休憩
『道の駅 雫石あねっこ』
盛岡インターチェンジから国道四十六号線を秋田方面へ進んでいくと三十分ほどのところに道の駅が設置されている。日本家屋をモチーフとした外観で比較的新しく、目を瞠るほど大きな施設だ。温泉や農産物の直売所、キャンプ場などが併設されているらしく、駐車場も広々としている。平日であるためか車の数は少なく、僕はその一画にバスを停めた。心許ない運転技術を駆使するまでもなかった。
ひとまずは道の確認と小休止をしたい。
僕の勝手な要望は誰に反対されることもなかった。バスジャック犯からの要求に屈した、というよりは乗客全員の総意に近い。
休憩時間は二十分、と適当に言い渡した。できればその間に下山が目を覚ましてほしかったが、彼の意識は沈み込んだままで復活の兆しはまるでなかった。つまり、まだ僕の運転は続くことになる。
運転席から這い出て盛大な溜息を吐くと乗客たちが降車を始めた。若いカップルが顔を引き攣らせながら会釈してきて、次にヒロトが姿を現す。数少ない目撃者である彼は興奮で唾を飛び散らせて僕の勇姿を称えた。熱烈、とも言える態度に閉口したのか、遅れてやって来たトシコが彼を引っ張っていった。
困ったのはそれからだ。ぞろぞろと出てきた老人のグループが僕のことを拝んできたのである。「ありがたやありがたや」と感慨深げに何度も手を擦り合わせられても何の御利益もないのだから申し訳なくなった。話を聞くと僕は正義の幽霊として外から襲ってきた悪霊を倒したと考えられているらしい。仏だとか守護霊だとかそういったイメージを抱く老人たち四人はありもしない僕の威光に礼を繰り返した。
「いやあ、大人気じゃん」
ミヤコが意地の悪い目つきで近寄ってきたのは彼らが去ってからのことだ。彼女は一部始終を眺めていたようで、なぜか誇らしげに胸を張っていた。
「ミヤコ」と僕は彼女の顔色を確認する。「身体は大丈夫なの?」
「うん、もう平気。純は? 太郎くんから聞いたけど、さっきのあれ、食べたんでしょ?」
「身体が燃えてるみたいに熱いし、吐き気もひどいよ。運転代わってくれない?」
「いや、あたし、オートマ限定だし、そもそも偽造免許だよ」
それを言うなら僕は偽造免許すら持っていない。
だが、そう反論したところでミヤコが考えを改める可能性は薄いことは長い付き合いで承知している。また、おそらく大型車の運転経験を持っているのは僕だけだ。ひとまず自分の仕事であると思い込んで従事することに決めた。
「そういえばさ、バスの――」
と、そこまで言いかけたところで視線が向けられていることに気がついた。バスのほうへ顔を向けると花子夫人が僕たちの会話が途切れるのを待っていた。「どうかしました?」と訊ねると花子夫人がゆっくりと頭を下げる。後ろから一郎老人と太郎少年が歩み寄ってきており、三人が並ぶとどこにでもいる祖父母と孫に思えた。
「事情はうかがいました。どうやら助けていただいたようで……」
「ああ、いえ、僕たちもいろいろ助けられてますんで」と頭を下げてから個別に自己紹介をしていないことを思い出す。「あっと、まだ挨拶してませんでしたね。唐沢と言います。唐沢純です。まあ、名前は最近変えたので適当ですけど」
「変えた?」
「戸籍がないからそういうのは自由なんですよ」
僕の幽霊ジョークはいまいちぴんとこなかったらしい。花子夫人は一郎老人と当惑とともに顔を見合わせた。ミヤコに肘でせっつかれ、僕は急いでごまかす。
「まあ、気にしないでください。あ、それと太郎くんのこと怒らないでくださいね。太郎くんがいなければ危ないところでしたから」
「ええ、ミヤコちゃんからだいたいの事情は聞いています」
「いやあ、しかし、本当に魔法使いだったとはね」一郎老人はしげしげとミヤコを眺めている。「あんな穴が塞がるなんて……やはり外には出るものだ」
