2033年8月21日午後6時00分
「ご当地にならないで」の放送が始まる。社長の秋元ひかりは、撮影が行われるスタジオに向かった。片手にはパンの缶詰を持っている。中身はチョコレートマーブルデニッシュである。彼女はこの放送について心配していた。朝、担当者の平野くんがあんな状態になった。そして、昼からは森島麻衣からの報告もない。嫌な予感がしていた。
スタジオの中では、平野裕也がぼんやりとスタジオを眺めていた。森島麻衣は、そんな平野の隣りにいたまま、岐阜の地震の取材に行った佐藤義則にメールで指示を出し続けている。そんな二人を見た秋元ひかりは、二人に話しかけないでいた。社長が放送の邪魔をしちゃまずい。スタジオ裏の端っこに座った。
放送が始まった。
「本日のニュースはこちらです」
スタジオの巨大タッチパネルに示されたリストを観て、秋元ひかりは愕然とする。
「岐阜県北部で地震発生、震度7」
「福島県浪江町の避難指示、解除される」
森島麻衣がちらりと、秋元の方を見た。その表情は本気のものだった。
岐阜県の惨状が、タッチパネルに映される。放送では、全画面がそれに染まっていることだろう。昼間の映像である。古い家屋の瓦は落ち、あるは家屋自体が倒壊し、公共施設の天井が落ち、壁にはくろぐろとしたヒビが入っている。続いて、避難所からの中継だった。レポーターが男性に声を掛ける。
「テレビブレイクのものですが」
「取材ですか、有り難いです」
その言葉にえっ、となる、森島麻衣と平野裕也。それはレポーターも同じだったようで
「ありがたいとは、どういった意味でございましょうか」
と続けた。
「いや、なんでもありません」
男性は顔をそむける。その後ボソボソと
「このまま無視されるのは辛いと、思っただけです」
と言った。そして、男性はそのまま黙ってしまった。男性に声をかけるように指示したのは、森島麻衣である。通常、こういった災害の取材では、女性かせいぜい、若い男性に声を掛けるのが慣例となっている。男性よりも女性の方が、感情を露わにしてくれる可能性が高いからだ。裏を返せば、「悲惨な絵が取れる」ということである。今回話しを聞くのを男性にしたのは、森島麻衣の、社長に対する最後の良心のようなものだった。しかし、その秋元ひかりはそれどころではなかった。担当者2人がマニュアルに違反した。それは、22年来の―東日本大震災以来の計画の頓挫を意味していた。あの時、秋元ひかりは、三重県にいて、地震の揺れすら感じなかった。だが、それでも辛かったのだ。テレビを見るだけで精神病になってしまったのだから。―だからこそ、災害時に災害のニュースを流さないテレビ局を作ろうとしていたのに。しかし、不思議と裏切られた感じはしない。あの二人は何をやっているんだ、とただそれだけを思っていた。
その間も番組は続いた。まずは、岐阜県の地震の被害が拡大した原因について。財政難による、公共施設の改修の遅れを原因の一つとし、それについて詳しく解説される。そのあと、福島県浪江町の避難指示解除のニュース。平野裕也がスタジオを睨むように見つめるなか、帰還者の喜びの声を報道するとともに、帰還者が少ないことも報道している。
そして、社長は気づいた。森島麻衣と平野裕也は、震災前に考えられた内容で、震災がなかったかのように番組を作ろうと決めたのだと。実際にはそれは勘違いで、南海トラフ巨大地震のことを、むしろ二人は強く意識して番組を制作していたが―そう思った時には、秋元ひかりは泣いてしまっていた。
「はは・・・は」
秋元ひかりはため息をつく、今までの覚悟は一体、何だったのだろう。その場から立ち上がらずに、番組を見続けていた。
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