第19話 弔問
龍三は、郷里の姉宅に向かうべく、東京駅から始発の新幹線こまちに乗り、角館から内陸線の急行に乗ろうとしていた。携帯が鳴り、出ると成沢からだった。峰岸の訃報の知らせだったが、それより先、新幹線車中で峰岸と同じ集落に住む高校時代の同級生の小林茂から一報が入っていた。成沢には峰岸家弔問を問われたが、敢えて答えを濁したのは、ひとりで伺いたかったからだ。小林からの連絡の後、すぐに峰岸家に連絡してみた。妻の淳子が出て龍三の弔問を受け入れていた。
峰岸の住む最寄・阿仁前田駅には昼過ぎに到着した。急行も停まるこの駅は、駅舎が温泉保養施設「クウィンス森吉」と併設されている。2002年(平成14年)に秋田県内初の温泉付き駅舎として併設された。外装は駅前の集落ムードとは別世界のようなメルヘン調の三階建だ。特に厳しい寒さに籠りがちな高齢者にとっては、お風呂や食事の支度も億劫なこの季節、レストラン付きの施設は有難い心と体の癒しの場である。
駅舎の階段を降りた龍三は、峰岸家への弔問の前に、駅前にある西根打刃物製作所に寄った。予て注文を依頼していた稀有の伝統技術品である9寸5分の
峰岸家を訪れると妻の淳子が初対面の龍三を快く出迎えてくれた。家族付き合いのある同級生の小林が電話を入れてくれていた。夜の支度も整い、丁度一息入れていたところだった。
「ご生前に一度でもお会いするご縁があればと、それだけが悔やまれます」
「わざわざこんな寒いところまで…」
「私もこの沿線の鬼ノ子村で生まれましたので…」
「お電話でそう仰ってましたね」
「お焼香を手向けさせていただいても宜しいでしょうか?」
「どうぞ…」
淳子の案内で部屋に入ると、神聖な葬儀段の前に峰岸譲司の遺体が安置されていた。長女の寿里と長男の翔は、龍三を余所者でも見るような嫌悪の表情で軽く会釈をした。龍三は焼香を済ませてすぐに帰ろうとすると、翔が搾り出すような声を掛けて来た。
「あの…」
龍三は振り向いた。
「あの…お聞きしたいことがあるんですが…」
淳子が翔を制した。
「松橋さんはお忙しいんだから…」
「いえ…実は私も少し話したかったので…」
龍三が座り直すと、翔はすぐに質問してきた。
「松橋さんは、特撮ファンのことをどう思いますか?」
「特撮ファン…」
「それと、特撮ファン連中にちやほやされていい気分になっている特撮ヒーローたちのこと、どう思いますか? 松橋さんも同じ特撮ヒーローなので、どう思っているか聞きたいんです」
「翔! 松橋さんにそういうことを聞くのは失礼よ! …すみません、この子は父親の急死で動揺してるものですから、どうかお気を悪くなさらないでください」
「いえ…翔さんのお気持ちは、よく分かります」
龍三は暫く考えてから答えた。
「翔さんはどう思います?」
「特撮ファンはキチガイです! そして、特撮ヒーローはとんだ勘違い野郎の偽善者です!」
「よしなさい、翔!」
「いや、奥さん…実は私も翔さんと同じ考えです」
龍三の言葉に淳子も寿里も、当の翔も意外だった。
「翔さんは、なぜ特撮ファンがキチガイで、特撮ヒーローは勘違い野郎の偽善者だと思うようになったんですか?」
「父を殺したからです。少なくとも父の寿命を縮めました。闘病中にも拘らず、オフ会などという何の意味もない、自分たちにとってだけの身勝手な欲望を満たすための催しに父を巻き込んだんです。それに、招待されていい気になっている俳優がいるから、くだらないオフ会が無くならないんです。主催者の女部田というクソ野郎は、オフ会の朝、父を迎えに来て強引に連れて行きました。父はそのオフ会の途中で病状が悪化し、病院に担ぎ込まれて間もなく亡くなりました。オフ会に殺されたんです。あれだけ自分たちのイベントには必要としながら、オフ会を中止して誰一人病院に駆けつけるわけでもなし、お悔やみをいうでもなし…父は完全な特撮グッズ扱いをされたんです。あいつらは完全に頭がいかれた連中です」
