第4話 朧月子の抗議

 おぼろ 月子つきこは女部田の運営する特撮サイトの “従順な ”常連である。彼女は、凡そ外交的でもないし、攻撃的でもなかった。自分の風貌に関して大きなコンプレックスを抱え、男性との縁もなく、幼い時に観て憧れた特撮番組のヒーロー俳優の鍋島峻作に傾倒した人生を送っていた。女部田主催のオフ会に思い切って参加したときに、集団から孤立している朧月子は、松橋龍三に声を掛けられて驚いた。


「こういうオフ会はよく参加なさるんですか?」

「あ…いえ…あの、初めて参加しました」

「そうでしたか…私も初めてなので勝手がわかりません」


 龍三自身、こうしたオフ会には初めての参加だった。誠実に懇願する女部田のたっての要請を断り切れずに、最初で最後と思い、参加を承諾してのことだった。


「あの…アニアイザーの…」

「ええ、まあそんなことより、バッグに下がっているキーホルダーは鍋島さんのフィギアですね」

「はい!」

「鍋島さんのファンなんですね」

「はい! …すみません」

「謝ることはないでしょう、ははは。鍋島さんとお話ししましたか?」

「…いえ…無理です。絶対に無理です」


 龍三は鍋島を呼んだ。ファン相手にそろそろ飽きて手持無沙汰の鍋島はすぐにやってきた。


「ここにいらっしゃるのはあなたの大ファンですよ。お相手してやってくださいよ」


 鍋島はそのことを知っていた。しかし、消極的なファンに自分から話しかけることには抵抗があった。特撮ヒーローとしての鍋島なりの自尊心が見え隠れしていた。


「いつも応援ありがとう! 今日は楽しんで行ってね」


 鍋島はそう言ってすぐに他の特撮ファンの塊に入った。


「彼もあなたと同じ照れ症のようですね」


 龍三は、鍋島にそっけなくされた朧月子に、励ます言葉を掛けたが、それは全く必要なかった。彼女の顔は憧れの鍋島に言葉を掛けてもらった感動で上気していた。


「良かったですね」

「はい! ありがとうございます!」

「大好きなんですね」

「はい!」

「鍋島さんは今、私たちの劇団で一緒に稽古してます。劇団に鍋島さんのことをブログ取材に来ませんか? 週一で良ければ…」


 龍三は、女部田から今回の参加者の簡単なプロフィール一覧を渡されていたので、彼女がブログを開設していることは知っていた。


「はい、行きます! 宜しいんですか?」


 その後、朧月子はせっせと劇団の稽古見学に通うようになった。龍三は、これで鍋島のファンに対する自尊心が働き、稽古前の飲酒の習慣が止むことをささやかながら期待した。


 鍋島が、梶田の問題や自身の飲酒稽古で責任を問われて劇団を去ることは、朧月子にとっては大きなショックだった。女部田は、龍三の劇団に送り込んだ面子が誰もいなくなるとあって、手を拱いていた。そこで、彼女に白羽の矢を立てた。


「これは君の役割ですね」

「どうして私なんですか?」

「どうしてって…あなたは一番の鍋島さんファンじゃありませんか。この役割はあなた以外にいないでしょう」

「でも…私は単なる一ファンに過ぎないし…」

「あなたはよくそんなことが言えますね!」


 女部田は急に朧月子に威圧的になった。


「分かりませんか? 鍋島さんの名誉が掛かってるんですよ!」

「…でも…私は…」

「君が本当の鍋島ファンなら、私に言われるまでもなく松橋氏に抗議をして、鍋島さんを劇団から除名したことを謝罪させて、元どおり代表として復帰させるのが筋だとは思いませんか?」

