第3話 Wストーカー


 尾行行為の小沢を切って一段落したのも束の間、またしても眉を顰める事態が起こった。副代表の前田は、稽古に遅刻して来た梶田を呼び付けた。梶田は入会して間もなくの時から一ヶ月以上に渡って、劇団員の女性・白川環にストーカー行為を続けていた事が判明したためだ。様子のおかしい環に最初に気付いたのは前田だった。環から悩みを利き出した前田はすぐに龍三に事態収拾のため梶田を退団させることを懇願した。環はもうボロボロになっていた。龍三は彼女が告訴を決意する寸前であることを受け、本人の了承を得て劇団員らにその事実を明かし、事態収拾を前田に一任することにした。


「梶田くん、今日こそ住民票を持って来てくれましたよね」

「え? ああ…忘れました」

「では、今日は帰ってください」

「え! 帰らなければいけないほどのことですか?」

「ええ、劇団の決まりに従っていただけないので…」

「昨日は代表の鍋島さんと一緒でして、それで朝まで飲んでたもんで住民票を取りにいけなかったんです…あの、鍋島さんももうすぐ来ますから」

「とにかく今日はあなたの稽古はありません」


 梶田がふてくされた態度を取っているところに鍋島がやって来た。


「おはようございます! 遅くなりました」

「鍋島さん、オレ、帰れって言われてんですけど!」

「どういうことですか…あれ? 松橋さんは?」

「松橋さんは今日はCMの仕事です。先週、お伝えしました」

「そうだっけ? …で、代表の私に一言もなく梶田くんに帰れってどういうこと?」

「それは副代表の私が伺いたい。毎回酒の臭いをぷんぷんさせて稽古に出るのは如何なものでしょうか? 酒の臭いだけではありません。鼻をツンと刺激するような彼の不潔臭は何ですか? これから一緒に稽古をする劇団員に我慢しろと言うんですか? それが毎回なんです。鍋島さんは劇団の代表として、俳優のご先輩として、どう思われますか?」

「臭いますか?」

「臭います!」


 沙世・沙希姉妹がハモった。


「えーと…この劇団の代表は、私ですよね」

「そうです」

「劇団員への対処は必ず私を通してからにしてくれませんか?」

「では、鍋島さんご本人が代表らしいお手本を劇団員たちに示していただけませんか? 鍋島さんのご紹介で入った梶田くんには未だ住民票を提出していただいておりません。代表として、そういうところもしっかり管理していただけませんか? 女部田さんのご紹介の小沢くんも住民票の提出がなかったので退団していただいた経緯があります。決まりは決まりとして徹底していただくようお願いします」

「まあ、確かにそういうことは副代表のあなたの仕事ですね」

「では、代表のご指示という事で副代表の私から改めて梶田くんには住民票の提示をお願いします。次回稽古の時に必ず持って来てください」

「前田さん、お手柔らかにお願いしますよ」

「決まりは決まりですので」

「おい、梶田くん、きみ、今日は帰りなさい」

「マジすか!」

「決まりだっていうから仕方ないでしょ」


 梶田は不満げに帰り支度を始めた。


「鍋島さん、梶田くんにはもうひとつ大切なお話があるんです」

「何?」

「梶田くんのストーカーの件です」

「梶田のストーカー?」


 梶田の動きが凍り付いた。そして龍三不在のまま、ミーティングが始まった。


 後日、龍三同席のもと、結果報告の緊急ミーティングが開かれることになった。そこには鍋島と梶田の姿はなかった。前田が吐き捨てた。


「小沢だけじゃなく、梶田までも…我が劇団の女性陣はストーカーされる呪いでもかけられてんのかな?」

「あたしたち、魅力が有り余ってんのよ…ね、環」

 沙希が不快そうに答えたが、環は俯いたままだった。

「梶田の臭いもキツかったな」

「年季の入ったホームレスのような臭いだったな」

「彼もネカフェ住人?」

「田島さんがもう調査済みだったよ」


 ミーティング開始時間になってやっと龍三が表われた。


「みんな、今日は早いね」

「松橋さんが時間ぎりぎりのほうがめずらしいですよ」


 笑って誤魔化す龍三が席に着くのを待たずに、前田は早速結果報告を始めた。


「…ということで、鍋島氏は梶田氏のストーカーの件は梶田氏の責任であるとは仰いましたが、梶田氏を紹介した立場としての言及はありませんでした。そして “梶田くん、キミは辞めるべきだね ”と…その発言が特に女性陣の反感を買い、劇団の代表としての適性に疑問の意見が出ました。毎回、酒の臭いをさせて稽古に参加するのは、梶田氏だけではなく、鍋島氏も同じです。その事を指摘されると、鍋島氏は “よく考えます。梶田くん、今日は帰ろう ”と仰って、二人一緒に帰りました」

「そうでしたか…で、梶田くんは辞めるという事ね」

「代表が “辞めるべきだね ”と言いましたから、そういう事だと思います」

「分かった。梶田くんには私からも確認を入れておくよ。鍋島氏は保留という事ね」

「 “よく考えます ”ということなので、よく分かりません」

「彼からお酒は離せないだろ。この劇団に入る時にはいろいろ決意もあったろうと思うんだけど…」


 龍三は哀しく微笑んだ。


「白川は、梶田の告訴はどうするんだ?」

「謝ってくれたし、劇団を離れるなら告訴はしなくてもいいと思っています」

「それでいいのか?」

「…はい」

「…そうか。あと他に報告することはある?」


 前田が言い難そうに話し始めた。


「勝手な言い分かも知れませんが、改めて代表選挙をしてもらえないでしょうか? 鍋島氏の代表就任は、松橋さんが彼の顔を立てて代表としてこの劇団に迎え入れたことは承知しているんですが…その…自分としては…」

「みんな済まない。彼が立ち直れればと思ったんだが、みんなにも負担を強いる結果になっているのは良くない。とにかく、もう少しだけ私に猶予をくれないか」


 龍三が謝罪するとは思ってもいなかった劇団メンバーは、静かに了承した。


「我々に重要なのは今度の試演会だ。それを成功させるためには冷徹に準備を進めたい。急だが、キャスティングを一部変更します」


 龍三のキャスト変更は一同を驚かせた。キャストから鍋島と梶田が外されていた。一同には緊張と安堵が重なった。


 翌日、梶田から退団の連絡が入った。龍三は梶田を引き止めた。それは未練のないことを確認するための事務的なものでしかなかった。そして、梶田の退団と並んで鍋島の音信が絶たれた。それから一ヶ月ほど経過し、龍三の携帯に一通のメールが届いた。鍋島からの代表辞任と退団の内容だった。


〈第4話「朧月子の抗議」につづく〉

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