第9話 リーク要員

「突然、お電話してすみません。どうしても直接お会いしたくて…」

「何か急用でしょうか?」

「松橋さんを訪ねて東京へ行ってもいいでしょうか?」

「私を訪ねてですか? 電話では済まない要件ですか?」

「…はい」


 龍三は、この電話の女・長谷霧子は女部田の送る第二の刺客であることに確信を持っていた。女部田の仕掛けは、この日を遡ること一年程前のミニオフから始まっていた。女部田は都内で、アニアイザーの松橋龍三、スペースサーフィン戦隊の鍋島峻作、地蔵戦隊アミダマンの村木志郎をゲストに招いて、少人数制のミニオフを主催した。宴たけなわの途中で龍三を宴席の外に呼び出して、大阪に住む霧子からの電話に取り継いだ。既にこの時、龍三と霧子の東京でのツーショットのお膳立てを目論んでいたのだ。しかし、龍三は違和感を覚えた。霧子の本命は、今宴席の中にいる女部田イベント常連の鍋島のはず…それなのに、なぜ彼に内緒で宴席の外に私を呼び出したのか、龍三の本能が即座に危険を察知した。宴席に戻った龍三は即、鍋島に霧子の電話のことを伝えた。


「君の熱烈なファンが上京して来るんだってね」

「あ、そう…でも今回は別に僕を訪ねて来るわけじゃないから…」


 霧子が訪ねてくることを既に鍋島は知っていた。龍三は確認のために駄目押しをした。


「君のファンなんだから、君が会ってやりなよ」


 すると鍋島はあからさまに話題を逸らした。そういう事かと龍三はこの時点で、鍋島が完全に女部田のコントロール下にある事を確信した。


 杉渕の情報は確かだった。女部田の仕掛けは美人局風で古式だが、異色特撮作品『シャドーヒーロー』の加藤を初めとして何人かのゲスト俳優が簡単に事後のリークの罠に落ちてオフ会のゲスト参加を断れない状態になっているのは事実だった。 それにしても、なぜ鍋島が霧子の上京を自分ではなく龍三に会いに来ると強調しているのだろう。


 当時の鍋島は、女部田の紹介で龍三の劇団に在籍していた。鍋島ファンが、鍋島を置いて龍三を指名する意味がどこにあるのだろう。しかし、女部田が何らかの意図を持って霧子に鍋島ファンを装わせていたとしたらしっくり来る話だ。次に霧子から電話があった時が、女部田の龍三落としのゴーサインなんだろうなと思った龍三は、二次会を辞退して、その足で後援会の嶋田に連絡し、対策を打ち合わせることにした。とにかく、問答無用で俳優側の落ち度になってしまう素人異性との2ショットだけは避けなければならないということになった。


 霧子からの電話で、龍三は今回も沙世・沙希姉妹に連絡し、事態への協力を仰いだ。霧子とは夕刻の銀座線浅草駅ホームのベンチで待ち合せすることになっていた。それより早く、龍三は一つ手前の田原町駅ホームで妹の沙希と合流した。霧子は、龍三が劇団員女性を連れて浅草駅ホームに現れたのを見て一瞬驚いた風だったが、すぐに平静を装った。


「お待たせしたようで…紹介します。長谷さんのために浅草に詳しい劇団員の新田沙希を連れて参りました」

「新田沙希です。今日は私が案内役になりますのでよろしくお願いします」

「長谷霧子です。お会いできて嬉しいです。あの…勝手で申し訳ないんですが、靴屋に行きたいんです」

「どうしたんですか?」

「途中で靴擦れを起こしてしまって…」

「じゃ、一番近い靴屋にご案内します。駅を降りたらすぐ斜め向かいにあります」


 龍三たちが改札に向かおうと歩き始めたが、霧子はベンチを立ったまま動かなかった。


「どうしました?」

「靴擦れが痛くて…」

「手を貸してあげて」


 龍三は沙希に頼んだ。反対ホームでさっきからこちらに気を注いでいるマスクに帽子の絵に描いたような不審な男を見逃さなかった。霧子は彼女の肩を借りて靴屋まで歩いた。霧子が選んだサンダルは劇団の予算でプレゼントすることになった。龍三は奥で会計をしながら、店前を通り過ぎる駅ホームでの不審な女部田似の男と目が合った。その手には役割を果たせなかったカメラが不愉快そうに握られていた。

