つかの間の休息――
そうしてメビウスとの話が終了した後に、沈黙の魔獣の力が具現化した魔物達がアラバスターを襲撃してきた。封印が解けるまであと僅かという事もあって、沈黙の魔獣の力が封印から漏れ出したのだろう。
「私達だけで十分だ……」
そういうとイングラムはカーライルと鎧も付けずに軽装のままアラバスターの古城を出て戦場へと赴いた。
竜族は竜へと変身することができる。その竜族が竜へ変身することを竜化と呼んでいる。これが一般的な竜の個体よりも遥かに大きく強大な力をもつ個体へと変身するうえに人型の時よりも魔力も力も桁違いに上がるのだが。
それ程の力があるとはいえ一人の兵士もつけず、数百体はいる魔物を相手に戦場へと赴いたイングラムとカーライルを心配してレナとルナは古城の物見台に無理言って入れてもらって様子を見ていた。
アラバスターの古城の前で行われている戦闘はイングラムとカーライルの圧勝だった。
手の甲から先だけを竜化させた状態でイングラムが魔物達を切り裂き、カーライルが同じく手の甲から先を竜化させて残りの魔物達を片づけていた。二人とも兄弟だけあって連携に無駄が一切ない。
「すごい……」
「これは確かに必要ありませんわね……」
背中合わせに戦う二人の王子はとても生き生きとした表情で楽しそうに戦っているように見えるのは気のせいだろうか。
「あの二人……なんだかとっても楽しそうに戦っているように見えない?」
「奇遇ですわね。私も丁度そう思っていたところです」
「「…………」」
イングラムもカーライルも体を動かしてストレスを発散するタイプのようだ。事務作業よりも実は体育会系向きなのかもしれない。
レナとルナは同じような格好で頬杖をついて無言で二人を物見台からボーと鑑賞していた。
――なんというか。
普通だったら緊張感と緊迫した空気が漂う戦場のはずが、あの王子様二人には妙な安心感と余裕がありすぎて心配しようがない。まさかあの二人がアラバスターに残った本当の理由って――
「まさか戦ってる方が楽しかったからなんて理由じゃないでしょうね……」
ポツリと思わず思っていたことが口から出てしまった。
「そんなわけがあるか!」
不機嫌そうな声が聞こえてえっと前を向くと、背中から黄金に輝くウロコに覆われた美しい竜の翼を生やしたイングラムがいた。あの戦場から飛んできたようだ。
「えっとー……聞こえちゃった?」
えへっと可愛く笑ったつもりだったがイングラムには通用しなかったようだ。
「――ああはっきりとな」
苦虫を噛み潰したような顔で腕を組んでいるイングラム。手の竜化を解いたようで竜の手から普通の手に戻っていた。
「どうやらレナ姫には私達の認識を改めてもらう必要があるみたいですね」
後ろから同じく背中から真紅のウロコに覆われた翼を生やしたカーライルが登場した。
「……あの」
妙に真剣な顔をしたイングラムとカーライル。レナの隣にいるルナは我関せずと言った感じだ。
あれっルナもさっきまで同じような事考えてませんでしたか……?
「そのー……」
だらだらと背中に大量の汗が流れるような感覚に襲われて、耐えがたい緊迫感にレナはこの場を一目散に逃げることを選択した。こういう時は逃げるか沈黙するかのどちらかしか選択肢を持たないボキャブラリーの低さに悲しくなりつつ、転生前の田中大和の時も確かこんな感じだったような気がすると頭のどこかで冷静に思う自分がいた……。
普通は逃げずに何とか頑張るのだろうけど、私にはどうしても無理なんですー!
