状況が混迷しているときにこそ外部から厄介事が舞い込んでくる ③

 奥羽山脈を横断する国道四十六号はその地形上、トンネルや橋が数多く設置されている。この先、岩手県と秋田県の県境には全長二.五キロメートルの仙岩トンネルがあり、そこを抜けると短いトンネルがいくつも連続する。陽光に照らされる青の峰峰もしばらくはまともに眺められないな、と僕は緊迫した状況には相応しくない感想を抱いた。


 彼らもそういった感情を持ち合わせているのだろうか。

 バスの後方には三台のバイクが走っている。つかず離れずの位置だ。先ほどまで自分の脚で僕たちを追ってきていた黒男は中央のバイク、そのタンデムシートに座っていた。彼がリーダー格なのだろうか、やけにフェイスガードが角張ったデザインで、他の者と異なっていた。


 それにしてもなんと生きた心地がしない光景だろう。黒の大型バイクに迫られる、それだけでぞっとしてしまうというのに、恐怖を煽る要素があまりにも多かった。四人の超人、発砲の好機を窺い照準を合わせられたライフル、そして、一向に乱れの生じない隊列。同じタイミングで同じ挙動をする超人たちの統率は昆虫の群れを連想させ、無機質な恐怖をさらに倍増させた。


 囲まれるようなら遠慮なく幅寄せしてくれ。

 相手は超人だ、たかが交通事故で重大な負傷をすることはない。僕は一郎老人の言葉をそのまま広岡に伝えていた。広岡も一応の納得をしていたもののその機会はいつまでたってもやってこなかった。

 追っ手たちがバスに接近してこない原因は簡単だ。

 ミヤコの魔法を警戒しているのである。


       〇


 超人機関の追っ手たちはバスに追いついた直後、当然、足止めのための発砲を行った。バイクのステップに立ち上がった黒男には一切の躊躇がなかった。鳴り響いた銃声が周囲の山肌に衝突する、反響する音を切り裂いて弾丸が進む。

 しかし、そこで生まれたのは奇妙な空白だけだった。

 バスは変わらず、滑るように走り続ける。わずかにふらついたため、過たず着弾した事実を何とか認識したが、その程度だった。タイヤの破裂音はおろか金属がぶつかる耳障りな音すら鳴り響くことはなかった。


 事前にミヤコの魔法を目の当たりにしていた一郎老人たちでさえ困惑したのだから、僕たちのことなど知らない黒男は事態をまったく把握できなかったに違いない。彼はわずかな間をおいて、迷いを晴らすかのように二発、立て続けにさらなる発砲を行った。

 狙っていたのは右の後部タイヤとリアガラスだった、と、思う。

 もちろん確証などあるわけがない。銃口の向きと、破壊して効果的な場所はどこか、という判断材料から立てた単なる当てずっぽうだ。

 そして、その予想は的中した。


 超人の身体能力は一般人と比べることすらおこがましい。足場と目標の両方が絶えず動く状況下でありながら、黒男の狙撃は正確に狙った場所へと着弾した。

 同時にバスが仙岩トンネルへと突入する。緑色だった視界がコンクリートとオレンジの光にすり替わる。追っ手たちがミヤコの魔法の強力さを――少なくとも、バスの中に異常な存在がいると認識したのはそのときのことだ。

 発射されたライフル弾はリアガラスの中央に直撃した瞬間、まるでビデオを一時停止したかのように直進を止めたのである。しかし、回転は続いている。独楽のように一点で回り続けた銃弾は低圧ナトリウムランプの灯りで赤銅色に染まり、やがて重力に引かれて地面へと落下した。


 物体を元の状態に戻す――。

 ミヤコの魔法は非常に曖昧で、かつ、厳密なものだ。

 曖昧なのはその定義である。「元の状態」とは彼女が思い描く元の状態であり、それはあくまで主観的な現実に左右される。彼女が「走っているバス」を認識しているならば、例え魔法の範囲の中であってもエンジン内で起きる爆発が止まることはないし、タイヤが逆に回転することもない。

 厳密なのはその精密性である。彼女が本気を出したとき、物体は寸分の狂いなく「元の状態」へと戻っていく。その速度はライフル弾の比ではない。弾頭が接触した瞬間、魔法は破損を検知し、即座に窓ガラスを修復する。修復し続ける。その結果、弾丸はガラスの表面を穿つことすらできず、やがて運動エネルギーを失ってしまうのだ。

 つまり、今このバスには即席の防弾加工がなされている、ということだ。事態を解決する攻撃的な策ではないが、それでも命を落とす危険性が激減したのは間違いなく、バスジャック犯である仲間たちの表情にはわずかながら安堵の色が差し込んでいた。


       〇


 これがおおよそ二分前の出来事である。

 以来、僕たちと超人機関の追っ手たちとの間には不気味な平穏が生まれていた。黒男たちは攻めあぐねているのか効率的な打開策を考えているのか、一向に手を出してきていない。トンネルの中にはどこか間延びした走行音だけが響いていた。

