砂漠の街にて

 ――というわけで、一行はデゼールにやってきた。

 砂の中に佇む町デゼール。町としてそう大きな町ではないが、砂漠の入り口に位置する町として、旅の者が必ず立ち寄る町である。

「あまり長居はできませんので、手っ取り早く用事を片付けましょう。リッドとぼくとジル殿で、セレネを送ってきます。ジェスとフェル、クレイグはクレスを頼みます。で、ロッディとケイト殿ですが――」


「なぜ俺が買い出しなんぞ!」


 道のどまん中で叫んだケイトを、「まあまあ」とロッディは笑顔でなだめた。

「あとは? 何を買えばいいんだ!?」

 尋ねる、確認するというよりはケンカを売っているに近い怒鳴り声だが、ロッディはいたって普通に応じた。

「あとは……。バターと肉ですね」

「肉……」

 ケイトの口の中に昨夜のスープと、今朝のサンドイッチの味が広がる。

 ロッディは手元のメモを読み上げる風を装った。

「ええ。十キロほど」

「そ、そうか。肉、肉だな! うん!」

「ええ」

 嬉しそうなケイトの隣で、ロッディは彼の観察を怠らない。

 よほど自分の父親を尊敬しているらしく、言葉の端々にそのことと父親へのコンプレックスが見え隠れする。

 良家のおぼっちゃまらしく、プライドは高く、そして単純。

 それが、ケイトに対するロッディの印象だ。

(もし腹に一物あるとすれば、やはりジル殿の方だな)

 エリクシルは昨夜、こう言った。


「彼は多分、隠し事をしています」


「隠し事?」

「ええ。それが大きなものか小さなものかはとにかく、何か、重大な隠し事を」

 クレイグは「けっ。やっぱりな」と悪態をついたが、アーウィリドの反応は「別に。対したことないんじゃないか」という彼らしいものだった。ロッディはというと、エリクシルの言うとおりだろうと思った。そして同時に、アーウィリドのように別に大したことはないだろうと。彼が何を隠しているにしろ、それは傭兵団を窮地に陥れるための罠、例えば、ジルとケイトが内通者であるとか、いざというときに裏切るつもりだとか、そう言った類のものであるとは考えていない。しかし、エリクシルの危惧も単なる取り越し苦労であるとも言えない。何にせよ、ロッディたちは隠し事が何なのか、あるいは隠し事など何もないのか。それすらわかっていないのだから。

 ケイトが肉屋から戻ってくるのが見える。生真面目な顔で両手に大きな紙袋を抱えているさまは、亭主関白を気取りながらも、結局妻にあごで使われている新婚の夫のようで、妙に微笑ましい。

(ケイト殿は意外と母性的な女性に人気があるかもなあ)

 荷物を受け取りに行こうと、ロッディは道を横切ろうとした。

 ふいに、黒い影が横切った。

 みぞおちにこぶしが食い込んだのを感じた。

 一瞬、息ができなくなった。

 こぶしをつかむ。手から動揺が伝わってくる。

「ロッディ!」

 ケイトの焦りと不安がにじみ出た声と、捕まえていたこぶしが強引に引っ込められたのは、ほぼ同時だった。

(まあ、負けるかなとは思ってたけど)

 彼と出会った十四才のときからすでに、体格差は確定しつつあった。

 七年たって多少縮まるかなと思っていたが、それはちょっと甘かったらしい。

 もう一度捕まる前に距離をとれると思っていたことはさらに甘かったと、ロッディはすぐさま思い知らされた。

 あっさりに地面に組み伏せられる。喉に指が食い込むのを感じながら、ロッディは言った。

「やあ。元気そうでなによりだ」

 漆黒の瞳に、ロッディの姿が映っている。

「ジェド、だったっけ?」

 言葉と同時に、ロッディの右手が動いた。指が足のつり革から小さなナイフを取り出す。一瞬あとには、体にのしかかっていた重みが消えた。

「……」

「『しばらく会わない間に、傭兵らしい獣じみた戦いをするようになったな』? 君こそ、声もかけずいきなり襲いかかってくるなんて、武の名門貴族らしからぬ品のない戦いをするようになったね」

「……」

「『これから新しい赴任先に向かうところ』? それはそれは。まだ命が下る前から仕事熱心なことだ」

 一連の流れを、ケイトは呆気にとられて見ていた。両手が塞がっていて手が出せないこともあるが。

(……ひとことだってしゃべってたか? その男)

 ジェドと呼ばれた男は、ロッディとは知己の間柄らしい。特筆すべきは、なんと言ってもその大きさである。どう見ても、ロッディより一回りは大きい。おまけに黒目、黒髪で、着ている服まで黒とあっては、威圧感を感じるなという方が無理というものだろう。

 それが目の前に巨木のように立ちはだかり、なおかつ、ひとことも喋らない。

 怖い。ものすごく怖い。

 小さな子どもなど、これを目の当たりにしただけで泣き出してしまうのではないだろうか。事実、ケイトの中ではすでにこれは人間ではなく。

(ロッディ! 目を合わさず、ゆっくりゆっくりこっちに来るんだ!)

