3 二番手扱いされました

 昼休みが終わったあとの給湯室はがらんとしていた。

 ミサの勤める損害保険会社は自社ビルを持っている。名前を聞けば「ああ、あそこね」と頷かれるような大企業に勤めて二年目の新米、それがミサの社会的身分だった。

 給料が良く、福利厚生も充実していると、学生課で勧められて憧れて入った職場だ。

 だが、やる気に満ち溢れたミサに与えられた仕事は、想像と随分違った。一年目にして挫折を味わったミサは、理想と現実の狭間で戦い続けている。

 それでも、とりあえず我慢出来ているのは、周囲にイケメンが多いからだった。さっさといい男を捕まえて、寿退社して主婦をするのが、目下のミサの目標となっている。

 だが、職務内容と同じく、イケメンについても誤算があった。同期入社の頼りない男たちは、仕事ができず、早くも対象外になった。そして、仕事のできる高給取りのイケメンは、まず大抵が既に妻子持ちだったのだ。

 誤算だらけの日々に鬱屈していた時に、とどめを刺すような出来事があった。

 それが、先日、ウエハラと飲んだあの日の事。


(あれから踏んだり蹴ったりだよ、ほんと)


 結局ミサはウエハラの告訴は諦めた。写真の事は気になるが、それで強請るというわけではないらしいし。

 やり込められればもちろん悔しいし、爆弾を抱えているような気分で落ちつかない。だが、どうしていいかもわからない。相談出来るような相手もいない。ミサは――自分でもきちんと自覚があるが――きつい性格が災いして腹を割って話せる友達があまりいないのだ。


(っていうかわたしの方はいつも腹割ってるけど、引かれるんだよね……)


 女子がイケメンが好きで何が悪いと思う。皆心の中ではそう思って、虎視眈々と狙っているだろうに。理想実現のために前向きな努力をしていると、たちまちビッチ扱いだ。納得行かない。


 ため息を吐き、お湯にじわじわと紅茶の色がつくのを見つめていると、


「週末空けておいてくれた?」


 耳元で囁かれてミサははっとした。

 ふと見ると、隣の課の男が傍に立っている。


本山もとやまさん」


 見上げるような背に整った顔、ブランドもののスーツを着こなし、銀縁の眼鏡がとても似合う、絵に描いたようなイケメン。しかも仕事ができて、営業成績も良く、もちろん高給取り。課の女子社員にも人気がある。

 だが決定的な欠点があったため、さっさと対象外にしていたのに、何の因果かミサはアプローチされているのだ。


「前も言ったと思いますけど、やっぱり駄目ですよぉ」


 デフォルトの上目遣いは既に止めているが、誰が聞いているかわからないから口調は変えられない。猫被りの態度で接すると、本山はミサと距離を詰めた。


「だって彼氏いないんだよね? ほら、君のところの高階たかしな君とも別れたって聞いたし」


 嫌な話題にこめかみがぴくりと震える。

 高階はミサの部署のエースだ。数少ない未婚男性で、ミサも狙っていたのだが、実は彼女持ちで、結婚の約束もしているらしい。だが独身最後に遊んでおきたかったらしく、ミサは危うく二股をかけられそうになったのだ。

 ミサは彼の彼女に、『この男はやめておいたほうがいい』と全力でアドバイスをしたくて仕方がなかった。


(どいつもこいつも二番手扱いしやがって!)


