私 ~Here I am~2

 私は今、正門を彩る桜が風にあおられ散っていくのを横目で眺めつつ机に突っ伏している。何故こんなことをしているのかというと、別に眠いわけじゃありません。怠いわけじゃありません。机フェチの変態でもありません。やめてください。そうじゃなくて自分の弱さを痛感しているのです。

 そう。あれは入学式が終わり、クラス分けが発表され、指定された教室に移動し終えた頃でしょうか。進学校というだけあって真面目な生徒が多く、予定よりも入学式が早く終わってしまった事から教室では簡単な自己紹介タイムが行われていたのでした。出席番号一番の人が紹介を終えたらしく席に着く。私は二番なのですぐに立ち上がりました。しかし私は緊張していたせいか、昨日考えた「特徴的な自己紹介」を忘れて、いつも通りの「普通の自己紹介」をしてしまったのです。


「……雨鳥フウカ……趣味は読書です。よろしくお願いします…………」


 教室には意味あるのか分からない乾いた拍手が響く。私は席につくと「やってしまった」といった表情になり、自分を叱りました。


「…………小泉アコです!趣味はソフトボールです!東京の中学から来ました!仲良くしてくださいね!よろしくお願いします!」


 気づくと私の隣の席の女の子が自己紹介をしていました。私もこんな好感の持てる元気な挨拶がしたかったなぁ。よく見ると顔も可愛くて男子にモテそうでした。外見も良くて性格も良さそうで、活発で、まるで私と正反対。生まれ変わったらこういう女の子になりたい。そう思いつつ他のクラスメイトが自己紹介をしている中私は机に伏したのでした。

 苦い思い出、というか数十分前の記憶ですね。それを思い出すたび自己嫌悪が強くなります。人は第一印象が重要です。なのであの場面で「地味な子」と思われたらこれからの高校生活は真っ暗なのです。逆転不可能、とは言い切れませんが壊滅的な被害を受けたのは確定的に明らかです。今日はもうダメです。何をしてもいい結果になるとは思えません。撤退の言い訳を自分に言い聞かせると私は鞄を手に立ち上がりました。


「あれ?どこ行くの?」


 不意に声をかけられ私は内心びっくりしてしまいました。振り向くと先程の自己紹介で私の印象に深く残っていた小泉さんが教室の扉の前に立っていました。クラスメイトは全員下校したと思っていたので焦りましたが、同時に疑問も湧いてきます。今日はこれ以上学校に残る必要もなかったはずなのに何故彼女はまだ教室に残っていたのでしょうか。私は今の思考を一瞬でまとめ終えるとなるべく冷静さを保ちながら彼女の問に答えました。


「……家に帰るんです。貴方もそうでしょう?」


「え?帰っちゃうの?今正門付近でクラスメイトの一人が『親睦を深めようではないか!』って言って1-1の人を集めてるけど」


「……そう」


 私は彼女に聞こえないくらいの声で呟きました。そんな知らせ聞いていませんし教室に一人残された私は見捨てられたのでしょう。仮に今からそのお誘いに乗ったところで居心地が悪そうですしここは大人しく帰ることにしましょう。私は彼女に向き直り言いました。


「……ごめんなさい。そういう集まりは苦手だから断らせて貰いました。なので私はこれで」


 私はそう早口で告げ、立ち去ろうとしました。しかし手が何かによって引っ張られ、教室から出られません。不思議に思った私は自分の手を引く主を見るため振り返りました。するとそこには私の手を握る、頬を紅潮させた小泉さんの姿がありました。初対面なのに手を握られている、このことが私を更に混乱さ――


「あ、あの!私も親睦会みたいなのは苦手で……一緒に帰らない?」


 突然の彼女の提案に私は思わず「は?」と口走ってしまいました。なんで彼女が私の帰路についてくるんでしょう?初対面で特に接点もなかったはず。混乱が混乱を呼びフリーズしていると彼女は申し訳なさそうな態度になりました。


