ジルとケイト
二十年上の夫であったヘンドリック・カトル・バーバラが死んだ当時、彼女は十八才。
それがいかなる経緯で、ブラドー・セドリック・フォン・ポーヴル公爵の邸に身を寄せることになったのか。
今となっては、それに関心を寄せる者は少ない。
王と出会ったとき、十八才の未亡人はすでに三十才を超えていた計算になるから、王は自分より年増に参ったということになるだろう。無論、王大后キルシェが名目上独身とはいえ、この女性との結婚など許すはずもなかった。臣下の女をくれという外聞の悪さもさることながら、突然連れてきた九つの子の父親は自分ですと言われても、到底納得できる話ではない。しかも長男クラードは、ポーヴル公爵の子と言うではないか!
王も譲歩は見せた。彼女の長男クラードには王位継承権を与えないと明言したし、どころか公職も与えないとの旨、文書にもしたためた。無論、それが守られるとは誰も思っていなかったわけだが。
「――で、あんたのお父さんは、結局、王大后の味方だったわけか?」
話をひととおり聞き終わったアーウィリドが尋ねた。責めているつもりはなく、ごく普通の質問だったのだろうが、なんとなくケイトの口調は歯切れの悪いものとなった。
「い、いや、そのようなことは……」
「そうではないと思うよ」
動揺するケイトを、ロッディがフォローする。
「今回の解任劇はまったくのとばっちりだと思うな。わたしの知る限り、カルバドス騎士団長は政治的にはまったくの中立だったと思う」
「ぼくもそう思います」
口を挟んだのはエリーだ。
「軍人にしては珍しく、公平なものの見方をする方でしたし」
「会ったことあるのか?」
「……リッド、あなたがチェスのうまいおっさんと呼んでいた人が、カルバドス騎士団長、その人ですよ」
エリー、クレイグ、ロッディを除いたみんなが『え?』という顔になった。
「な、な、なんと、我が父に会ったことがあるのか?!」
驚きのあまり机に身を乗り出したケイトに対し、アーウィリドの反応はやや冷めている。
「へえ、あのおっさん。そんなえらいやつだったのか」
「ええ。えらいやつだったんです」
さらに、失礼極まりない感想をアーウィリドはもらした。
「全然、えらく見えなかったのにな」
これにはケイトではなく、ジルが失笑を禁じ得なかった。
確かに、カレン・トロン・ド・カルバドスはまったくえらく見えないおっさんだった。例えば、もし誰かが騎士団長の座欲しさに、彼を殺したとしたら、『なに? なぜやつが騎士団長だからといって殺されなければならないんだ!』という見当違いも甚だしいコメントが返ってくるに違いない。それくらい『えらい』という評価には無縁の人なのだ。
微笑ましくそう思う一方、ジルは、カレンの親心がわかった気がした。
『レグルス・フォスの息子、アーウィリドの身柄をおさえよ』
彼がなぜこんな勅命を我が子に与え、我が父が自分にお供を命じたのは――いずれ振りかかってくるだろう火の粉から、ケイトを守るためではないだろうか。
「けど、いまどうしてるかわからないんだよな。チェスのおっさん」
「――そうですね」
同意するエリーの声のトーンがやや低かったのは、予測される危機に警報を鳴らしているつもりだったのだろうか。
「どうだ? エリー。チェスのおっさんがどうなったかわかるまで、こいつらの面倒見てやるってのは」
「リッド?」
「冗談じゃねえ!」
本気? と言いたげなロッディの声と被るようにして反対したのは、クレイグだ。
「クニなんてもんに関わるとロクなことがねえ! 俺は反対だ!」
「けど、この二人を連れてきたのはオレたちだし」
「俺たちって言うか、お前だろ!」
「でもオレ、あのおっさん嫌いじゃなかったんだよな」
「好き嫌いの問題じゃねえだろ!」
助けを求めるように、クレイグは言った。
「ロッディ、もと国の犬だったお前としてはどう思うよ? 人畜無害なはずの騎士団長が突然解任。この話、相当胡散臭くねえか?」
「まあ、それは」