 バスは秋田県へと突入する。

 車内に満ちていた緊迫感はミヤコの魔法によりかすかに弛緩していた。それだけで僕には非常にありがたかった。ヤシマユミによる爆弾製作の進捗状況は確認すらできないため、待機の時間がとてつもなく長く感じられていたからだ。今後、作戦がどのように変化しても核となるのは彼女の爆弾であり、組み上げられるまでにはもう少し時間を要するだろう。その間に精神が摩耗するのは是が非でも避けたいところだった。


 僕は運転席そばに立ったまま、状況を再確認する。正面、中央に空いたトランクルームへの穴の手前にミヤコが蹲っており、右手には一郎老人が、左手には花子夫人が九十二式拳銃を構えて窓に顔をつけていた。太郎少年はトイレ付近の座席に起爆装置を持って陣取っている。万が一を考え、彼には相手に姿を見せないように、と指示を与えていた。

 膠着状態は続く。トンネルは長く、ぽつぽつと灯る橙色が前後に数え切れないほど連なっており、その無限回廊にも似た景色に広岡は苛立ちを表していた。幽霊となってからまだ一日も経過していない彼は頻繁にルームミラーを確認し、膝を大きく揺すった。


「おい、唐沢あ」

「どうかした?」

「お前、ユーレイってこんなん普通なのかよ」

「これが普通だったらとっくに成仏してるよ」

「……だよな」広岡は顔を大きく歪める。「さすがにこれじゃ生きた心地がしねえ」

「まあ、広岡くんはもう死んでるから、大丈夫大丈夫。安心して暴走してよ」


 そりゃそうだけどよ、と彼は苦笑し、それから「何でこんなんになってるんだよ」と心底辟易した声を出した。

 決まってるじゃないか、と僕は頬を緩める。決まってるじゃないか、偶然だよ。


 僕とミヤコが同じ街に留まることはほとんどない。社会の枠組みから外れて各地をぶらぶらと放浪している僕たちがこのバスに乗り込んだ理由は偶然という一言で済ませられてしまう。この時期にたまたま仙台にいて、なんとなく秋田へ向かおうと決めただけだ。

 そのバスを、さまざまな人がそれぞれの目的のために使った。下山とヤシマユミは心中場所として選び、超人一家は逃走手段として乗車し、銀行強盗はおそらく捜査を攪乱するために利用した。その他の乗客は旅行か里帰りだろうか。


 そこに、広岡くん、きみが途中乗車してしまっただけなんだ。


 ……あるいはすべての出来事がわずかながら関連している可能性もある。

 超人一家は爆弾魔を追って関西から東京までやって来て、機を見て逃げ出した。ならば逃走先は北しかないだろう。爆弾魔は何かに絶望して乗客を巻き込む心中を企てた。そこでバスの進路を思い出の地へと変更させるために大雨で緩んだ地盤を爆破したという。その雨の中、暴走行為を楽しんでいたから広岡は事故に遭遇した。そして幽霊となり、霊媒体質の下山が乗っているこのバスに引き寄せられることになった。銀行強盗たちももしかしたら何らかの狙いがあったのかもしれない。たとえば乗客が少ない時間帯を選んだ、だとか、気弱な運転手を狙った、だとか、バス会社の混乱した連絡系統を幸いに、だとか。

 賢しく理論立てて物事を関連づけようとしたら大なり小なりすべての事実に関連性を求めることができる。しかし、結局は偶然の産物に過ぎないのだ。偶然の結果、僕たちはバスジャック犯となり、バスジャック犯であるから警察のような国家的組織である超人機関の追撃を受けている。


「広岡くん、僕も幽霊をやって長いけどさ、こんな経験はなかなかないよ」

 緩いカーブにさしかかり、広岡はハンドルを右に切る。「だろうな」

「でもさ、こうも言える。人生って基本めちゃくちゃなんだ。筋書き、みたいなものを見ようとしてるからそれっぽいものが浮かんでくるだけでさ」

「何が言いてえんだよ。だから人生は楽しい、とかそういうことかよ」


 広岡は後ろを一瞥し、ハンドルを戻す。教科書じみた言葉を唾棄するかのように舌を出している。彼も少し状況に慣れてきているらしかった。


「まさか」と僕は返す。「人生は楽しい、なんて言うつもりはないよ」

「じゃあ何だよ」

「人生はめちゃくちゃで、辛くて苦しいことばっかりだ。じゃあ意外と何をやったっていいとは思わない? 後で笑い話にできたなら万々歳だ」


 広岡は毒気を抜かれたかのようにぽかんと口を開ける。それと同時に太郎少年が「爆弾できたってさ」と叫んだ。間の悪い言葉に僕は頭を抱えそうになる。


「……まあ、バスジャックとか、そういう犯罪的なものはしちゃだめだと思うけどさ。やむを得ずってことで許してもらおう」

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