婚約者の来訪――
レナ・ローズブレイドが言葉を話せるようになった。という噂が広まってから半年がたったある日。ローズブレイド領内はいつにも増して活気に
まるで戦争だ。いつもの料理長はちょっとふくよかな体型と、背が低く白髪交じりのちょび髭がチャームポイントの御年55歳で名前はスミス。キャラ的にはお笑い系にでも出てきそうな、個性
話し方はぶっきらぼうなのに作るお菓子はとっても甘い。私を孫のように思っているようで、すごーくそれはもうベタベタに甘やかしてくれるのだ。小腹が空いて夜遅くに訪ねて行った時も、嫌な顔一つせずに美味しいクッキーやケーキを作ってくれる。彼の作るものはどれも素晴らしく美味しい。とくに棗のような赤い実を使用したお菓子は絶品で、沢山の木の実を詰め込んだ上にキャラメルのような甘いシロップをふんだんにかけたタルトは頬っぺたが落ちそうなほど美味しい。もう彼のお菓子なしでは生きていけない。
レナが落ち込んだ時や不安で胸がいっぱいになっている時は、それを察して人の良さそうな顔でにかっと笑ってくれる。おじいちゃんがいたらこんな感じなんだろうなぁと思う。レナを本当の孫のように大切に扱ってくれるスミスは私の心のオアシスなのである。
それにしても、今日の料理の品数はすごい。肉料理に魚料理、前菜にデザート等々ローズブレイド領でなじみの深い伝統的なありとあらゆる料理が揃っているし、素材も全てが一流品のものを使っているようだ。普段の食事も
メイド長のエミリーだ。朝からこちらも気合の入れようが
普段は、私のやることなすこと全てを呆れ顔で頭を抱えながらも、見逃してくれるとても優しいメイド長のエミリー。エミリーは私が地味に目立たず暮らす為の手段として考えていた、メガネを新調し前髪を伸ばして顔を隠し、くすみがかった灰色の長い髪を後ろに一つ縛りして、男装することを話すと。理由も聞かずにそれを許してほしいと両親にも掛け合ってくれた。
理由も言えない私に、何も追及しようとはしなかった。何も言わずに受け入れてくれたのだ。エミリーは私の大切なメイドで恩人だ。
本来なら、メイド長と言う立場的に、姉のルナに付くのだが。問題児の私が心配という両親のたっての願いで、私付のメイドということになったのだ。
エミリーはしっかりしたお姉さんといった風貌の女性だ。少し明るめの茶髪をきっちり結い上げたポニーテル、切れ長で灰色の瞳を持つ知的な印象の美人さん。
この世界では人間という種族は、茶色や灰色の色彩が一般的でエミリーもその一人である。多くの種族が存在するこの世界で、人間は寿命が短く最もひ弱な種族とされている。
多種族の平均寿命は竜族と魔族とエルフ族の三種族を抜かせば150年から200年だ。この世界で竜族と魔族とエルフ族の三種族だけが突出した力を持っていて寿命も数千年から数万年、が実際のところはどの位まで生きるのかは謎とされている不死の種族。
一方、人間の寿命は長くて80年か90年。特に目立った特徴もなく、繁殖力が高くて
しかしこの世界の半数を占めているのが人間だ。肉食獣より草食獣の方が数が多いのと同じで、ひ弱な種族は繁殖力がとても高い。人間の次に数が多いのが獣人、次いでドワーフや精霊といった少数派の種族が間に入りエルフ族、魔族そして世界で最も数が少ない種族、竜族。
彼ら竜族は世界最強であるが同時に世界最小の種族でもあることからその希少性は高い。そして魔族とエルフ族も数ある種族の中でも突出した力を持った種族だ。
基本的にはこの世界ではどの種族も異種族間での交配が可能なのだが、やはり種族によっては子供が出来やすかったり出来にくかったりといった事はある。人間は異種族間であっても比較的子供が出来やすい事もあり数が多い一つの要因とされている。
それとは逆にエルフ族と魔族、竜族は子供が出来にくい。多くの種族が存在する中でもこの三種族だけは別格で驚異的な魔力と身体能力を保持しており。潜在能力もずば抜けて高い。
そんな彼らとは対照的なひ弱な種族と
そして今日はなるべく近づかない方がよさそうだ。そう思って、そそっと横を素通りしようとしたところでエミリーに捕まった。
「姫様? いったい何処へ行かれるのですか?」
怖い、目が笑っていない。といか何故その殺気立った状態で私に話かけるんだー! と言う頭の中の非難を置いて、私はとりあえず大人しく当たり障りのないように質問に答える。
「皆、今日はなんだか忙しそうなので、私は部屋で大人しくしていようと思って……」
愛想笑いを浮かべつつ答えると。
「姫様? もしかしてご存じないのですか?」
びっくりした様子で目を見開かれて、ついつい私も明るすぎる碧眼をメガネ越しに、同じように見開いてしまう。
「へっ? 何が? 今日何かありましたっけ?」
曖昧な笑みを浮かべて今日が何の日か、よく考えるが何も出てこない。誰かの誕生日とか? 誰も思い浮かばないし、そうだとしてもここまで豪勢な料理を用意はしないだろうし。だいいちここまで城を磨きあげる意味が分からない。
そうすると、誰か重要な人物が来るってことだろうか? でも、重要な人物ってまさか王様、なわけないだろうし。うーん分からない。そんなことを考えていたら。エミリーは頭を抱えてしまった。
