戦いは終わり、いまだ何も知られず
「今日は見てるだけのつもりだったんじゃないのか?」
『おっさん』が、少年に尋ねる。
「けどさあ。逃げられちゃうし」
言いながら、ひょいひょいと指を動かす。少年が指を動かすたびに、雷が落ちる。
「まあでも、当たんないか」
間もなく、一行は自分の魔力影響範囲内から出てしまう。だからまあ、これはおまけみたいなもの。そう考えていた少年の目に、きらりと光るものが飛び込んできた。
「あ」
『おっさん』が、叩き落とさなければ矢はまちがいなく、少年の眉間に突き刺さっていただろう。が、少年を飛び上がらせたのは、そんなことではない。
(……あいつ)
赤毛の弓使い。一行の最後尾を守る、あの男。
「見つけた!」
少年は飛び上がって、叫んだ。
「? 何がだ?」
「あいつ! あの赤毛の兄ちゃん!」
「……俺より年上に見えるが」
「あいつ、おれと同じだ!」
「同じ?」
「そう!」
どういう意味で同じかは、聞かなかった。世の中には知らない方が自分のためになることもある。同行しているあの少女の正体も、それと同じ類のものだろう。
「どのみち、もう終わりだな。さ、引き上げるぞ」
「うん!」
引き上げる道すがらの少年の足取りは、軽く陽気で、まるでダンスを踊っているかのようだった。
「――なあ、ロッディ」
ロッディの後ろにいるアーウィリドが、ふいに口を開いた。
「何だい?」
「足をやられると、馬はだめなんだよな」
「……そうだね」
ちらりとアーウィリドは、後ろに目をやる。
さっきまでアーウィリドを乗せていた馬の口は、苦しげに息を吐き、黒い目は去りゆくアーウィリドを見ている。まるで、何かを哀願するかのように。
「クレイグ」
「何だよ」
「あいつを、撃ってやってくれ」
「はああ?!」
クレイグは目を剥いた。馬との距離は離れていく一方だ。
「……お前、あれを俺に撃てってか」
アーウィリドは、淡々と言った。
「短い間だったが、世話になった。乗り手がオレじゃなけりゃ、あいつも死なずにすんだかもしれない」
「リッド、それは結果論だよ」
慰めるように言った後、ロッディは団長をたしなめるべく、こう言った。
「それにあの子のことは、わたしたちでなくても、彼らが始末をつけてくれる」
「でも、その間あいつは苦しまなきゃならないだろ?」
「……それは、そうだけど」
ロッディが助けを求めるように、クレイグに目をやった。アーウィリドも、じっとクレイグを見ている。
しばらく、正反対の意見を訴える二つの視線に耐え続けていたクレイグだったが――。
「ああああ! もうっ!」
と突然雄叫びを上げた。
「わかった、わかった! あいつを楽にしてやりゃいいんだな!」
やけくそになりながら、矢を番える。
「お前のそういうとこ、ほんと、親父にそっくりだな!」
矢はあやまたず、馬の眉間を貫いた。びくりと頭を震わせ、やがて、苦しみから解放された四肢が大地にのびやかに広がった。
マドンナと、クレイグの馬はようやく隊列に加わる。
「大丈夫か? リッド」
問いかけられたアーウィリドが、何だか変な顔をしている。
「? どうかしたか?」
「いや、あんた、さっきのおっさんに似てるなと思って。ほら、さっきオレを捕まえようとした口髭の親父さん」
「――ああ」
少しばかり抵抗を感じながら、ジルは言った。
「父だ」
(認めたくはないがな)
「そうか。あの魔力の感じ。どうりで似てると思った」
「……」
似ている点がありすぎて、逆に認めたくない。
「いいな、あんた。親父さんに似てて」
「……似ている点によりけりだと思うが」
アーウィリドは心なしか寂しそうに言った。
「クレイグはさっきそっくりだって言ってたけど、金髪のほかは、オレ、親父にあんまり似てないんだ」
「……ふう」
戦闘は終わった。ジゼルはようやく肩から力を抜いた。
「……行っちゃいましたね」
ようやくもう一人の教え子が、その巨体を現す。念のため。念のため、尋ねてみた。
「他の召喚魔獣は?」
「はあ」、ぽりぽりと頭を掻きながら、マシューズは言った。
「持って来たのは、あれだけです」
わかっている。聞いてみたかっただけだ。――しかし。意地悪い目つきで、言ってみる。
「……ほんのちょっぴり、期待してたんだがなあ」
マシューズには、上官の非難に対する言い訳が、ちゃんとあった。例えば、自分の魔力総容量では、魔獣はそんなにたくさん飼えない、などなど。――が。
「正直、やる気なかったんで」
なぜか、彼は一番正直なところを言ってしまった。
「……」
昔、マシューズの母親が訪ねてきたことがあった。いかにも田舎から出てきたばかりという様子の彼女は、心底心配そうにジゼルに尋ねた。
『うちの子、先生から見てどんな子ですか? ちゃんと先生の言うこと、聞いてますか?』
今にして思えば、好きなことにはとことんのめりこむが、興味のないことは一切やりたがらない我が子の性格を、御母堂は知り過ぎていたに違いない。よく知らない都会、しかも幼年士官学校という世界で我が子がやっていけるかどうか心配する母親をどうにか安心させてやりたくて、ジゼルは笑顔でこう言った。
『大丈夫ですよ、お母さん。マシューズ君はちゃんとやってます。それに、彼は大変素直なお子さんですよ』
二十年以上前に言ったその言葉をいま、けっこう後悔している。
「……やれやれ」
しかし、後悔したところで、時は戻らないし、戻したところでマシューズが熱意溢れる勤勉な兵士になるとは限らない。たらればを言うより常に必要なのは、現実への対処だ。
「ところで、あの話は本当なんですか? あの少女が王女さまだとかいう話は」
「――さあな」
正直、ジゼルにもまだ確信はない。確信に迫ることは何も話さず、カレンは姿を消した。彼らが通る最初の道筋だけを示して。これからあの一行がどこを通るかは、追跡ができない以上、予想もできない。
「ま、何にせよ、俺、あいつらのこと好きになりましたよ」
「好き?」
思いもよらない言葉に、つい彼の言葉を繰り返した。
「ええ。例えどんな姿形でも、仲間になったものに対しては敬意を払ってる」
言って、マシューズはついさっき絶命した馬の傍らに跪いた。
「楽しみですね。また会うのが」
「……そうだな」
ジゼルは言葉をそこまでに留めた。
戦争は、もっともめまぐるしく人間の取り巻く状況を変える。
次の戦場が、マシューズの期待通り、楽しみな再会になるのかどうか。マシューズがいつまで彼らを『好き』と言えるのか。いや、そもそも、戦争はジゼルたちがこれ以上舞台に立ち続けることを許してくれるのかどうか。
彼は、そのことに大きな不安を駆られずにはいられなかったのである。
「で、これからどうします?」
「そうさなあ」
ジルは顎を撫でた。髭が生えかけていて、手袋越しでもざりざりしているのがわかる。作戦立案から実行、そして終了までいかに拙速を尊んだか。伸びかけた髭は、その何よりの証だった。
「とりあえず、次の王大后お目にかかって、捕獲の失敗と、王女を名乗る者が現れたことをご報告に参ろうか」
――かくして、帝国暦512年ミノリダの月(5月)20日。
セレネ王女と、彼女を護衛するレグルス傭兵団は、宗主国デューダルシュへ向け旅立った。まだ夏浅きこのとき、シムチエール王国の密かな内乱は、いまだ民草たちの知るところではない。
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