アーウィリド・フォス 2
「副団長? 参謀?」
「ああ。あと、会計係も兼ねてるんでな。仕事の話はまず、エリーを通すことにしてる」
しばらく目を丸くして、アーウィリドと子どもを交互に見比べていた友人兼相棒だったが、やがて。
「ぶっ! はははっ!」
大声で笑い始めた。
子どもの眉が、不快気に顰められる。
笑い声が止んだ。一拍間を置いて。
「ふざけるな!」
友人兼相棒の一喝が轟いた。
「わざわざこんな田舎まで出向いてやったが……! 聞けば、半年前に団長が病死! 代わりに十七になったばかりの息子が団長をやってる! あげくに、こんな子どもが参謀だと? 人をバカにするにもほどがある!」
(まあ、確かにな)
確かに、普通なら十分人を食った話だ。短気なこいつでなくとも、とうに激怒して帰路に着いてもおかしくない。――しかし。
「人をバカにするにもほどがあるとおっしゃるなら、あなたも十分負けてませんよ。だって、貴方がたはまだ名乗ってもいないんですからね」
大の大人の怒鳴り声にもそよともしない子どもは、肝の据わり具合が違う。そして、この指摘に意外な人物が反応した。ロッディだ。
「え? そうなのかい?」
「ああ」
アーウィリドの肯定に、エリクシルは補足を忘れない。
「ええ。このおばかさんときたら、扉を開けるなり『貴様がアーウィリドか? 勅命である!』なんて叫んで、一方的に、べらべらと、その勅命の内容をまくしたてたんですよ」
この日二度目の、『穴があったら入りたい』
これにはロッディも相当あきれたようで、彼の感想は。
「それは……、すごいね」
のみだった。もちろん彼の『すごいね』は、『すごいバカですね』の省略形であること、まちがいない。
「だから、あなたに見覚えがないか尋ねたんです。だって、アホすぎるじゃないですか」
「あ、ああああ、アホだと?!」
「申し訳ありません。……エリー」
エリーをたしなめつつも、ロッディは友人兼相棒に釘を刺すことも忘れなかった。
「しかし、かつて軍の所属であった者として言わせていただければ、本人確認はもとより、勅命を伝える場所も、少しはお考えになるべきだと思います」
まったく正しいだけに、耳が痛い。
「なんだと、この……っ」
「ケイト」
さすがに友人兼相棒を押しとどめる。
「上官が失礼した。小官は……」
ジルが改めて名乗りをあげようとしたそのとき、ドンドンと扉がノックされた。決して叩き方が乱暴だったわけではない。家の作りに似合いの、乱暴な作りの扉なので、叩けばこういう音がするだけの話だ。しかし、間の悪さもあって、その場を奇妙な緊張が駆け抜けた。
「わたしが出よう」
ロッディが動いた。
「はい。どなたでしょうか?」
扉の向こうから、声が聞こえてくる。
「お忙しいときに失礼いたします。わたくし、リンダバーグ家の使いの者です。奥方様から特別の依頼がありまして、速やかにロッディ・バーロウ殿に当家にお越しいただきたいとのことなのですが……」
「ちょっと、待って下さい」
扉から離れたロッディは、エリクシルとアーウィリドに小声で尋ねる。
「どうしようか?」
「行った方がいいと思います」
答えたのは、エリクシルだ。
「けどな、いまさっき戻ってきて、またすぐってのは……。ロッディ、あんた何かやったのか?」
心外だ、という顔と声でロッディは言った。
「わたしは、何もしてないよ」
すぐさまエリクシルが口を開く。
「ええ。ロッディは何もしてません。ただ、リンダバーグ夫人が年甲斐もなく若くて美しい男に夢中で、旦那さまが嫉妬に狂っているというだけで」
「……エリー」
かばわれている側がどうかと感じる辛口の擁護のあとで、エリーは言った。
「いずれにせよ、潮時です。買い物に行くときの護衛だの、夜中にねずみが出て怖くて眠れないだの、いつまでも下らない用事で、うちの特攻隊長をこうしょっちゅう駆り出されてはたまりません。いいお得意様を失うのは残念ですが、別の仕事が入っているとでも言って、これを機に夫人の依頼はお断りすることにしましょう」
「エリー! 助かるよ!」
直接はそのリンダバーグ夫人とやらを知らないが、彼がこれだけ喜色を露にするところを見ると、けっこう厄介な依頼人であることは確かだろう。
「では、行ってくるよ」
まるで長年の悩みが吹っ切れたかのように、彼の笑顔は輝いている。
「ええ。張り切って最後のお仕事をこなして下さい。ぼくたちもこちらが片付き次第、すぐそちらに向かいます」
