5 一枚上手でした
(おかしいなあ)
ミサは首を傾げながら、ソルティドッグを一口飲んだ。
グラスの縁の塩が口の中でグレープフルーツの果汁と混ざり合い、苦味の中の甘さを引き立てる。
確かに美味しいしお洒落だけれど、個人的にはアルコール度数も量も物足りないなあと思う。というより普段安酒を飲み慣れているせいで、繊細な味はわからない。何より目的のためには、こういったお酒は時間がかかってしょうがない。
「どんどん飲んで。ほら、次はスクリュードライバーとかは?」
本山にメニューを渡され、笑顔で応対しつつ、
(あー、ワインとカクテルばっかり……蒸留酒はウイスキーだけか)
メニューとにらめっこする。そうしながらそっと本山の様子を伺うと、彼はゆっくりとメインディッシュ『和牛とアスパラガスの黒胡椒炒め』を口に運んでいた。
こういった肉料理には赤ワインを合わせるものなのだろうけれど、彼の皿の隣にはワイングラスが一つ上品に置かれていて、中ではシャンパンが金色に輝いている。まだ半分は残っているから、ミサは次を勧められずにいるのだ。
(これじゃあ、潰せないじゃん)
彼はほとんど飲んでいない。食事を楽しみたいからと、食前に注がれたシャンパンをグラス半分飲んだだけで、ミサばかりに酒を勧めてくる。
せっかくなのでと、ミサはグラスワインを制覇したあと、次はミモザ、ベリーニ、キールロワイヤル……と高い酒から飲みはじめたが、途中から本山がいろいろ口を出し始めた。こだわりが無いミサは言われるままにブラッディ・メアリー、ソルティドッグを注文、次がスクリュードライバーだった。ミサは既にカクテルメニューの半分を制覇しようとしていた。
(本山さんって酒嫌い? そんな噂聞かなかったけどなぁ……)
このまま行くと、目的を果たせないままお開きとなりそうだ。うんざりしながら、
「じゃあそれにします」
と勧められるままにスクリュードライバーをオーダーすると、メニューを閉じた。
(あーあ。今日は誤算ばっかり)
ミサは横目でちらりと店のカウンター席を見やった。そこでは誤算のもう一つ、妙に大きな男が一人で黙々と食べ、そして遠慮なく大量の酒を飲んでいる。
一人でも帰らなかったのだ。これには驚いた。
(ウエハラの図々しさを甘く見てたよ。転んでもただじゃ起きないって、ああいうのを言うんだろうな)
ため息を吐きかけたところで、ウエハラがバーテンダーに声をかけた。
「すみませーん、泡盛ってありますー?」
ワインバーでの場違いな注文に、ミサは思わずぶっと噴きそうになった。
「申し訳ございませんが、あいにく当店では取り扱いしておりません」
ここは居酒屋じゃないんだよという心の声が聞こえてきそうだ。だが、苦笑まじりの返答にも、ウエハラはすぐに切り替えた。
「じゃあ、スコッチをダブルでー」
うええ、とミサは思わず顔をしかめる。彼はビールを三杯ほど飲んだあと、ワインもボトルで頼んでいたはず。これは飲み比べで勝てないわけだ。
(しかもダブルだと! たしか一杯三千円!?)
