17 観光旅行を楽しみました

「で、どこ行くっすか」


 ウエハラは肩をすくめると、スマホをいじり始める。


「あんま時間ないし、天気も悪いし……んー、どこにしようかな――っと」


 彼はスマホをブラックアウトさせると、ミサの手を強引に取った。


「は」


 いきなり手を包んだ熱に、ミサは仰天して口をぽかんと開ける。


「な、なんであんたと手をつながないといけないわけ……!」

「いや、恋人なんだから当然っすよね」


 さらっと言われてミサは反応に困った。

 ウエハラがいつもの調子でヘラヘラとしているせいで、まったく意図が読めない。

 結局のところ、芝居なのだろうか、それとも本気なのだろうか。

 考え出すと期待と不安に挟まれて、動悸息切れがひどくなる。

 彼の気持ちがはっきりわかるまでは、こんな風にするべきではない。そう思う。

 だが、ウエハラの手は想像通りに大きく温かい。心地よさに安心感が広がると同時に、胸が暴れてどうしようもなかった。


「芝居……ま、まぁ、本山部長、どこかで見てるかもしんないし……」


 言い訳してみるが、もともとウエハラがミサの恋人という設定はそんなに大事ではないのだから、手をつなぐ理由にはなっていない気がした。

 しかし、結局ミサはどうしても手を離すことが出来ず、状況に流されてみることにする。

 どうせ、誰も知り合いのいない土地。ここにいる間だけでもこの関係を楽しんでも、罰は当たらない。


(そうだよ、一緒にいるうちに、気持ちがわかるかもしれないし)




 ウエハラがミサを連れて行ったのは、なんと東京タワーだった。


「な、んで、ここ? スカイツリーじゃないわけ?」

「スカイツリーは、晴れた昼間のほうがいいっすよ。東京タワー、上ったことあるんすか?」

「いや……ないけど」

「だろうと思ったんで」

「なんで?」

「あんたみたいな女が観光で行くのって、街かなって思ったんすよ。服か食事っすよね。こういうブームの去ったとこには来ないし、これからも多分来ない」

「じゃあなんでこんなとこ連れてきたんだよ」


 ぶちぶち言いながらも、ミサは場所はどうでもいいと、心のどこかで思う。とにかく一緒にいられればそのへんのファストフードの店だってかまわない気分だった。

 見透かされているような気がして恥ずかしいので、ついつい突っ張ってしまう。


「田舎者が無理したら失敗するだけっすからね。定番が一番っすよ」

「田舎者って言うな」

「俺のことっすよ。べつに田舎者は恥じることじゃない。堂々と胸張ってりゃいいんすよ」


 そして上ってみて、彼が言ったこと――定番は一番と言うやつだ――は正しかったと、ミサは思った。ここは、東京の割にだが、人がまばらだったのだ。

 照明がほどよい明るさに調節されていて、夜景が目の前に迫ってくる。観光客でガヤガヤと騒がしいこともなく、落ち着いた空気があたりを包んでいる。


「こんなふうだってわかってたわけ?」

「雨だし、夕方っすから、地元民はともかく、観光客はここには来ないかなって――まぁ、半分は勘っすよ」


 ウエハラはもうちょっと人少ないかなって思ったんすけど、とつぶやくが、雨で夕方のこの場所は、たしかに穴場だった。

 普段の夜景に加え、首都高に連なるテールランプが雨に濡れて幻想的だ。綺麗だ、と素直に思える見事なデートスポットだった。


「あんたって……」


 ウエハラがガイドブックを見るでもなく、状況から自分の頭で判断した事に気が付き、


(賢い、っていうのは、こういうのを言うんじゃないの……?)


 ミサは感心しかける。

 確か彼の学歴は大したことないはず。一体何で人を判断していたのだろうとミサは目から鱗が落ちる心地だった。

 だが――褒め言葉自体は、妙に気恥ずかしくて呑み込んだままだった。

 



 その後も、ミサとウエハラは、かりそめの恋人同士として、短い観光旅行を楽しんだ。

 と言ってもタワーから降りればすぐに空港に向かい、空港のレストランで食事をしただけだ。なのに、ミサはこれまでにない高揚を感じ続けていた。移動中にする他愛無い会話だけで、十分楽しかった。それは、今まで付き合った男とは、まるで経験していないことだった。

 ミサは好きなことをしゃべり、好きなことを尋ねた。

 家族構成に始まり、どこに住んでいるのか。好きな映画のこと、本のこと。趣味はなにかとか、休みの日に何をしているかとか、本当は出会ってからすぐにするような、距離を近づける最初の会話だった。

