4 ダブルブッキングを仕込みました

 そしてやってきた金曜日。

 ミサは淡いピンクのブラウスと黒のフレアスカート、七センチのベージュのハイヒールを合わせた、少しきれい目の恰好で約束の店に向かった。会社帰りだが、ジャケットを脱げばデート仕様に変身出来るようにして来た。

 本山との約束は八時ジャストだが、ミサの時計は午後七時半を指していた。ウエハラと先に待ち合わせていたのだ。

 待ち合わせ場所は、ホテルのロビー。

 ロビーに面した店の入り口からはクラシックが時折零れてくる。評判通りの、落ち着いた、雰囲気のよさそうなバーだった。

 ウエハラは既に待っていて、能天気そうな笑顔でミサを出迎えた。


「時間通りっすね」


 ウエハラには店の名前を告げていなかった。だから空気を読めず、普通の恰好をしてくるかと思っていたが、ウエハラはしっかりとダークスーツを着用していた。

 ネクタイさえ変えて、チーフをつければ結婚式にでも出れそうな恰好で、ミサは「作戦その一:ウエハラがドレスコードを間違って入店を拒否される」が失敗に終わったことを知る。

 少し気を落としながら、当のウエハラに「スーツ着て来たんだ?」聞くと、「単に会社帰りっす」との返答。そういえばそうかと納得するものの、なんとなく以前の縒れた印象――といっても、合コンのときと先日しか知らないが――と違って、原因を探る。そして答えに辿り着くが、まさかとも思う。


「え、あんた痩せた?」

「はぁ? いや、ぜんぜん。この間から数日で痩せるわけないっす」


 ウエハラが呆れたように言う。そしてミサの頭越しに店を覗き込んだ。


「高そーな店っすね。まじでおごってくれるんすか」


 話題が変わるが、違和感はついて回る。だが、


(ま、ウエハラの事なんてどうでもいいか)


 とミサは頭を切り替えて、


「私、それなりに高給取りなの。さっさと食べたら、写真、全部消して。消したら確認させて」


 睨みつけるが、彼はへらへらと笑った。


「まあ、こんなとこで野暮な話は止めて、ゆっくり楽しんでからでいいじゃないっすか」


 そう言って入店を促すウエハラだが、ミサは足を動かさず、拒絶を示した。


「あいにく、一人で食べてもらうから、ここまでなの。私、これから約束があるから」

「は?」


 ウエハラは聞き間違えたかとでも言うように、耳をほじくった。


「なんで俺と約束してんのに、別の約束入れるんすか?」


 ミサはにやりと笑う。


「あんたと約束したのは、ってことだけ。別に同席する義務は無いもんね」


 しかも、ここの食事代はウエハラの分まで全部、酔った本山から頂くつもりである。もしウエハラの分が無理でも、ミサの分はおごってもらうつもりだから、出費は抑えられる。


「……こんな店で一人で食べろって言うんすか」


 ウエハラは苦い顔をした。

 それが、「作戦その二:一人で食べるのに相応しくない店で、一人にすれば、気まずくて帰るだろう」というものだ。

 ウエハラはようやく自分が置かれた状況を察したらしく、顔色を変えた。

 ミサは有無を言わせず、笑顔で畳み掛けた。


「高いだけあって、美味しいらしいよ? せいぜい堪能して行って。支払いはちゃんとしておくから」

「……そうっすか。ま、そんな事だろうと思ったっす」


 ウエハラは深くため息を吐いた。

 彼の視線が寂しげに床に落ちる。ミサもつられて目を伏せる。そして、視界に入ったピカピカに磨かれた靴を見て、ふと先ほどの違和感の原因に気づいた。


(あ……、わかった)


 靴をはじめ、スーツやシャツ、それからネクタイが新しいのだ。下ろしたてと言ってもいいくらい。

 以前着太りだと思ったのは、きっとサイズのあっていない服を着ていたからなのだろう。だから、今、随分と痩せて見えるのだ。


(もしかして、今日の為に買った? まさか)


 彼が今日のデートを楽しみにしていたかもと思い当たると、急にずきんと胸が痛んだ。

 だが、慌てて罪悪感を振り払う。これは仕返しの一種だ。ウエハラもミサをコケにした男の一人。それなりに痛い思いをしてもらう。


 腹に力を入れていると、本山が到着した。

 慌てて出て来たのか、ネクタイが緩んでいる。スーツには一日分の疲れが出たような皺。洗いざらしの、アイロンがかけられていないシャツも随分縒れて見えた。スーツだから入店を拒まれはしないが、いつも通りの恰好だ。こざっぱりしたウエハラが隣にいるからこそ、気の抜けようが際立った。

 ミサは少しでも着飾って来てしまった自分が惨めになる。ここまでコケにされていると感じると、さすがに傷つく。


(やっぱ、私相手に気合いなんか入れて来ないか)


 ミサの心中を察する事もなく、本山はウエハラを見るなり不機嫌になる。


「彼女は僕と約束してるんだけど……。ミサちゃん、こちら、誰?」


 彼女がナンパされたかのような態度だった。独占欲をむき出しにした本山にミサは呆れる。


(たとえでも、食う前に持ってかれたら嫌だってか?)


 腹の中で毒づきつつ、ミサは計画の速やかな進行のため、いつもの猫被りの笑顔で本山を見上げた。


「やだなあ、単なる顔見知りですよぉ。たまたま店の前で出会っただけです。あ、ウエハラさん、こちら本山さん。会社の上司」


 にっこりと笑い、本山の腕に手をかけると、本山の顔が機嫌良さげに緩み、対してウエハラは眉を寄せた。


「さ、行きましょう」


 ミサが本山を促すと、彼はミサの腰に手を添える。嫌悪感が滲み出そうになるのを隠そうと、ミサはウエハラに背を向けた。


「そんなことばっかしてると、今に痛い目見るっすよ」


 背中にそんな忠告が投げかけられるが、余計なお世話だとミサは心の中で舌を出す。


(この間のが、一生で一番の汚点だよ)


 自分に言い聞かせて、ウエハラの罪状を思い出す。思い出さないと、なぜか、酷く息が苦しかった。

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