夜襲
「みんな起きろ! 起きてくれ!」
部屋のドアを叩いて回るジルに真っ先に扉を開いたのはロッディだった。
ジルがみなまで言う前に「エリーを起こしましょう」と落ち着いた動作でエリクシルの部屋の扉を叩く。エリクシルは眠そうに目をこすりながら、
「リッドとクレスを起こしてきます。ロッディ、すみませんがあの飲んだくれを起こして、敵が何人か確認してもらえますか?」
と指示を出す。
「わかった」
言ってロッディは素早く身を翻したが。
「確認の手間を省いてやろう」
聞こえた声に、その足を止めた。
「先鋒は、わたし一人。こちらに向かっているのは、騎兵が二十五。歩兵が五十だ」
「父上?!」
「ジゼル先生」
ジルとロッディの声が重なる。思わず互いを見た。
「おお」
ジゼルが大きく目を見開き、
「リストに名前が載っていたから、ひょっとしたらとは思っていたが……。やはり、君かね。ロッディ・バーロウ」
息子そっちのけで、ジゼルはロッディに歩み寄る。
「は、はい。ご無沙汰しております」
ロッディがちらりとジルに視線を向ける。
「クロヴェール……。そうか。ジル殿は、ジゼル先生のご子息だったんですね。どおりでどこかで会ったことがあると」
「父上、彼のことをご存じで?」
どこか誇らしげに、ジゼルは言った。
「わたしが一教員だったときの、最後の生徒だ」
「そうか。そいつは気の毒にな」
思わず本音がぽろりと零れた。「ん?」親父がじろりとにらんでくる。ジルはあわてて口を噤んだ。
「ところで、なぜこのようなところにいる? 君の故郷はたしかもっと南だったと記憶しているが」
「いろいろあって、弟たちと故郷を出ました。縁あって、いまはこちらの傭兵団にお世話になっております」
「そうか。まあ、元気にやっているようでなによりだ」
ジゼルの、紫色の瞳が閃いた。
「ところで」
ロッディの手をとる。モーションは小さかったが、次の瞬間、ロッディの体がふわりと浮いた。
「いついかなるときも構えを怠らぬようにと、わたしは教えなかったかね?」
投げられる。
ジルですら、そう思った。が、ジルの予想を裏切って、ロッディは投げられはしなかった。何がそうなったのか、彼は次の瞬間には反撃に転じていて、気がつけば父は壁に叩きつけられていた。
父の後ろ。ジルの真正面で、ロッディは何事もなかったかのように微笑んでいる。
「もちろん、先生の教え忘れたことはありません。この商売についてからは、特に」
「あいたたた……」と打ちつけた背中をおさえながら、父はよろよろと立ちあがる。
「うむ。そのようだな」
そして、むかしを懐かしむようにジゼルは言った。
「君はむかしから優秀だった……」
ジゼルはロッディの顔をしげしげと見つめ、そして、ふいに大きなため息をついた。
「それにしても、ジル。お前はなんという親不孝者だ」
「は?」
「もしお前が美人とは言えぬまでも、十人並の器量の娘だったなら、このように美しく逞しい婿殿を、我がクロヴェール家に迎え入れられたかもしれんのに」
珍しくむっとしたジルは、これまた珍しく父に噛みついた。
「きっと、父上がわたしをつくる過程において、なにか重大な過ちを犯されたのでしょう。ご自分の失敗を、わたしに押しつけないでいただきたい。ついでに申し上げますと、わたしも鬼のようにしごかれるより、蝶よ花よと育てられたかった」
くそ親父がにやりと笑った。
「いいや。やはりお前は親不孝者だ」
「――は?」
ジゼルの表情が真剣なものに変わった。
「キャロライン・ケイト・ド・カルバドス。ジル・リジッタ・クロヴェール。貴官ら二人を命令放棄、ならびに存在しない王位継承者の噂を流布し、国家を混乱に陥れた国家反逆罪で逮捕する」
「はあ?!」
ケイトが目を剥く。
ロッディがジルにちらりと視線を送った。
ジルは、まったく別のことを考えていた。
(正気か……?)
『幻の御子』は存在する。そういうことなのか。
(いや、違う)
父にも確信はないのだ。だから、こう言っている。
――真実を探せ。
(くそ親父が……!)
父を恨めしく思う子の心情いざ知らず。ジルが恨みつらみを吐き出すよりも、現実の展開の方が早い。
「お待ち下さい、ジゼル卿! これは、何かのまちがいで……」
「問答無用!」
紫色の瞳が輝く。
ジゼルの足下から紫の光が、放射状に床を抉っていく。
(いかん!)
ジルが一歩踏み出そうとした、そのとき。
「待って下さい!」
ふいに扉が開いて、人影が踊り出た。
「クレス?!」
ロッディが制止する暇もない。
ジゼルの前に飛び出した彼は叫んだ。
「ラドゥカは、もう年なんです! 内部を破壊されては困ります!」
――は? 年?
