第18話 冬美

 翌日のホテルチェックアウトの時間には、既に加藤の姿はなかった。フロントに下りて来たオフ会参加者たちは、肝心の主催者である女部田の姿がないことに不満と違和感を持ったが、昨日の幕切れの失態で出せる顔がないのだろうと、三々五々解散していった。


 オフ会の深夜に加藤亮の部屋に入った冬美は、翌日の昼には加藤と角館のホテルで関係を持っていた。


「あなたはほとほと脇が甘いヒーローさんよね」

「どういう意味だよ」

「以前にも女部田に嵌められたでしょ?」

「嵌められた?」

「そう、あなたはまた女部田にご褒美を強請られるわ」

「ご褒美?」

「そうよ、絶対服従という交換条件よ」

「何でオレがあんな美人局に絶対服従しなきゃならないんだよ。意味が解らないな」

「美人局?」

「てめえの使い捨ての女性特撮ファンを餌に、ゲスト俳優の下心に働きかけて誘う美人局じゃねえか。それでも乗って来ない俳優には、参加をOKした女性特撮ヒーローに働きかけてもらう…どうやら、やつには女性蔑視が根付いているらしいな」

「女部田がイベンターとして全盛の頃、私はあなたの熱狂的なファンとして紹介されたわよね」

「あの程度でイベンターの全盛って、笑わせんなよ。いつだって虎の威を借る狐以下じゃねえか」

「狐以下?」

「主催者のくせに、てめえの名前を前面に出さねえじゃねえか。なんでなんだよ?」

「番組の制作会社のクレームを恐れていたのよ。責任の所在を暈かしたかったのよ」

「それだけかな?」

「え…」

「取引先に特撮オタだと知れるのが嫌なんだろ。その上、女漁り目的のオフ会を開いてることがバレてみろ。組合の村八分もんだろ」

 加藤は冬美の無反応に違和感を持った。

「おまえは何であんな小心なやつの女になったんだよ」

「・・・・・!」

「やつの優しい嘘八百の舌にやられたか? それとも哀しい特撮オタの性で、贈り物グッズ攻勢に酔いしびれたか?」

「ひどいこと言ううのね」

「恍けんなよ。こっちは全部知ってんだよ」

「・・・・・」

「女部田は自分がおまえと深い関係にないことの体裁を繕うために、あの時、オレに宛がったんだよ」

「…泣いて頼まれたのよ」

「泣いてか…だったらイベンターなんかより、演技派の俳優になればよかったんだよ」


 加藤は笑った。


「…でも、あなたは私と関係を持ったことで、女部田に厳しく責任を問われたわよね」

「やつは計算ずくだったんだよ。身の潔白の証明と、特撮ヒーローひとりの下僕化に成功したってわけだ、やつの計算ではな」

「2ちゃん上でも責められてたわよね、スレを立てたのは彼かどうかは分からないけど」

「やつの仕業だというのはすぐに分かるだろ、おまえの名前が晒されなかったことで。オレはひどい女癖の悪い酒乱男にされたよ。長期間に渡ってねちねちやられたな。マスコミにバラすとか脅されたよ」

「仕事に悪影響が出たでしょうね」

「出ちまったな、仕事より友人関係に。だがな…女部田はどうなんだろうな。今まで主催イベントをいいことに、特撮ゲストにたらふく酒を呑ませてご機嫌に酔い潰した陰で、目を付けていた女性特撮ファンを、オフ会後に部屋に体良く連れ込んでこましたのは、おまえだけじゃねえんだ。やつの妻子だってその性癖は薄々感付いていたろうし、一部の参加者や常連ゲスト俳優だってそこは目を瞑っていた形跡があるんだ。おまえだってもう知ってるだろ」

「・・・・・」

「そして今回、またおまえに指令が下った。だからおまえはオレとこうしてる…」

「それはちょっと違うわ」

「どう違うんだ?」

「指令を下したのは、女部田の奥様よ」

「じゃ何でおまえは奥方の指示に従ったんだ? 無視して帰れば済む事だろ。それとも、オレに惚れたか? よしてくれよ、おまえとは肉体関係までが関の山だ」

「…脅されたのよ」

「脅された?」

「慰謝料よ」

「なるほどね」

「イベントに無関心だった奥様が、なぜ今回突然出て来たのかしら? それも夫に内緒で…」

「無関心でいられなくなったんだろ」

「あたしにとっては、女部田より面倒な存在だわ。怖いわ」

「何でそんなに恐れるんだよ。他に事情でもあんのか?」

「・・・・・!」

「かまわないだろ、言うことを聞いてりゃ、奥方は何もしないよ。オレたちの関係も、他に女部田と関係を持った特撮オタ女どものことも、奥方にはどうでもいいことだ。奥方のターゲットは旦那ひとりだよ」

「どうするつもりなのかしら?」

「さあね。面白いことにはなるだろうが、夫婦の揉め事には関心ないね。おれは今、おまえと寝れればそれでいい」

「今度は女部田より、奥様に女部田以上の面倒なご褒美をおねだりされるんじゃないかしら」

「そうかもな。何でもお安い御用だよ。おとなしく言うことを聞いたふりしてりゃ、結構な役得にも与れるだろうよ」

「あなたって、とんだ特撮ヒーローね」

「おまえはどうなんだよ。市販の特撮グッズじゃ飽き足らずに、そのとんだ特撮ヒーローと一発やりてえわけだろ。おれたちは利害が一致してるじゃねえか。これからもやつがお膳立てしてくれるオフ会の度に楽しもうじゃないか。次はいつ会えるか分からないんだから、精々今、本物の生グッズで楽しみなよ」

「・・・・・」

「…おまえは寂しい女だな」


 冬美は無言で加藤のグッズに猛進していった。


 決して満たされることのない夜を過ごした冬美は、それでも普段よりは気分良く目覚めた。ふと見ると、隣の加藤の姿がない。もしやと部屋を見回すと、案の定、加藤の持ち物が消えていた。自分にお似合いの現実に、条件反射のようにふて笑いが浮かぶ。そんな自分に、いつものように嫌悪を覚えながら、だらだらと帰り支度を整えた。チェックアウトまでには大分早めだったが、加藤と過ごした部屋が急にゴミ溜めのように思えて、急いでフロントに下りた。加藤は冬美の予想に反して、既に精算を済ませていた。冬美はそのままホテルを出た。見回したところで、加藤が待っているわけもなく、ついでに二度と来ることもないであろう角館観光でもするか…それとも、このまま帰るか…冬美は迷いながらとぼとぼと歩き始めた。


「ねえ」


 冬美は後ろから声を掛けられた。振り向くと、女部田の妻・志乃が立っていた。


「二、三日使っていいわよ」


 そう言って、車のキーを放り投げてよこしたので、冬美は反射的に受け取っていた。


「用が済んだら、羽田の駐車場に入れといて」

「でも、私…」

「 “お兄さま ” と逢うたびに、あなたが運転を代わっていたでしょ。乗り慣れた車なんだからお使いなさいよ。それとも、近親相姦以来続けている “お兄さま ” との不倫の慰謝料を、妻である私に請求されたほうがいいかしら?」


 冬美は言葉を失った。


「じゃ、頼んだわね」


 志乃はそう言って足早にタクシーに乗り込んで去って行った。


「クソ女…」


 悪態を吐く冬美の息が空しく消えた。


〈第19話「弔問」につづく〉

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