こんな状況ですが、普通に放送中です

霧島万

2033年8月20日午後1時46分

 人気女子アナの秋吉満が、遅めの昼食用にカップラーメンを作ろうと、お湯を入れた。「3分タイマーセット」手首からぽんと音がなって、タイマーが始動したときだった。

 緊急地震速報、緊急地震速報、強い揺れに警戒して下さい。

 社員食堂に居る多くの人が机の下に潜り、その後で誤報かよと言う話で盛り上がるのを見ながら、他の社員と同じように癖で机の下に潜ったままほくそ笑んでいる人がいた。秋元ひかり、このテレビ局―テレビブレイク社の社長である。秋元ひかりの腕時計型端末には、すでに、今回の地震の情報が映し出されていた。

 震源地は静岡県沖

 最大震度7

 マグニチュードは、8.4以上。

「ふう・・・第一関門突破・・・かな」

 まだ気を抜いてはいけないタイミングなのかもしれないが、秋元ひかりはつぶやく。なにせ、これから、ある計画を実行しなければならないのだ。それは、この22年間ずっと考え、構想し、準備してきた計画。彼女がこの会社を設立した理由そのものなのだ。

 社員食堂の人々は、窓際に集まって騒いでいる。道路を挟んだ向かいのビルが、右に、左に、ユッサユッサと揺れているのだ。

 秋元ひかりも窓の向こうのビルの様子を見つめる。改めて、ついにこの時が来たのだと言うことを再確認した。

 南海トラフ巨大地震が発生したときには、人命にかかわらない程度に震災報道をするが、その後は、通常編成の番組を放送する。

 それが彼女の計画だった。

 そのための準備を、この22年間ずっと行ってきた。免震装置付きの社屋。それも、巨大地震が発生してもエレベーターが止まらない性能の免震装置だ。この土地を選んだのも、計画のため。東京の高台にある。周囲のビルはその殆どが新しく、免震装置や制振装置が付いている。予算と立地の関係から、周囲すべてのビルが地震に強い土地に社屋を建てることはできず、道路を挟んだ向かいのビルだけ築30年以上ということになってしまった。しかし、そのビルについても、道路に垂直な方に細長く、社屋側に倒れてくる可能性は低いということを確認している。貯水槽や蓄電池はもちろん設置済み。社内限定のインターネット回線や電話回線も完備―ただし、外部との連絡手段としては使えない。常に関係を持っている会社ならともかく、一時的にしか関係を持たないだろう会社を説得するのは難しかったのだ。非常用の備蓄食料と寝袋も7日分ある。・・・備蓄食料については、お盆の期間中に社員食堂のメニューがそれで置き換わることで有名である。賞味期限が切れないように、お盆期間に期限が切れそうなものを消費しておくのだ。さらに、交通機関が麻痺したときのために、自社のヘリコプターが数台屋上にある。―これらの防災設備の維持コストは極めて高く、株主には何度も文句を言われたものだ。だから、防災用だった設備を少し改造して、日常でも使えるようにしていった。社内の通信回線と社外の通信回線は普段はつながっていて、非常時だけ混線防止のために切断される仕様にする、などの工夫である。こうして、この会社は構想通りの防災力をここまで維持してこられたのだ。

 そして、ソフト面でも計画のための準備がしてある。それが、大災害時番組編成マニュアルである。マニュアルにはこう書いてある。

 1.危険を人々が把握し終えた段階で、通常放送にもどす。

 ⒉災害を想起させるような内容は、極力避ける。

 どれもこれも、全てはこの時のためだった。このマニュアルの内容を実行するための、この社屋であり、この会社だった。秋元ひかりは、このマニュアルの実行のためだけに、この22年間を生きてきたのだ。

 東日本大震災からの22年間を。




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