「…はい…でも私には…」

「あなたは日頃から特別に鍋島さんのお計らいで稽古見学までさせていただいて…」

「それは松橋さんが言って下さったから…」

「鍋島さんが言ったからに違いありませんよ! 代表である鍋島さんが了承しなかったら稽古見学なんて出来るわけないでしょ!」

「・・・・・」

「日頃から鍋島さんのお蔭で幸せをいただいているファンとして、こういう時こそ鍋島さんの力になってご恩返しをする時じゃありませんか?」

「・・・・・」

「それができないなら、あなたは鍋島ファンであることを明日からやめるべきです」


 朧月子にとっては最もつらい言葉だった。選択肢はひとつしかなかった。朧月子は劇団への抗議を躊躇しながら何度も携帯電話を握り直し、女部田からの執拗な催促に突き飛ばされて思い切って電話を入れた。


「あの…朧月子と申します」

「どうしました、月子さん? 松橋です」

「・・・・・」

「もしもし? 聞こえてますか?」

「鍋島さんが劇団から除名されたそうですが…」

「ああ、その事でお電話を? 残念です。月子さんもがっかりなさってるでしょ。除名ではなく、ご本人からお辞めになりました」

「あの…劇団として援助を受けている人の助言を聞き入れないのは傲慢じゃありませんか?」

「援助を受けている人? そんな人はいませんよ。もしかして、これって抗議ですか? いや、この抗議だとしてもあなた個人の意思じゃないですよね。あなたに抗議をさせている人がいますね」

「…私個人の意思です」

「そうですか…まあ、あなたのような物静かなご性格の人が、わざわざ私に電話を掛けて来るというのには相当のプレッシャーを掛けられてのことだと思います。ですから、私はあなたにきちんとお答えしましょう」

「私個人の…」

「そうでしたね。では、あなたにまず我々の劇団について説明しましょう。劇団というものの観念に定期公演や地方巡業というイメージしか湧かないのは、劇団活動の多様性をご存じないからだと思います。それぞれの劇団の活動は皆が皆、利潤追求だけではないんですよ。 研究や訓練などその劇団によって千差万別の活動目的があるんです。我々の活動目的は本来、提供したオリジナル脚本を、地元の演劇サークルで役立てて頂くことであり、親子で演劇を楽しむためのレクチャーなどのためには特例として現地訪問する場合もあります。心の枯渇した時代こそ地域演劇の効果は大きいんです。そう言えば、以前に女部田さんにはご接待を申し出ていただいたんですが、お断りしてるんです。特撮ファンの方にご接待をしていただく理由がありません。ところが、どうしてもと仰るんで現地公演ならばということでご依頼をお受けしました。もちろん、無償でということでお受けしたんです。月子さんの仰るような金銭の負担は一銭もしていただいておりません。劇団員がそれぞれ、交通費も宿泊費も食事代も全て自己負担をして、女部田さんのために現地公演に協力させていただいたんです。ですから、援助していただいてるわけでもない方のご助言を何故聞き入れなければならないのでしょう?」

「・・・・・」

「あなたは鍋島さんの大ファンですから、できるだけ夢を壊したくはないのですが、残念ながら彼は退団の表明もなく劇団を去って一方的に連絡を絶ってしまったんです。そして一か月後に突然、メールで代表辞任と退団の通知をいただきました」

「…そ、それは…劇団側が鍋島さんを追い詰めたからじゃないんですか?」

「なぜ追い詰めなければならないんです? 数日後に鍋島さんも出演する試演会が迫っていたんです」

「鍋島さんは、松橋さんに代表を降ろされたから劇団を去るしかなかったんじゃありませんか? それは劇団の責任です!」

「先程も言ったとおり、代表は鍋島さんがご自分から降りたんです。それに劇団の代表は多数決で決めますので、私の一存でどうこうなるものではありません」

「鍋島さんが可愛そうです!」

「そうですか…そこまで仰るなら、なぜ彼が代表を降りる決意をしなければならなくなったのか…鍋島さんの名誉のために言わないでおこうと思っていたのですが、あなたの的外れな抗議には閉口しますので申し上げましょう。あとで聞かなければ良かったなどと言わないでくださいよ」