「あ、ごめんね……。急にこんなこと言っちゃって……。迷惑だったなら謝るよ」


 私が必死に脳をリブートさせていると小泉さんは頭を下げてきます。再起動した私は慌てて返事をしました。


「……いえ。驚いただけです。こちらこそ不快に思わせてしまったのならごめんなさい」


「そ、そうなんだ。よかったぁ……。嫌われたかと思ったよ」


 彼女は心底安心したかのようにホッと息を漏らします。そこまで安堵するほどのものでしょうか。私はそんな彼女の様子が面白くて思わず笑ってしまいました。するとそんな私の顔を見つめながら小泉さんが一言。


「…………雨鳥さんって可愛いね」


「……はい?」


 小泉さんの突拍子のない一言にまた脳がショート寸前に追い込まれる。怒らないんですか?名前覚えててくれたんですか?今可愛いって言いました?私が困惑した表情を見せていると彼女は手をわたわたさせながら謝ってきました。


「あ、いや、今のはそういうんじゃなくて……笑顔が素敵だなって……」


「……そ、そう」


 お互いに俯いてしまい、話を続けるタイミングを見失ってしまいました。私は初対面の人に容姿を褒められたのは初めてで、ちょっと嬉しくて、むず痒くなってしまい照れ隠しに頬を掻こうとしました。


「……あ」


「な、なに?雨鳥さん」


「……手、離してくれると嬉しいんですが」


「あ、ご、ごめんね!」


 彼女は今の今まで握っていた手を離しました。まだ春だというのに彼女の体温を感じられなくなった私の右手はちょっと冷たく感じます。解放された手を閉じたり開いたりしていると彼女が口を開きました。


「あの、さっきのお願いの返事を聞きたいのだけれど……」


 さっきのお願いって、ああ、一緒に帰ろうってやつですね。私はまだ彼女の体温が残っている右手をポケットに突っ込むと「……いいですよ。一緒に帰りましょう」と言いました。すると彼女は同性である私も見とれるような、眩い笑顔になりピッタリと自分の横につき廊下を歩き出した。これは初めての友達……ということでいいんでしょうか。私が友達の定義を調べようとスマホを取り出すと小泉さんは申し訳なさそうに質問をしてきました。


「聞きにくいんだけどさ、私達ってもう友達じゃない?」


「……え、ええ。そうですね」


 もう友達になっていたんですか。私は「友達」と入力して「作り方」「なる方法」「できない」と可哀想なサジェストを表示させられたスマホをポケットにしまうと彼女の話に耳を傾けました。


「友達になったんだから名前で呼び合わなきゃ!ええっと雨鳥さんの下の名前は……」


「……フウカです」


「そうフウカちゃん!呼びやすい!今度からフウカちゃんって呼ぶから私のこともアコって呼んで!」


 彼女は嬉しそうにスキップをしながら階段を下る。転ばないんでしょうか。不思議に思いながらも私は彼女の要望に対する返事をしました。


「……嫌です」


「え?なんで!?」


「……私達はまだ出会って間もないです。いきなり下の名前で呼び合うのではなく、もっと親密な関係になってからでも…………」


「もー!面倒だなあ!友達なんだからこれでいいの!」


 彼女は手を振り上げ怒ったポーズをしている。子供っぽい表現ですね。でも彼女がいうのならそうなのでしょう。友達という事に関して私は素人同然。きっと明るい彼女は何人もの友達をそうやって作ってきたのでしょう。なら私がとやかく言うのは釈迦に説法でしょうか。


「……わかりました。アコ、さん」


「それでいいのだ!」


 彼女はまた嬉しそうに笑った。この笑顔のためならどんな事も許せてしまう。そんな不思議な魅力のある笑顔だった。ああ、これが初めての友達。私はやっと実感が沸いてきて嬉しくなりました。もちろん表情には出しませんが。