「……オレも行くのか」
やや驚いたように、アーウィリドが言った。
「リッド。ロッディから直接伝えたところで、夫人は決して納得なさらないでしょうし、下手をすれば団長であるあなたに直接交渉すると言い出しかねません。ですから、これはロッディ個人の意志ではなく、団の決定であるとはっきり示す必要があるのです」
「なるほど。わかった」
アーウィリドはあっさり納得したらしい。
「じゃあ……」
扉を開きかけたロッディに、「待ってください」とエリーが呼び止めた。
「なんだい?」
「念のため、マドンナを連れて行って下さい」
「――マドンナを?」
ロッディの顔に驚きが浮かぶ。エリクシルは表情一つ変えずに言った。
「万が一、貞操の危機に瀕したとき、逃げ足は少しでも速い方がいいでしょうから」
「貞操の危機って……。まあ、いいや。その辺も含めて、君たちが来てくれるまで無事であるよう努力するよ。じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
ばたん。扉の音が止んだと同時に、隣にある肩がぶるぶると震えだす。
「……貴様ら」
(あ、やばい)
思ったときには、遅かった。
「いい加減に……!」
が、彼の怒りはまたへし折られることになった。
再びのノックが響いたのである。
自分たちを含めれば、これで三度目になっただろう音に、
「評判通り、君たちはずいぶんな人気者らしいな」
なかば揶揄するような感想を述べたジルだったが。
「いいや。今日はちょっと客が多いな。いや、多すぎる」
意外にも、アーウィリドの顔は真剣だった。
「今度は、ぼくが出ましょう」
エリクシルが椅子からぴょんと飛び降りた。
いきなり扉を開いた彼はなんと。
「どちら様ですか?」
と、とびきりかわいらしい声を出した。
思わず隣を窺う。
貴様。さっきまでと全然態度が違うではないか。
そう怒鳴り出さないだけ、この男にしては上出来と言える。ただ単に、あきれてとっさに言葉が出なかっただけかもしれないが。が、年齢の割に肝の据わった少年。老獪な子ども。絵本から抜け出してきた王子さま以上にジルを驚かせたのは。
「やあ、坊や」
自分たちが属しているはずの軍の、この兵士の登場だった。
「ここに多分、レグルス傭兵団の人たちがいると思うんだけど。団長さんのレグルスさんはいるかな?」
「……だんちょうさんは」
舌足らずで、涙が滲んだ声。
子役も真っ青の演技達者さで、彼は言う。
「しんじゃいました」
しんじゃいました。
この、リアリティ。
兵士が驚いたように言う。
「おや、そうかい。それはお気の毒に」
彼の演技の半分の感動も与えられない声と台詞を吐いた兵士は、この“子ども”にさらなる質問を続ける。
「では、ご子息の……。あっ、団長の子どもという意味だけれど、アーウィリドくんはいるかな?」
「アーウィリドは、オレだ」
「君が、アーウィリド?」
アーウィリドの返事の前に、エリクシルが『無邪気に』叫んだ。
「うん! リッド兄ちゃんだよ!」
「――そうか」
兵士の気配が変わった。
彼は一枚の書状を広げ、威圧的に言った。
「レグルス・フォスの息子、アーウィリド・フォス。召喚状が来ている。一緒に来てもらおう」
ジルは素早く書状を確認した。書状には、紛うことなき愛すべき祖国シムチエールの王印が。
「ちょ、ちょっと待て!」
ケイトががたり、と椅子を倒して立ち上がった。
兵士の顔がこちらを向く。
「――何か?」
いまのところと二人はまだ敵とみなされてはいないらしい。
ひとまず安堵すべきだろうか。
ジルが判断を迷っている間に、友人兼相棒が状況を進めていく。
「こいつの召喚ならすでに我々が勅命として負っている! 貴様、どこの所属だ!」
「お答えする義務はありません」
「何を! このおれが、騎士団長カレン・トロン・ド・カルバドスの息子としての所業か?!」
友人兼相棒が、とうとう伝家の宝刀を抜いた。
が、この直後、この日一番の驚きが二人を襲った。
「カルバドス騎士団長は、すでに解任されました」
「――は?」
目が点になるとは、文学上の表現だと思っていた。が、ただいまこの瞬間よりその認識は改めた方がよさそうだとジルは思った。
「わたくしは新騎士団長、クラード・マーク・ド・ポーヴル男爵の命により、ここに参りました。あなたが、どこのどなたのご子息であらせられるか存じませんが、部外者は引っ込んでいていただきたい」