「でも、あなたのお父さんは、彼らに対して誠意ある対応をし続けた。それはなぜだろうね」
「父はお人好しなんです」
寿里が初めて口を開いた。
「寿里さん…でしたね」
「はい」
「お父さんは、出演した番組を愛していたんだと思いますよ。ご自分が出演した番組を、幼い時に見た子供たちが憧れ、番組のファンに、出演者のファンになった…大人になってもそのまま番組を愛してくれる人たちの期待には応えてやりたいと思っていたんでしょうね」
「だからと言って、病気の父を引っ張り出すっていうのは、ボクには納得できません」
「私も同感です。番組熱を出演者に押し付けられるのは迷惑以外の何物でもありません。いい大人が、常識の面に於いて全く欠落した行動です」
淳子が恐る恐る言葉を挟んだ。
「…松橋さんもそうお考えなんですか?」
「私はね、特撮ファンは大事にしなきゃと思ってました…ある事が起こるまではね」
「あること?」
「私は2ちゃんねるのあるスレで特撮ファンに叩かれているんですよ、それも10年越しで。書き込みの内容は私を悪人にすべく事実を歪曲させて言いたい放題です」
龍三の吐露に最も驚いているのは翔のようだった。
「叩かれ始めた当初は、これまでの人生で味わったこともないようなショックを受けました。仏様の前で罰当たりな話かもしれませんが、張本人を見つけ出して殺してやろうと思いました。その気持ちは今も変わりません。でもね、よく考えたんです。恥ずかしながら、人生であんなに考えたことなんて無かったかもしれない」
「どう対処なさったんですか?」
「何も…何もしませんでした。する必要がないことに気付いたんです」
「必要がないって、どうしてですか?」
「逆に見て、彼らが2ちゃんねるで私を叩いたところで何ができますか? …何もできない…何もできないから匿名で粋がっているんです」
「特撮ファンはどいつもこいつも陰湿なんだ」
「それは特撮ファンじゃないからですよ」
「・・・?」
「特撮ファン “もどき ”だからです。気が付いたんですよ。 “もどき ”は、特撮ファンと分けて考えなければならないんです。特撮ファンと自称する特撮ファン “もどき ”が存在するんです。そいつらを特撮ファンだと思ったら、特撮ファンが気の毒です。“もどき ”どもは、特撮ファンにとっても一番迷惑な存在なんです」
「どうやって見分けるんですか?」
「出演者も、他の特撮ファン仲間も、勿論一般の特撮と何の関係のない人も、誰一人巻き込まない特撮番組の静かな愛好家が真の特撮ファンです。しかし、あなたのお父さんはそうした区別をせず、ご自分の出演した番組を大切に思ってくれる方々だから、命を賭けても誠意を尽くしたかったんだと思いますよ。到底、私にはできません。2ちゃんねるで叩かれた体験から、私は特撮番組に限らず、番組が終了したらその都度それで一件落着だと思うようになりました」
淳子は夫の遺影を見つめていた。時を刻むクラシックな柱時計の音とともに、無言のひとときが流れた。
「夫は松橋さんのようなつらい思いをせずに、こうして特撮ファンの方々にヒーローとしての花道を作っていただいたんですね」
「花道なんかじゃないよ、お母さん! 殺されたんだよ! ボクは納得がいかない。父には一秒でも長く生きていてほしかった。ボクは納得がいかない! 特撮ファンにも特撮ヒーローにも!」
翔はそのまま言葉を詰まらせて下を向いた。
「特撮ファンに “もどき ”が存在するように、特撮ヒーローにも3種類のタイプがいると、私は思っています。あなたのお父さんのように、ご自分の出演した作品を愛してくれるファンには区別なく誠意を尽くす人。そして私のように、特に特撮ファン “もどき ”とは一線を引いて一切関わらない人。そしてもう一種類は特撮ファン依存者」
「特撮ファン依存者?」
「そうした特撮ファン依存者は、特撮オタ以下の特撮オタだと思っているんです」
