第16話 発作

 その頃、女部田はホテルの部屋で一人苦虫を潰していた。


「このオレ様に三龍さんりゅう以外にも牙を剥くやつがいる…父親にしか圧し折られたことのないこのオレ様の鼻を、三龍は圧し折りやがった…今度は特撮ファンのくせにこのオレ様の鼻を圧し折ろうとするやつが現れたか…ただじゃ済まさない」


 女部田にとって、絶対にあってはならない例外が起こった。龍三には、どんな周到な手を使っても全く効果がなかった。龍三を潰して、鍋島のように、村木のように、下僕にするどころか敵に回してしまった。そればかりか三龍は今までのオレ様の手口を晒し、想定外のソースまで流し、現実を突き続けている。女部田は、三龍だけでなく変身丸一派も早急に叩き潰さなければならないと焦るばかりだった。

 しかし、女部田の現状把握はそれでも甘かった。女部田の主催イベントに参加経歴のあるゲストだけでなく、周囲の俳優たちも、彼が特撮ヒーローへの粘着枠を徐々に広げている悪質なクレーマーヲタクに変身した事を知って、最早他人事とは思えず交流を警戒するようになっていた。女部田の甘い微笑の愚夢から覚めた賢い特撮ファン仲間も、“同類 ” に思われたくないと、気付かれぬよういつの間にか女部田からフェイドアウトの態勢を取った。今まで女部田に同調して、特撮俳優やファン仲間に苦痛を与えていた2ちゃんねるの物欲外野連までが、目立たぬように、ひとり去り、二人去りしていった。女部田は、こいつら正義のヒーロー番組を観て風見鶏を学んだかと歯軋りをして全身を震わせた。しかし女部田は誰一人思うままにならなくなっているとは思いたくなかった。今回のオフ会を開催する以前に、無理に決行した最後のオフ会では、参加者は二桁を割り、3名のファンより多いゲスト4名という惨憺たる結果となってしまったことなど、記憶から消し去ったはずなのに、今、目の前にその時の映像がくっきりと再現されている。女部田は奇声を発した。


「テメエら沢山グッズあげたじゃないか!」


 そんなことを叫んだところでどうなるわけでもない。女部田の乖離は激しくなっていた。頻繁にハンドルネームを変えて、知るサイトに片っ端から尽きることのない再コメントを試みた。僅かばかりではあるが反応があっても最初だけで、すぐにブログ管理人に違和感を覚えられ、逆に自分の姿が余計浮き立って、すぐに正体がバレるようになった。女部田は自らの手で、特撮サイト全体に広く恥を晒してしまう結果となった。思うに任せて思いどおりにならない他者を叩いている間に、その全ての存在が松橋龍三の企てだと思うようになった。


「こうなったのは、全て三龍のせいだ!」


 女部田の思考は常にそこにゴールするようになった。毎回、お決まり儀式のようにその結論に至ると、腸が煮えくり返り、次に全身が痙攣し、呼吸が苦しくなり、そこから脱するためにひとり奇声を発するようになっていた。ある日、そんな女部田を目撃した妻の志乃は、専門医に相談することを薦めた。頑として拒否していた女部田だったが、興奮のあまり仕事先で取り返しのつかない粗相をしてしまった。お漏らしをしてしまったのだ。焦った女部田は妻の薦めを受け入れて専門医を訪れた。診察が済んで、心療内科の薬を手にした時、女部田の自尊心は液状化するように崩壊していった。その向こうに三龍の笑う姿が現れ、強い怒りが込み上げ、肺ごと飛び出すかのような奇声を発した。患者の発作に驚いた看護師が数名駆け付けて来た。妻は入院を勧める看護師らに取り敢えずの体裁を繕い、心療内科を後にした。これまでにも時折見せていた妻へのDVが激しくなったのは、それから間もなくのことである。


 そして今、女部田はナガサホテルの自室で、ひとり “オフ会失敗の敗北感 ”と闘っていた。絶対受け入れることのできない現実が、両手首から肘に掛けての痺れとして女部田を襲っていた。女部田は分かっていた…次にどうなるのか…そして、それはやって来た。

 背後にいつもの気配を感じて慌てて振り向いた。


「三龍! 全部おまえのせいだ! オフ会が台無しだ! 今回は…今回はボクにとって大切なオフ会だったんだぞ!」


 松橋龍三がそこに立っているわけもなく、女部田のいつもの発作の症状だ。女部田に見える三龍が消えた。


「また逃げるのか! 卑怯者! なぜいつもコソコソと陰でボクの邪魔をする!」


 女部田の発作は一気に頂点に達し、激しい呼吸と虚ろな目で空を彷徨い始めた。その視線が闇の窓ガラスに止まった。そこに映る自分の姿…その姿が見る見る老いて醜悪になっていく。