「説明してください!」

「分かりました。彼は毎回、お酒を飲んでから稽古に出て来ていました。そのことを劇団員たちは、鍋島さんご自身のことを思って改善するよう求めたのに対して、鍋島さんは “考えます ”と答えたまま、2週間音信不通になりました。その間に試演会も無断降板してるんです」

「・・・・・」

「ご納得いただけたでしょうか?」

「…お酒を飲んでから稽古に出ることがなぜいけないのですか!」

「あなたはお酒を飲んでから会社に出勤しますか?」

「わ、わたしはお酒は飲めません」

「では、あなたの勤務する職場のどなたかが、いつもお酒を飲んでから出勤して来ても何とも思いませんか?」

「それは会社の問題だし、そういう人はそのうち首になると思いますから、私には関係ありません」

「そうですね。あなたの仰るとおりです。今回あなたが抗議していることも、我々劇団の問題であり、あなたには関係ないことですよね」

「・・・・・!」

「特撮出演者の誰もが、特撮ファンの方々に寛大だとでも思ってらっしゃるんですか? あなたに無茶なことを言わせている人に言いなさい。もう自傷行為はおやめなさいと。それとも、これだけお話してもご納得いただけないようであれば、直接あなたの職場に伺って、上司の方を交えて、もう一度きちんとご説明しましょうか?」


 朧月子の電話は突然切れた。龍三は、怒りより、哀れな特撮ファンだと思った。少しでも憧れの特撮ヒーロー鍋島の傍にいたいという熱狂的なファンに、稽古日に会えるように劇団取材という名目で便宜を図ったのだが、鍋島の代表辞任や退団を全て目論んだかのようなひどい言われようをされてしまった。龍三の心は決まった。特撮関係者とは今後一切の交流を断ち切ろうと決意した瞬間だった。


 梶田斬り、鍋島退団の裏には二つの真相があった。龍三は、白川しらかわ たまきのストーカー被害が訴訟になった場合、どうなるのかと考えた。鍋島は梶田の単なる紹介者では済まされない。芸能界復帰のため藁をも掴む思いで我がグループを足掛かりにしようと入会したはずだ。梶田が告訴された場合、鍋島は梶田をよく知る知人として事情聴取を受ける事になる。第一線から埋没しているとは言え、彼が芸能人であるがために、何れ好奇の目に晒される事は間違いない。物事を歪曲して考えたい方々の大勢いる世の中だ。鍋島自身のプライバシーまで晒される。元特撮ヒーローが同性愛者であり、稽古の前に飲酒するほどのアルコール依存症であることも公になる。龍三は鍋島の名誉のため、なんとか事態を収拾しようと連絡したが、連絡が付かず、稽古の無断欠席から2週間ほど経ったある日、鍋島と梶田は何事もなかったかのように稽古場にやって来た。

 次の稽古に、鍋島と梶田はまたしても酒臭い態でやって来た。龍三はその日、CMの仕事で出席できなかったが、白川の件を収拾しなければならないこともあって、前田に一任し緊急ミーティングを開くことを了承していた。ミーティングの場で、梶田は白川に付き纏った行動を素直に謝罪したが、劇団での活動の継続を希望した。そのため、白川には迷いが残った…自分が退団するか、在籍して告訴するか…当然の事だ。劇団員らもこれまでどおり梶田と仲良く活動するのは難しいと考えていた。そこに、梶田の紹介者である鍋島の「君は辞めるべきだね」という梶田に対する一言に一同が耳を疑った。自身の紹介した梶田だけを切り、自身の責任には言及しなかった事に劇団員の気持ちがさらに硬化した。結局その一か月後、龍三は鍋島からメールで退会の意思を告げられることになる。龍三は思った。鍋島は自分と同年…大切な用件をメールで…残念な気持ちだった。龍三は返信しなかった。少なくとも、鍋島がつまらない三面メディアに載る可能性の芽だけは摘む事が出来たことを安堵していた。


〈第5話「新スレ」につづく〉

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