「特撮ヒーローの中に特撮オタ以下の特撮オタが…」
「俳優業は水ものなんですよ。売れる時期が永遠ではない…仕事が減れば副業で生活を保たなければなりません。そのうち、どっちが副業か分からなくなる。失業する人だっています。翔さんは、俳優業だけで生活できている人って全体の何割だと思いますか?」
「半分くらいですか? でも、父のように病気をしてしまうと何の保証もないので…」
「5パーセントにも満たないんです」
淳子らは驚いた。
「華やかな世界なのにね…」
「表向き華やかな人の中に、内情は火の車という人は結構おられると思います。一旦華やかな生活を広げると、元に戻すのは中々難しくなり、自己破産に至ったタレントや俳優のニュースもいくつかご記憶にあるかと思います。仕事がなくなった俳優が、売れていた頃の懐古の情に苛まれることは多々あるでしょう。特撮ヒーローの事を考えた時、特に結婚せずに俳優一筋に生きて、妻や子、孫のいない人などは、ひとりになった時、その分強い孤独に襲われているかもしれません。そんな時、過去の栄光からの招待状が来たら、どうなるでしょう?」
「でも、父は孤独ではなかったと思います」
「そうです。峰岸さんにはこんなに素敵なご家族がおありです。純粋にファンのために誠意を尽くせる環境にあったんです。しかし、そういう人ばかりじゃありません。特撮ファン依存者というのは、孤独に襲われて、過去からの招待状にしがみ付く人です。ファンの人たちと触れているうちに、もしかしたら自分は永遠のヒーローなのかもしれないという錯覚に憑りつかれてしまう人です。そして現実から乖離できる特撮イベントやオフ会に依存していくんです。スポットライト症候群という言葉がありますが、過去の善き時代の虜になって現実逃避をする俳優は、オフ会でファンにちやほやされることで、一瞬でも過去の善き時代に戻れた錯覚を覚え、それが忘れられなくなるんです。ひとり孤独に襲われるたびに、特撮イベントを貪る態で待ち望むようになるんです」
「そういうやつらがキチガイファンをさらに増長するんだ! そいつら全員、この世から居なくなっていれば、父は死ななくて済んだんだ!」
「翔、いい加減にしなさい!」
「お母さん! 目の前の棺に誰が入ってると思ってるんだ! やつらのせいで殺されたお父さんの遺体じゃないか!」
時計の鐘がひとつ響いた。午後3時半になった。龍三はこのままでは帰りづらかった。
「翔さん…この北秋田市はね。マタギの地なんだよ。十二山神が見守ってくれている土地なんだよ。この地で人道を犯した者には、
龍三は込み上げてきて言葉に詰まった。大きく息をして言葉を続けた。
「でもね…悔しい時は待とうよ。心静まるまで待とう…きっと…きっとね」
龍三は言葉が続かなかった。翔の気持ちが痛いほど刺さった。龍三が帰る時、淳子ら家族は玄関の外まで送って出た。雪がちらつき始めていたが、ずっと龍三を見送っていた。
阿仁前田駅で電車を待つ間に雪は更に激しくなった。内陸線は数分遅れでホームに滑り込んで来た。降りる客もなく、ここからの乗客は龍三ひとりだった。車両の中は高齢者が殆どだ。そう思った龍三も高齢者の一人だ。この路線が廃線になれば一日数本のバスしかない。ますます閉ざされた土地になる。
列車はすぐに発車した。車両の前方は吹雪いて真っ白になった。運転士は慣れた態で構うことなく加速していった。遅延を挽回しているのか車両の揺れが尋常じゃない。熊にでも体当たりしたら一体どうなってしまうんだろうなどという龍三の要らぬ心配を余所に、姉が住む終点・鷹巣に着いたのは定刻どおりの時間だった。
冬の盆地集落は4時を過ぎれば日暮れが早い。暗くなる前にと、龍三は駅前のタクシーを拾って姉宅に急いだ。
〈第20話「亡霊」につづく〉
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