囚われの婚約者――

 衝撃の社交界デビューから早二ヶ月。プレンダーガストではある噂が飛び交っていた――先日行われた社交界で、ローズブレイド領の美しい双子姫が婚約者であるイングラム様とカーライル様と踊っている最中に、大声を上げて姉妹喧嘩を繰り広げたらしい。それも社交界の大広間の中央で。どうやらレナ姫が自分の気に入った婚約者のカーライル様と踊れず不満に思っていたところ、隣にやって来たルナ姫にレナ姫が突っかかり奪い合いの喧嘩へと発展したようだ。

 名付けて、カーライル様争奪そうだつ事件、という根も葉もない噂がようやく収まりかけてきたころ。まあ半分は事実なのだが――


 ローズブレイド家にイングラムとカーライルの遠征えんせい先であるアラバスターから一通の手紙を持って使者がやってきた。イングラムもカーライルも社交界が終わると、アラバスターの情勢じょうせいがあまり安定していないからと、あまり話も出来ぬままアラバスターへと帰ってしまった。

 ルナはイングラムとカーライルと手紙のやりとりをしているのだが。社交界の後からぱったり手紙が来なくなった。その時は、ただ単純に復興作業が忙しいのだろうと思っていたので、手紙が来ないことは気にもしていなかったのだ。

 だから、今回の手紙はきっと久々にイングラムとカーライルが近況か何かをつづって手紙を寄越したのだろう、とルナは軽く思っていた。


「さてさてあの王子様二人は今頃どうしているのかしらね?」


 ふふっと笑って、ルナの部屋に遊びに来ていたレナに話し掛けるが、レナはどうでもいいといった様子でそっぽを向いた。同じベッドに腰掛けて使者から受け取った手紙を、開封するルナの手が止まった。ルナは緊張し強張った表情をレナに向けると、感情を押し殺した声で手紙の内容を話した。


 それはプレンダーガスト帝国の正統なる王位継承者、第一王子イングラム・ディ・ヴェルト・クラウディオスが忽然と姿を消えてしまった事。そしてイングラムは今、魔族に囚われているという知らせだった――




 *******




 眠れない夜を何日過ごしたのだろう。レナはイングラムが魔族に囚われたと聞いてから、言いようのない不安にかられていた。二ヶ月前の社交界が終わった別れ際の時。イングラムは不敵な笑みを浮かべて王子様らしく、慣れた様子で手の甲にキスをすると。求婚の返事は次に会うときに、と勝手に約束して颯爽さっそうとアラバスターへと帰って行った。


 返事などお断りに決まっている。聞けば、社交界での”ジミーの指輪”すり替えを提案したのは、実はイングラムだったというではないか。

 地味に目立たず穏やかに暮らす為の努力を水の泡にされた上に。いきなり求婚など申し込んできて。散々人の心をひっかき回しておいて突然いなくなるなんて。求婚などされたら嫌でも意識してしまうではないか。実際、社交界が終わった後もレナの頭はイングラムのことでいっぱいだった。


 それも、会うときはいつも意地悪なのに、レナをエスコートする為に差し出された手はずっと優しかった。踊っている時でさえ支える腕は力強く。そして壊れ物を扱うような気遣いと優しさに満ちていた。言葉と行動が正反対のイングラムを見ていると、不思議と接することが少しずつ楽しくなっていった。

 イングラムを突き放そうと何度試みても、イングラムは変わらず何時も優しい手を差し出してくる。レナに関わる事を諦めないイングラムに半ば呆れつつも差し出された優しい手を握りながら、踊るのはなんとも心地よかった。


 正統派王子様の洗礼された物腰や優しさに、不覚にも少し胸の高鳴りのようなものを感じてしまった。そしてダンスの時にみせたに超一流の旅芸人スキルに驚いた表情を浮かべたときは、正直楽しくて仕方がなかった。

