遠い過去の時代へ――
――ここは何処だろう?
そういえば大和からレナに転生した時も同じように突然違う場所で目が覚めたんだっけ。
メビウスの漆黒の炎のような竜気に触れて記憶の渦に巻き込まれた時、私はとっさ第三のスキルを発動させていた。それが
一面緑に覆われた世界。足元には色とりどりの花が咲き乱れ。澄み切った青空には何やら光の粒のようなものがキラキラと漂っていた。
――あれ? これってもしかして天国? やばい、まさかのお亡くなりコースだったの⁉
焦って思わず自分の頬をつねってみる。痛みはない――ということは私、死んでる⁉ 自分の頬をつねるなんてドラマか小説の世界だけだと思っていたのに、まさかそれを自分がすることになるとは。
でも死んだにしては多少浮遊感があるものの体はあるし、以前と変わらぬ魔法力を体の中に感じる。この状態は精霊体の時の感覚と全く同じものだった。
精霊体とは精霊の一族が持つ固有の能力だ。精霊は自分の精神だけを体から離脱させることが出来る。長時間離脱させておくことは精神と肉体との繋がりが薄れるから危険なのだが。自分ではいけないような遠くの場所へ飛んで行ったり、伝令のように相手に思いを伝える事も出来る。
幽霊のように実体はないので触ろうとしてもすり抜けてしまうが、相手からは姿は見えているし大本の体は生きているという事だ。
精霊体としての姿は実体よりも影が薄く幻のように儚い印象で本当に幽霊のようなのだが。
精霊の血を引いているレナは精霊体として精神だけを体から離脱させることが出来る。それも魔法力で一時的に実体化する事も可能だ。通常はそう言った使い方は出来ないのだが。セルフと呼ばれるエルフと精霊のあいのこ、ハイブリッドであるレナには実体化させる為に魔力を使用する事は息を吸うのと同じくらい普通の事だ。
異種族間に誕生した混血種でハイブリッドと呼ばれる者達は、純血種のように種族特有の力を完全に使いこなす事は出来ない。けれど、混血種であるが故にハイブリッドは力を柔軟に発揮することが得意だ。多種族の血が入ったことで力を別の方向で応用することが可能となったのだ。それがハイブリッドと呼ばれる混血種達の特徴だ。
しかし同じハイブリッドの双子の姉ルナはこの精霊体になることは出来ない。レナは精霊の一族である母マグダレナ・ローズブレイドの血を色濃く受け継いだが。ルナはエルフ族である父ルーク・ブレイドの血の割合の方が大きい。ハイブリッドは両親から受け継ぐ能力にムラがあり個体差が出やすい。
どうやらレナは精霊体として別の場所にトリップしてしまったらしい。死んでいないという事が分かってホッと安堵のため息をつく。
少し歩いてここが何処なのか確認するけれどやはり全く覚えのない場所だった。暫く歩いて花畑を抜け出すと小さな石碑のようなものが見えた。近寄って見てみると、石碑はボロボロであまり大事には扱われていないようだった。薄汚れた石碑には言葉が刻まれていた。
第二のスキル、全ての言語を操るスキルを使って読み解いてみる。
<<沈黙の魔獣に呪われし者ここに眠る>>
――うーん、どこかのゲームに出てくるような文面だ。
さてさてこういう場合のパターンはだいたい石碑に関わる誰かが現れて、その誰かの手助けをすれば元の世界に戻れるというのがセオリーなのだが。暫くこの石碑の前でまっているべきか?
そう思案していたら後ろから声を掛けられた。
「あの……君は誰?」
後ろに立っていたのは5、6歳位の小さな男の子だった。漆黒の髪と瞳をしていて漆黒の瞳の端は吊り上がっている。それが全体的にきつめの印象を与えていた。小さな鼻や艶やかな赤い唇は整っていてまるで少女ように見えた。
中性的な東洋人系の顔立ちの美少年、男の子の正体は幼い頃のメビウスで間違いないだろう。
ということは、私はメビウスの漆黒の炎のような竜気を触ったことがきっかけとなって、メビウスの過去にトリップしたということだろうか?
子供時代のメビウスは手に、先程歩いてきた途中で見かけた花を持っていた。
確か前の世界では彼岸花の花言葉は”悲しき思い出”だった。他には”諦め”何て意味もあったと思う。さすがファンタジーのような世界だけはある。期待を裏切らない。
「何で母さんのお墓に来ているの? ……母さんの知り合い?」
何て答えたらいいのか――とにかくこの子供時代のメビウスに関わる事が今後の自分の運命を決める重要なポイントとなる事は明らかだ。
「……その……私はここをたまたま通りかかっただけなんだけど」
こういう時のパターンは分かっているのに口が上手く回らない。まあいつものことなんだけどね。
「この石碑はあなたのお母さんのお墓なの? 随分とその……」
言葉に詰まっていると子供時代のメビウスは石碑にソッと彼岸花に似た花を置いた。
「うん……ここには誰も来ないから。母さんは沈黙の魔獣に呪われた僕を産んで追放されたんだ。だから亡くなった後もこんな場所に葬られて……君もここには来ない方がいいよ」
笑わない子供、それが子供時代のメビウスの第一印象だった。
「沈黙の魔獣? それって何?」
お墓に刻まれた文字と同じ単語が幼いメビウスの口から出てきたので思わず聞き返すと。
「君はそんな事もそれも知らないの?」
驚いたように目を瞬かせて幼いメビウスはレナを見た。
「君はいったい何処から来たの? 少なくともこの国の人じゃないよね?」
「えっとそれはーその……あっそうだ! お母さんの名前なんていうの?」
何処から来たもなにもここが何処かも知らないんですけど⁉ とにかく話題を逸らそう。何だか誤魔化すことばかりが上手くなってきている気がするんだけど。
探るような目でレナを見ていたメビウスは、納得いかないような顔をしていたが質問には答えてくれた。
「……エレノア」
語源は”光”という意味だ。
それから毎日、私は幼いメビウスといろいろな話をした。過去に飛ばされてからどれ位の時が立っただろうか。少なくとも半年は経過している。
精霊体だからお腹が空いたりすることはないのだが、あまり長く本体から引き離されていると命が危ない――だけど元の時代に帰る方法が分からないのだからどうしようもなかった。そんなどうしようもない状況下に置かれていても何故かレナはあまり不安を感じていなかった。
幼いメビウスは毎日お墓参りに来ているようで、同じ夕刻の時間帯にいつも決まって彼岸花に似た赤い花を摘んでやって来た。そうして毎日同じ夕刻の時間帯にやってくる幼いメビウスと話していると心が和んだ。
行く場所がないレナはいつもお墓の近くを精霊体で浮遊していたので、幼いメビウスが来るのはすぐに分かった。我ながらまるで幽霊みたいな行動だなぁと苦笑せざる負えない。そんな毎回タイミングよくお墓に現れるレナに、幼いメビウスはこの世界のいろんなことを教えてくれた。
この土地の名前はアラバスター。そう、ここは中立国であり中立地帯としてプレンダーガストと魔族の国、そのどちらの国にも属さない二つの国境線上に位置する精霊の国が誕生する場所。
ここは境界線上のアラバスターとして精霊の国になる前の時代のアラバスターなのだ。この緑豊かな美しい土地が不毛の地と化す前の本来のアラバスターの姿なのだ。
この緑豊かな美しい土地には、沈黙の魔獣と呼ばれている古代の魔獣が封印されている。古代の魔獣は全部で四匹いて、この世界が創造された時に生じた負の因子であり、今から何万年も昔の創世記に創造主が負の因子とは反対の正の因子を持った至宝の球を作って封印した。
そしてその後の封印を監視する者として、それぞれの土地に住む者の中から巫女という形で一人ずつ選び出した。そうして古代の魔獣の封印は四人の巫女達によってずっと守られてきた。
その封印された魔獣の中でも特に強力な力を持った魔獣が沈黙の魔獣で、メビウスのお母さんのエレノアはその沈黙の魔獣を封印する巫女だったらしい。
しかし、ある時至宝の玉の封印が弱まって沈黙の魔獣の封印が解けかかったことがあった。エレノアが何とか封印を再度施す事に成功して、事なきを得たのだが。封印が弱まった時に解放された沈黙の魔獣の力の一部がメビウスのお母さんのエレノアへと乗り移ってしまった。
エレノアはその時お腹の中にメビウスを身ごもっていて。そうして沈黙の魔獣の力を宿したメビウスが生まれた。誕生したメビウスの漆黒の髪と瞳の異端の容貌に恐怖した村人達は、メビウスとエレノアを村から追放して新しい巫女を祭り上げた。
メビウスを産んでから体調を崩していたエレノアは、幼いメビウスを残して最近息を引き取ったそうだ。せめて生まれ故郷の村の墓地に埋葬したいと村の人にお願いしたが、沈黙の魔獣に呪われた者を村の墓地に埋葬するなどとんでもないと拒否されてしまった。
