2033年8月20日午後1時50分

 平野裕也と森島麻衣は、「ご当地にならないで」というテレビ番組のプロデューサーである。本来は全国的に報道されてもおかしくないはずなのに、他のニュースに注目が集まって、なかなか報道されないニュースを取り上げる番組だ。放映時間は2時間である。

 森島麻衣は、この一週間ほど、平野裕也のテンションが少しだけ上がっていることに気がついていた。

 平野裕也は、福島県浪江町からの避難者なのだ。森島麻衣は、避難先の沖縄で友だちになった。森島麻衣は、もともと米軍基地についての報道が本土では少ないことに腹を立てていた。秋元ひかりが南海トラフ巨大地震のときのために計画を立てていたように、彼女は子供の時から、この番組の原型のようなものを胸にいだいて生きてきた。平野はその夢―と、いうよりも計画を聞いた。福島第一原発事故の報道が減っていく悲しさをやがて感じるようになった彼は、森島とともにこの会社に入り、この番組の企画をともに実現している。福島県民と沖縄県民のコンビだった。―最初は森島麻衣が強引に平野裕也を引っ張り回している事も多かったが、在日米軍が撤退していくにつれ、森島麻衣は平野裕也の意見に耳を傾けるようになった。大人になったということでもあるが。それどころか、森島麻衣のモチベーションが下がっていくのを平野裕也は食い止め続けたのだ。なにせ、たとえ米軍基地がなくなったとしても、後遺症は残るのだから―アメリカの文化に触れ続けた沖縄県民の寿命は、下から数えたほうが早いくらい短い。米軍基地の再開発問題もあるし、米軍基地に関連して収入を得ていた人の問題も、まだ残っていた。そして何と言っても、この流れに関する世論と、森島麻衣の感情は真逆を指していた。米軍の撤退で今後どうなるか心配する人が多い・・・素直に嬉しがる森島麻衣は、自分が浮いてしまっている様な気分になった。それは、今までの沖縄が知られてこなかったからだ。そう平野裕也は言った。その間、福島県民側に届く朗報は少なかった。

 が、ついに朗報が来た。平野裕也の故郷、福島県浪江町の避難指示が、今日の深夜零時に解除されるのだ。帰らないという人が多かったり、過激な環境保護団体が、自然に殆ど帰ってしまった浪江町への帰還に反対したり、明るいニュースと言うには、かなり煤けている感じがするが、―原発の廃炉作業もまだ終わっていないのだが、とにかく故郷の状況は大きく変わる。煤のために平野裕也は自分の気分が明るくなっていることに気づいていないが・・・森島麻衣にははっきりと分かっていた。

 だから、8月21日分の番組では、浪江町の避難指示解除のニュースに放映時間の半分を使おうということになっていた。平野裕也も故郷に帰らないことに決めた元住民のひとりだが、このニュースを放映できることを素直に喜んでいた。

 にも関わらず、南海トラフ巨大地震が発生し、緊急時番組編成マニュアルが発動された。平野裕也は腹立たしくなり、社長のデスクに電話した―もう、外部の回線とは切断されていた。

「もしもし、社長」

「はい」

 秋元ひかりは応対する。

「あの、緊急時番組編成マニュアルが発動されていますが・・・浪江町の避難指示解除のニュースを、予定通り、番組で取り上げてもよろしいでしょうか」

「・・・駄目です。辛いものは辛いんです」

 電話が着られる音が平野の耳に響く。

 一方、秋元ひかりは電話機を見つめ続けていた。平野くんこそ当事者じゃないか。彼の言っていることのほうが、正しいに決まっているじゃないか・・・そんな思いが頭の中を巡る。それなのに、22年間準備していた計画を手放せない。手放したくない。そう思っていた。

 平野裕也もデスクでうなだれていた。マニュアルだから仕方ないのかもしれない。だが、癪だ。

 平野裕也は森島麻衣に愚痴をこぼす。

「森島さん、どうしよう、浪江町のニュースには、たしかに暗い面もあるけど・・・やっぱり、取り上げたいんだ。どうしたら良いかな」

「私は、取り上げるべきだと思うよ。だって、ニュース番組なんだから。明るいニュースだらけだと、むしろ、気持ち悪いと思うよ」

「そうなの?でも・・・」

 平野裕也の心には番組編成マニュアル以上に、心に刻まれているものがある。マニュアルができた理由だ。

『この世の中には、テレビ番組以外にも情報源がたくさんあります。娯楽も数え切れないほどあります。にも関わらず、未だにテレビが残り続けています。映像付きで分かりやすく、信頼のおけるメディアだからです。そして、娯楽番組についても、我々テレビ局には一般人にはできないようなことができるのです。有名人をかき集めることも、海外ロケをすることも、大掛かりかつリアルなセットを作ることもできます。そして、何と言っても、テレビでは、自分が関心を持っていないものに出会えるのです。それによって視聴者は、自分の幅を広げることができるのです。だから、人々はまだ、テレビを手放さない。

 しかし、我々テレビ局には、奇妙な癖があるのです。同時に同じことをあらゆるテレビ局がやるという癖があります。大きなニュースがあると、それしか取り上げなくなります。そのニュースが明るかったり、馬鹿らしかったりすれば良いのですが、惨劇だったら、視聴者は辛くなってしまいます。しかも、巨大すぎるニュースは、ときにテレビ以外も巻き込み、報道から娯楽までのすべてを、その情報だけで埋めてしまうのです。わが社はそれに抗いたい。我々だけでも、明るい内容を届けたい。我らの番組が、心の避難所になってくれたらいい。そう思って、このマニュアルを作成しました。』

 この、本編よりもずっと長い理由を、平野裕也は地震のときから思い浮かべ続けていた。設立理念を会社のホームページで見れば、このマニュアルの気配を強く感じるように、彼には思われた。しかし、それでも心のモヤは晴れなかった。

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