思いもよらない言葉に、ジルの思考が停止した。
が。
「そ、そうなのか? それはいかん」
驚いたことに、父は魔術による攻撃をやめてしまった。さらに驚いたことに。
「ご老体は労わらねば……」
とずいぶん殊勝なことを口にする。
「ええ、そのとおりです!」
そして、クレスの力強い言葉。
――と、父の右側にある窓が歪んだ。
「ん?」
窓の向かいにある扉。すなわちクレスが飛び出してきた部屋の扉がぐにゃりと曲がり、舌になった。木の舌は『んべっ』と父の体を、大きくなった窓に向かって容赦なく押し出した。
「おお!」
「ち、父上!」
急いで窓に駆け寄り、落ちていく父に向かって手を伸ばす。
「えい」
微妙な気合いとともに、父が何かをジルに向かって放り投げた。その何かは、すこんとジルの額に当たった。
「いたっ」
反動で、ジルの体は砦に押し戻される。
「あたたた……」
何が当たったんだろう。とりあえず、すごく痛かった。涙に滲むジルの視界の端で、皮袋が目に入った。
「……」
ジルはそれを、誰にも見られないようにそっと懐に入れた。
次の瞬間、次の衝撃がジルたちを襲った。
「な、何だ?!」
立ち上がろうとしたジルとケイトに、ロッディが素早く注意した。
「動かないで!」
ロッディの言葉に従い、その場から動かずにいると、やがて激しい揺れが、規則正しい揺れに変わった。
何気なく窓に目をやるケイト。次の瞬間、彼は叫んだ。
「ええ?!」
ジルも窓の外に目をやった。景色がどんどんどんどん変わっていく。
その様子をしばらく眺めて、ようやく事実に行きついた。
この砦、動いてる。どころか、走ってる。
「……」
「ラドゥカ、びっくりしたよね。ごめんね、ごめんね……」
心優しい神官殿が壁をなでさすってご老体とやらを、懸命に労わっている。
ジルは思った。
全部、夢ならいいのに。
一方、放り出されたジゼルは。
「あいたたた……」
「ご無事ですか? 隊長殿」
「マシューズか。お客人は?」
「ご心配なく。ちゃんと見張ってますから。それにしても……」
副官のマシューズ・ボルケは三十五才。五十二才のジゼルと組むには少し若いが、ジゼルと同じく、つい先日まで幼年士官学校の教員にして、ジゼルの教え子の一人で、気心は知れている。
走り去る砦を、マシューズは感心したように見送っている。
「『走る』とは書かれてましたけど、あれ、本当に走るんですねえ。見送った部下たちも唖然としてましたよ」
いまだ砂の上に腰を下ろしたままの上官に手を差しのべようともせず、マシューズは薀蓄を語り出した。
「召喚魔獣ラドゥカ。属性は土で、寿命はおよそ二千~三千年ほど。この大陸ではわずか数体が確認されたのみ。世界でも数百体しか存在しないと言われ――」
「マシューズ」
「主として君臨するには、相当の魔力が必要。どうやって繁殖しているかはいまだに謎で――」
「マシューズ!」
とうとうジゼルは声を張り上げた。
「なんですか?」
「もっとわたしの心配をせんか」
副官はにべもない。
「必要ないでしょ」
ジゼルは思った。
(女房と副官だけは、優しいのが一番だ)
もっともジルに言わせれば、「身の程を弁えて下さい」という話になるのは必須だろう。
さて、ジゼルのいうところの優しくない副官は、砂埃を巻き上げながら去って行く建物を、うっとりと見入っている。
「いいなあ。捕まえて研究したいなあ。いや、ぜひ子どもたちの教材に……」
「ははっ」
ジゼルの口から、思わず笑い声がもれた。
「何です?」
「いや、まだ教室にいるかのような口ぶりだな」
「当然です」
むすっとした顔で、マシューズは言った。
「何がかなしゅうて、一教師だったはずのこの俺が国王の愛人の子どものために戦わにゃならんのです。理不尽ですよ」
「……」
(理不尽とは、お前のことだ)
マシューズの巨躯を見やり、ジゼルは思った。
身長は191cm。体重はぞろ目の111kg。そして教えているのは生物。
これを理不尽と言わずして、なんと言おう。
「――ま、何はともあれ早く平和な我が国を取り戻したいもんです。で、ご子息には会えたんですか?」
「――まあな」
思いもよらぬ人物つきではあったが。
マシューズが首をふりふり呟いた。
「俺が考えうる限り父親として最悪なのは、軍人と教師です。あんたはその両方ですから、最低最悪の父親ですね。ご子息に、心の底からご同情申し上げます」
「……」
ジゼルは特にコメントしないことにした。
やっぱり、女房と副官は優しいのに限る。ジゼルは、改めて確信した。
「で、この後はどうしますか? まあ、予定通りに逃がしちゃったわけでしょ? 未来の王大后に、お客人たちがうちらに出した損害をチクリに行きますか? それとも、『失敗しました。ごめんなさい』って言いに行きましょうか? 何だったら、両方でもいいですけど」
「いや」
ジゼルは首を横に振る。
「彼らは、もう一度ここを通らねばならん。ここで罠を張る」
「戻る? ここにですか?」
「うむ。ここで彼らを迎え撃つ」
マシューズは少しの間逡巡したようだが、結局何も尋ねはしなかった。
「かしこまりました。じゃ、とりあえず村に戻りましょうや」
「おいおい」
「何ですか?」
「腰が痛い。肩を貸せ」
マシューズは驚いたように言った。
「だから、必要ありませんってば」
「……」
ジゼルは、あらためて思った。
やっぱり女房と副官は優しいのが一番だ、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます