最終話 コレヨリノチノ世ニ生マレテ良イ音ヲキケ
内陸線が鬼ノ子村駅に到着し、龍三は人気のない集落を小学同級の
「来たか…」
龍三は然の家に着いて急いで登山の支度を整えた。二人はこれから鬼ノ子山に登ることになっていた。冬の鬼ノ子山は登り所要時間が優に1時間は掛かる。遅くとも3時には下山しないと危険になる。
二人は数年前の秋にも鬼ノ子山に登っているが、龍三にとって雪の登山は久しぶりだった。然は、龍三の体の衰えを考慮して、数日前に冬の登山道の安全を確認し、ロープを張っていた。然は寡黙だが、龍三には不思議なほど恩義を感じていた。それは小学時代に遡る。かつてこの地域では、貧しい家の子供は学校ぐるみのいじめを受けることが常態化していた。いつものように担任の教師に粗雑に扱われている然を見て、龍三は学校の物置からカマを持ち出してその教師に振り上げた事があった。
「まだやるか、先生!」
村中の大事件になったが、誰も龍三を咎める住民はいなかった。以来、然を粗雑に扱う教師はいなくなった。そんな幼い頃のことを、然は老いても忘れずに恩義を尽くしている。厳しい農家で両親を抱える長男は婚期を逃す。然も例に違わずで、不本意にも独身のままこの歳を迎えてしまった。語り合う友など無く、若い頃は出稼ぎで現金収入を得たりしていたが、父親の他界した今はひとり黙々と田畑や林の世話に明け暮れる生活だ。たまの休みに自治会などで酒の席に呼ばれても、母親が迎えに来てしまう。龍三が東京から然と電話で話している最中にも、奥で母親がもう電話を切れと文句を言うほど、息子依存が年々強くなっている。それでも然は仕方がないよと笑っているのだ。
中腹辺りまで登ったろうか…龍三は息が切れて来た。冬の鬼ノ子山は改めて厳しいと思った。然の張っておいてくれたロープがなかったら登れたのかどうか分からない。同じ年齢なのに、環境によってこんなにも差が出るのかと、数メートル先でにやにやしながら待っている然を見て “おまえはヒーローか ! ”と突っ込みたくなった。しかし、息が上がり過ぎて言葉が出ない。ロープを離すと地獄に落ちそうな自分をその位置に保っているのが精一杯だった。
「大丈夫か!」
大丈夫なわけがない。大幅に遅れてなんとか昼前に頂上に辿り着いた。上から見下ろす冬の鬼ノ子村は僻地そのものだ。絶景ではあるが絶対に住もうとは思えない。ここで生まれた者として、不用意に “こんな景色が毎日見られるなんて羨ましいです ”というやつには “ 一冬暮らしてみろ ”と言いたい…などと、龍三は体力ガタ落ちで到着した自分の中で毒吐いた。
「そんなんじゃ、人っ子一人仕留められねえぞ、龍三」
「・・・・・!」
「やつはおめえひとりの獲物ではねえ」
「・・・・・」
「向松も勢子も、今回おめえが何しに帰って来たか分かってるよ」
「・・・・・」
「ガキの頃さ…オレたちはおめえに気付かされた。学校の先公どもは、貧乏人は弱い者と高括っていた。オレたちもそう思わされてた。貧乏人が学校ぐるみのいじめを受けるのは仕方のないことだと思っていた。しかし、おめえはそれを覆した。以来、オレたちは自分らに害を与える者は先公といえども獲物だと判断した。世間がどれだけ受け入れてるやつだろうが、オレたちの害になる者は獲物なんだ。仲間の害になる者も当然オレたちの獲物だ。この村の害になる者が現れれば、
火葬船の煙突から黒い煙が立ち始めた。龍三は、雪の鬼ノ子山頂からその様子を見て呟いた。
「真っ黒だな」
「悪人はいくら世間への上っ面が良かろうと、あの火葬船で焼かれれば悪行がバレる」
「警察の見解では死因は熊被害だそうだな」
「んだべな。ワラダ猟の帰りには何もなかったな」
然はワラダ猟の帰りに女部田の埋もれた雪壁の前で立小便をしていた。ワラダ猟とはうさぎ猟に使う藁をドーナツ状に編んだ輪状のもので、空中に投げるとうさぎは鷹に襲われたと錯覚して動けなくなる習性を利用したものだ。身動きできない女部田は、ワラダ猟帰りに立小便をしている目の前の老人に必死に助けを求めたが及ばなかった。
「昔から云われてるとおりだ。この村は、善い人だけが暮らす村、悪い人が消える村」
「そうだな」
遺体発見後、検死に回された女部田は熊被害と断定された。冬の集落に下りて来た熊は、偶然にも然の小便した上に埋まっている女部田を襲ったことになる。熊は獲物の頭部に致命傷を負わせ、体当たりで雪の中にひとまず隠したと推定された。その後、女部田の妻が、常態化した夫の浮気現場を押さえようとナガサホテルに宿泊していたことが分かり、警察の任意事情聴取を受けていた。妻は土地の治安に対する激しい問題提起をしたが、警察は特に不審な点は認められないとして早々に結論を出した。遺体は死亡から三日後に妻に引き渡された。
一般に、検死の際には遺族の了承を得てからすることが多いが、裁判所から『鑑定処分許可状』が発行されれば、職権で検死が出来る。その場合、遺族は検死を拒否することはできないが、女部田の場合は妻が同ホテルに宿泊していることが分かって後、激しい抗議を受け、速やかに処理された。もし、遺体に不審な点が見られた場合、司法解剖が行われることもある。しかし、死亡原因が明らかである場合は必ずしも解剖は行われず、目視による確認で済むことの方が殆どだ。女部田は頭部の破損が熊被害と判断され、検死だけで片付けられた。志乃はすぐに鬼ノ子村火葬船で荼毘に伏した。
女部田が幼少期に父親に受け入れてもらえなかったトラウマは、反作用で生まれた強引な支配欲を暴発させ、抑えられないまま煙となった。女部田は女性に対し母の面影を探し、永遠に満たされる事のない “母の愛 ” を求め、同時にその裏返しとして女性蔑視や性錯誤に陥っている事が哀れでならない。男が皆そうだと思っているところに、女部田のもっとも深刻な悲劇がある。女部田の焦燥感を埋められるのは、彼の両親以外にない。それが満たされないがために、誰かを攻撃せずにはいられない血の叫びと、倒錯した性癖に溺れ苦しんだ女部田なのだ。
彼の妻子にすら彼を救う事ができないものを、関係のない第三者に誹謗中傷というSOSを送っても、彼を救う事はできないし、責任転嫁を投げつけてくる相手を、誰が救いたい気になるのだろう。他人に依存せずに己自身の精神力と知能でしか自分の過去の渇望からは立ち直る術はないだろう。幼児期を両親の愛の渇望のままに過ごした子供の哀しい末路だ。
女部田がなぜ嘘を重ねるようになったのか…父親への強い憎しみが窺い知れる。彼の父は特撮ヒーロー番組などに強い嫌悪感を示していた。内緒でテレビを観たり、グッズを欲しがったりしようものなら厳しい罰を受けた。泣いて懇願する幼い女部田に体罰すら与え、父にとっての理想の子に育てられていった。その苦しさを切り抜けるために、幼子は嘘を覚えたのである。
嘘を付かせないための鞭が、もっと周到な嘘を付く子供に育て上げた。嘘を付く事は誰にでもある事で、嘘が全て「悪」とは決められない場合もある。誰のための嘘なのか…、嘘が人を救ったケースだってある。それならば騙されてあげることも愛情のうちだろう。しかし、女部田のように自分だけの事情で他人を傷付ける嘘は別である。その区別を子供の時期に教えてやらなければならなかった。嘘は人を救うためにあるもので、人を犠牲にする嘘は相手だけじゃなく、知らぬ間に自分自身を傷付けている。自己正当化如きのために、リスクの高い嘘の根回しなどという姑息な生き方をしなくても、誤解の中にあっても心から生きていれば、少なくとも自分の良心は幸せであり、健全な良心を持つ人達が自然と集まって来る。