「……私、部屋に戻って休みます!」
ではっといって片手を上げるとすごい勢いでイングラムとカーライルそしてルナを置き去りにして逃げ去った。
それも若干緩んできた包帯をはためかせながら体の傷は大丈夫なのかと突っ込みたくなるほどの勢いでいなくなった。
「「「…………」」」
置いてきぼりをくらった残りの三名はそのレナの後ろ姿を見送った。
「……逃げたな」
イングラムがまだからかい足りないと言うようにふうっと息をつく。
「あれは完全に逃げられましたね」
カーライルの肩が先程から小刻みに震えている口元に手を当てて必死に笑いを堪えているようだ。
「相変わらず素晴らしい逃げっぷりですわね」
ルナは笑いを隠そうともしない、クスクス笑って兎に角楽しくて仕方ないようだ。
「そう言えばわたくし肝心な事を話しておりませんでした。明日はわたくしもレナと一緒に行きますわよ」
それまで笑いを押さえていたカーライルの動きがピタッと止まった。
「ルナ⁉」
こんどはカーライルが戸惑う番だった。
「大切な双子の妹だけ危険な場所に行かせるわけにはいきませんわ」
にっこり笑ってルナはカーライルを見た。その顔には絶対に譲りませんと書いてある。
「だめだっ!」
カーライルにしては珍しく強い口調で言い放った。
「いやです」
「ルナ⁉」
「どうしても一緒に連れて行って下さらないとおっしゃるのなら、わたくし一人でレナの元までたどり着いて見せますわ」
わたくしのことはどうぞお気になさらずと言った様子でにこにこと笑っているルナ。
気にするに決まっているだろう!
カーライルとルナは無言の攻防を繰り広げていた。
「カーライルそろそろ降参した方がいいんじゃないか?」
イングラムがそんな二人の様子を面白そうに見ていた。
「まったくレナ姫といい……ルナも同じ双子の姉妹だという事を忘れていましたよ」
「お前にも少しは私の苦労が分かっただろう?」
「ええ兄上……」
困ったものだとルナを見れば、全く意に介したふうもなく平然とした様子だった。性格は正反対といってもいいくらいに違うのにどうしてこうも違う意味で人を翻弄するのが得意なのか。
イングラムもカーライルも確信していた。この双子の姉妹に今後も頭が上がらなくなることを――
*******
一方レナはと言うと一直線に部屋に戻ったのかと思いきや、とある場所でしっかり寄り道をしていた。
「ハスラーさんって熊の獣人だったのね!」
この世界では獣人が獣の姿へ変身することを獣化するというのだが、ハスラーの場合は両腕だけを獣化させていた。茶色の濃い毛並が両腕から生えている。
「ああ……」
前回の”ゴッドスペル”お小言事件の時から思っていたのだが、ハスラーは表情があまり動かないので何を考えているのかさっぱり読めない。惚れ惚れするほどの巨体で軽々と元は巨木であった木を持ち上げて、城の防衛線となる扉の前に立てかけて行くハスラー。
レナははじめ部屋へ戻ろうと思っていたのだが、ふと中庭を見た時にハスラーとジークフリートが明日の決戦に向けて準備をしながら歩いている姿を見かけて思わず中庭まで下りてきてしまった。レナは”ゴッドスペル”お小言事件の後二人と会話をする機会がなかったので気になっていたのだ。
「それにしても二人が仲直りして本当に良かった」
作業をしながら一緒に隣を歩いていたジークフリートもまた両手に沢山の矢を持っていた。明日の戦闘に向けてジークフリートもハスラーも準備を進めている最中だった。
仲直りと言われて二人は微妙な顔でお互いを見合ったのだが、それは見なかったことにする。
「そういえばイングラム様ってここでは何て呼ばれているの?」
興味津々といった感じで瞳を輝かせてレナは聞いてきた。
「……それは」
ジークフリートがエルフ特有の長い耳をぴくぴくと動かして口ごもる。子犬のようなしぐさに親近感が湧く。
「えーどうしたの? 大丈夫だよもし変な呼び方だったとしても本人には絶対に言わないから!」
