久しぶりの再会――

 転生前の田中大和の記憶から目覚めて、レナは薄らと目を開けた。


「ここは……?」


 起き上がり辺りを見渡すと薄暗い視界の先、十メートルもしない位の場所にイングラムが両手を上に縛られ膝を床に付いた格好で囚われていた。口元から流れる赤い血、全身至る所に嬲られたような傷があり酷く痛々しい。


「イングラム様!」


 痛々しい姿に胸が痛む。駆け寄りたくても手前にある鉄格子に阻まれて近づけなかった。


「レナ姫――どうして一人できたりしたんだ」


 責めるような口調。イングラムは顔を上げて射抜くような目でレナを見た。


「よかった生きてた」


 涙ぐんで目を潤ませながらレナはイングラムを見つめた。生きていた。だいぶ弱っているみたいだけれど、イングラムは生きていた。感極まって熱い涙が溢れ出してきた。

 そんなレナの様子を見て、何時も沈着冷静で滅多に動揺しないイングラムにしては珍しく、心臓が激しく波打つのを感じた。


「まったく、あなたは本当に無理をする」


 昔からこれと思った事はどんなに困難な事でも何が何でも突き通して進んでいく。非常に意思の強い少女だとは思っていた。

 無茶な事や無謀な事だと分かってはいるようだが、それでも結果がどうあれレナは自らその意思を曲げない。それが周りから無駄な足掻きに見えているとも全く気付かないで。

 ――当の本人は何故か自身の事を駄目な奴だと思い込んでいて、目立つようなことはとにかく嫌がっていた。レナはとにかく逃げ足が速くて、毎度毎度イングラムの前から逃げようと画策するレナを最終的には捕まえてきたのだが。


 ここまで女性に逃げられる事はイングラムの経験上一度もなかった。仮にも竜族の王族でプレンダーガスト帝国の第一王位継承者であるイングラムはその地位と権力と持って生まれた美しい容貌や聡明な頭脳が、世の女性を引き付けて止まない。またそれとは別にその地位と権力を利用しようとイングラムにすり寄ってくる者も後を絶たなかった。

 そんなイングラムに全く興味を示さないそれどころか全力で逃げようとする彼女が物珍しくて。そして困ったものだと思いながらも、他の令嬢のように気取ったところを全く見せない自然体のレナがとても可愛くて想えた。そんな彼女を自分の傍に置いて心底守りたいと思うようになっていた。


 まさか今回のように危険極まりない場所に一人でやってくるほど無謀で、ここまで無茶な事を平然とやってのけるとは思いもしなかったのだが。

 昔から行動が読めないところがあるとは思っていたのだが、今回も見事にイングラムの想定を大きく外れてレナはイングラムを助けにやって来た。立場が逆だろう――普通は男が女を助けにいくものだ。

 そう思いつつもイングラムのレナに向けられる視線は、愛おしい者に対するもので溢れていた。


「あー感動の再開を邪魔して悪いんだけど。僕も君に逢いたかったよレナ」


 コホンと軽く咳をしてレナの後ろから音もなく表れたのは、漆黒の髪と瞳の外見は14、5位の少年。

 目鼻立ちがハッキリしていて漆黒の瞳の端は吊り上がっている。それが全体的にきつめの印象を与えていた。小さな鼻や艶やかな赤い唇は整っていてまるで少女のようにも見える。中性的な東洋人系のきつめな顔立ちの美少年。背中からは竜族の証である漆黒の翼が生えていた。


「やあ。やっと逢えたねレナ」


 とても嬉しそうに顔を輝かせて少年はレナに近寄ってきた。


「僕の名前はメビウス。僕は君に会う為にイングラムを捕えたんだよ。一応他にも目的はあるんだけどね」


 お気に入りの玩具が見つかった子供のような顔をしてクスクス笑うメビウス。


「僕は君が誰だか知ってるよ?」


 そう言って動かした唇は動きだけで大和と言っていた。

 ピタッと一瞬時が止まったようにレナは動きを止めた。わなわなと身をふるわせる。


「…………………………あなた、やっぱりあの時の子供ねー!」


 忘れるわけがない、転生前にいた狭間の世界で散々説教をしてきたあの声の主。やっぱり子供だったのねー! と心の中で憤慨する。そのレナの突っ込みどころは明らかに間違えていた。