これはいくらになるんだと、さすがに会計を気にして機嫌が悪くなる。
「ミサちゃん?」
ふと呼びかけられて、ミサは意識を本山に戻す。
話題はなんだっただろうか。流行りの映画だったか、それともベストセラーの小説だったか。おしゃれだけれど、薄味で、他愛が無さ過ぎてまったく思い出せなかった。
そんなミサに彼は「聞いてた?」と声に苛立ちを滲ませた。
「あ、ええ。すみません、ちょっとぼーっとして。あんまり美味しいんで飲み過ぎちゃったかも」
へらりと笑って誤摩化そうとするが、本山は余計に顔をしかめた。
「でもお酒強いよね。結構飲んでるのに、全然酔ってないみたい」
訝しげな視線にぎくりとする。
「そんな事無いですよぉ? ここ、多分薄く作ってるんじゃないですかぁ? アルコール度数低いんですよぉ、きっと! ジュースみたいで美味しくってぇ」
慌ててろれつが回っていない振りをする。ウエハラに気を取られたせいか、演技力が落ちている。
(確かに飲んだ量と態度が釣り合っていないかも)
僅かに焦ったミサは、
「あ、すみません、ちょっとお化粧直してきますね」
とバッグを手にトイレへ向かう。
化粧ポーチからチークを出すと、頬の高いところからこめかみに向かってラインを引いた。指でぼかすと上からパウダーを叩いて色を和らげる。
ついでに口紅を塗り直す。普段はピンクのルージュだけれど、こういうときのために赤のルージュを携帯しているのだ。唇の中央に色をのせ、指でぼかすと、適度に色づいた顔が出来上がる。仕上がりに満足したところで席に戻ると、テーブルにはデザートがセットされていた。
きれいに盛りつけられたスイーツを前に、本山が貧乏揺すりをしている。やはり酒には口をつけていない。
ここまではっきり態度に出ると、認めたくないが、認めるしかなさそうだ。
(これは、やっぱり潰す気で来てたんだな。……しょうがない、出直すか)
ミサが席につくなり、
「それ飲んだら、上に行こうか。部屋取ってあるんだ」
本山が不機嫌さを一掃した笑顔で、胸元からカードキーを出す。高級ホテルの部屋というのは、今日の彼の最後の武器だろうか。
だが、
「いえ、今日は帰ります。ちょっと酔っちゃったんでぇ」
(誰がついて行くかー!)
心の中で舌を出しつつも、一緒に届いていたスクリュードライバーに口を付けようとグラスを持ち上げる。酒には罪はない。飲んだらおさらばだ。
だが、隣に強烈な気配を感じて、ミサは手を止めた。
「な、なに!?」
嫌な予感に顔を上げると、そこにはウエハラ。
「――飲むな」
低い声で遮られ、ミサはグラスをテーブルに置く。とたん、
「なんだ、お前!」
本山が急に怒りを爆発させた。
だが、ウエハラは全く動じずに上から冷ややかに彼を見下ろす。妙な迫力に本山が怯む。
「あんた、今、酒に何か入れたよな? 俺、見てた」
「な、何か入れた!? ホント!?」
ぎょっと目を剥いて本山を見ると、彼は青くなって首を横に振る。
「ちが、何も入れてな――」
ウエハラは抵抗する本山の鞄を掴むと、床に向けてひっくり返す。
バサバサと書類の束が落ちるのと同時に、二つの箱が転げ落ちる。
一つはどうやら張り切って持って来たらしいゴム製品。一ダース入りに、ミサは思わず呆れて顔をしかめる。
だが、本山が慌てて拾い上げようとしたのはもう一つの箱だった。
ウエハラが箱を持ったままの本山の手を持ち上げ、軽く捻る。箱がテーブルの上に落ち、ミサは表面にでかでかと書かれていた文字をぼんやりと読み上げ、首をかしげた。
「えーと……鼻炎カプセル? 花粉症でしたっけ」
確かにそんな季節ではあるが、本山はマスクも何も着けていなかったはず。
「抗ヒスタミン剤っす」
ウエハラが項垂れる本山を睨みつつ言った。
「え、でもそんなの飲ませてどうするわけ」
ミサにはアレルギーは無い。そのため意味が分からず問うと、ウエハラは呆れた。
「知らないんすか。こいつは、酒と一緒に飲むと『異様に眠く』なる」
意図するところに気づき、ミサはぞっとした。
もしそれが本当なら、多分、犯罪だ。
「……本山さん、本当ですか? 本気でそんな事……」
「こいつ、前にもやってんだろうなぁ……念のため警察呼ぶ? 告訴するなら証言するけど」
ウエハラが意地悪そうにミサに問いかけると、本山が悲鳴を上げた。
「そ、それだけはどうか止めて下さい!」
ウエハラが忌々しげに本山の手を降ろしたところで、「他のお客様のご迷惑になりますので……」と通りかかった店員が割り入った。
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