 思い出して腹が煮えそうになる。だが、笑顔を繕ってミサは本山を見上げた。


「でもー、が怒りますよ?」


 そうなのだ。彼も出来るオトコの例に漏れず、妻子持ちだった。

 本山のような総合職は異動が多く、単身赴任の者も多い。そういうわけで、きっといろいろ溜まっているのだろう。事あるごとに食事に誘われる。そして食事だけですむとは思えない。


(不倫は問題外なんだよ)


 妻にバレて慰謝料とられたら馬鹿らしいし、そんな男を略奪しても、絶対に同じ事を繰り返す。いい事は何も無いと何度も断っているというのに、なぜか諦めない。それほどお手軽に見えるという事だろうか。だとすると軌道修正が必要だ。


「バレないから大丈夫だって。それにだし。可愛い子連れて歩くと楽しいんだ。だから、頼むよ」

「ありがとうございますぅ」


 高い声で可愛く返事をしながらも、内心ため息を吐く。世辞でない事は知っているのであえて謙遜はしない。昔から可愛いと言われて来たし、評判を落とさないよう十分に努力をしている。

 だが、その努力はのためにしていることだ。

 なのに、なぜかこういった勘違い野郎につきまとわれる事が多かった。彼らは悉くミサと軽く遊べると思っている。合コン、パーティーと彼女が恋愛に積極的なのを、男好きと勘違いしているのだろう。


(急所を蹴り上げてやりたい。二度と使い物にならないように)


 きっとそのほうが世の中のためだろう。そんな事を考えながら該当箇所を見下ろすと、本山は何か勘違いしたのか、ミサを人気の無い給湯室の奥に追いつめた。


「頷いてくれるまで、ここから出してあげない」


 腕で囲まれ、甘く囁かれる。女子ならばときめくはずの壁ドンだが、むしろうざい。

 ちらりと見上げると、切れ長の目が甘い光をたたえている。鼻筋は通り、肌も程よく手入れがされていて、きれいだ。


(あー、文句のつけられないイケメンなのに、どうしてこんなに気持ちが悪いんだろ)


 最低でも奥さんと別れてから出直して来い、そんな言葉が喉元まで出かかるが、


「やだー、止めて下さいよぉ」


 苦笑いで不快さを隠すと、ミサは小柄なのを生かして本山の腕の下をくぐって抜け出す。

 軽く躱さないと仕事がしにくくなる。だが軽過ぎたのか、本山は「待てよー」と笑顔で追ってくる。


「やだぁー」


 表面上は軽く躱して前を向くと、ミサはすっと真顔になった。

 今後の対処を考えると頭が痛くなる。


「彼氏いますって言っちゃうかなあ」


 早歩きで逃げながら、ミサは弱音を吐いた。フリーである事を明言していても、男は寄って来ないし、面倒を引き寄せる。良い獲物がいないなら、考えを改めるべきかもしれない。

 うんざりしつつ、スマホを見る。画面に通知があった。差出人は、知らないアドレス。だが件名を見てミサは首を傾げたあと、ぎょっとする。


『ちわす、上原でーす』


 ウエハラだった。



 メールの本文は、


『いつ飲みに行くっすか?(´∀`)ノ』


 つまりは先日の約束について詳細を詰めたいというものだ。だがミサは別の事が気になって本文は無視してメールを送り返す。


『ウエハラ!? あんた、なんでこのアドレス知ってんの!?』


 短いメールを叩き付けるように送った。すぐに返信が来る。


『なに言ってんすか。ちゃんとアドレス交換したっすよー (σ´∀`)σ』

『ふざけんな。だれがあんたに連絡先教えるかよ! 勝手に覗き見たんだろ、そうだろ、認めろ!』


 すごい勢いでメールを打っていたミサだったが、


『二年前に確かに交換したっす ヽ(*´∀`)ノ』


 あ、と思い出す。そういえば合コンの打ち合わせはメールで行った。だが、合コン直後にミサはアドレス帳から抹殺していたため、すっかり抜け落ちていたのだ。


(あー、しまった)


 ミサが落ち度を噛み締めていると、ウエハラからすかさず返信。


『それにしても猫剥がれ過ぎっすよ( >д<) せっかく顔は可愛いのにもったいねえ(´Д`)』


 言われ慣れたはずの言葉なのに胸が跳ねた。が、誤摩化されないとミサは布陣を建て直した。ついでにどうしても気になって突っ込んだ。


『いちいち顔文字うざいんだよ。いい大人が、しかも男が、いやまずその顔で使うなよ』


 ミサは攻撃する。だが、


『ヽ(´Д`)ノ』


 まったく効果なし。

 しかもミサは普段、この手の顔文字アスキーアートを使わないので、意味も、ニュアンスもよくわからない。

 だが、ウエハラのこのは地味に効いている。


(うわあ、たち悪い……! ジワジワ来る)