特撮ファンであるがために女部田のような人間が生まれたのか…遠い昔、テレビ界に子供向けのヒーロー番組が登場した。次から次とヒーローが登場するたびに爆発的な人気を呼んだ。誰もがそれぞれお気に入りのヒーローに憧れ、目を輝かせて己の正義を培った。義務教育では誰もが無限の可能性があると洗脳されて育った。必ずヒーローになれると固く信じて育った。
しかし、思春期を越え、徐々に社会に染まっていかなければならなくなる頃、現実の自分があまりに想像と違った未来を迎え、ヒーローとは程遠くなっていく自分の姿を否定しながら、ヒーローになれる場所を探して漂流するしかなくなった。ヒーローに感動して育った年代が中高年を迎えた今、現実社会でヒーローになれた者、なれなかった者が、決して合流し得ない社会人になってはいるものの、ヒーロー番組を通じてのその熱い想いで互いの距離を縮める事はできるようになった。気の合う特撮ファン仲間と、特定のヒーロー番組の同好会を作り、知識の自慢や研究を重ねるうち、それだけに飽き足らずに、ヒーロー番組出演者本人とのコンタクトを望むようになった。社会生活で培った百戦錬磨の “ヨイショ ”や、経済力を付けた今、付け焼刃の “贈り物 ”を武器に、憧れの特撮ヒーローをゲストに呼ぶところまで漕ぎつけて、やっと立ち上げたイベントに、ファン仲間からは大絶賛を浴びることが可能になった。ヒーローにはなれないまでも、特撮ファン界のカリスマになら、なれそうだと夢を馳せることは誰にも止められない。その勢いのまま、妄想はいつしか一人歩きが先行するようになった。
瓦解前夜…
特撮ファン仲間や番組出演者の親切心を逆手に、いつの間にか、その何れも自分がカリスマになるための道具でしかなくなっていることに、何の違和感すら覚えなくなった。共に発起人となったヒーロー番組同好会の仲間さえも、同じ道具扱いをするようになった。イベント共催者など単なる下僕であり、オフ会に群がる特撮ファンなどグッズをちらつかせれば群がってくる蛆虫だとすら思うようになった。それどころか、贈答品やおべっかに簡単にその気になる特撮ヒーローどもの、なんと軽薄に見える今日この頃だろう。方針に異を唱える蛆虫がいれば、ファン仲間であろうが、憧れたはずの出演者であろうが、その時々だけの従順な下僕を使って弱みを “デッチ上げ ”て、見境なく精神的集団リンチを科せば簡単に従順になりやがる。その結果、皆が屈しての連戦連勝。下僕が下僕を生んでいく。井の中の征服欲を存分に満たし、妄想は益々エスカレートしていった。
そんな女部田の姿に妻は危機感を持った。女部田の横暴さは同業者との対立を生み、家庭内でも殺伐とした空気が日常になっていた。夫の変化に、妻の志乃は思い余ってその不安を声にした。
「あなた…イベントを主催することでストレスが溜まってるんじゃない?」
「・・・・・」
「仕事のほうにも支障を来してるみたいだし…ほどほどにしたほうがいいんじゃない?」
「ボクの趣味だから…」
「あの子も心配してるのよ」
「ボクの趣味に口出ししない約束でしょ」
「趣味にしては持ち出しが多過ぎるんじゃない?」
「ボクの稼いだ金だ。君には充分な生活費を渡している」
「そういうことを言ってるんじゃないのよ。あなたの趣味にお金を使うのは構わないけど、もっと有意義なことに…」
「約束を破ったね」
「え?」
「君は約束を破った…ボクの趣味に口出ししないというのが結婚の時の約束でしょ!」
「そうよ、あなたのためになることなら口出しなんてしないわ、でも…」
「口出しするな! 口出しするなと言ったら口出しするな!」
「あなた、冷静になって!」
