Tales of Algebras 第1章 幻の御子

竜堂 嵐

アーウィリド・フォス 1

「断る」


 あまりにも迷いなく、そして、にべもないひとことに、二人の騎士はそろって言葉を失った。

「じゃあ、そういうことで」

 二人に言葉を失わせた張本人は、比喩ではなく、造りが悪いがために座り心地が悪い椅子からすでに腰を浮かそうとしている。


「あ、いや! 待たれよ!」


 騎士の黒髪の方――名を、ジル・リジッタ・クロヴェールという――が制止の言葉を発したのは、ほとんど条件反射というべき行動だった。が、これが意外な相手の反応を引き出した。


「――あいや?」


 発したはずの読点が、確実に抜けている。

 金髪に金色の瞳。まるで輝く朝日の光を体現したかのような少年は、腰を浮かしかけたままのその姿勢で、幼さ残るその顔立ちにはいささか不釣り合いな気もする凛々しい眉を顰めて尋ねた。

「あんた、年はいくつだ?」

「二十七だ。それが?」

 年長と年少が逆転したかにも感じられる質問にジルは淀みなく答え、これまた反射的に、意趣返しともとれる言葉を付け加えた。通常、『それがどうした?』という強気の台詞に対し、相手は『いや、何も……』言い淀むのがセオリーである。が、ジルが彼を一目見たとき“規格外”と感じたとおり、次の彼のセリフもまた“規格外”だった。

「あんたの『あいや』ってひとことが、ずいぶん年寄りくさいなと思ったから聞いてみただけだ。思ったより若かったんだな。悪かった」


 一体、何に対しての謝罪だ。


 間の抜けたことに、ぽかんと口を開けたジルがまず思ったのが、それだった。

 人間、動揺するほどどうでもいいことが気になるものらしい。

 一方、ジルと世間一般の期待を裏切ること甚だしい少年は、もう場面を次に切り替えようとしている。

「エリー、お客様がお帰りだ」

 彼の隣で茶をすすっていた七、八歳くらいの子どもが、心得たように答えた。

「はい」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「何だ?」

 あまりにも自然すぎる「何だ?」だった。

 話は終わった。まだ、何か? と言いたげな。

 確かに、彼としては断った時点でこの話は終わったことなのだろう。が、持って来た方としては、そうはいかない。そもそも、断られるなどとは思ってもみなかったのだから。どう説得したものかと心の中で頭を掻きむしっているジルが言葉を発するより先に、短気な友人兼、上司兼、そして、不本意なことに今回の旅の相棒が叫んだ。

「さっき言っただろう!」

「ああ、話は聞いた」

「――だったら!」

「だから、言ったじゃないか。断ると」

 他の者が答えば、『しれっと』と表現されるべき答え方だが、この少年に関してその表現は当てはまらないどころか、いささか不当でもある。相応の打算が含まれた答えが『しれっと』であるなら、この少年は打算とは永久に無縁であろうと、ジルには思われたからだ。

 彼の金色の眼差しはまっすぐで、そこには何の計算も、また答えを繰り返さねば腹立たしささえもない。これが彼のいうところの仕事の依頼であれば、『そうか。それは仕方ない』という納得と、一種の爽快感さえあっただろうと、ジルは思う。


 しかし。

「貴様!」

 声を荒げ立ち上がった彼に、心情的に賛成できずとも、らしいな、とは思った。

「国家の一大事なのだぞ! しかも、目上の者に対してその態度……! 許せん! そこへ直れ!」

 少年は黄金色の瞳を二、三度しばたかせ、ジルに、尋ねた。

「こいつはいくつだ?」

「二十二だ」

 思わず苦笑が零れ落ちそうになる。


 なるほど。

 太陽神アーウィリドと同じ名を持つ彼は、まだ幼いながら、血統正しきジルの友人より、よほど大器らしい。少なくとも、彼より自分の方が話が通じそうだと判断したその慧眼は認めなければなるまい。

(確か、十七と言ったか)

