無名ヶ丘危険地帯3
応接間に戻るとお姉さんは「仕事があるから」と言ってどこかへ行ってしまった。まぁさっきまでおんぶにだっこだったから仕方ないや。ウチは笑顔で見送った。……さて、何するか。こんな気分じゃスマホゲームもやる気がしない。やっぱこれを見るしかないのかな。ウチはポケットから他人が見たら十人中八人は紙くずだと思うメモを取り出した。ちなみに残り二人は迷わずゴミ箱に捨てた。これ、なんだろう。もしかしてラブレター?そんなもん渡してどうなる。じゃあ脅迫文?でも彼女に脅迫される理由もネタもない。とりあえず分かったのは見なきゃってことだけだ。ウチはガサガサと丸まったメモを広げる。するとそれは地図のようだった。手書きの、とても簡易てきな地図。こんなもの見せられても普通の人は困惑するだけだ。でもウチにはそれが何かわかった。なにせこの街に住んでから十七年経つ。隣人が飼っている猫の毛並みからスーパーの日替わりおすすめ商品まで全部把握してるウチならわかる。これは、
「……近所の廃工場」
丸っこい字で『ここに来てね』と赤い印がつけられた箇所に書いてあった。言われなくても行くわ。身支度を済ませるとウチは歩いて、その廃工場に向かった。
突然だけど裏横浜って知ってる?そうそう、あそこの裏道に入ると行けるやつ。ネットでは、隠れた名店が~とか言われてるアレ。確かにそれは事実だけどあそこにはよほどのことがない限り近づかないほうがいいよ。特に夜十時以降は。……信じてくれないか。まぁ説得力ゼロだよね。ウチが今いるの裏横だし。駅から歩いて数分、あっち曲がってここ通ってにゃごぴーすると横浜はその裏の顔を出した。夜十一時を回ろうとしているのに、いやむしろこの時間からがこの街の真骨頂なのかもしれない。行き交う人は後を絶たない。店から溢れた光が眩しい。キラキラしている。本当にここだけ別の世界、眠らない街って感じ。ウチはなるべく余裕が有るように、かといってノロノロせずに、ちょうどいい速度で目的地へ向かった。ちなみにウチは一旦家に帰って制服から私服に着替え、マスクをつけている。年齢をごまかすためにね。大げさかもしれないけどそれほど危険なのだ。マミの情報だから絶対だし。
普段行かない場所なだけあって興味をそそられるものが多かった。でもそれ以上に重要なことがあるのを思い出すと足を早めた。余裕どこいったの。でももうすぐ着く。変な言い方だけど裏横の表通りを抜け、街灯も少ない歩道に出た。早歩きの成果か思ったよりあっさり着いた。人気もない、光もない、監視カメラもない、三拍子揃ったここは普段どんな風に使われているのだろう。ウチは錆び付いた門をひょいっと乗り越えると廃工場の中に入った。中は暗くてスマホの明かりじゃ足りないくらい。まるでここだけ時が止まったままだと錯覚してしまうほど人の手が行き届いていなかった。友達ときたら肝試しみたいで少しは楽しめたんだろうな。残念。ウチは一人だ。
しばらく探索すると妙な匂いがすることに気づいた。なんだろう。生臭い匂いが漂っている気がする。犬のように嗅覚を尖らせ、その匂いの元をたどった。すると床に小さな斑点があることに気づいた。スマホのライトで照らす。
「これって……!」
血だった。ドス黒く、赤い血。なぜ断言できるかと言うと今朝、サエの家でその濃厚な、本能的に拒絶したくなるような、嫌な匂いをウチの鼻が覚えていたからだ。喉まで出かかっていた嗚咽をこらえた。これ以上死体を見たくない。でも歩を止めるわけにはいかなかった。
「今度は誰なの……」
誰に話しかけるわけでもなく呟いた。何か喋らないと正気を失いそうだったから。血の斑点の跡を追うと何か、引きずったような跡に変化していた。もしかしたらこの流れた血の主はここまで歩いてきて、ここで転び、そのまま這って逃げようとしたのかもしれない。でもそっちは出口とは反対側だ。仮に体力が残っていても追ってきた殺人鬼からは逃れられないだろう。ウチは死体を見る覚悟をした。引きずった跡はそんなに伸びていなかった。すぐ壁に突き当たり、そこで血痕は途絶えている。恐る恐るライトを壁に照らした。
「あっ…………ああっ……!」
そこには、両腕が折られ、片目を潰されたかつての親友、チエの亡骸があった。
折られた、というよりは叩き潰された、と言ったほうがいいかもしれない。関節の可動域を超えた方向に腕は曲がり、指先は紫色に変色している。片目にはシャーペンが痛々しいほど奥深くまで刺さっていて直視出来なかった。三日前のウチならどうしただろう。泣いただろうか。叫んだだろうか。慟哭しただろうか。でも今のウチにはそんな気持ちは行動は起こせなかった。
「は、ははは……」