曖昧に同意を示しつつも、ロッディには少し違った意見があるようだ。
「でも、あなたも矢を射かけてしまいましたし」
「……う」
もちろん、それはクレイグのせいではないが。
「エリー」
アーウィリドが軍師殿に意見を促す。顔に不服の大文字を張り付けて、エリクシルは言った。
「……依頼料さえ、お支払いいただければ」
「金を取るのか?!」
「当然です。我々の仕事は、ボランティアではありません」
ぶるぶるとケイトのこぶしが震えている。見かねたのか、ロッディがこう提案してくれた。
「まあ、こちらから依頼をしませんかと誘ったわけだし、いくらか引いてあげたらどうかな?」
エリクシルの目がどんどん細くなっていく。むー、という顔でエリクシルは言った。
「……これからのぼくたちの行動に積極的に力を貸していただけるというなら、特別激安料金で対応すると約束いたします」
「決まりだな」
ちなみに、そう言ったのは依頼人であるはずの二人ではない。
一方的に提案し、『ぜひ、これにしましょう!』――これは俗にいう、押し売りというやつではないのか。
しかし、すでにこれはアーウィリドたちの中で決定事項になってしまったようで。
「とりあえず、二日連続で徹夜はきつい。深夜の襲撃に備えて、少しでも休んでおきたいんだけど、いいかな?」
あくびまじりのロッディの言葉を皮切りに、
「そうだな。寝よう」
アーウィリドも腰を上げてしまった。
ケイトはこれにかなりの肩透かしを食らったようで、
「寝る? 寝るってなんだ?」
とすっとんきょうなことを言い出した。
無論、寝るとは文字通り、睡眠をとることに違いないのだが。
「これからとるべき行動は、明日の朝にでも話し合いましょう」
エリクシルの話し合いとは多分、意見を出し合うという建設的なものではなく、決定事項の通達になる可能性が大だ。が、ジルは正直この状況がありがたかった。頭が混乱しているときに、誰かが頭脳となって動かしてくれるのは気が楽でいい。それでなくても、今日はいろいろ起こりすぎた。
「お二人のベッドはこの部屋の隣になります」
人好きのする笑みを浮かべたクレスは、すぐ困ったような顔になった。
「この砦、部屋はたくさんあるんですけど、ベッドとシーツの数が少なくて……」
つまり、ベッドの移動を自分たちがするなら部屋は空いてるところどこでも好きに使っていいということらしい。なかなか魅力的な提案だが、今夜はあちこち部屋を見て回る気にはなれない。というわけでジルは今夜最後の仕事、
「ほら、今夜はとりあえず休むことにしよう」
我が親友をベッドに押し込むという仕事にとりかかることにした。
「キャロライン・ケイトだ!」
小さな体になぜかお前になんて負けるものかという気迫をみなぎらせて、少年というより、男の子は言った。
「あ、ああ。ジル・リジッタ・クロ……」
最後まで名乗ることはできなかった。なぜなら。
「バカもん! これからケンカするんじゃないんだぞ!」
大きな手が、彼の後頭部をしたたか打ったからだ。おかげで、握手のためにさしだしたジルの手は宙ぶらりんになっている。
さて、どうしたものか。そうだ、引っ込めればいい。
ジルがそう思った瞬間、小さな両手が、がっしいいっとジルの右手をつかんだ。
「よろしく頼む!」
父親の一発が、彼の頭にどのような革命をもたらしたのか。彼は先ほどまでの敵意をすっかり忘れたかのような素敵な笑顔だった。
ふっくらしたほっぺはまるでリンゴのように赤々と……とは、ずいぶん古臭い表現だが、ケイトはその表現にふさわしい少年だった。彼とジルが会ったのは、ジルが士官学校を卒業し、騎士叙勲を受けた日で、ジルが十五才、ケイトが十才のときだった。父の名目は、卒業祝いにお前が一生会えないようなえらい人に会わせてやる、なんと騎士団長だ。嬉しかろう、というもので、祝われる側としては、そんなことよりピートの店でたらふく肉でも食わせてくれ。親父め。息子の卒業祝いをケチリやがったな、と恨めしく思った。おまけに騎士団長と会うというから、こっちはまだ着慣れない軍服で向かったというのに、そのえらい騎士団長さんとやらは麻のシャツと綿のズボン。しかも、シャツは腕まくりつきというなんともラフな出で立ちで。おまけに父はとっとと軍服を脱ぎ捨て、