 ウエハラは二人兄弟で、一人兄がいるらしい。実家住まいで東区に住んでいる。

 映画は日本映画が好きで、本は推理小説が好き。そして休日は仕事、仕事の一環で書店や美術館通い、それから道場通いもしているそう。前に言っていたように、昔、部活動で柔道をしていたそうだ。ブランクはあるが一応有段者とのこと。

 最初の出会い――合コンでは左から右の耳に抜けていた情報がひどく興味深くて、ミサは彼が発する情報を、貪欲とも言えるくらいに熱心に吸収した。聞きたいことは次々に出てきて、飛行機が空港に着陸するまで話題が一度も途切れることがない。いくら時間があっても足りないと思えて不思議だった。

 だが、やがて地下鉄の駅に辿り着く。空港は市内にあるため、自宅からも30分圏内とかなり近い。

 うやむやになっていた結論について、締め切りが近づいている。

 改札をくぐり、ちょうど停まっていた地下鉄に乗り込むと、ミサは尋ねた。


「ウエハラ、どこの駅? 東区って言ってたけど、乗り換え?」

「あー、うん。貝塚かいづかで降りて、そこからさらに乗り換え」


 それは地下鉄東部の終着駅だった。乗り込んだのは西行きの電車だから、途中の中須なかすで乗り換えになる。あと数駅で切りださねばと思うと、ミサは焦った。

 ウエハラとの関係をどうしたいのか。もう一歩踏み込みたいと、ミサの心は決まっていたが、ウエハラの気持ちはやはりわからなかった。

 これだけ尽くしてくれたのだから、きっと――という楽天的な考えに流れそうにもなるが、今までのことを考えると、それも危険な気がしてしょうがない。からかわれているだけかもしれないのだ。

 もうこの間みたいに後悔はしたくはない。だけど断られたときに、ミサは友達を続ける自信がない。だから、拒絶されれば、きっと最後。それが怖い。

 会話が途切れるたびに浮かんでくる不安に、ミサは胃がキリキリと痛む。


(いつから? 何回同じこと考えてる? これじゃ堂々巡りだよ……)


 そんな風にうだうだしているうちに、地下鉄は進み、ウエハラの乗り換える駅が近づいた。

 だがどうしても勇気が出ない。高階にを出して怖気づかれたのはほんのひと月前のことだ。彼は言ったのだ。そういうのは重いと。思ってたのと違うと。

 ミサが身を投げ出したとして、ウエハラがそう言わないとは限らない。迷惑がられたら死にたくなりそうだ。

 気持ちの確認ができない今、危険すぎる賭ではあった。

 次の駅は中須だと車内アナウンスがされる。とにかくこのまま終わりたくない――必死になるミサは地下鉄の車内放送にかぶせるように言った。


「お、送って行ってくれない?」

「は?」


 向かいの窓にウエハラの顔が映っているが、とても目を合わせられない。ミサは俯いたまま付け加えた。


「ほら、荷物! 荷物重いし」


 ミサはボストンバッグと一緒に握りしめていた、黄色い紙袋を持ち上げた。品川駅でさほど考えずに手に取った土産。中にはひよこの形をした饅頭が入っている。会社を休んだ手前、同僚に配ろうと思ったのだ。


「”ひよこ”一箱がそんなに重いっすか。てか、ひよこは元々東京じゃなくて、こっちの銘菓っすよ。年配の人に配ったら笑われるっすよ」

「え、そうなの!? ってなんで買う前に教えてくれないんだよ」

「いや、知らねえとかおもしれーって思ってる間に買ってたし。つい言いそびれた」


 愕然とすると同時に、ゆるゆるとスピードを落としていた電車がとうとう停車した。

 何か言わないと、と思うけれど、ミサの口は恐怖に固まったまま。

 それを見てウエハラは苦笑いをすると「じゃあ……おつかれー」と言って立ち上がる。


『なかす、なかす――』


 アナウンスが響き渡る中、ミサはウエハラのスーツの裾を引っ張った。


「お願い、降りないで。……お芝居のままで終わらないで」


 気がつけば、口からこぼれていた。ウエハラが目を見開くのを見て、ミサはどこかに逃げ出したい気分になった。だが、


「……そーいうことなら」


 にやっと笑ったウエハラはミサの土産袋だけでなく、ミサの小さなボストンバッグ、そしてミサの手を掴んで言った。


「降りるっすよ」

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