 そして、気付いた時には手遅れだった。イングラムに好意を寄せている自分に気が付いて、ひっしに距離を置くにはどうすればいいのかを考え悩んで。この二ヶ月というものずっとルナの手前、平静を装っていたのだったが。たった二回しか会っていない相手なのに、どうしてこんなに好きになってしまったのか。

 正直なところ好きだけど腹が立つ。こんなに遠慮なく人の心の中に入ってきておいて。行方不明。それも囚われたなんて。


 手紙の内容によると囚われて消息しょうそくってから一ヶ月が経過したとのこと。そして一ヶ月が経過した今でも一向に行方が掴めないでいる。

 アラバスターには現在、復興作業の手伝いで多くの種族が集まっており。魔族との戦線の要として一刻も早く国を機能させようと多くの王族や貴族が集まっていた。皆、武勇ぶゆうに優れ叡智えいちべる百戦錬磨ひゃくせんれんまの強者達ばかりだ。

 そんな強者達が勢揃せいぞろいしている状況で一向に行方が掴めないということは、きっと裏で大きな力が働いているに違いない。


 それにしても、いつもの高潔で完璧で意地悪な王子らしく、多少の危機も颯爽と回避してみせろというのだ。あんな意地の悪い王子のことなど知るものか。そう思っても思ってもジワッと目の端から涙が滲む。


「あっの意地悪完璧王子っ! 普段は抜け目なさそうなのに、何でそうあっさり捕まっちゃってるのよーッ! 少しはこっちの身にもなりなさいっての! 」


 こんなに心配させるなんて、絶対代償を払わせなくては気が収まらなかった。見つからないなら私が見つけだすまでだ! そして面と向かってお断りしてやる!

 レナはイングラムを自分の手で探し出す為に、アラバスターへ行くことを決意した。




 次の日の朝、レナはアラバスターへの遠征許可を貰う為に両親の部屋を訪れたのだが。ノックして入った先にはすでに先客がいた。輝くような銀の髪の後ろ姿。ルナが一足先に来ていたようだ。

 ルナの前にいるのは私達双子の両親であり、ローズブレイド領主ルーク・ローズブレイドとその妻マグダレナ・ローズブレイド。手前にいる男性はルナによく似た容姿をしていた。銀色の長い髪にルナよりも深いエメラルドのような緑の瞳、そして特徴的な長く尖った耳。中肉中背の無駄のないスラッとした体。

 その美しい男性はルーク・ローズブレイド。ローズブレイド領主である。特徴的な長く尖った耳と美しい容姿はエルフのものだと誰の目にも明らかだ。外見は20代前半の若者のように見える。現在15歳のレナとルナの兄だといわれても納得してしまうような容貌ようぼうである。


 そしてローズブレイド領主の後ろに控えている女性はマグダレナ・ローズブレイド。こちらはレナとよく似た容姿をしている。レナとは違ってくすみのない明るい灰色の髪。サファイアのような青い神秘的な瞳。女性らしい丸みをもった美しいラインと、聖母のような微笑み。

 こちらも外見は20代前半の乙女にしか見えない。レナとルナの姉だと言われても全く遜色そんしょくがない。髪はとても長く、プカプカと宙を浮いてなければもう少しで床に付きそうだ。そう、母は多種族が混在こんざいするプレンダーガストでも数少ない珍しい精霊の一族なのだ。


 精霊の一族は本来、あまり多種族との共存を望まない。精霊の一族だけで国や村を作り人里離れた場所に静かに暮らしているのがほとんどで、外界にはあまり姿を現さない。

 そんな二人はどちらもプレンダーガスト帝国内でも一、二を争う美男美女カップルだ。その上絶大な権力と魔力を保有しているのだから、どの貴族も王族もこの二人には頭が上がらない。

 外見からは想像もつかないほど長い時を生きているそうなのだが。実際のところ両親が何歳なのかは、実の娘であるレナとルナも知らなかった。

 そして、レナとルナの両親は異種族間で結婚しているという大変珍しいカップルなのだ。いくらプレンダーガストが多種族の混在する多種族国家とはいえ、異種族間での結婚はやはり珍しい。


