6 仕返ししてやりました

 ホテルのロビーからも追い出され、結局外に出たあとミサとウエハラ、それから本山は川沿いの道へと場所を移した。

 足元には呑み込まれそうな黒い水が音も無く流れている。対岸の店の照明を映した部分が時折像を歪め、ああ流れがあるのだとようやく確認出来るくらいの弱々しい流れだった。

 会話も無く三人で歩く。本山が一歩前を歩き、その後ろにウエハラ、隣にミサという布陣。

 屋台が多い区画のせいか、豚骨の匂いが辺りに漂っている。出身が県外である本山はこの匂いが苦手なのだろう。一人で顔をしかめながら俯いていた。

 だが、


「あっ、逃げた!」


 本山がいきなり駆け出した。直後、ウエハラが、巨体に似合わぬスピードで猛然と追いついたかと思うと、本山の腕を掴んで軽くひねる。

 ぎゃあ、と悲鳴が上がり、騒ぎになりかけるが、


「騒ぎになって困るのはどっちですかねえ」


 とウエハラに脅され、本山は口をつぐむ。腕を離された彼だったが、そのまましゅんとおとなしくなった。

 顛末が意外すぎる。


「今の、何?」

「関節技っすよ。高校んときから柔道やってるんすよ、今はあんまり通ってないっすけど」


 元柔道部員と言われ、ああなるほど、と重量級の体格に納得する。


(ただのデブじゃないってわけ?)


 ほんの少しだけ見直しながら歩いていると、休憩所だろうか、川沿いの遊歩道に設置された小さな東屋に行き当たった。

 ウエハラは本山にベンチに座るように促す。本山に断るなどという選択肢はなかった。


 隣接した片道二車線の道路は、深夜にも関わらず結構な交通量があった。ヘッドライトが行き来する中、車の音を避けるようにして、ウエハラは口を開いた。


「――で、どうしてあんな真似したんすか?」


 ウエハラは片手を上着のポケットにいれ、もう一方の手でペットボトルをしゃかしゃかと振った。

 念のため、と店で水の入っていたボトルをもらい、グラスの内容物を移していたのだ。ついでに、万が一の場合には証言を頼みますと店員に頼んでいた。案外しっかりしていると感心する。


「……あんまりにも酔わないんで、魔が差しただけなんだ……。だって、ワインとカクテルで十杯とか、有り得ないし、まだ飲みそうだったし……正直、割りが合わない。予算オーバーだったんだよ」

「九州の女は、下手すりゃ男より酒強いんだよ」


 ウエハラが呆れたようにミサを見ると、本山が項垂れた。


「本当に驚いた。歓迎会の時とか、すぐ酔ってたから、ちょろいと思ってたんだけどな」

「あいにく、全くちょろくないっすよ、この女」

「みたいだね。騙されたなあ。男が好きで、すぐやらせてくれそうだったのに、びっくりするくらい最後のラインが堅いし」


 殴っていいですかね、ミサが心の中で呟いた次の瞬間、


「人として言っていいことと悪いことがあると思うんすよね」


 ウエハラがにやっと笑うと、ペットボトルのキャップを捻り、スクリュードライバーを本山の口に押し込む。

 ごぼぼぼぼぼ、とすごい音と共に強引に飲まされ、本山が咽せながら吐き出す。だが、結構な量を飲んでしまったらしく、さらに吐こうとする。だが、ウエハラが後ろから羽交い締めにしてそれを許さない。


「どうするっすか、通報する? 俺はそうした方がいいと思う」


 問われてミサは考えた。

 まず今のままだと、実害は無いし、罪状も傷害未遂、重くて準強姦未遂と言ったところで、どっちにしろがつく。

 それに、少し前に対ウエハラでいろいろ調べたが、準強姦罪というのは基本的に立証が面倒そうだった。しかも、取り調べで嫌な思いをすることも多いと聞く。

 そして、がんばって告訴しても、会社でミサの立場が悪くなるのは簡単に予想出来た。大会社というのはどうしても保守的だ。大げさに事を荒立てれば面倒な女だと確実にレッテルを貼られるし、まず男は敵になると言って良いかもしれない。ミサの目的から言っても、どうにも好ましくない状況だった。

 諸々を計りにかけて、ミサは言った。


「正直、めんどい……。これ以上つきまとわれなかったら十分なんだけど」

「マジで。俺との差が半端ねえ。ムカツク」


 ウエハラがムッとする。


「あんたは未遂じゃないし。まず鏡で顔を見て出直して来い」


 ミサは苦情にさらりと突っ込む。

 そして、とりあえず、押さえるところは押さえておこうかと考え直した。


「……あ、でもさすがに腹立ったから、無罪放免とは行かないかな。じゃあ……奥さんの連絡先教えてくれたらそれでいいや」


 既に口調を変えるのも面倒だった。もし本山がミサの本性について噂にするならば、自分の犯罪まがいの行動についても口にする必要がある。この男は口を噤むに決まっている。

 ミサの答えを受けて、ウエハラは本山に確認した。


「って言ってますけど、どうするっすか」


 本山は酒と薬が回ったらしく、泥酔に近い状態だった。もともとスクリュードライバーというのは結構強い酒だ。女子をお持ち帰りするためのお酒という異名さえ聞く。プラスで例の鼻炎カプセルの効果があるのだろう。すでに瞼がとても重そうだが、自業自得である。

