13 鑑定してしまいました
ウエハラの指は節くれ立っていて、いかにも男の手という感じだった。ミサの手の大きさの1.5倍くらいはありそうな、肉厚で暖かみのありそうな手だ。
腕には高価かどうかはわからないが、古い年代物のSEIKOの腕時計がはまっている。スーツは普段用なのか、先日のデートまがいの会合の時よりくたびれていたが、シャツには糊がきいている。
(あー、まさかアイロン自分でかけてんじゃないよね?)
いつもカウンターで隣合わせで座っていたからか、正面から彼を見るのは初めてだった。イケメンと見れば観察する癖がなぜか発揮されていて、ミサは自分の目が鑑定をはじめているのに気づく度に、
(フツメンの鑑定とか! あほか! 時間の無駄!)
と己を叱咤する。
食事と同時に運ばれたラッシーのグラスに水滴がついて、店内のオレンジ色の照明を反射している。一口口に含むと、甘さと柔らな酸味が心を多少落ち着かせた。
「――きいてるっすか? さっきから何か変っすよ」
尋ねられてミサははっとした。
(なんでこんなとこに居るんだっけ? ああそっか)
『お詫びにおごるっすよ』
と言われてのこのこと付いて来てしまった。
なぜだか、断る口実を考える気力がなかったのだった。
それもこれも、あの女のせい。――ウエハラが島田さくらを支えたときの絵がフラッシュバックして止まらないのだ。
(男ってああいうのが好きなんだよね。守ってやりたい的な、待ってるだけの女)
自らと比較してヤサグレながら、ミサはぶっきらぼうに返した。
「なに?」
「だから――、そういうの、何かあったときのために、いつどこでどういう被害に遭ったか、ちゃんとメモっておいたほうがいいんっすって」
言われて直前の会話を思い出す。『そういうの』というのは、ミサが本山から受けた一連の被害――薬物混入、社内での仕打ち、ストーカー被害などである。
「その情報どこから?」
「島田さんに聞いたんすよ」
「島田さんはなんで詳しいわけ。ストーカーにでもあった? 遭いそうだよね」
島田には何となく付け込み易そうな雰囲気があった事を思い出しながら、ミサは言った。だが、ウエハラは否定する。
「いや、あの人基本的に育ちがいいから、そういうのないみたいっすよ。……じゃなくって、弁護士の知り合いがいるんすよ」
「弁護士……ねえ」
「あれでも旧帝国大卒だし。知り合いのレベルもやっぱり高いっすよ」
ミサはふうんと呟いてナンを千切り、ホウレンソウのカレーに浸す。ぱりぱりに焼けたナンはまだ熱々だ。火傷しそうで、左右の手で持ち替えながら口に運ぶ。カレーは辛さを選べたのでミディアムにしてもらったが、程々に刺激があるもののまろやかな味だった。
(美味しい、んだけどなあ)
おごりで美味しいものを食べているというのに、気持ちが乗らないのは一体なぜだ。ミサは腑に落ちない。
黙々とカレーを食べるミサを前に、ウエハラがふと言った。
「紹介してとか言わないんすねえ」
「は? 何を?」
「弁護士。島田さんと同窓だから、K大卒だし独身っすよ?」
そういえばとミサは眉を上げた。弁護士にK大――旧帝国大卒。高学歴、高収入だ。以前は食いついていた優良物件のはずだけど、心が全く躍っていなかった。
そんなミサを不思議そうに見ながら、ウエハラは続けた。
「他にも知り合いに医者の卵とか居そうじゃないっすか? 結婚して仕事やめられる――確か、そういうのが条件なんすよね? 面倒な職場みたいっすし、どうせ仕事も腰掛けだろうし、ならいっそ、そんなとこ辞めて、真剣に永久就職目指せばいいんじゃないっすか」
ニタニタと笑われて、胸が重みを増す。胃が急に縮んで、飲み込んだカレーが暴れ出す気がした。今のウエハラの言葉の何かが――いや、今言われた言葉すべてが凄まじく不快だった。
(なにそれ。私悪くないのに、辞めろ――逃げろって? あと……腰掛けって、確かにそうだけど……なんか、あんたに言われるとめちゃくちゃ不愉快)
何より不愉快だったのは、彼がミサを厄介払いしようとしているように感じられた事だった。弁護士に医者、美味しそうな餌で釣って、ポイ、だ。
(あー、やっぱりあんたもか)
何となくウエハラだけは違うような気がしていた。真面目にミサに向き合ってくれていたような気がしていたのに――裏切られた気がして、ミサは落胆を隠せなかった。
「――帰る」
「は? なんすか突然。話の途中だし、まだカレー残ってるっすよ。もったいねえ」