 まだ平日の昼過ぎということもあり割と静かな住宅街を二人で歩く。桜舞い散る校門を出て左に曲がり歩道橋を渡ると消防署が見える。その近くにある白いマンションが私の今の家です。私は実家から学校に通っても良かったのですが、片道一時間以上かけて通うのは勉強する時間がもったいない、というのが父の意見、姉も一人暮らしをしているのだからフウカも大丈夫でしょ、という母の意見により実家を離れることになりました。そういえば一年前、姉も幼馴染と同じ高校に通いたいだかなんだかでこの横浜の女子高に進学したはずですが、何故姉の家に住まわせてはくれなかったのでしょう。姉と私はそこまで仲は悪くないはずですが。……でも引きこもりがちな性格の私とは対象的に姉は活動的で友達とかを毎日家に呼ぶでしょうからある意味一人暮らしで正解だったのかもしれませんね。流石私を十五年間育てただけのことはあります。ただ、一つ不満を言わせてもらうとこの部屋、高校生が一人で暮らすにはちょっとばかし贅沢過ぎませんか。そんなことを考えながら入学金以上のお金がかかっているであろうマンションを私は指差す。


「……アレが私の家です。なのでこれで失礼しますね」


「え?フウカちゃんこんなところに住んでるの!?」


「……何か?」


「いや、学校からすごい近くて便利だなぁ~って……」


「……まぁ母親が勝手に決めた部屋なのだけれど……」


「それってもしかして一人暮らしってこと!?高校生で!?すごいなぁー!憧れるぅー!」


「……肘で脇腹をつつかないでください」


 一方的でテンションが高い彼女のエルボーを喰らいつつ私は軽く挨拶をしてから家に向かう。アコさんは「また明日学校でねー!」と閑静な住宅街では迷惑極まりない大声で私に手を振っている。私は人差し指を口元に持って言って「静かに」のジェスチャーをすると彼女はすぐに黙ってどこかへ走っていってしまいました。本当に落ち着きのない子ですね。そう思いながら私はマンションに入り、暗証番号を入力する。すると透明なドアが横にスライドして入口を作ってくれる。セキュリティ面といい豪華さといい本当に私みたいな者がここに暮らしていいのでしょうか。疑問に感じながらもエレベーターに乗り込み、七階で降りる。エレベーターから数えて三つ目のドアが私の今の住居だ。鍵を開け部屋に入る。そこには白を基調とした清潔感のある空間が広がっていた。ただ、まだ引っ越してきてから日が浅いため荷物が開封しきれてなく、ダンボールの山がどーんと積み上がっていた。今日はもう予定はないので私は鞄を下ろし荷物整理をすることにした。


「……あ」


 一つ目のダンボールを開けたところであることを思い出した。何故今になって思い出したのかというとダンボールの中身が実家から厳選して持ってきた本だったからだ。厳選したとはいっても趣味が読書の私はダンボール三箱分ほどを持ち出したのだ。今これを開けてもしまう場所がない。だから私は本棚を買いに行くことを思い出したのだ。間抜けである。

 私は財布が鞄に入っていることを確認するとすぐに駅に向かった。大きい駅の近くなら家具量販店が揃っているだろうと考えたからだ。最寄駅から出る電車に乗り込み、揺られること数分、近所で一番大きい駅、横浜駅に着いた。


「……大きい」


 都会人の私からしてもそこは十分巨大な駅でした。見渡すと即席の白い壁があるのを見つけました。ということは工事中なのでしょうか。こんなに大きいのにこれ以上何を増やそうというのでしょうか。そのうち無限に増えたりしないでしょうか。

 数分迷った挙句、ようやく駅の外に出たかと思うと目の前にはアニメグッズ専門店のマスコットキャラクターが。……違う。どうやら反対側に出てきてしまったようです。私は踵を返し再び駅に入っていく。今度からは気を付けましょう。長く、人が入り乱れ進みづらい一本道を進む。大きい駅というだけあって様々な人が行き来している。多くは学校帰りの学生やサラリーマン、たまに主婦でしょうか。波のように押し寄せてくる彼らを糸を縫うように躱していく。すると横を通った学ラン姿の男子高校生二人の会話が聞こえてきた。周りも騒がしいがその話題は私の興味を引いたので鮮明に聞こえてくる。