「何だと! この……!」
騎士団長の息子として隅にも置けぬ扱いを受けてきたこの友人にとって、モブ扱いはなかなか屈辱的であろう。しかし、それ以上に問題なのは。
「あの娼婦の息子が、騎士団長か。ははっ。出世したものだな」
「……何だと」
(いかん。心の中で呟いたつもりだったのに)
自分でも気づかぬうちに本音がダダ洩れだったらしい。しかも、甚だ遺憾なことにこの兵士、なかなか生真面目な性質らしい。
「グラモーレス公爵夫人は次王の御母堂! そのご子息であらせられる方が国を守られる要となるのは、いわば必定! 貴様、何の権利があって、我らが騎士団長の名誉を汚すのか?!」
(そうか。お前はいま、我が友の名誉を汚したばかりだがな)
そう思ったから、つい大人気なく口答えしてしまった。
「汚されて困る名誉の持ち合わせなどあったのか、あの男に」
「貴様! それでも栄えあるシムチエール騎士団の一員か?!」
おお。まるで愛すべき我が友のようではないか。
ジルはこの兵士に俄然、愛着を持った。で、持ってしまうと。
(さっきのひとこと。我ながら大人気なかったなあ)
まったく。あとで後悔するとわかっているのに、なぜ男の子は勢いだけで行動してしまうのか。――が、なぜだろう。
「ちょっと、口を挟んで悪いんだが」
とことん空気破りなこの少年だけは、後悔とは無縁な気がする。
「で、結局あんたら、どっちが本物なんだ?」
「……本物?」
ジルにはわからなかったが、エリクシルには意味が正しく伝わったらしい。
「リッド、どちらかが本物なのではありません。どっちも本物ですよ」
「そうなのか?」
驚いたようにアーウィリドは言った。
「同じ命令を違うやつが持って来たから、どっちかが偽物なんだろうって思ってた……」
(うむ。何たる単純)
素直に感心したジルに対し、友人の頭の中は混乱の極致にあるらしい。
「ど、どういうことだ?」
「失礼。ぼくも、つい先ほどまでは、あなた方が本物の騎士なのかどうか疑ってました」
「なぜ?!」
「だって、おかしいじゃありませんか」
とうとうとエリクシルは説明を始める。
「グラモーレス侯爵夫人は、王の妾であって、妃ではありません。で、あれば男児と言えども妾腹の子たるセディ殿に王位を継ぐ資格はありません。それでもセディ殿に王位を継がせたいと言うなら、宗主国たるデューダルシュに王位継承権を認めてもらう必要がある。どういう理由かは存じませんが、グラモーレス侯爵夫人は、その後ろ盾として、ガルディアンを選んだ。そして、その見返りに、ガルディアンはレグルス団長の息子である、あなたの身柄引き渡しを望んでいる」
「……つまり?」
「これはお願いではなく、強制なのです。何が何でも、あなたを連れて来いという。なら、二人だけでレグルス団長を訪ねてくるのは不自然です。しかも、この二人は召喚状さえ出していない」
「……」
出さなかったのではなく、出せなかったのだ――とは、ジルは言えなかった。もともと、この命令は下されたときから、いろいろと不自然を感じるものだったのだ。
「お、お前は一体……」
隠していた牙を剥いたエリクシルに、兵士がたじろぐ。
「あなたに伺います」
かまわず、エリクシルは問うた。
「いま、外には何人の兵が待機してますか?」
ジルは急いで立ち上がった。
思いもよらない行動をとられたときの人間の行動は、二つに一つだ。そして、若さが未熟さにそのまま直結してそうなこの兵士がとるべき行動はただ一つ。暴力にものを言わせることだけだ。
「リッド! 殺さないで下さい!」
「わかってる」
それはまさしく、電光石火の速さだった。
剣が閃いた。
ジルが認識できたのは、それだけだった。
次に理解したのは、一瞬宙に浮いた兵士があごを逸らしたまま、仰向けに倒れていく、その様だった。
抜いた剣の柄が、あごに入ったのだと理解するには、あと数瞬が必要で、物音に驚いて押し入ってきた数人を蹴散らしつつ表に出たアーウィリドとエリクシルを追うには、あと数分が必要だった。
足は彼らを追ったものの、目は倒れている兵士たちから離せない。
強い。強すぎる。
「……君は」
声が出たことで、緊張がほぐれた。
「ん?」
「正式な軍事訓練を受けたことがあるのか?」
「いや。親父がずっとオレを鍛えてくれた。本格的に仕事を始めたのも、親父が死んだ半年前からだな」