 あのクマ風の巨体で小さなスマホに向かって顔文字打ってると思うと、どうしても駄目だ。怒りより呆れが勝って来て、油断すると吹き出しそうになる。ミサはウエハラの罪状を忘れそうになっている事に気づき、


(いかん、これじゃあ、あっちの思う壷)


 と首を振る。勢いを削がれているうちに次のメールが着く。


『同僚に振られて傷ついてるの慰めてやったのにさあ、おごらされて、礼を言われるどころか邪険にされて告訴されかけて、俺かわいそう(ノД`)・゜・。』


「な、なんで知ってんの!? って、振られてないし!」


 思わずぎょっとして声を上げると、後ろで本山の声がした。


「あー、やっと追いついた」


 ミサは慌ててスマホをブラックアウトさせるとポケットにしまう。社内の人間に暴言を見られるわけにはいかない。

 ミサがデスクに戻ろうとすると、本山は体を割り込ませて進路を断った。


「ねえ、一回付き合ってくれるだけでいいからさ。知ってる? レコンパンス ワインダイニングって。あのレストランすごく美味いんだ。けど、ああいう店ってさすがに一人じゃ入れないだろ?」


 彼は性懲りも無く、声を潜めて再三誘いを持ち出した。書類を手に、仕事のふりをして、生真面目な顔でミサを正面から見つめる。

 彼が名を出したのは、有名ホテルに付随している高級ワインバーだ。酔わせて手を出すつもりなのだろうか。そんな下心を隠そうともしないらしい。


(しかもって言ったな! どいつもこいつも……あー、我慢の限界)


 先日高階のことが頭をよぎる。最大の武器を差し出したミサをコケにした男と目の前の男が重なる。

 こめかみの血管がぴくぴくと震える。腹に据えかねたミサは必死で笑顔を浮かべると言った。


「じゃあ、お食事だけなら」


 こういった場合放置が一番楽で安全だが、コケにされて黙っていられるほどミサは大人しくはない。


「じゃあ、金曜日、現地集合でいい? 予約しておくから」


 大抵の女が転びそうな笑顔を浮かべると、本山は軽やかに踵を返した。用が済んだらあっさりしたものだ。その態度からして、寝たあとの態度も目に浮かぶようだった。釣った魚には餌をやらない、そういう男だ。


(ああいう男は一度痛い目を見た方がいいんだよ)


 息を深く吐き、やっと引き下がった本山の背中を睨む。ミサは頭の中で持ち駒を並べ、綿密な計画を立てはじめる。



 脳内で地道に計画を作り上げたミサは、仕事が終わるなり実行に移した。

 手始めに、ウエハラにメールを送り、日時と場所を指定する。と、


『まじで!? ラッキーヽ(▽`)ノ 腹空かせて待ってるっす(*´Д`*)』


 と能天気な返事が返ってきた。

 彼は犯罪者だが、考え方を変えれば持ち駒の一つになる。

 うまくいけば一石二鳥。本山のついでに撃退出来る予定だ。これでミサを悩ます懸案事項が一度に消えてなくなる、

 ほくそ笑むと、もう一人の男を痛めつける計画を確認する。


 ミサが立てた計画はこうだ。

 本山はミサが酒に弱いと思っている。それを利用して酔わせる。酔った本山に妻の連絡先を聞いて、彼の悪行を密告する。

 奥さんが、このまま何も知らないままというのは、彼女のためにも、それから世の中のためにもならないとミサは思う。


(っていうか、あいつは絶対前のところでもやってたに決まってる。被害者を代表して天罰を下す!)


 一番星を見上げ、ミサは小さな復讐を誓う。

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