「お前ニュース見た?撲殺なんたらってやつ」「東京の殺人鬼だろ」「それ。怖いよな」「そうだな」

 ……すれ違っただけなのでこれ以上の会話は聞き取れませんでした。恐らく彼らが言っていたのは撲殺少女工房でしょう。人命を軽視して次々と殺していく不快極まりない犯罪者。私は流行に鈍感ですがニュースであれだけ騒がれれば誰だって知り、畏怖の念を抱きます。でも道行く人に不安の表情はありませんでした。何故ならその殺人鬼は東京にいるのですから。隣の県とはいえ近場ではない所で殺人が起きていても人間、痛くも痒くもない。都会の人間は冷たいのです。熱しやすく、冷めやすい。二、三年前はあれほど全国で騒がれていたが今はそれも日常と化しています。日常、という言い方は失礼かもしれないが見渡す限りこの表現は適切です。人は皆適応してしまうものです。でもそんな私は未だに慣れていません。自分の命が直接脅かされているわけではないですが人が殺されているのです。同情もするし、恐怖します。はっきり言って殺人のニュースを見ても「またか」で済ませる都会人は異常です。殺人鬼以上に狂っているかもしれない。人間は自分の身を守るため、利益を得るためならどんな恐ろしい事も平気な顔でやってしまいます。だから大半の人間は不安で押しつぶされないように『適応』という手段を選んだのでしょう。普通とは大多数の意見を指し、異常とはマイノリティーな意見を指します。つまりどんな異常でも百人中五十一人が普通と言えばその百人のコミュニティの中では普通なのです。これが『適応』の恐ろしさです。例えば、現代社会では人を殺すことはタブーです。でも戦争になったらどうか。敵兵を殺すことはタブーではなくむしろ正しいことと認められる。これが常識の変化です。よく大人たちは「普通はいいぞ」「常識的な行動をしろ」と言いますが普通が異常であり異常が普通なのです。つまり表裏一体、紙一重の概念。そんな脆いものに縋る大人を見て私はたまに辟易します。この世に普通はない。だから信じられるものは己だけ。……こんな考え方をしているから友達が出来なかったのでしょうか。

 そんな事を考えていると外の明かりが見えてきました。今度は間違えてないはずです。エスカレーターを昇ると事前にネットで調べたタクシー乗り場が見えてきました。これを目印に確かここをまっすぐ行けば……ありました。大型の家具量販店。私は綺麗に磨かれたガラスの自動ドアを通り店内の地図を見る。本棚はこの辺でしょうか。粗方の目星をつけエスカレーターに乗り込もうとした時、後ろから私の名前を呼ぶ声がしました。


「おーい!フウカちゃーん!こんなところで何してるの?」


「……貴方ですか」


 そこにいたのは大きなカバンを背負った私服姿のアコさんでした。一旦家に帰ったのでしょう。下校中そんな大きいカバンは持っていませんでしたし。確か彼女の趣味はソフトボールだったはず。恐らくその道具が入っているのでしょう。アコさんは棒つきのキャンディーを舐めながら「フウカも舐める?」と聞いてきます。私はそれをやんわり断ると先程の問に答えました。


「……本棚を買いに来たんです。ここならなんでも揃っていそうですから」


「確かにこの店ならたこ焼きからカルパッチョまでなんでも揃うよ!」


「……範囲狭くありません?」


 談笑しながらエスカレーターに乗り込む。アコさんは横浜駅周辺に住んでいるらしくここにも何度か来たことがあるので案内を任せて欲しいと提案してきました。私にとっては好都合だったので了承すると「友達だかんね!」と舐めていたアメを噛み砕き、二本目に突入しました。何本持っているんですか。

 彼女に案内された通りに進んだら目当ての品がすぐに見つかった。非常にラッキーだ。私は少し高めの本棚を選び、配送の手続きを終えると彼女に改めてお礼を言った。「……今日はありがとうございます」「友達なら当然だよ!」「……何かお礼がしたいのですが」「うーん、じゃあ私の買い物に付き合って!アメちゃんあげるから!」「……それはいりません」そうして私達は家具コーナーを後にしました。




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