。リッドと、ええと、ケイトでしたか。あなたがたの馬で、クレスたちの左右を挟んでください。ジル殿、ぼくたちも殿に回ります。いいですか?」

 親友の名が呼び捨てだったことには、触れるまい。そして。

「わたしはかまわないが……」

 力関係が築かれつつあることにも異存はない。――だが。

(ちょっと、危険じゃないか?)

 クレイグと呼ばれた男は弓兵のようだから、問題はあるまい。しかし、ジルは飛び道具を持っていないのだ。が、他の団員はエリクシルの指示に、さっさと従っていく。不安はあるが、ジルもそれに倣うことにした。

「では、行こう。――マドンナ」

 人間で言えば、三十前後の高貴なご婦人が、しとやかに走り出す。

 ジェスティンとアーウィリドを乗せた馬が走り出す直前、さりげなくエリクシルが釘をさした。

「ちなみに落馬しても助けませんから。その辺肝に命じておいて下さい。――リッドも」

「……わかった」

「では、行きましょう!」

 残りの馬が順番に走り出す。

 やがてそれに、大音量の馬の足音が続いた。

 そして、その様子を一つのレンズが捕えている。


「おおおお?!」

 十代後半に入るか入らないかという深夜色の髪の持ち主は、驚いたように望遠鏡を髪と同じ目の色から外し、またそれをのぞきこむという動作をした。

「なんだ。ガキ」

 うんざりしたような“おっさん”の声に対し、興奮冷めやらぬ少年は前方を指した指を上下に大きく動かしている。

「見ろ見ろ、おっさん! 先頭いくあの男! めっちゃ、いい男!」

“おっさん”、陽気な青年、そして、藍色のローブを着た少女はいま丘の上にいて、いまさっき数頭の馬を見送ったあと、それを追う十数頭の馬の群れを眺めているところだ。

 うんざりしたように“おっさん”は言った。

「どうでもいいだろうが。男の顏なんて」

「すんげえいい男だな~。あれ生け捕りにして好色夫人に献上したら、なんかすげえご褒美貰えるかなあ」

「ゃ」と「ょ」の言い間違いについて、言及はしまい。

「どれ」

“おっさん”はひょいと、陽気な青年の手から望遠鏡を取り上げた。

 なに、標的の確認だ、確認。

「……」

「な! な! すげー、いい男だろ?」

「……許せん」

 “おっさん”の手の中で、望遠鏡がぼきりと音を立てた。筒が、指が押し当てられている箇所を中心に砕けていく。少年が「あ」と情けない声をあげたが、もちろん“おっさん”には聞こえていない。

「俺より顔のいい男は、みんな死ね」

「……おっさんをいわゆる美形の類に入れるには、あいつだけじゃなく、おれも含めて全世界の男の半分を殺さないといけないと思うけど」

「なにか言ったか?!」

「ううん、何でも」

 少年は急いでいろいろ誤魔化してしまうことにした。

「ほらほら。そろそろ行かないと、逃げられちゃうよ」

「――関係ない」

 それまで二人の傍らで黙りこくっていた少女が口を開いた。

 すっとひとさし指を伸ばす。その延長線上には、ジルとエリクシルが乗った馬がいる。

『“死への一撃”』

 少女の指先から、赤い閃光がほとばしった。

  

 リンダバーグ氏とやらの私兵は早くも脱落し始めているが、正規訓練を受けた軍馬たちはさすが、格が違う。追手たちとの距離は思うように開かない。先頭に憂いはあるまい。しかし、自分と隣の赤毛の男との殿は少し無理があったような気がする。おまけに、二人とも子ども連れだ。

 たまりかねたように、赤毛の男が声を上げた。

「フェル、もっとスピード上げろ!」

「これ以上は無理だよ!」

 思い切ってどこかで迎え撃つことを提案しようかと思っていたそのとき、後ろでいきなり悲鳴が上がった。

 何事かと振り返る。

 赤い閃光が、追手たちの馬を次々切り裂いてこちらに飛んでくるのを視界に捕えるのと、


「ジル!」


 前方を走る親友兼相棒の叫びは、ほぼ同時だった。――この言葉も。


『“戦士の盾”』


 六角形の魔法陣が現れる。ジルの心臓めがけて飛んできた閃光を、闇色のその盾が防いだ。ジルは信じられない気持ちで、自分の腕の中にいるものを見た。


「本気か? いまの四カミナル(約六百メートル)はあったぞ!」


 本気か、は友人より、自分の方がよほど言いたい台詞だった。

 あの一撃を簡易詠唱のみで、こうもやすやすと防ぐとは。

 その智以上にジルを驚かせた小さな魔道士は、間髪入れずに叫んだ。

「クレイグ!」

「わかってる。フェル、離すなよ」

「うん」

 赤毛の男が担いでいる弓を構えた。今度はジルが叫んだ。

「おい、待て! 威嚇にしても遠すぎる! 絶対に当たらん!」

 男はためらいもせず、弓を引く。ジルの予想は外れた。もっとも、彼が肉眼で観察できたのは、弓が驚くくらい遠くまで飛んだということだけだったが。

 さて、火のついたやじりの行方を追ってみよう。

 彼のあまりの膂力に驚いたジルが、その横顔を見つめながら

(この男、ひょっとして……)

 と思いを馳せていたときすでにそれは、丘にいるはずの彼女の足下に突き刺さっていた。

 無精ひげの生えた“おっさん”の口許がにわかに引き締まり、

「思ったより、楽しめそうじゃん」

 少年は陽気に笑った。

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