力なく地面に座り込む。完全に乾ききってなかった血痕でライトブルーのスカートが赤に染まった。ウチには叫ぶ気力すら残されていなかった。何もかもが限界だった。ウチは何をしていいのか分からず、思わず乾いた笑みを浮かべた。ウチはもうダメだ。何かにヒビが入った時、目の前の死体の口が動いた。
「サエ……………………逃げて…………」
「チエっ!」
ウチは我に返るとまだ息があるチエに近づいた。出血は酷いがまだ意識はあったらしい。「チエ!ウチはミサキだ!」と答えた。彼女はもう両目の視力が失われているせいかウチを認識できなかったらしい。だが聴力は残っているらしくウチの叫びを聞いた瞬間身体がピクっと反応した。
「…………ミサキ……ア、イツは…………まだ…………ここ、に…………」
そう言い終えるとチエは二度と動かなくなった。チエは最期まで自分ではなくサエやウチの身を心配してくれていたらしい。あまりにも馬鹿で、うるさくて、優しかったチエの死体に大粒の涙をこぼした。
「本当にっ……助けられなくてごめん…………!」
その時、工場内の静寂を打ち破る音が聞こえた。
コツン。コツン。
革靴の足音だった。ウチは最期のチエの言葉を思い出す。「アイツはまだここに」撲殺少女工房はまだこの廃工場に残っていたのだ。ウチは近くにあった木片を手に取ると強気に前に出た。勿論逃げようなどと思ってはいない。ウチの親友達を殺した恨み、ここで晴らす。
「でてこい!撲殺少女工房!」
ウチが挑発すると足音が止まった。そして
コツン。コツン。コツ。コ…………
遠ざかっていった。殺人鬼は逃げたのだ。非力な女子校生から。呆気なくて呆然としていると足音がしなくなった。もうそこまで遠くに行ったのか。ウチは最後に音がした方へ駆け出した。
しかし外に出ても、相変わらず人っ子一人いなかった。逃がしてしまった。やるせなくなり、ウチはトボトボと歩き出した。チエの死体を工場に残して。
ウチはまず署に帰った。結果的に無傷だけど殺人鬼に襲われそうになったのは事実だしチエの件もあるからだ。ウチが応接間に戻るとお姉さんが話を聞いてくれた。混乱していたせいか話の順序がバラバラになっていても真剣に聞いてくれた。それが嬉しかった。
小一時間ほど経ってようやく落ち着いたウチは小泉トウコの元へ向かった。アレを見せた理由を問い詰めるためだ。殺風景な廊下を進むと彼女は寝ていた。今は夜中の一時だから就寝時間なんだろう。それでも構わずたたき起こした。
「起きろッ!呑気に寝てんじゃねえ!」
「お、おはよ~どうしたのミサキちゃん?ちゅーして欲しくなったの~?」
「とぼけんじゃねえ!お前がくれたメモの場所に行ったら死体があったんだよ!」
ウチが激昂すると彼女は予想通り『彼女』になった。
「そうか。そいつは結構。どうだった?生で見た死体は?」
「最悪だよクソが!」
「ハハハ、そうかい。でも可愛かったろう?流石血縁といったところか」
うん?ウチは彼女の言葉に矛盾を感じた。チエに姉妹がいるなんて聞いてない。コイツの年齢からしてチエの母親でもない。そのことを指摘すると彼女は眉を吊り上げた。
「どういうことだ……?そこにはお前のお友達の死体しかなかっただと……?」
「そうだよ!それを見せたくて向かわせたんだろ!」
「いや、違う。私が見せたかったのは別のものだ。警察が死体を回収したなんて話は聞いてないし……っ!そうか!ハハハ!やるなぁ今の代の撲殺少女工房は!」
一つの結論にたどり着いたようで彼女は大声で笑い始めた。本当に楽しそうだった。「説明しろよ」ウチは聞いた。
「ああ、簡単さ。今の代の撲殺少女工房が私の見せたかった死体を回収したんだよ。何がしたいのかは分からんが……傑作だ!いいセンスしてるな!」
彼女は再び笑い始めた。ウチにとっては不快で仕方なかった。死体を回収?撲殺するだけじゃ飽き足らずコレクションまでするようになったのか。ウチは心底気持ち悪いと思った。帰ろうと思ったがまだ疑問が残っていたことを思い出し彼女に向き直った。
「それで?あんたの見せたかったものってなに」
「おや、もうその話はいいだろう。面白いことが分かったんだからさ」
「いいから黙って教えろ!」
「やれやれ、黙ってたら教えられないよ。仕方ない。メイン料理が出たあとに前菜を出すようで気が引けるから教えないつもりだったんだけどね」
仕方ない、そう言ってからゆっくりと口を開く。彼女は相変わらず細い目をしていた。しかしその目が一瞬だけ悲愴の色に染まったのをウチは見逃さなかった。
「そこにあったはずの死体の名前は『小泉アコ』。私の妹であり、十代目撲殺少女工房だ」
驚愕の新事実にウチは立ちすくむことしかできなかった。
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