「姫様……本日は、ルナ様と姫様の婚約者であらせられます、第一王子のイングラム様と第二王子のカーライル様がいらっしゃる日ではございませんか。たしかそのことはもう何ヶ月も前から、ローズブレイド領のご領主であらせられますルーク様よりお話しがあったはずですが?」
そんなお話しありましたっけ? 目を点にして、よーく考えてみた。
そういえば、二ヶ月前くらいにお父様が何やら神妙な面持ちでお話ししていた時があったような。そういえば、誰かが来るとか言ってた気がしたけれど、あの時は領内の小川で釣りを半日ほどして疲れ切っていて。何にも話を聞いていなかった。
お父様の話が終わるや否や、部屋に直行して気が付けばベッドで寝ていたんだっけ。などとぼんやり思い出していると。エミリーはにっこりと笑って私を見ていた。
「あの、エミリーさん?」
「はい、なんでしょう姫様」
「ひょっとして、怒ってらっしゃいますか?」
おそるおそる聞く私に、エミリーはとても晴れやかな笑みを浮かべた。
「いいえ、まったく。姫様が自分の興味があること以外に、
はぁっと、ため息をついて。エミリーはまだまだ破天荒な姫様の行動を把握できていないとは――修行不足ですわ! と固く握った拳を震わせる。修行って、そんなのしなくていいんだけど。と思いながらも怖くて口には出せない。
本気で怒ったエミリーはそれはもう、頭に雷が落ちたと思うくらいに怖いのだ。実の親である両親よりも正直怖いと思う。
「エミリー……ごめんなさい」
とりあえず、謝っておく。エミリーは蒼白な顔で、今にも修行とやらに出て行きそうだ。
はぁっと、またため息をついてエミリーは諦め顔だ。仕方ないといった様子で、私の手を掴んで部屋へ連れて行った。
「姫様、とりあえずそのお召し物を何とかしなくては。いつもならその格好でも許されますが。今日はお相手がプレンダーガストの王族です。それもお二人とも文武両道で将来有望な上に、見目麗しく男女問わず魅了されるともっぱらの噂ですわ。そして未来の王様候補ですよ? プレンダーガストの第一王位継承者のイングラム様と第二王位継承者のカーライル様に粗相があってはなりませんわ。ということで、今日はとことん磨かせて頂きます!」
まるで自分の事のように
転生前は日本人で18歳の大学生、その上年齢イコール彼氏いない歴だった田中大和の魂がレナ・ローズブレイドの体に転生してから一ヶ月も経たない内に、何故だか未来の王様候補と婚約させられてしまったのだ。
それというのもプレンダーガスト帝国内で絶大な権力をもつ、ローズブレイド家の娘に生まれてきた為なのか――はっきりとした理由は未だに教えてもらっていない。そこまで有力なのかローズブレイド家! 王家の王子をそれも二人も婚約者にするなんて。
しかもどちらを結婚相手にするかはまだはっきりときまっていないのだ。通常、一人の婚約者に対して婚約するのは一人だ。それが普通なのだが――
今回はとりあえず私とルナに対して、第一王子のイングラム様と第二王子のカーライル様と言う形で、二人を同時に互いの婚約者として様子を見る、二重婚約という特例処置が講じられた。つまりルナの婚約者は私の婚約者でもあり、私の婚約者はルナの婚約者でもあるということ。そしてそれは逆もしかり。第一王子のイングラム様の婚約者は第二王子のカーライル様の婚約者でもあるということ。
ようするにどちらか好きになった方をお互いに選べるということなのだが。なんだその特例処置⁉
どうしたものかと途方に暮れ。何とか婚約を解除か破棄しなければ、地味に目立たず穏やかな人生を送る目的がダメになってしまう! と、転生してからここ数か月思い悩んでいたのだった。
何回かレナの父親でローズブレイド領の領主ルーク・ローズブレイドに抗議したのだが、婚約は解消できないと突っぱねられてしまった。結局他に何も名案が思いつかなくて。とりあえず格好を地味にするという当初の目的を実行していたのだが――
やっぱり言葉を話せない事にしておけばよかったかな、とちょっと後悔。そうすれば、婚約する事もなかっただろうし、今回のような婚約者同士の対面、なんてことにはならなかったはず。
少なくともルナはあってもレナにはなかったはずだ。なんせ言葉を話さない上に、懐いているのはルナだけなのだから、対面させようがない。それに言葉を話さないレナをあえて未来の王様候補と婚約させる事はレナが王族でもない限り対面的にもあり得ないだろう、と思いつつもなってしまったものは仕方ない。
ローズブレイド家に恥をかかせないためにも、大人しくエミリーの着せ替え人形になっていたのだが。一通りの用意が終わって眼鏡を外したところで、エミリーが何やら手元のハサミを持ち出してきた。
「……エッ、エミリー? それはいったい何をするのかな?」
嫌な予感がした。冷たい汗が背筋を伝っていくのが分かる。顔面を蒼白にしながら問う私の目を見て、エミリーはにっこり笑って言った。
「もちろん姫様。その長ったらしい前髪を切るためですよ?」
「ちょっ、ちょっとまって―――――――――――――ッ!」
レナの絶叫が城中に響き渡り、無情にもジョキンッという音がそれに
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