――あのボロボロのお墓はメビウスが一人で作ったもので、一人でエレノアを埋葬したそうだ。お墓に刻まれた文字はメビウスがいない間に彼の目を盗んで村の誰かが勝手に彫っていったそうだ――酷い事をする。
メビウスは今も時々必要物資を買いに村へ赴く事はあるそうだが、基本的にはメビウスは別の場所に住んでいるので村にはほとんど寄り付かないという。
「ねえレナ、今日は何するの?」
レナはメビウスに旅芸人の一座で仲間と共に旅をしていたのだが、迷子になり仲間と逸れてしまったと説明していた。幸い転生するための条件である一つ目の願い事、超一流の旅芸人スキルがあるのでナイフ無げでも踊りでも旅芸人に関する事なら何でも出来る。
少し踊りを披露して何とか疑いを払拭させようとしたら、思っていたよりもメビウスが喜んでくれて急かされるままに毎日踊ったり歌ったりして過ごしている。メビウスはそれを見て嬉しそうに笑っていた。
始めは笑わない子供の印象が強かったが、徐々に子供らしい素直で純粋な笑顔を見せてくれるようになっていた。
「そうだねーじゃあ今日は歌おっかな!」
転生前の田中大和の時は歌を人前で歌うなんて事考えもしなかった。とにかく歌うのは苦手で、カラオケに会社の同僚と行った時も言っても聞きに
撫子とは趣味がほとんど同じでよくアニメソングとかゲームソングばかり歌っていたっけ。そんなことを思い出しながら、懐かしのアニメソングとゲームソングを何本か歌い終わるとメビウスは隣で眠そうにウトウトしていた。気付けばだいぶ日が落ちていた。辺りはだいぶ薄暗くなっている。
「メビウス~! そろそろ家に帰った方がいいよ?」
精霊体を実体化させて肩を摩って起こすと、眠そうに眼を擦りながらメビウスはレナを見上げた。
「……うん」
その仕草が妙に可愛くて母性本能を
「ほら起きて?」
抱っこするようにメビウスを立たせる。メビウスは、はにかんだような笑顔を見せた。
「……じゃあ帰るね」
「うん」
レナはまるで母親のような心境で優しくメビウスを抱きしめた。
「また明日も来るから」
「うん待ってる」
まるで本物の親子のような会話をしてレナはメビウスの頭に手を置いた。
「……気を付けてね」
すこし寂しさを感じながらそう言って小さな背中を見送った。ローズブレイドのお父様もお母様も私達を送り出すときはこんな感じの心境だったのかな?
小さなメビウスの後ろ姿が見えなくなって、ふとお墓に刻まれた文字を見た。
<<沈黙の魔獣に呪われし者ここに眠る>>
――何度見てもこの刻まれた文字からは悪意しか感じない。
軽くしゃがんでから精霊体を実体化させてから、ソッとお墓に手を置いて文字をなぞってみる。ゴツゴツした感触はこのお墓が本物でメビウスのお母さん、エレノアがここに眠っていることを実感させた。少し切なさを感じてレナは立ち上がる。
この世界も転生前の世界と同じで生きることは切ない事で溢れていると改めて実感させられてレナは胸が締め付けられるような悲しみを抱いた。
まあ何にしても帰る方法を探さなくては。どう考えてもこのお墓が元の時代に帰る為の鍵に見えるんだけど違うのかな? 私の勘が外れたってことかな――
フゥーとため息をついて離れる前にもう一度お墓を見ると。スウッとお墓から精霊体のような形状の女性が現れた。
灰色の髪と瞳を持つ彼女は瞳の端が吊り上がっていて、それが全体的にきつめの印象を与えていたが、ハッキリした顔立ちのきつめ系美女である。その特徴的な顔はメビウスと似ていた。
彼女の場合はレナのような精霊体ではなく本当の幽霊なのだが。
彼女がメビウスのお母さんのエレノアであることは間違いない。きたー! これは正しくこの時代を抜け出して元の時代へ帰る為のターニングポイントだとレナは確信した。
「……エレノア、さん?」
そう問いかけると彼女はコクリと頷いた。その頷きく仕草もなんだかメビウスに似ていた。そうしていつもメビウスがやって来る方向を彼女は指差した。
<お願いあの子を助けて……>
悲しげな眼差しで必死に訴えてくるエレノア。その紡がれた言葉には幼い我が子を守ろうとする母親の強い思いと無償の愛に溢れていた。
これは相当な非常事態だ。ゲームの世界を攻略しているような気分から一転、一気にシリアスな場面展開へと発展したことに戸惑いつつも、直後レナは彼女が指差した方向に向かって空を飛んだ。
「……メビウス……無事でいて……」
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