「すまんなあ。俺はいいと言ったんだが、息子がどうしても軍服姿を見てもらいたいと。どうも堅苦しいやつで困る」
とのたまいやがった。
以来十年。この恨みを片時も忘れず、仕返しの機会を狙っているのだが、幼年士官学校の教官、後に校長という立場上、悪ガキどもの悪い遊びに慣れている父は、いまだその隙をジルに与えてくれていない。
まあ、翻ってみれば、これは父なりの政治活動ではあったのだろう。ジルの配属が王宮警備隊に決まったので、父はなるたけ早く未来の自分の“上司”に引き合わせようと思っていたのかもしれない。
あるいは、将来この子のお守りは頼んだぞ、という布石だったのか。
男の子は偉大すぎる父親に、多かれ少なかれコンプレックスを持っているものであるが、ケイトのように、騎士団長の息子という肩書がつくと、それは必要以上にのしかかってくるものらしかった。この日以来、ジルはケイトの家、つまり騎士団長の家をよく訪問するようになるのだが、ケイトがいつも口にするのは“いかに武勲を立てるか”というものに終始、一貫していた。
カルバドス家は、シムチエール建国以来細々と続いてきた武門の家で、これはジルの家とも変わらない。要は格別無能でもなく、有能でもなく、
ただ、残念ながらケイトは父親からそうした気質をあまり受け継がなかった。
男の子らしく、華々しい武勲をあげることに憧れ、それでいながら、それほどの才能に恵まれているわけでもない。そうした事情を鑑みるなら、偉大な父に対して見劣りする子にとっては、王宮警備隊の分隊長という立場はそれほど悪くはない。王宮警備隊は基本的に名誉な職ではあるが、同時に一応は平和なこの時代には敵に襲われる危険性が最も少ない。このあたりの事情はカレンが親バカだったというより、息子の能力を鑑みて、もっとも人様に迷惑をかけない場所を選んだとみるべきだろう。そして残念ながら、多分、父親にとっては気の毒なことに、息子はその辺の事情を飲み込めないほどの愚か者でもなかった。
だからこそ、父がわざわざ自分を指名しての任務が嬉しかったに違いないし、それを何としてもやり遂げようと気負っていたのだろうが。
「眠れんのか」
廊下で佇む友人に声をかける。
「う、うむ」
暗い表情でケイトは言った。
「父は、なぜ解任などされたのだろう。いま、無事なのだろうか……」
この男の、こういうところは好きだなと思う。
コンプレックスを感じてはいても、彼は父を敬愛している。そして、それを臆面もなく口にすることができる。
偉大すぎる父の存在にも関わらず、彼の性質には一切ひねくれたところがない。
この素直な性格がジルが彼に好感を抱く理由であり、また。
「大丈夫。やつは解任と言っていた。もし拘束や処罰なら、遠慮なくそう口にしただろう」
少しでもいいから、この友の重荷を軽くしてやりたいと思う所以なのだ。
「う、うむ。そうだな」
ケイトの表情は晴れない。困ったことに、大丈夫と口にしたジルにも、その根拠が提示できない。
ロッディは、カレンは政治的にはまったく中立だろうと言った。ジルもそう思う。
しかし、カレンにまったくひいきがなかったかと問われると、それも微妙だ。
なぜなら“幻の御子”が誕生した、ちょうどその時期。王妃の周辺警護の責任者は、後に騎士団長となる男、カレン・トロン、その人だったからだ。
ジルは親友に気づかれぬうちに、この不吉な事実を頭から追い払うことに決めた。そして、あえて明るく言った。
「さあ。もう考えるのはよせ。少しでいいから……」
彼の手に肩を置いて、休め、と続けようとしたジルの目は、窓の外のかがり火を、そのとき確かに捕えた。
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