だから教えてーお願いっ! と綺麗な透明感のある青い瞳を瞬かせて可愛くお願いされては、ジークフリートは従うしかなかった。先の”ゴッドスペル”お小言事件から口には出さないがレナの事を姉のように慕っていたのだ。それはハスラーも同じでレナの事をとても気に入っているようだった。
ジークフリートもハスラーもあのように女性から叱られる事はいまでなかった。二人ともそれなりの血筋でいつも周りから傅かれるのが普通の環境で育った。そして幾多の戦場で上げた功績や武勇が広がって半ば英雄扱いで、そんな彼らに色目を使ったりして近づいてくる女性は数知れず。
ジークフリートもハスラーも一般的な標準レベルを遥かに超えた美形なのだ。一般的な女性なら彼らが悪い事をしても余りの美貌に思わず許してしまう。そんな彼らを表立って叱ったレナはジークフリートとハスラーに驚きをもたらした。
それも頬に傷などつけられたら流石に女性ならば相当気にするところだと思うのだが、全く意に介したふうもない。それどころかジークフリートとハスラーの事を気遣う始末である。乱闘騒ぎを止めたナイフ捌きといい、あの不思議な言語といい。
今まで出会った女性とはあまりにもかけ離れていて規格外のレナをジークフリートとハスラーはすっかり好きになってしまった。
もともとジークフリートもハスラーもそこまで仲が悪い訳ではない、むしろ同い年という事もあって異種族間であってもかなり仲が良い方なのだ。だから普段も指揮官同士で一緒に行動することが多い。前回の乱闘騒ぎは流石にちょっとやりすぎたが、小競り合いに似たじゃれ合いはジークフリートとハスラーの間ではよくある恒例行事のようなものだった。
それは司令塔で実質アラバスターの総司令官の称号を持つイングラムも分かっているらしく、ジークフリートとハスラーが大暴れしていても気にせずいつも放置している。ランスロットは一応同じ指揮官として念のため端っこで様子を見ているが、イングラムもカーライルも何時もの事と我関せずといった感じで自分の仕事に専念していた。まあ、最終的にはあまり過熱し過ぎるとイングラムの雷が落ちるのだが。
とりあえずレナにあまり心配をかけたくないし、また怪我を負わせるようなことになったら大変だ。そうしてジークフリートとハスラーはレナの前ではなるべく先の乱闘騒ぎのようなことは自粛しようという協定が密やかに結ばれていたのだった。当の本人はそんなこと知る由もない。
「……鬼の総司令」
観念したようにエルフ特有の長い耳を垂らして呟くジークフリート。
「鬼⁉……あーまあ分かるかもそれ。だってイングラムってば私と話てる時はいっつも頭に角立てて怒ってる事が多いもの。鬼の総司令って呼んじゃう気持ちも分かるというか……」
そういってレナは頭の上に指を二つ立てるポーズをすると、何やら強張った顔のジークフリートとハスラーが視線だけレナの後ろに向けていた。強張ったというよりも青ざめたという方が正しい気がする。
「ほおっ……そうか鬼の総司令か」
何時もよりも幾分か低い声のイングラムがレナの直ぐ後ろに立っていた。
「イッ、イングラム様? どうしてここに?」
「どうして? それは、部屋に戻って休むと言っていた筈のあなたが部屋にいなかったからじゃないか?」
「………」
それはごもっともです……と言い訳することも出来ずに沈黙してしまうレナ。
「まあいい……それよりレナ、あなたはどうしてこんな場所にいるのかな?」
「えっと……それはその皆とお話したいなぁ~なんて思って……ってイングラム様⁉」
ひょいっとレナを両手に抱えると驚きの声を上げるレナをそのまま強引に連れて行く。
まったく油断も隙もない。何時も自由気ままに大暴れしてとんでもなく手のかかるお子様達、ジークフリートとハスラーを何時の間にかたらしこんでいたとは。こんなに大人しくしているジークフリートとハスラーをイングラムは初めて見た。
何処からどう見てもジークフリートとハスラーがレナに好意を抱いているのは明らかだった。この無自覚たらしが……!
「お前達もこんなところで遊んでないでさっさと明日の決戦に向けて準備した方がいいんじゃないか?」
とんだ藪蛇だったが、ジークフリートもハスラーもイングラムに連れて行かれるレナの無事を祈るしかなかった。
沈黙の魔獣との決戦前夜、レナの部屋にイングラムが訪ねてきた。
「傷を治したのか?」
本当だったら少しの傷もレナには負ってほしくない。全身を包帯で巻かれた姿は見ていてずっと痛々しかった。メビウスの次元の穴から脱出した後も、ずっともっと力があればと自分の力の無さを悔やんでいた。
手当した際に使われた薬はどれも最上級のものを使ってはいるが、肝心の回復魔法を使える者は魔物との混戦で行方不明となっていた。回復魔法を使える者は希少でどの戦場でも一人か二人いるかいないかくらいなのだ。そんな希少な回復魔法を使用出来る術者のレナがこの状態では――
出来ることならかわってやりたいと思っていたところに、やっと目を覚ましたレナは回復魔法をイングラムに使用してくるし。
それも使用したあとで魔力が底を尽きただと⁉ 優先順位と言うものを知らないのかと言ってやりたくなったが、言っても絶対に聞かないだろう。
「うん」
イングラムが内心そんな事を考えているとは露知らず。レナはうーんと伸びをした。グルグル巻きだった包帯も取れて少しスッキリした気分だった。
朝にメビウスの衝撃告白を聞いてから大分時間が立っていた。あのメビウスの話の後で襲撃してきた魔物を撃退すると、レナが逃げ出した物見台でイングラムとカーライルそしてルナの三人で話し合いが行われたようなのだが。ルナは、明日は自分もレナと一緒に行くと言ってカーライル達を脅し……いや説得したようだ。そして見事説得に成功したので明日、一緒に行動する事になったとレナの部屋に来て嬉しそうに報告して帰っていった。
その報告を受ける少し前、部屋に戻らずに寄り道してジークフリートとハスラーと話しているところをイングラムに見つかって散々な目にあったのだが……。
その後レナは魔力を少しでも回復させる為にそのまま部屋で寝ていたのだ。夜には大分魔力が戻っていていたので明日の決戦前に怪我を治しておこうとレナは回復魔法を使用してすっかり傷は治っていた。
そうしてレナが寝ている間も魔物達からの襲撃をたった二人で撃退した王子様達は指揮官のジークフリートとハスラー、ランスロットと共に明日の決戦に向けた準備で奔走していた。こうしてレナを訪ねて来たという事はやっと切りが付いたのだろう。
「おいで」
穏やかな顔をしてそう言うとイングラムはレナに片手を差し出した。その手を取るとイングラムはフワッとレナを抱き上げた。イングラムの逞しい両腕はしっかりとレナを抱き上げているがその両腕は体の傷に触らないように限りなく優しい。
レナを両腕に抱きながらバルコニーを出て行くイングラム。
「明日は絶対に無理はするな」
そう言ってイングラムはバルコニーに置かれた椅子にレナを座らせた。空は雲が全くないせいか暗く何時もより星が綺麗に輝いて見えた。
正統派王子様の銀髪碧眼の美しい顔でこうも真剣に言われてしまってはイヤとは言えなかった。でもハイともいえないところが悩ましい。イングラムは一向に返事をしないレナをただ見つめている。
「……………」
「そう言えば求婚の返事をまだもらっていなかったな」
「………⁉」
今それをこのタイミングで聞くんですか⁉
と思ったがイングラムの顔が面白そうにレナを見ていたのでからかわれたのだと直ぐに分かった。
「冗談だ。返事はローズブレイドに戻ってからでいい」
「うん」
自然とお互いにおでこをくっつけて無事に帰れる事を確認するように目を閉じた。
「もう一度言うが明日は無理な事はするな……それだけは守ってくれ」
再度同じ言葉を繰り返したイングラム。それだけレナを心配しているという事だ。仕方ないここは降参するしかない。
「約束する」
そうは言いつつも、レナは多分守れない気がしていた。
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