「やめろ、三龍! おまえが見せている幻覚だということは分かってるんだ! いつまでボクを呪う! ボクがおまえに何をした!」


 突然窓ガラスが破裂して粉々に散り、その破片の全てがスローモーションで女部田に迫って来た。女部田は必死に破片を避けて、机の上のPCに手を届かせた。ベッドの陰に隠れて、急いでPCを起動し、自分の立てた龍三叩きのスレを開いた。


「こうしてやる!」


 女部田はヒステリックにキィボードを弾き、自分の立てた複数の龍三叩きのスレを忙しくサーフィンしては連投し続けた。ガラスの破片が逆戻りを始めた。女部田は微笑を浮かべた。


「見ろ、三龍! おまえはボクに適うはずがない」


 窓は元どおりになり、三龍の姿も消えた。厳寒のホテルは暖房が機能してても肌寒い。しかし、女部田の額からは汗が垂れていた。発作がやや落ち着いたかに見えた女部田の目が凍り付いた。自分の連投レスの次に即座に何者かのレスが付いた。慌てて自分の立てた他の板を確認して回ると、全てに同じレスが付いていた。


------------------------------------------------------------------

■また発作が起きたかチキン豚 wwwww

------------------------------------------------------------------


「誰だ! …こいつ、誰だ…」


 女部田は怒りで震えた。さらにレスが続いた。


------------------------------------------------------------------

■チキン豚の未来

 肉から骨から全部溶けるアスファルト道路になっちゃうかな?

 それともペット用の移動火葬車で粉々に焼かれんのかな?

 それとも廃棄物処理場で苛性ソーダ風呂にでも入れられんのかな?

------------------------------------------------------------------


 女部田は、この時初めて身の危険を覚えた。三龍一派以外にこんなレスを…誰が…全く考え及ばなかった。


「誰だ…」


 連投レスがさらに容赦なく女部田の目を刺す。


------------------------------------------------------------------

■ほらほら、また発作が起きるよチキン豚 wwwww

------------------------------------------------------------------


「誰だ! 誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だーッ!」


 女部田は絶叫したまま、見えない相手への怒りと恐怖で固まった。自分の立てたスレを更に一周すると、その全てに同じレスが連投されている。女部田は失禁に気付かないほど己を失っていた。そして、女部田はその背後にまた気配を感じた。


「三龍! やはり、おまえが陰で糸を…」


 そういって振り向こうとするが、どうしても体がいうことを聞かない。小刻みな震えが始まり、口から喉にかけて真綿で締め付けられるような感覚で息が出来なくなった。息をしようと必死にもがいていると、その背後の何者かによって首を持ち上げられ、激しくドアに叩き付けられた。やっとの思いで振り返ると、女部田の目の前に現れたのは巨大な熊だった。


「おまえはここで死ぬ」

「熊が喋るはずがない…これは三龍の見せている幻覚だ!」


 熊の手が袈裟懸けに振り下されて、女部田の脳天を貫いた。リアルな苦痛に、女部田は大きな悲鳴を上げて気を失った。


 深夜のPCのあかりが、二人の男らの薄ら笑いをぼーっと照らしていた。その後ろで浜野愛海がふんぞり返っていた。


「愛海ちゃん、しっくりさせたるからよ」


 この二人は浜野賢造が面倒を見ているボクサーくずれの柳勝利と金子健だ。金子は地元の特撮ファンでもあり、女部田に架空のおいしい共催イベント話を持ちかけて、数日後に会う約束を取り付けていた。


 どのくらい時間が経過したのだろう…女部田はドアを叩く音で跳ね起きた。部屋を見回したが荒れた様子もなく整然としていた。ドアに寄り掛かったままボソボソと呟いた。


「三龍のせいで散々な目に遭う…オフ会がまた台無しだ。…それもこれも全部、三龍の差し金に決まってる。ボクがなぜここで死ぬんだ! ボクには大きなイベントの依頼だってある! ボクは求められている存在なんだ! …三龍…三流俳優のくせに、松橋龍三!」


 女部田の発作の要因は『変身丸紀行』の管理人・谷崎との衝突に因る自ら撒いたストレス以外のなにものでもなかったが、結局、龍三を恨むことで全てを納得しようともがくしかなかった。起き上がろうとして突いた手の先に、女部田はドアの外から差し込まれたメモを発見した。


〈第17話「5時15分」につづく〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る