「……まじか」
うめくように、ジルは呟いた。
小さい頃から父に鬼のようにしごかれてきた自分でも、戦闘訓練を積んだ兵士五人を相手取れと言われたら考える。が、この少年は何の迷いもなくそれをやってのけた。しかも、十分とかからず。
「ふ、ふん! なかなかやるじゃないか!」
この期に及んでも強気な態度がとれる友人が、少しだけ羨ましい。
どんな訓練をしていただとか、どんな親父さんだったのか、聞きたいことは山ほどあるが、ジルたちには時が迫っていた。
「行きましょう。もうここにはいられません」
緊張をはらんだ声をお供に、先陣切ってエリクシルが歩き出す。
「待て」
「――何ですか?」
「この二人も連れて行こう」
この言葉には、二人のみならず、エリクシルも驚いたらしい。
彼は思いっきり嫌そうに確認をとった。
「この二人も、ですか?」
「ああ」
アーウィリドが、こちらに顔を向けて言った。
「様子を見ている限り、この二人はこいつらの仲間じゃなさそうだしな。ここに置いてったら殺されそうだ。それに」
アーウィリドがケイトを指さす。
「こいつは騎士団長とやらの息子なんだろ? だったら、いざってとき、人質に使えるんじゃないか?」
「なっ、なっ……」
「――もと騎士団長の息子に果たしてそんな価値があるかどうかは不明ですが……」
もと、の部分にやたら力が入っている。顔に思いっきり不本意ですの文字をはりつけ、それでもエリクシルは言ってくれた。
「ま、リッドがそこまで言うなら仕方ありません。連れて行きましょう」
ありがたい。どうやら自分たちの寿命はまだ伸びしろがあるらしい――そう思い、彼らの後に続いてジルが歩き出そうとしたとき、ややこしいのが声をあげた。
「ま、待て!」
「何ですか?」
この期に及んでまだ何か? とも言いかえ可能な言葉だった。
「俺は行かんぞ! わが父が解任など……。何かのまちがいに決まっている!」
言葉には、強気よりも不安の色の方が濃い。無理もない。普段のジルだったら、友人の言葉に一も二もなく賛成しただろう。だが、今は状況が違う。だから、ジルは言った。
「行こう。ケイト」
「ジル……?!」
「我々がいかに言いわけしようとも、この状況では我々の関与の疑いは免れん。それに先ほどの兵士の言葉が真実かどうかも、現時点ではわからん。我々には、それを確かめる義務がある。そうは思わないか?」
「し、しかし!」
エリクシルの怒りを含んだ大きなため息が聞こえた。
七、八歳の子どもがつく、大人へのため息。その威力に、初めてケイトがたじろぎを見せた。そして、このインパクトはまだ終わらない。彼の舌はさらに苛烈極まる炎を吐いた。
「兵士が五人倒されました。やったのは、十七歳の子どもです。我々はそれを見てました――そんな正々堂々とした真実が通用するほど、軍の尋問は甘いと思っているんですか?」
最後通牒を、エリクシルは遠慮会釈もなく突きつける。
「死にたくなければ、黙ってついて来なさい」
話は終わった、とばかりにエリクシルは背を向け、兵士が乗ってきたのだろう、繋いであった馬に近づく。
「――おれ、馬はあまり得意じゃない」
アーウィリドの意外な告白に、ジルは思わず目を丸くした。
エリクシルは先ほどとは打って変わって、優しい説得を試みる。
「わかってます。でも、足が必要です。そこのおばかさんたちを連れて行くと言うなら、なおのこと」
「お、俺は……」
ジルは彼の肩に手を置いた。これ以上の言葉と時間を浪費しても意味がないことは、これで十分伝わっただろう。すっかりうなだれてしまった友人を少しでも慰めるべく、ジルはあえて明るい声で言った。
「アーウィリドくんはどうやら馬術があまり得意ではないようだ。お前自慢の栄光あるシムチエール軍仕込みの馬術を一つ、披露してやったらどうだ?」
単純と素直は、楽観とは相性のよい友達だ。
このひとことで元気づけられたのか、にわかにはりきった様子で友人は言った。
「う、うむ! そういうことなら致しかたない! こんなところで披露するのは惜しいが、誇るべき我が馬術をお目にかけるとしよう!」
「――何でもいいから、早くしてくれ」
うんざりしたようなアーウィリドのぼやきは、幸いなことに、友人の耳には届かなかった。
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