「なんか馬鹿にされて不愉快だから。腰掛け? 言っとくけど、私、結婚しても働くつもりだし」
虚勢を張るが、ウエハラにはお見通しな感じだった。
「そうなんすか? 全然そんな風に見えねえ」
「うるさい。例えそうでも、あんたに言われるとムカつく」
「あー……相変わらず、ホントめんどくさいっすね。じゃあ、百歩譲ってあんたの言う通りだとして、あんたはこれからどうしたいんすか。好きでもない仕事を、男のために続けるんすか?」
「す、好きでもないってなんでわか――」
思わず声が上ずったところを、バッサリ遮られる。
「うちの社長とか島田さんとか片桐、いや島田――ああ紛らわしいな――嫁の方とかと比べりゃ簡単にわかるっすよ。あの人達、仕事好きで堪らねえって顔してるし。あんたも、もっと自分にあった場所を見つけるべきだと思う。今みたいに無理して自分を見失ってるから何もかも空回りするんすよ」
いちいち言われる事がもっとも過ぎて、反撃の言葉がもう見つからない。しかもさくらと比べられて、余計に頭に来た。口を開くと『うるさいうるさい!!!!』と怒鳴り散らしそうだった。ミサが無言で立ち上がると、ウエハラはムッとした。
「わざわざ世話焼いてやってんのに、お礼の一つも言えないんすか」
「頼んでないし。むしろ迷惑だし。私、恩着せがましい男が一番嫌いなんだよ」
ミサは自分の分の代金をテーブルに置く。たとえおごりだとしても、こんな話にいつまでも付き合っていられないと思った。
「嫌うのは自由っすけど、さっきの忠告は聞いておいた方がいいっす。それから……忘れ物っすよ」
ウエハラは店員を呼びつけ、カレーを包むように言っている。
「ちょっと余計なことしないでよ」
「もったいねえだろ。あんたが食わねえと誰にも食われずに捨てられるんだよ。頼んだんなら、最後まで責任持ってちゃんと食えよ」
真面目な声にはっとしてウエハラを見ると、彼は顔から軽薄さを捨て去り、静かに怒っていた。
いつも彼を取り巻いているのらりくらりとした空気はどこへ行ったのだろう。はじめて見た男のように見えて、どくんと胸が跳ねる。
そして、ウエハラの目の中の落ち着いた光に、ミサは自分が幼い子供に戻ったような心地になり、固まる。
(……ってなんだよ、偉そうに説教すんな……!)
喉元まで文句が出ていたけれど、あまりにまっとうに叱られたせいで口が開かなかった。
それに正論にむきなって反論するのは、子供がやること。大人がやると逆ギレみたいでみっともない。
ミサが黙り込んでいると、ウエハラは包まれたカレーと自分の鞄から取り出した紙袋を差し出す。中身は確かめずともわかる。あれだ。ムッとしながらひったくると、ウエハラは立ち上がったミサをじっと観察する。
今度は何を言われるのだろう、とミサが構えると、ウエハラはにやりと笑った。
「でも……それ、要らないんじゃないすかね? そのかっこの方があんたらしくて可愛い。似合ってると思うっすよ」
「なっ」
説教から一転した言葉に、かあああと頬が赤くなるのが自分でわかり、ミサは動揺した。
(な、なななな)
可愛い――今まで何度も聞いたような誉め言葉だ。なのに、胸をひと刺しされたかのようだった。怒られて弱ったところだったから、余計に深く切り込まれた感じがした。
(そういえばこの間も普通に『めっちゃ可愛いっすよ』とかなんとか言ってたような)
思い出すとさらに顔が赤くなった。なんなのだ、これは。こんな感覚をミサは知らなかった。気が付くと、さっき感じていた不愉快さが軽減されている。
(なんなの、これ!)
思い当たる事はあるのだけれど、ミサの理性が全力で否定しにかかった。
とにかく今はここから逃げたかった。一人で落ち着いて考えたかった。
「そ、そう」
何か言い返したいけれど、結局何も出て来なかった。モゴモゴと言葉を詰まらせたまま、カレーと忘れ物を手にして、逃げるようにミサは店をあとにした。
**
途中のコンビニでワンカップの焼酎を買ったミサは、自宅に戻るなり栓を開けて一気に呷った。オヤジが入っていると言われようと今は構わない。このくらいじゃないと酔わないのだ。
そうしながら、惑わされるか! と必死で自分に言い聞かせているうちに、だんだん、ウエハラがたれたお説教の方に腹が立って来てしまった。
そうだ。やっぱりあの男はいけ好かない。可愛いと言われたくらいじゃ心は許せない!