 怒りの表情でビシッと人差し指を立てて指さすと、メビウスは嬉しそうにレナに抱きついてきた。


「わあ~! ちゃんと覚えててくれたんだね! レナ!」


 ちょっと何抱きついてきちゃってるの⁉ こっちには言ってやりたいことが山ほどあるんですけど⁉


「ちょっ、ちょっとお~⁉ 離れなさい、離れなさいったら!」


 ピッタリとレナにくっついて離れないメビウスを何とか引きはがした。


「あなたいったい何考えてるのー!」


 ゼエゼエと肩で息をしながら、またビシッと少年を指さしてレナは言い放った。


「とにかく私達を解放しなさい! 今すぐに!」

「やだ」


 メビウスは頬をプクーと膨らませて拗ねたように視線を横に逸らした。


「……………」


 ――なっ何だ子の我儘なお子様はー!


「仕方ないなぁ~じゃあさっ、今から僕が重要な話するから聞いてくれる?」


 メビウスはしょうがないなと肩を竦めて両手を上げた。


「……その話を聞けば解放してくれるって事?」

「うーんどうだろ、君達の反応によるかも」


 解放するのかしないのかいったいどっちなんだ。


「……分かりました。とにかく話を聞けばいいんでしょ?」


 それでどうなるかはその時に考える。


「……おいっ、ちょっとまて」


 ずっとレナとメビウスのやりとりを黙って聞いていたイングラムが二人の会話に割って入った。


「お前達知り合いか?」


 咎めるような厳しい目つきでイングラムは問い掛けた。


「そうだよ」

「いいえ」


 正反対の答えが間髪を容れず同時に返ってきた。


「…………」


 呆れ顔でため息を付くとイングラムは再度質問する。


「――で本当はどっちなんだ?」


 レナとメビウスはまた間髪を容れず同時に返ってきた。


「知り合いだよ!」

「知り合いじゃないよ!」


 眉間に皺を寄せいよいよイングラムの語気が荒くなってきた。


「……お前らからかってるのか?」


 これは不味い。一ヶ月もの間魔族に拷問されていたのだからいつもより若干気が短くなっているようだ。レナは慌てて取り繕う。


「あー話せば長いの」


 話す気がないので長くもならないが。話す訳にはいかないし。転生前の話なんてしても信じてくれるどころかイングラムの神経を逆なでしかねないではないか。


「まあそんなところ」


 雰囲気を察してうんうんとメビウスもレナに同感して頷くのだが。全く説明になっていないということを当の本人達は分かっていない。イングラムの顔が益々険しくなった。

 レナは怯えるようにメビウスの後ろへ隠れると、ちょっとどうするのよ? と小声でメビウスに話かけた。ええっ? 僕なの? と狼狽した様子のメビウスを突っついて、だってこうなったのもあなたが原因でしょ? と小声で急き立てた。

 二人でコソコソと話合う様子は何やらとても仲が良さそうにイングラムの目に映った。イングラムの怒りを更に煽ってしまった事に気付かない二人は距離感が近いままイングラムを見た。

 怒気を帯びた顔付きは凄まじい迫力だ。竜族の逆ウロコに触れたものは国をも滅ぼす――と言うことを聞いたことはあるが、放っておくとまず自分達が滅ぼされかねない位の怒りを感じる。

 レナは命の危機を本能的に察知した。メビウスの服を引っ張って目で必死に訴える。


 お願い何とかしてー! この世界に転生してから何だかこんなことばっかりなんですけど?


「えっえーと、とりあえず僕の話を聞いてくれる?」


 ヒクッと強張った作り笑いを浮かべてメビウスは話をすり替えた。コンコンと鉄格子を軽く叩く。


「この鉄格子はさっ僕の竜気で出来ているんだよ」


 竜族は竜気と呼ばれる魔力を具現化する力を持っている。竜気を具現化して道具として使ったり炎のように熱を込めたり、集中させた魔力を爆発させる事も出来る竜族はとても器用な種族なのだ。その上魔法力が桁違いに大きい彼ら竜族は平均的な魔力保有量を軽く百倍は超えて保有している。


「彼の両腕を拘束している縄も僕の竜気なんだけど。本来、僕の竜気はこんな感じなんだ」


 そう言ってメビウスはパチンと指を鳴らした。

 固く冷たい硬質的な感触の鉄格子が漆黒の炎のような形状に変化する。漆黒の炎に見えるメビウスの竜気からは強い魔力を感じた。それも通常の魔力よりも桁違いの密度と精密さを兼ね備えている。魔力というにはあまりにもレベルが違い過ぎて、もはや別次元の産物にしかみえない。


「だから彼はここから出ることは出来なかったんだ。世界最強の種族である竜族を捕えることができるのは、同じ竜族の力だけだからね」

「……メビウスが竜族の力を使ってイングラム様を捕えていたのは分かったよ。つまりこの竜気を消せば自由になれるってことだよね?」

「そうだね。僕の竜気を消せば君達は自由になれるけどそれは今の君達には難しいからね。それにこの空間がどこなのかも多分、分かっていないでしょ?」

「それはそうだけど……じゃあどうすれば竜気を消すことができるの?」

「竜気は本来、魔力と源は同じなんだけど。その密度や精密さは通常の魔力よりも遥かに強い。それは通常魔力よりも強い念みたいなものが込められているからなんだ」

「念って……思いとかそういうこと?」

「まあそうだね。もっというと記憶が込められているって感じかな。通常魔力にも魔力の媒体となる者の思いが込められているんだけど。竜の場合は記憶が込められているんだ。それも生きた時間分の記憶がね。記憶というよりもむしろ怨念に近いのかもしれない……」


 黒曜石のような目を細めてメビウスの顔が悲しげに曇ったような気がした。


「……メビウス? えっと、つまり寿命が長い程、強い竜気が操れるってことなの?」

「そうだね。あとは経験が過酷な程強い竜気が操れるようになる」


 なるほどゲームで言う所の経験値でレベルアップする原理と同じってわけだ。


「……メビウスはイングラム様よりも年上ってこと? それとも過去の経験値が高いってこと?」

「僕の場合はそのどちらにも該当する」


 あなたお幾つですか? と聞きたい。外見はどうみても14、5位の少年にしか見えない。この世界の外見と年齢の違いは詐欺同然だと思う。


「じゃあ、その竜気に込められた記憶を取り払えば竜気を消すことが出来るってことだよね?」

「……原理的にはね。でもそれは不可能なことだよ」

「どうして?」

「通常はこんなふうにむき出しの状態では使わないからね。レナだって魔法を使う時は、その魔法力を自分が持つ属性へ変換させて使うだろう?」


 この世界では皆生まれついての属性がある。属性とはこの世界での五大元素のことで光、闇、火、水、風を示している。自分の属する元素へと魔法力を変換するのが魔法になるのだ。


「あー私の場合はちょっと他の人とやり方違うんだけど……基本的にはまあ同じかな」

「?」

「あー気にしないで」


 あははと誤魔化し笑いをして話を続けるように促した。


「その場合魔法力はあくまでも属性へと変換させるための媒体にすぎないんだ。だから光、闇、火、水、風の五大元素へと変換させる通常の使い方をされたら取り払う事はできないんだ」


 一息ついてメビウスは話を続けた。


「それにね。純粋に記憶だけを魔法力に封じただけの、物の形態の時にしか取り払う事は出来ないんだ。物の形態っていうのは物質化した物の事なんだけどまあ俗にいう所の呪いの道具とかそういうやつ」


 そう言ってメビウスは再びパチンと指を鳴らした。漆黒の炎のような竜気が固く冷たい硬質的な感触の鉄格子の形状に変化した。


「彼の両腕を拘束している縄もこの鉄格子もそういった呪いの道具の一種って事」


 メビウスはコンコンと鉄格子を軽く叩いた。鉄格子は漆黒の炎のような竜気へとその形状を変化させた。


「呪いの道具の時だけ取り払うことが出来るってわけね」

「そういう事」


 メビウスがうんと頷く姿はやはり普通の子供のようにしか見えない。見目麗し過ぎて普通とはちょっと違う気もするけど。


「記憶を取り払う為にはまずはその物質化した形態を解く為に、魔法力で外側の形態を破壊して竜気をむきだしの状態にするんだ。その後は簡単だよ。記憶を受け止める為に直接竜気に触れるだけでいいんだ。そして受け止めた記憶を受け入れて自分の中に消化させるんだ。そうすれば竜気を消すことができる」


 何となくだが悪霊払いに似ているような気が――竜気が怨念に近いって事を何となく納得してしまった。


「だけど怨念に近い他人の記憶を受け止めて平然としていられるかい? それも竜族は何千年も生きる長命の種族だ。何千年もの記憶を受け止めて平然としていられる者などいない」

「……それって死ぬって事なの?」

「そうだね。良くて廃人同然になるくらいかな」


 メビウスは肩を竦めて両手を上げた。つまりは死亡確定ってことだ。自分の記憶でさえも未だに過去に囚われて苦悩しているというのに。他人の記憶を受け止めて自分の中に消化させるだなんてそんな聖人みたいな芸当が出来るわけがない。


 でも――レナは目の前にある先程まで鉄格子だったメビウスの竜気を見た。漆黒の炎にも見える竜気は恐ろしいというよりも何だか少し切なそうに揺れていた。そしてその先に縛られて衰弱したイングラムがこちらをもの言いたげな目で見ていた。

 メビウスはただの少年のように見えても竜族なのだ。親しそうに話しかけて来てはいるが、彼は一ヶ月の間イングラムを捕えて拷問していた。話を聞いても本当に解放してくれる保証はどこにもない。自分達の返答次第ではもしかしたらメビウスは目的の為にイングラムを殺すかもしれない。


 大丈夫そうに見えても実は駄目だったり、逆転されるなんて事はよくある話だ。世の中けっこう厳しいのだ。よく転生前に見ていたファンタジー小説にあるパターンだ。ヒロインが目の前で愛する人を殺されて、復讐に燃えるストーリー。最後はだいたい他に良い人を見つけてハッピーエンドで終わるのだが。


 私はハッピーエンドで終わるのなら私はイングラムが良かった。きっと竜気さえ消えればイングラムが何とかしてくれる。あの頭の良い王子様のことだきっと何か自分には思いもつかない方法で切り抜けるはずだ。

 無条件で信頼出来る何かをイングラムからレナは感じ取っていた。それに竜気の妨害がなければもしかしたらルナやカーライルがここへ助けに来てくれるかもしれない。どこだか場所は分からないけれどあの二人ならなんとか突き止めて来てくれそうだ。


 ――諦めない、もう転生前のあの頃のように私はもう諦めたくない!


「だから竜気を消すなんて無謀な事は諦めて……、ってレナ⁉何やってるの……⁉」


 レナは先程まで鉄格子だった黒い炎のような竜気に両手を伸ばした。それを止めようと慌ててメビウスは腕を伸ばすが間に合わない。何をしようとしているのかと様子を見ていたイングラムにもレナが今、何をしようとしているのか分かった。


「レナ姫だめだ! やめろぉぉぉおッ!」


 ごめんなさい。やめるわけにはいかないんです。心の中で謝ってレナは漆黒の炎のような竜気を両手で掴んだ。


 絶対にあなたを諦めない!


 意識が暗闇に落ちていく。膨大な量の記憶が一気にレナの頭のなかに入ってきた。


「ああっ!」


 記憶の渦に飲み込まれてレナはメビウスの漆黒の炎のような竜気を掴んだままフッと意識を失った。ピクリとも動かなくなったレナをイングラムとメビウスが呆然と眺めていた。


「……レナ、姫? ……レナ――――――――――――――!」


 イングラムの絶叫が牢獄内に響き渡る。


「……うそだろ?」


 レナの行動はメビウスの全ての想定を上回っていた。

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