Ambition of sukekiyo

 アコさんの頭からダラダラと血、いやそれ以外の液体も顔を伝って床に流れ、倉庫内を不快な臭いが包みました。鉄臭い臭い。人が本能的に嫌う臭い。そして私は悟りました。ああ、人ってあっさり死ぬんだな、と。そしてアコさんは目の前で死んだ。確実に。確実に?なんで私は彼女がもう死んだと分かるんでしょう?まだ救急車を呼べば助かるかもしれません。なのになぜ?彼女の死を受け入れられない自分がいる?彼女の死を受け止める自分がいる?本当の私はどっち?


「そこに誰かいるのか」


 低い声。先程アコさんと会話していた女性のものでしょう。そして一瞬だけ見えた後ろ姿、アコさんの「お姉ちゃん」というセリフから恐らくトウコさんでしょう。彼女がなぜアコさんを殺したのか。なぜ二人がこんな場所にいるのか。そして私は今何をしているのか。さっぱりわかりませんでした。

 とりあえず私は近くにまで飛び散った脳みそを拾い集めると、走ってその場をあとにしました。後から思い返すとなぜこんな奇行に走ったのか。未だに不明です。

 脳の破片を握り締め、私は家に帰りました。







 家に帰った私の頭には、あの惨劇の場面が切り取られたかのような、一枚の写真のように鮮明に描かれたそれが、ベターっと貼り付けられていました。いくら頭を引っ掻いても剥がれそうにもありません。目を閉じても瞼の裏に情景が浮かび上がってきます。気が狂いそうでした。見たくもないものを強制的に見せられ、吐きそうになって、吐いて、それでも残像が消えなくて。

 私はどこから来て、どこへ向かうのでしょうか。

 人の死、それも親しい人間の。それを目の当たりにした私の精神状態はどうなっているのでしょうか。灯台下暗し。自分のことは自分が一番分かっていないものです。

 手の中で汗と混ざったグチャグチャを眺める。これがアコさん。私の好きなアコさん。初めての友達。

 私には怒り、憎しみ、恐怖、様々な感情が織り交ざって、醜い色のビー玉みたいな心が割れる音がしました。一度ヒビが入ってしまえばそこをツン、とつつくだけで亀裂は反対側にまで回り込み、簡単に割れてしまいます。衝動?近いですね。人は単純なプログラムの積み重ねでできています。だから一つのボトルネックを倒してしまえばあとは暴走し、勝手に自壊します。そして人の心は壊れやすく、治りにくい。体にある臓器の中で人間として生きる上で一番重要な働きを担うのが心です。それは普段敵から守るために見えない、触れられないようになっています。しかし体のどこかには存在するのです。物理的な破壊はできません。だからこそ精神的に破壊するのです。

 破壊。それはものを壊すこと。または再起不能、修復不可能にする行為。

 そして破壊は美の側面も持ち合わせています。例えば工場見学などで商品ができる様を見たことはありますか?機械一つ一つが複雑な動きをして作る過程は圧巻でしょう。それに美を見出す人もいるってことです。次は『始』ではなく『終』をみましょう。建物が老朽化して、建て替える時になった場合、ケースによってはダイナマイトなどで爆破しますよね?補強するよりも新しく建てた方が早い、という場合ですが。解体映像はネットなどで見られます。試しに検索してみてください。どうですか?見ましたか?どう思いました?先程言った製作過程と同じような感想を抱きませんでしたか?少なくとも凄い、スケールがでかいと言ったことを思ったでしょう。そうなのです。破壊もまた作成と同じ美なのです。高く積み上げたタワーを取り壊すとき、砂場で作った山を踏んづけて平らにするとき、ドミノを倒すとき。これは人にも同じことが言えます。人が生まれるときは神秘的で、人が死ぬときも神秘的なのです。それに比べたら『始』と『終』の間は醜い紛い物です。なかったことにしたいくらいです。

 赤ちゃんが産まれたとき、大抵の場合は泣き出しますよね。それはこの醜い人間が惨たらしく生きている世界に引きずり込まれたからです。今までいた温かい胎内からこの寒く、苦しい、不快な世界へと急降下。そりゃあ泣きますよ。

 あの世はどうなっているのだろう。地獄は嫌だな。天国がいいな。周りにこういう人いますよね。そんな人がいたら警鐘を鳴らしてあげてください。『お前はこの世界が既に地獄だとまだ気づかないのか』と。人が争い、血を流し、嫉妬、苦しみ、妬み、僻み、裏切り、罠に落とされる。ここを地獄と呼ばず何と呼ぶのでしょうか。この世に生を受けた時点であなた方は地獄行きなのです。行き、じゃなくて着き、ですね。天国はきっと母親の胎内です。できることなら戻りたいです。

 じゃあ人は死んだらどうなるのか。私の仮説を述べさせていただきます。答え合わせをしたかったら今すぐ自殺でもしてください。

 アダムとイヴの話を知っていますか?多少省略しますが禁断の果実を食べたためエデンを追い出され、神様に近づくときは動物を殺して衣を着なくてはいけなくなりました。要約すると楽園に近づくには犠牲が必要なのです。そして犠牲は自己犠牲でも成り立ちます。つまり人が死んだ先はエデンなのです。楽園、そこには様々な木の実があり、川が流れ、食物に困りません。きっと快適な生活があなたを待っているでしょう。

 だからアコさんはきっと楽園に行ったのです。そこで川の水を飲みながら優雅に暮らしているでしょう。ああ、早く会いたい。私も今すぐに楽園に行きましょう。……でもこれは最適解なのでしょうか。彼女と二人きりの空間で暮らせるのは望ましいことですが、アコさんのことだからきっとすぐ退屈に蝕まれてゴネるでしょう。うーん。聖書を読んだ限りではエデンに娯楽なんてなさそうですしどうしましょう。持っていけるのは肉体、じゃなくて霊体だけ。あ、そうだ。じゃあ霊体、仲間を連れて行きましょう。何十人か連れて行けば会話も弾みますし暇を持て余すこともないはず。私はマンションのベランダから乗り出していた身を部屋に戻すと早速準備を始めました。犠牲、すなわち死はすべてを救済するのです。私に殺された人間は尊い犠牲として多分楽園へ、殺人で犠牲者を作った私は確実に楽園へいけるでしょう。一人でも多くのお友達を連れて行かなければ。ノルマを達成したら私も自己犠牲、もとい自殺をしてこの世をされば丸く収まります。ああなんて素敵な計画。そうですね、アコさんの死因も考慮して『撲殺少女楽園計画』と称しましょう。素晴らしい。

 ちょっと待ってください。もしかしたら楽園にも国境的なものがあるかもしれません。自然死楽園、焼身楽園、溺死楽園。ん?じゃあ自殺したらアコさんと同じ楽園にいけない!?それはいけませんね。でもどうしましょう。自分で自分の頭を殴ればいいのでしょうか。勇気が出ませんし一撃で済まない可能性があります。かなり難易度の高い自殺ですね。まぁこの問題は今度考えることにしましょう。今は計画の第一段階を進める、これに集中します。

 私は最低限の道具を鞄に詰め、家を出ました。

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