 恋愛でカップルになることはあっても結婚するものは少ない。何故なら異種族間の場合、子供が生まれる確率が極端に低くなる事が多いからである。生まれたとしてもその能力は不安定で極端なケースが多いのだ。

 両親の力を全く引き継ぐことができない子供や。中途半端な力だけ受け継いでしまったり。まれではあるが相性が良すぎて強力な魔力を有するものが現れるときもある。


 そしてレナとルナはこの稀なケースに該当し、超強力な魔法力を持っている。レナは光の魔力、ルナは炎の魔力を有しているのだが。如何せんレナもルナも自分の興味があることにしか魔力を使用しようとしない。ある種の規格外の魔法を使用できるのだが、それ以外はからっきしダメとかなり限定された使用方法をする特殊な魔力保持者だ。

 異種族間で誕生した混血種の子供はハイブリッドと呼ばれている。ハイブリッドは両親のどちらの特徴も引き継ぐ事となり個性的な外見になりやすく、物珍しいという意味でもかなり目立つのだ。

 従って恋愛と結婚は別物という方程式のもと、恋愛では自由に相手を選べるが結婚では同種族を選ぶ。というのが通常の認識であり、プレンダーガストにおける恋愛と結婚のあり方である。


 そしてそういった結婚事情から考えると異種族で婚約者同士のレナとルナ対イングラムとカーライルの二重婚約は、竜族の王族とハイブリッドの組み合わせであり婚約が成立する事などありえないはずなのだ。


「竜族のそれも王族と婚約するなんて、ハイブリッドの私達には荷が重すぎます! 考え直して下さい! それにルナはともかく私は……竜族の王族の妻になれるような、そのような器ではありません……」 


 レナは婚約の話をルークからされた時、そう言って猛然もうぜんと抗議した。イングラムもカーライルもプレンダーガスト帝国の第一王位継承者と第二王位継承者だ。正直なところ未来の王妃候補という将来とんでもなく目立つ立場になる可能性がある婚約何て冗談じゃなかった。

 同じ立場のルナも婚約にはあまり乗り気ではなかったようで、ルークへ婚約の解消を申し出たいと話すと快く承諾してくれていたのだが。ルナも一緒に婚約解消の話をしに付いてきてくれたのだが……

 ルークからの返答は、婚約を解消することは出来ない……だった。


「そもそもこの婚約の必要性は何処にあるのでしょうか? わたくし達が竜族の王族である彼らと婚約する事で彼らに何らかの利益を与えるようなものはないと思うのですが……」


 というルナのもっともな問いかけにもただ一言、すまない――とだけ言ってそれ以降ルークは口をつぐんでしまって一切答えてくれなかった。

 レナもルナも婚約を解消する手立てが何かないかと思案してはいるものの半ば諦めかけている。


 そういった異種族間での結婚事情を吹っ飛ばして結婚したルークとマグダレナから生まれたハイブリッドベイビーの双子の姉妹であるレナとルナは、ハイブリッドの中のでもさらに珍しいエルフと精霊の子供。何でもエルフと精霊の子供が生まれたのは何百年ぶりかというくらい珍しいらしい。

 少し尖った耳も普段は長い髪に隠れてしまっているし、人間離れした美貌を除けば外見的には人間の個体と大差ないのだが、周りからは相当な珍獣扱いだ。

 エルフと精霊の子供は”セルフ”と呼ばれている。人間とエルフだとハーフエルフとかカッコいい感じの呼び方になるのだが。セルフってなんだかセルフサービスみたいで、お手軽な感じがしてちょっと安っぽいんだけど。とレナは常々思っていたりする。