 ろれつが回らない状態で本山はどっちも嫌だと言い張ったが、じゃあ警察行くっすかとウエハラに脅されると、渋々携帯を開きアドレス帳をミサに見せた。

 本山が止めろと騒ぐ傍で、ミサは善は急げと非通知で電話をかける。女性が出たところで、本山の妻かと確認。「あなたの旦那さん、会社の女と浮気してますよ」とひと言だけ言って電話を切った。


「――って、お前なんてことすんだよ!」


 本山はもう真っ青だった。涙とヨダレで顔はぐしょぐしょ。整っているはずの顔もまったくイケていない。

 ミサは平然と言った。


「あとは自由にして下さい。奥さんの事は誤摩化すなり何なり。でも、今後もまだ会社で面倒起こすようでしたら、上司に今回の事申し出て、前科まで調べてもらいますから」


 にっこり笑うと、本山は顔をくしゃくしゃにして泣き咽んだ。

 そしてまるで全部お前のせいだとでも言うようにミサを睨みつけると、


「覚えてろ、このあばずれ」


 と言い捨てる。


「は?」


 よくも言えたと耳を疑った。


(ってか、そんな言葉今時使う男いたんだ)


 ミサが色んな意味で目を丸くする隣で、ウエハラがにいっと黒い笑いを浮かべた。


「どうやらいいみたいっすね」


 目の前でペットボトルを振られて、本山はしゅんと項垂れた。


「お願いですから、後生ですから、どうか忘れて下さい……」


 と、小さくなって逃げるようにタクシーを探す本山に、ウエハラが言った。


「待てよ。こいつになんか言う事無いわけ?」

「は?」


 本山はぽかんとした。本気でわかっていない顔にミサが呆れていると、ウエハラが隣で殺気立っている。

 彼は低い声でゆっくりと言った。


「ガキの頃にかーちゃんに言われなかったっすかー? 悪い事したら、まずは『ごめんなさい』だろーが」


 ミサはウエハラを遮る。


「いいよ、こんなヤツに上辺だけで謝られても気持ち悪い」

「よくねえ。こいつは自分のやった事が全くわかってねえ。どれだけあんたを傷つけたかわかってねえ。わかるまで謝らせる」


 じわっと胸が熱くなったのを誤摩化すようにミサは叫んだ。


「このくらいで傷つくわけないし……ってあんたが言うな! あんただって、やってる事、こいつと同じだし!」


 ミサとウエハラが向かい合った瞬間、本山がどこにそんな力が残っていたのか、全速力で繁華街方面へと駆け出した。


「あ、おい、待て!」


 ウエハラが追おうとするが、ミサは彼のスーツの裾を引っ張って止めた。


「いいって。もう仕返しして、気はすんだから」

「でも」

「これ以上、あんなやつに使う時間が勿体ないんだよ。タイム・イズ・マネーだよ」


 そう言うと、「まあ確かに」とウエハラは肩の力を抜き、大きく息を吐いた。それを見てミサはくるりと踵を返す。


「帰る」


 そしてちょうど通りかかったタクシーを捕まえる。

 ウエハラは止めなかった。


「もしあんたの気が変わったら証言する。それから……もし嫌がらせとか、何かあったら遠慮なく連絡――」


 ミサは最後まで聞かず、項垂れたままタクシーに乗り込む。見送られているのが気配で分かって、ちらりと視線を配り、彼の顔を見たとたん、ずきり、と胸が痛んだ。

 慌てて目を逸らすと、前を向く。


「行って下さい」


 運転手を促すと、タクシーが走り出す。

 オレンジ色の外灯がミサの横顔を照らして行く。移り変わる景色を見ていても、最後に見たウエハラの傷ついたような顔が頭から離れない。


(なんでそんな顔するんだよ?)


 まるでミサが悪いみたいで納得いかない。

 ウエハラも本山と同じだ。酔ったミサに手を出した極悪人のはず。

 警察に行けば、ミサが彼を訴えてもおかしくないというのに、どうしてあんな風に助けてくれる? 

 なにより、どうしてミサの心を汲んでくれる?


『どれだけあんたを傷つけたかわかってねえ』


 ウエハラの声が、いまだ耳に残っている気がした。


(罪滅ぼしのつもり?)


 ミサはウエハラがどういうつもりなのか、全くわからなかった。


(あんな風に――写真で脅すようなヤツだよ?)


 ミサはそこで、写真を消してもらうのを忘れていた事を思い出す。一刻も早く消して欲しかったはずなのになぜだろう。彼が悪用するとは思えない。悪意も害意も感じないのだ。

 どちらも最低な男のはず。なのにどうしても本山とウエハラが同じに思えない。そんな自分の事がミサは不可解でたまらなかった。

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