「腰掛け? は。どうせ、意識低いですよーだ」
焼酎がようやく胃に届く。腹が焼けるのが心地よい。僅かに酔いが回ったミサは、殺風景な壁に向かって話かける。
「でもさー……、しょうがないじゃない」
ぽつりと弱音が漏れる。女子大英文科内で、華々しく内定一番乗りをあげ、総合職で入社したミサだったが、初年度に激務で体を壊したのだ。一人足を引っ張っているのがわかったから、上司に勧められた一般職への転換に素直に応じた。
仕事内容は営業の補佐。電話対応や資料作成、データ入力などだ。営業から指示される事をするばかり。
総合職の彼らのようにノルマはないが、その分張り合いはない。男たちの仕事を身近で見れるからこそ、余計に物足りないと燻っている。
ミサの知り合いは多分ミサがまだ総合職――営業職についていると思っている。わざわざ説明しようとも思わない。落伍者である自分を自ら晒すことができるほど、傷は癒えていなかった。
「だってしょうがないじゃん」
ミサは健康を理由に前線を早々と離脱したが、女が仕事と家庭を両立するのはやっぱり難しい。家庭を持ったあとに全国の支店や営業所を転々とするのは厳しいし、別の形でのリタイアが待っているのが目に見えた。
仕事も家庭も全部を手に入れるなんて、欲張りすぎなのだ。ならば、ミサは最初から家庭を選ぶ。そういう選択があったっていいと思った。
「それの何が悪いんだよ。大体、好きな仕事してる人間なんて、ほんとに一握りだよ」
そう呟きながらも、ミサは羨望が胸から溢れて唸りたくなる。さくらが羨ましい。何よりウエハラが羨ましい。
彼は、社長、島田、さくらが、と言っていたが、その誰よりもウエハラは仕事が好きだと気づくのは容易だった。だから彼は、より良い結婚のためと言う、不純な動機で就職しているミサの行動にとことんケチを付ける。
(あー、なんか、悔しい)
何が悔しいのかわからない――いや、単に傷を抉りそうで考えたくないだけなのかもしれない――けれど、悔し過ぎて喚き散らしそうだった。
「あーー! もう、ホント、余計なお世話だよ。どうしてくれるんだよ、仕事やめたくなったし!」
悔し紛れに『あんたのせいで仕事辞めたくなった。どうしてくれる』とメールを送る。もちろんウエハラにだ。責任取れと書こうかと思ったが、取ったら最後、あの男はさらに恩着せがましく、偉そうにするだろう。少し想像しただけでも腹が立つので止めておく。
返事は見たくなかったから、すぐに電源を切ると、ノートパソコンを開いて、ミサはハローワークのHPにアクセスする。
「んー……営業って、大分類は販売か」
ぶつぶつ言いながら検索条件をおおまかに入力すると、いくつかの企業がヒットした。
条件はそれほど良くない。就職して二年目だと、新人より条件が悪いかもしれない。ミサは眉をしかめる。何より、
「あー……なんかやっぱり逃げ出すみたいでヤだな」
プリンタで求人情報を打ち出しながら、もう一つタブを開くと、検索窓に自社の名前を入力した。
そしてヒットしたトップページから営業店のリンクを開くと、そこにあった営業店の電話番号を手帳にメモする。
「やられっぱなしとか冗談じゃない。もう一撃くらい食らわせないとやっぱり気が済まない」
ぽつりと呟くと、ミサは残りの焼酎を飲み干した。
*
スマホが唸った。ポケットから取り出してじっと眺めたあと、上原はぽつりと呟く。
「素直なんだか素直じゃ無いんだか、……わけわかんねえ。ってか俺、何やってんだろ」
はあ、と大きくため息を吐くと、彼はベッドに寝転がってストレージアプリを立ち上げる。ひっそりとフォルダにいれた写真を開き、見つめた。
一枚、二枚とスワイプする。
一枚目は酔っぱらったミサがピースサインをしてご機嫌な写真。
二枚目は、酔って例のご高説をたれている写真。
そして、三枚目は――
これを見るときは、いつも歯を食いしばって頬が緩まないようにする必要があった。
「これ、ホントに、あの女と同一人物かよ」
愚痴にも似た言葉と共に、胸の底から、今度は多少熱の籠った溜息が漏れた。
もう一度メールを開く。文面には彼女らしさが全面に出ていて、耳の傍で、あの甲高い声で怒鳴られている気になる。
「どうしてくれる、か。そーいうときは、『責任取れ』って言ってくればいいんすよ」
いくら踏みつけられても、限界まで人に頼ろうとしない。誰にも頼らずに一人で戦おうとするミサに、苦笑いが漏れた。
(今時一匹狼かよ。ダセえ)
「――あの女、くっそ可愛くねえ」
それが彼女らしいと言えばらしいのだが。
ふと思いつくことがあって、上原は電話をかけた。
「あ、島田さん? 確か、この間SHIMADAに来た時言ったっすよね? ほら、――」
島田と相談しながら、上原は自分も大概ダサいと自嘲気味に笑った。
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