 その後ろを龍三の後援会の姦しい三大パワフルマドンナたちが会計中の松橋にピースサインを送りながら通り過ぎて行った。彼女たちは龍三の一大事とあって、昨夜から龍三が霧子に指定された待ち合わせ場所である特撮ファンの聖地・中野に集合ついでに一泊二日の老女子会を開いていた。今日は朝から駅前プラザのケーキ食べ放題の店で二段腹の源を満喫していると、偶然にも同じ店で霧子と鍋島のツーショットを発見したのである。二人が席を立つのを見て、ケーキに後ろ髪引かれながらも好奇心が勝って、そのまま霧子たちの足取りを捉えていた。


「龍ちゃん、今、お電話大丈夫? …あのね、二人は駅前プラザにいたわよ。それでね、一旦中野駅に入ったから電車移動かなと…」


 鍋島が霧子をエスコートして駅構内から改札に颯爽と現れると、パワフルマドンナの啓子は実況中継に入った。


「違ったわ! また二人で奥から改札に下りて来た! 丁度、沙世ちゃんが改札に着いた。二人は今着いたばかりのフリをして沙世ちゃんに何か話してる…」


 鍋島らは、改札に龍三ではなく沙世が居ることに驚いた。


「鍋島さんもご一緒でしたか」

「朝に霧子さんを新幹線駅まで出迎えた足で この改札まで送って来たんだ」


 鍋島は “この後の御持て成しはオマエがやれ ”と、霧子を龍三にバトンタッチして帰る手筈だった。ところが、二人を出迎えたのは沙世だった。この展開は龍三が予想していたとおりだった。台本どおりが現実に起こるとこんなにも迫力あるものかと沙世は思った。強烈なデジャブーで心臓が飛び抜けるほど鼓動が高鳴ったが、必死に笑顔で平常を装った。


「松橋さんは仕事で夕方まで空かないので私が代理でお迎えに上がりました」


 意外な沙世の登場に仕方なく帰ろうとする鍋島を、沙世は引き留めた。後援会の指示どおりに半ば強引に二人を最寄駅にあるホテル地下のボーリング場に案内した。伊藤の実況中継が続いた。


「あっ、沙世ちゃんが予定どおり二人を連れて次の現場に向かうみたい! じゃ、あたしたちも予定どおり次の現場に先回りするわね!」


 パワフルマドンナたちが地下のボーリング場の予約レーンでシューズを履いてると、沙世はひとつ置いた隣のレーンに、霧子と鍋島を案内して来た。


「夕方浅草駅のホームで会うまでの時間を楽しんでもらうようにと松橋さんが言われてますので、ごゆっくりどうぞ!」


 二人は戸惑いながらレーンの椅子に腰を下ろした。


「一応、3ゲーム分は主宰の松橋からのプレゼントとしてお支払いは済ませてあります。どうぞ、お始めください。今、飲み物を買ってきますので…何がいいですか?」

「あ…何でも」

「霧子さんは?」

「私も…」

「そうですか。では適当に選んで持って来ますね」


 二人は居心地悪そうにゲームを開始した。ひとつ隣りのレーンでは、鍋島と霧子への好奇の目がヒソヒソと花を咲かせていた。


「お待たせしました!」


 沙世は自販機の飲み物とサンドイッチが入った袋を椅子の上に置いた。


「私は公開稽古の準備がありますので、これで失礼します」


 沙世はパワフルマドンナたちにアイコンタクトを送り、素早く退散した。


 その夕刻、仕事終わりの龍三は、田原町駅ホームで姉とバトンタッチした沙希と合流してから浅草に向かった。仮病で足の痛いことになっている霧子との浅草散策の予定を中止し、予約した割烹でのお持て成しをしながら、龍三は霧子の前で何度も鍋島に連絡を取った。案の定、鍋島は電話に出なかった。結局、霧子は女部田作戦の任務を果たせずに帰って行った。


「なんか普段の稽古以上に、稽古になったって感じがする…」

「 “日常 ”というのは無意識のうちにかなりの緊張の連続なんだよ。と、いうわけで聞くけど、普段の稽古をどんだけ手抜きしてるんだ?」

「手抜きしてません! …ちょっと油断はしてるかもしれませんが…」

「…だろうね」


 二人は一同の待つ公開稽古の準備に急いだ。


〈第10話「依存症」につづく〉

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