 若いながらも、団を率いる長と名乗るだけはある……。

 ジルの感心は、しかし。


「――で」


 一拍置いたあとの。

「さっきのあんたといい、こいつといい、はやってるのか?」

「――は?」

「さっきの、古典劇みたいなやつ」

 これに、粉々に打ち砕かれるはめとなった。

「……」

 隣の、頭のてっぺんから怒りの湯気を吹き出し続けているのに目をやる。

 任務で来ている以上、言葉遣いが多少改まったものになるのは仕方がない。それを、何かと大げさなこやつと同じ『古典劇』とやらの同列にされてはたまらない。が、さりとて説明も面倒くさい。というわけで、回答は短く、ひとことにまとめることとした。

「いや、別に」

「そうか」

 アーウィリドはすぐに興味を失ってしまったらしく、立ち上がりきるなり、隣の子どもにこれからの予定を伝え始めた。

「仕事に行ってくる。今日は隣村の子どもたちに剣の稽古をつけるついでに、野良仕事も手伝ってくるから、戻るのは早くても夕方になる」

「わかりました。夕食はどうしますか?」

「一応、用意しておいてくれ。……ロッディが早く戻ってくれるといいんだがな」

 後の言葉にはため息がまじっている。

「同感です」

 と子どもが大いにうなずいた。

「おい!」

 虎のような声に、金色と黒色が同時にこちらを向いた。

「さっきも言ったが、目上の者に対してはもっと言葉を改めろ! それから……」

「言ってたか? そんなこと」

「さあ」

 首を傾げる子ども。

「それから!」

 強引に彼は話を戻した。

「先ほども言っただろう! これは国家の一大事なのだ! たかが一介の傭兵ふぜいが……」


「じゃあ、聞くが」


 終わったはずの話を何度も蒸し返されることにうんざりしたのか、それとも、耳障りな大声にうんざりしたのか。アーウィリドが今回の話について、初めて質問を投げた。

「なんでガルディアンは、そのたかが一介の傭兵の身柄を欲しがっているんだ?」

「……うっ」

「そもそも話がおかしいだろ? 国王の愛妾の子が王になる。その後ろ盾にガルディアンがなる。その見返りに傭兵団の団長の子を引き渡せだなんて」

(正論だ)

 ジルは思った。

 誰が聞いてもおかしいこの話をおかしいと思わないのは、国家の命令を何でも是とする、こいつくらいなものだ。さらに、アーウィリドは言い募る。

「話は聞いた。わかった。けど、オレはそんなわけのわからん理由で外国になんか行きたくない。仕事も立て込んでるしな」

「……」

 隣からの、『助けてくれ』という視線が痛い。

(わかった、わかった)

 筋が通ろうと通るまいと、これは任務なのだ。どのみち、二人にはこの少年を王都に連れ帰る以外の選択肢は与えられていない。心の中で返事をして、ジルは筋が通った話の筋を曲げるべく、口を開いた。

「君こそ、なにか心当たりは?」

「……は?」

 アーウィリドがジルを見る。

 とりあえず、つかみはオッケーのようだ。ジルは続けた。

「正直な話、我々も非常に戸惑っている。我が国シムチエールとガルディアンは互いの建国以来、長い間の同盟国ではあるが――」

 意味ありげにアーウィリドを見て、ジルは続けた。

「私は知らなかったが、このレグルス傭兵団は業界ではなかなか名の通った傭兵団だそうじゃないか。そして、君はその跡取り息子。案外、自分でも知らない間に、ガルディアンの姫君にでも見初められたのやもしれんぞ」