「でしょお? あ、ねえ、聞いてよ、純。一郎ちゃんたちさ、あたしがバスの穴を直すまで魔法使いってこと信じてなかったんだよ? ひどくない?」
「ひどくはない」
むしろ当たり前だ。今まで生きてきた中で彼女の力を目の当たりにせずに魔法使いであると信じた人など数えるほどなのだからそれに対して不満を漏らすのは今さらだった。
その後、僕たちは秋田に到着したらどうする予定か、などと雑談を交わし、何かの縁、ということで彼らの携帯電話の番号を教えてもらった。彼らも持っているだけであまり使用したことはないらしく、番号が判明するまでに若いカップルやヒロト・トシコ親子が帰ってくるほどの時間を費やすことになった。
若いカップルにバスから離れることを伝え――返事をしたのはヒロトだった――僕たちは道の駅の見物へと向かった。ミヤコは温泉に入りたがっているようだったが、出発までの猶予がどれくらいあるか懇切丁寧に教えてやるとすぐに黙った。
ぽっかりと空いた二十分は長く思えるけれど、すべきことがあるとあっという間に過ぎてしまう。地図を見て道を把握し、農産物の直売所を物色したところで休憩は終了時間を迎えてしまった。それでも岩手県内で生産された林檎ジュースだけは購入して、バスへ乗り込むまでに飲み干しておく。久々に取り入れた物質的栄養はとても甘く、なんだか生き返ったような気分になった。
「純って幽霊のくせに有機栽培とかそういうの好きだよね。農薬で育てられたものを食べると駆除されたりするの?」
「虫みたいに言わないでくれよ。それに農薬を使ってるかどうかなんて気にしたことなんてない。きみがくれるお供え物はいつでも添加物たっぷりだ」
「……あたし、お供え物なんてしたことないけど」
「たまにくれるじゃないか。牛タンだっておいしかった」
「え」とミヤコは表情を曇らせる。「もしかして、純、あたしの食事に何かしてるの?」
「いつもありがとう。っていうか、気付いてなかったの?」
「なーんか味薄いなあとは思ってたけど……ん? ってことはさ、あたしがいつもおかず足りなくて困ってるのって純のせい? 今までずっと?」
僕はそれに応えず、バスへと乗り込んだ。先ほど聞いたとおり太郎少年が開けた穴は塞がれており、車内の雰囲気は平和なものだ。老人たちのグループも戻っており、乗客は全員揃っている。僕はぶつくさ言ってくるミヤコをあしらい、エンジンをかけた。待ちくたびれたかのようにバスはゆっくりと身震いを始めた。
秋田までは一時間半程度だ。そのくらいなら僕もぼろを出すことはないだろう。
「では、皆様、これから秋田駅へと向かいます。道順を外れるつもりはないですけど途中で降りたい人がいたら教えてください……あ、っていうか、太郎くんはここにいても大丈夫なの?」
「大丈夫ってなにがー?」
「ほら、ヤシマさん、下で一人でしょ?」
「……そういえばそうだね」
太郎少年は大袈裟に腕を組み、悩んでいるとアピールしたあと、立ち上がった。停車しようとした瞬間、彼は思い切り拳を床へと向かって振り下ろす。耳障りな破裂音が轟き、通路に再び大きな穴が生じた。
「暇な時行き来するからさ、ミヤコちゃん、このままにしておいて!」
太郎少年はそれだけ言い残して逃げるようにトランクルームへと姿を消した。一郎老人が烈火のごとく怒ったのは言うまでもない。花子夫人ですら大声を上げて太郎少年を怒鳴りつけた。
まったく、超人は常識というものを知らないらしい。
僕は肩を竦め、アクセルを踏む。不自然なほど閑散とした道の駅をあとにし、車がまるでいない国道四十六号線へと飛び出した。
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