 そんな両親とルナを前にして、アラバスターへ行くことを告げようとルナの隣へ進みでると。ルナは隣にやって来たレナに、にっこり笑って穏やかな声で言った。


「レナ大丈夫よ。お父様とお母様には今アラバスターへの遠征許可を頂きました。それではさっさとイングラム様を見つけだして、求婚の返事しに行きましょうね」

「……はい⁉」

「レナ。お姉さまはね、レナが考えていることなんて全てお見通しなのよ?」


 あなたが行きたがっている事くらい分かるわよ。愛おしそうにレナを見つめる瞳がそう語っていた。そして大切なものを守る為には、今何をすべきなのかをルナはよく理解していた。


「さすがお姉さま……よく分かっていらっしゃる」


 まったくもう。きっとこの人には一生敵わない。


「そうでしょう? 私はレナが大好きだから。レナの為なら何でもしてあげたいし、何でも分かるのよ?」

「うん私も! 私もルナが大好きだよ。だから私もルナの為なら何でもしてあげたいし、ルナのことなら何でも知ってるよ」


 お互いに照れたように笑い合って手をつなぐ。そんな双子の仲睦なかむつまじい姉妹愛が目前で繰り広げられるのを暖かい眼差しで見守りながら。ローズブレイド領主、ルーク・ローズブレイドとその妻マグダレナ・ローズブレイドは愛しい双子の子供達がイングラムを無事に見つけ出し、共に帰還きかんすると信じていた。


「ルナ、レナ。君達がどうしても行きたいというのなら止めはしない。けれど、私もマグダレナも君達が大切な娘であり、誰よりもその身を案じているということを忘れないでほしい。そして私達はいつでも君達を愛している。たとえ相手が誰であろうとも……何時いかなる時も君達の見方であるということ。そのことを忘れないでほしい」


 真摯しんしに語るルークのエメラルドのような美しい瞳は、愛しい娘達とのしばしの別れに切なくれていた。


「ルークも私も、あなた達が無事に戻れるようにずっと祈っているわ」


 マグダレナもまた、ルークと同じようにサファイアの瞳に寂しさを滲ませていた。ルークもマグダレナも双子の愛しい娘達と共にイングラムを探しにアラバスターへどんなにも行きたかった事か。

 しかしローズブレイド領の民を治める者として。長く城を開けるわけにはいかなかった。見送る事しか出来ないことが、歯がゆくもどかしい。遠くの地へとこれから赴く双子の愛しい娘達が、元気で帰ってくることをルークとマグダレナは切に願っていた。


「お父様、お母様。それでは明日の朝。私達はアラバスターへ向かいますわ。善は急げともうしますから」


 そんな両親の心情を察してか、にっこり笑ってルナは勤めて明るく振る舞った。


「大丈夫ですよ。お父様、お母様、無事に戻ってきます」


 レナも両親を安心させるように歯を覗かせて精一杯の笑顔を見せる。いつも口数の少なすぎる両親。話さなくても分かり合える熟年夫婦。レナがどんなお転婆や問題を起こしても全く怒らないし叱りもしない。慈愛に満ちた眼差しで優しく見守っている。


 両親とは普段一緒に過ごしていても言葉を交わすことがほとんどない。ルナとはよくおしゃべりするのだが。両親とはいつも目と目で意思を交わしているのみである。こんな家族は世にもまれだろう。けれども自然と言いたいことや思っていることが伝わってくるので、いままでその状態を不満に思ったことはない。

 それを見かねてかわりに怒って叱ってくれるのが。茶髪をきっちり結い上げ、切れ長で灰色の瞳の知的な美人のメイド長のエミリーだ。エミリーいわく、ルークもマグダレナも。レナとルナを溺愛し過ぎて全てを許してしまうのだとか。


「かならず、私達の元へ戻ってくるんだよ。いいね?」


 幼子に言い聞かせるような口調でルークは双子の姉妹へ語りかけた。


「はい、必ず戻りますわ」

「うん、ちゃんと戻ってくるから」


 ――だから信じて待ってほしい。


 レナとルナは美しい両親と抱擁ほうようわして両親の部屋をあとにした。さっそくアラバスターへ行く準備をする為にそれぞれの部屋へと戻っていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る