「ばかな」

 今までの超然とした態度とは違い、アーウィリドは初めてその年頃らしいとまどいを見せた。動揺を隠そうともせず、彼は続ける。

「そんなのはオレの役回りじゃない。第一、そういうのは――」


 バタン。


 突然扉が開いた。

「ただいま。……と」

 隣にいた友人兼相棒が振り返る。


「――って、ええ?!」


 信じられないものでも見たように、友人兼相棒は、入ってきたその青年を二度見した。

 が。


「……!」


 驚いたのは、ジルも同様だった。

「なんと、まあ――。目の醒めるような美形だな……」

 まったくだ。

 ジルは一切の異論なく、驚きと感嘆溢れる友人兼相棒の言葉にうなずいた。

 美しい深海色の瞳。彼の細く長い銀色の髪は、かきあげるたびに月の光が零れるようだ。

「お帰りなさい、ロッディ」

 迎えの言葉を口にした子どもに、おとぎ話に出てくる王子様のような笑みを彼は向ける。

「もしかしてお邪魔かな? もしそうなら、水を一杯だけもらえれば出て行くけど」

「いいえ。大丈夫です」

「そう。なら、遠慮なく」

 ゆっくり奥へ向かい、青年は置いてあった水差しをとる。

「早かったな」

 アーウィリドの言葉に、青年は困ったように微笑んだ。

「リッド、そこはむしろ遅かったなって言うべきところじゃないかい? おかげさまで昨夜は徹夜だったよ」

「なんだ。あんたが手こずるような仕事だったのか?」

 コップの水を一気に飲み干し、ようやくひと心地ついたとばかりに青年は大きく息を吐き出す。

「……いや、夫人にいつ襲われるか、気が気じゃなくてね」

「美形ってのも、大変だな」

 アーウィリドの言葉に、青年はただただ苦笑するしかないようだ。と、彼の深海色の瞳がこちらを捕えた。不覚にも胸がときめくのを、ジルは感じた。


「――で、王都の騎士様の用事は済んだのかい?」


「――!! なぜ、我々が王都から来たと知っている!?」

 友人兼相棒も、ようやく美しい夢から目覚めたようだ。

 起きるなり飛びついてきた若虎を、夢の国の王子様はさっと、そして、優雅にいなした。

「なぜも何も、いかにも騎士でございというような鎧姿のお二人が、お馬に乗ってやってきたとあらば、こんな田舎では嫌でも目立ちますよ」


 穴があったら入りたいとは、このことか。


 今さらながらに、ジルは思った。

(だから普通に、軍服だけで行こうと言ったんだ)

「特に、うちの上の弟がはしゃぎまくってご近所中に触れ回っているようなので、もうこの村でお二人のことを知らない人はいないと思いますよ」

 まったく嫌味がないだけに、余計に耳が痛い。

 何を、どう切り出すかジルが迷っている間に、ふと黒い子どもが口を開いた。

「そうだ、ロッディ」

「なんだい?」

「あなたはもと王都の騎士でしたよね? このお二人に見覚えは?」

「え?」

 ロッディとジルの声が重なった。

(この青年が、もと騎士?)

 確かに、傭兵などという粗野な商売には、ひどく不釣り合いな男だが。

(こんな美形、いたかな?)

 これほどの美貌なら、直接は知らなくても噂くらい耳にしてそうなものだ。

「正確に言えば、騎士見習いだよ。それに、わたしが軍にいたのは、四年も前のことだからね」

 困ったように言いつつ、彼はぐっと二人に顔を近づけてくる。

「うーん……」


 お願い。あんまり見つめないで。


 状況も忘れて、ジルは心の中で呟いた。友人兼相棒に関しては、「こっちの人は知らない」と、早々に見切りをつけたものの、ジルに対しては、


「こっちの人は、どこかで見たことあるような……」


 小さく呟きながら、さらに顔を近づけてくるではないか。

(俺は、君みたいな美形は知らないが)

 やましいところがあるわけではないが、ジルは彼の目から顔を逸らした。正直、眩しすぎて正視ができない。

 しばらくジルを見つめ続けていたロッディだったが、やがてあきらめたように言った。

「ごめん。わからない」

「――そうですか」

「おい!」

 友人兼相棒の怒鳴り声に、思わずため息がもれた。

(お前は。いちいち怒鳴らんと話ができんのか)

 これまた今さらながら、彼のお守りを押しつけた父に不満の気持ちが湧いてきた。もっとも、息子の不服など、あの鬼は歯牙にもかけないだろうが。

(さすがに止めるか)

 意を決して椅子から身を起こしたジル。が、ありがたいことに、彼の大声への注意は別の人物が行ってくれた。

「いちいち大きな声を出さないで下さい。騒々しい人ですね」

「なにっ! 大体、先ほどからお前は何なのだ? 大人の話に子どもが首を突っ込んで!」

 それは、ジルも気になっていた。

 黒髪に赤い瞳の、七、八歳くらいのこの子どもは、自分たちが訪ねてきたときからアーウィリドの隣に陣取り、さも当然のように自分たちの話に耳を傾けている。

 ちなみに、自分たちの前に置かれているお茶を用意したのも、この子だ。


「エリクシルだ。うちの副団長で、参謀だ」


 意外な言葉がアーウィリドの口から飛び出した。




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