 熊の扱いである。

 が、やきもきするケイトの気持ちいざ知らず、ロッディは普通に会話を重ねていく。

「投降? できないよ。ガルディアンの目的もはっきりしないのに、うちの団長は渡せない」

「……」

「では、ここでやり合うかい? 町の住人たちに迷惑をかけるのは君の本意ではないだろうし、なにより、君はまだ任務を拝命したわけじゃない」

 しばらく二人の視線が交錯した。

「ジェド」

 ロッディの瞳が、ふいに和らいだ。

「よかったら、君の新しい赴任先を教えておいてくれないかい?」

(ななな、何を言い出すんだ、貴様!)

 心の中で飛び上がったケイトとまったく同じことを、大きな黒いのも思ったらしい。彼は最初きょとんとした顔になり、次いで何を言い出すんだ貴様は、という顔になった。(鈍いケイトでも、さすがにこれは読み取れた)が、ロッディは至極本気らしい。困った顔で、彼は言った。

「だって、君とは戦いたくない」

「……」

「君は、いいやつだからね」

 当然、男は答えない。彼はくるりと背中を向けた。

「ジェド」

 ロッディが、その背に向けて言う。


「またね」


 男が歩みを止め、振り向いた。その顔には驚きがあった。が、彼はすぐ顔の方向を元に戻し、今度は振り向くことなく去って行った。その背が遠ざかるまで見送って、ロッディは首をさすりつつ、呟く。

「ああ、びっくりした」

「びっくりしたのは、俺の方だ!」

 あんまりのんびりしたロッディの様子に、思わず怒鳴ってしまった。

「やつは何だ!」

「ボールドウィン家の三男坊ですよ」

 さらりとロッディは言ってのける。

「ボ、ボールドウィン家?」

 ケイトはのけぞった。ボールドウィン家と言えば、三十三伯爵家の一つで、武の名門中の名門ではないか!

「す、すごいやつと友だちなんだな……」

 今後、ロッディとの付き合い方を本気で考えておいた方がいいかもしれない……。本気で畏れ慄いているケイトに、ばっさりとロッディは言った。

「別に、友だちじゃありませんけど」

「すごく親しそうだったじゃないか!」

「同期ってだけです。わたしなんかが友だちなんて名乗ったら、彼はともかく、彼のお家の方々がお気を悪くなさいますよ」

 散らばってしまった食材を拾い集めながら、ロッディは残念そうに呟いた。

「やっぱり赴任先、聞いておきたかったなあ。彼個人的にも強いんですけど、名門ボールドウィン家の一員だけあって、指揮能力もまあまあなんです」

 ケイトも、少しは彼らになれてきた。ロッディの言う『まあまあ』とは、つまり、『かなりやる』を意味していると思って、差し支えないだろう。

「できれば彼がいるところは避けて通りたいなあ」

 まったくだ。戦場であの姿を目にするだけで、士気が萎えそうだ。後ろで控えられてても、生きた心地はしなさそうだが。

「ケイト殿」

「な、なんだ?」

「現王大后の旗色は、思ったよりも悪いようですね」

 とっさに答えられなかった。ロッディは言った。

「――戻りましょう」


 砦に戻ったロッディとケイトを、アーウィリドとエリクシル。それに、セレネが待っていた。

「セレネ!?」

 ロッディがエリクシルを見る。だが、ケイトはむしろセレネの方から目を離せなかった

 どういうわけか、彼女はひどく青ざめていた。

 エリクシルが重い口を開く。

「……ザンビア神官が亡くなりました」

「神官様が? どういうことだい?」

 事情を尋ねたロッディに、アーウィリドが別のことを尋ねた。

「ロッディ、あんた、それどうした?」

「ああ」

 気づいたようにロッディが首を撫でる。

「やだな。そんなにはっきり残ってるかい?」

「ああ。あんた、色が白いからな。余計目立つ」

「……参ったな」

 ロッディはぽりぽりと頭を掻いた。

「――何があったんです?」

「……恥を忍んで話すけど、久々に組み伏せられて、首を絞められたんだよ」

 エリクシルが驚いたように目を見開いた。

「……組み伏せられた? あなたがですか?」

「うん」

 アーウィリドが感心を露にする。

「そりゃ、すごいな。それって熊か何かか?」

「……リッド。さすがにそれは彼に失礼だよ。たしかに、熊のように大きな男ではあるけど」

「えっと……。約二カミナル(約百九十二センチ)……だったかな」

「二カミナル?」

 実際に見たはずのケイトが声をあげた。

 大きい大きいとは思ってたが、まさかそれほどとは。

「やっぱり熊じゃないか」

 きっぱりと、アーウィリドは言う。

「……リッド」

 あきれたように言ったロッディは、すぐに気を取り直したようだ。

「で、わたしからも質問。いいかな?」

「どうぞ」

 答えたのは、エリクシルだ。

「セレネは、どうしてまだここに?」

 セレネがびくりと肩を震わせた。説明したのは、エリクシルだった。

「ぼくとリッドは予定通り、セレネを教会に返そうとしました。――しかし」

 エリクシルの顔が険しくなる。

「そこで見つけたのは、息も絶え絶えのザンビア神官殿でした」


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