女部田は突然奇声を発して志乃の頭を殴った。その勢いで志乃は壁に体を強く打ち、ズルズルと倒れた。
「ボクに口出しするな!」
「あなた…どうしちゃったの?」
女部田は志乃の頭から出血していることに気付いた。
「ほら、血が出たじゃないか…だから、ボクに口出しするなと言ったんだ」
「・・・・・」
志乃は、いつものようにパソコンに向かった夫の指が、ガクガクと震えるのを見ながら、もう何もかも終わりにしないとと思いながら気を失っていった。
女部田が特撮ファンであるのか否かなど論ずる意味もない。たまたま心にトラウマを抱えた人物が特撮ファンであった場合、その人物の周囲の特撮ファン全体が同一視され、巻き込まれ、迷惑を蒙る。自分はあいつとは違うと力説しても、交流が続く限り、同一視は避けられない。社会の目は、それを区別するほど寛大ではない。違うと力説すればするだけ同じなのだ。社会の目は、行動が伴わず結果を出さない風見鶏を信じない。特撮番組から正義を学んでも、異常者に対して何ら反対行動を執らなければ、結局同類扱いに甘んじるしかない。特撮ファン界のカリスマになるまであと一歩と思ったその時…最も嫌いな “現実 ”が牙を剥いた。その虚言のバリヤが雪崩の如く剥がれ、痛々しい醜態が雪壁に露わとなった。
よく見ておこう…誰もが成り得る暴走の果ての糞溜り中毒のカリスマの勇姿を!
ひとりの特撮オタの暴走で “類は友を呼び ”、特撮オタに対する偏見の輪が広がって行く。特撮オタへの今以上の偏見の輪は、女部田の死によって少しだけでも食い止めたことになろうか…いや、特撮ファンへの世間の偏見に輪を掛けただけではないのか? この男の死など誰にも関心がないし、社会には何の影響も与えはしない。二日前、この男の主催したオフ会に参加した特撮ファンにしても、帰途の車中ではもう遠い過去の思い出したくもない記憶になりつつあろう。散々持ち上げられて参加したゲスト俳優はどうだろう。うざい特撮オタが消えて清々した瞬間、その眼中にすらなくなったことだろう。記憶に残る者があるとすれば、峰岸の死による家族の私怨だけだ。
鬼ノ子山の頂上に立つ龍三と然の背後にツキノワグマが現れた。
「久しぶりだな、久太郎」
この久太郎の親熊は、かつて然が狩りで仕留めていた。これはその子熊である。その小熊が今のように一人前になるまで、然はこの鬼ノ子山頂を起点に餌を与えて面倒を見ていたのだ。龍三も帰郷するたびに然と山頂に登り、可愛がっていた熊である。今や久太郎は二頭の小熊を連れて現れた。龍三に駆け寄って撫でてもらう小熊たちを見る久太郎の目は母親の目だった。然はカマスに包んだシカ肉や木の実を久太郎の前にドンッと置いた。
「子供たちに食わせろ」
然がそう言うと、久太郎はカマスを銜え、二頭の小熊を連れて静かに雪山に消えて行った。
龍三は再び火葬船に目をやった。黒い煙は風雪の空に拒まれ、千切れながら昇っていた。龍三は、獲物を仕留めたマタギの呪文を唱えた。然は龍三に続いた。
「
火葬船の煙突から煙が消え、鬼の子村の寒空に汽笛が響いた。
「終わったな、龍三」
「いや、始まったんだ」
然は龍三を見た。
「次は仮病野郎の番だ…誰も逃がさない」
龍三の口元が微笑んだ。
「…だよな」
里に颪が下り始めていた。
「…どれ、荒れる前に下りるか」
遺骨を引き取った女部田の妻が無表情で火葬船の雪の桟橋を降りて来た。彼女はハンカチで目頭を押さえながら、内陸線までの送迎車に乗り込んだ。藤島刑事は発進する窓越しの彼女を見て “おや? ”となった。彼女の口元は微笑んでいた。
〔 完 〕
特撮オタ 伊東へいざん @Heizan
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