第15話 峰岸の死
峰岸は救急車で北秋田市合川地区にある北秋田市民病院に運ばれ、一時は小康を得ていたが、深夜になって再び急変し、ICUで一進一退の状態が続いていた。娘の
「お母さん、なんで出席させたの!」
「あの人、責任感が強いから…お金もいただいてしまってたし…」
「そんなの迎えに来た時に付き返せばよかっただろ! 何が特撮ファンだよ。自己満足のためなら人殺しまでやる頭のおかしなオタク野郎じゃねえか」
「そんなこと言うもんじゃないよ。お父さんの番組を好いてくれてる人たちなんだから」
「じゃ、お父さんはどうなんだよ。お父さんの命を犠牲にしてまで大切にしなきゃならない連中なのかよ」
「まともな人たちなら、病人を引っ張り出してまで自分たちのエゴのオフ会なんかやらないでしょ」
「気が狂ってる証拠だよ!」
「あたしが…無理にでもお断りすれば…」
淳子が声を殺して泣き崩れた。寿里と翔は母親に怒りをぶつけている自分たちに嫌悪を覚え、それ以上責めることができなくなった。
「…くそ、このままうやむやに済ますのは納得がいかない」
翔はナガサホテルの女部田に抗議しようと病院を飛び出した。表玄関で入れ違いざまに成沢とぶつかった。
「すみません!」
翔が玄関に出たところに、丁度、ナガサホテルの送迎バスが停まっていた。
「翔くん?」
声を掛けたのは成沢を送って運転してきた支配人の向松だった。
「このバス、ホテルに戻りますよね、向松さん!」
「成沢さん!」
向松は病院に入ろうとする成沢を呼び止めた。
「彼、峰岸さんの長男の翔くんです」
「あなたが…初めまして、お父さんと番組でご一緒させていただいた成沢です」
「…どうも」
「今日、久しぶりにお会いしまして、あなたのお話を伺ったばかりです。嬉しそうに話しておられました」
「成沢さんは、お父さんのことを心配して…冬場でタクシー呼んでると遅くなるから、送って来たところなんだよ」
「お父さんの具合はどうですか?」
「・・・・・」
「案内してもらえないかな?」
翔は成沢の言葉を遮って向松に懇願した。
「向松さん、ホテルまで乗せてってください!」
「ホテルに? ホテルに何か用があるのかい?」
「兎に角ホテルに乗せてってください! イベントの担当者に言いたい事があるんです!」
「翔さん、あの男と話しても無駄です」
成沢が厳しい表情になった。
「・・・・・?」
「あの男はまともな話のできる人間ではありませんよ」
「キチガイだということでしょ、分かっていますよ。特撮ファンは皆キチガイなんだ。でも、ボクはこのまま引き下がるつもりはないんです! 彼は私の父を死の淵に追いやって、用が済んだら此のままのほほんと東京に帰るだけです。帰しませんよ、ボクは! このまま帰したら一生後悔する! 向松さん、早くホテルまで乗せてってくださいよ!」
「翔さん、キチガイに関わる時間があるなら、お父さんの傍にいてあげたらどうですか?」
「あなたは特撮ファンにちやほやされたくて、この片田舎に来ただけじゃありませんか! 黙っててください!」
「翔、なんてことを言うの!」
姉の寿里が来ていた。
「姉の寿里です。弟が失礼なことを…ほんとに申し訳ありません!」
「峰岸さんのお嬢さんですか…翔さんのお気持ちは分かります。私も今回、来ようかどうか迷ったんですが、峰岸さんにお会いできると思い、イベントの参加を承諾したんです。それが峰岸さんのお体にご負担を掛けることになってしまって…」
淳子が青い顔で駆け寄って来た。
「お父さんが!」
一同は淳子に続いた。ICUに駆け付けた一同の目の前を、処置台の峰岸が運ばれていった。通りすがりに看護師が淳子に声を掛けた。
「再検査が必要になりましたので、ここでお待ちください」
一同はその場で茫然と見送るしかなかった。淳子はやっと成沢に気付いた。
「成沢さん…わざわざ来て下さったんですか?」
「何ができるわけでもないんですが…」
「こんなことになってしまって、折角の会を…申し訳ありません」
「いえ、私のほうこそ参加を見合わせるよう勧めれば良かったと、後悔が…」
「あの人は、成沢さんに会うのを楽しみにしておりました」
淳子はそのまま何も言えなくなって顔を覆った。寿里は淳子を椅子に座らせた。成沢は翔に話し掛けた。
「翔さん、お父さんの容体が落ち着くまで傍に居てあげましょうよ」
翔は頷いた。成沢は、隅のほうで居場所を失っていた向松に近付いて行った。
「向松さん、いろいろとありがとうございました。どうぞ、ホテルにお戻りください」
「成沢さんはどうなさるんですか?」
「今夜はここで様子を…明日、内陸線の始発を待って、鷹巣経由で帰ろうと思います」
「そうですか…ではお気を付けて」
向松は帰り際、翔に声を掛けた。
「翔くん」
「・・・・?」
「おまえは長男なんだ。こういう時こそ、しっかりしなさいよ」
「…はい」
成沢は向松を玄関まで見送った。ほんの十数分の間だったが、ホテルの送迎バスには十センチほどの雪が積もっていた。
「病院前から鷹ノ巣行のバスも出てますから。内陸線に乗るなら合川駅で降りればいいです」
向松はそう言って深夜の雪道を去って行った。
成沢が向松を送っている頃、看護師が急いで淳子たちを呼びに来た。
「意識を回復しました! 急いで来てください!」
淳子らは看護師に続いた。検査室で医師が叫んでいた。
「峰岸さん! 奥さんが来ますよ! 子供さんたちも来ますよ!」
淳子は峰岸に駆け寄った。
「あなた! がんばって!」
「・・・・・」
「あなた!」
「…淳子」
「寿里! 翔! お父さんに声を掛けて!」
「…お父さん」
「お父さん!」
寿里も翔もそれ以上言葉が出なかった。峰岸は淳子と寿里と翔に確かに笑顔を送った…そのまま、視線は宙を彷徨い始めたが、淳子は夫の唇に “ありがとう ”を聞いた。そして、そのまま峰岸は昏睡状態に陥り、目覚めることなく日にちの替わった未明に大きな呼吸をひとつして息を引き取った。
家族の悲痛な泣き声が、廊下でひとり佇む成沢に届いていた。
「成沢くん…」
背中から声を掛けられた。振り向いたが誰もいなかった。薄闇の先の白壁の時計に目をやると5時15分を指していた。成沢に強い悲しみが込み上げた。
〈第16話「発作」につづく〉
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