ルビーと旋風(2)

 ジークとイーサンの二人は、場所をイーサンの執務室に移し、久々の会話に花を咲かせた。

 中将の執務室は、少将にあてがわれているものと作り自体はまったく同じだ。あとは、観葉植物やちょっとした小物などが個を主張している程度だが、この部屋で目をひくものといったら、なんといっても机上の写真だろう。

 部屋の中央に設置されている応接セットも、まるっきり同じもの。

 ジークがドア側に、イーサンが執務机側に、互いに対面するように座った。成人男性二人は余裕で腰掛けられるだろう大きさのソファだが、イーサンが座ると、どう見ても一人掛けソファである。

 ガラステーブルの上には、二人分のコーヒー。先輩自ら振る舞ってくれたそれからは、湯気とともに、芳しい香りが漂っていた。

 二人は、ジークが士官学校時代からの長い付き合いだ。ゆえに、必然的に昔の話題にも触れることとなるため、話のネタに事欠くことはない。

 しかし、そのたびイーサンから言われることといったら、「お前を手懐けるのに苦労した」だの、「当時からお前はつれない奴だった」だの、ジークにとっては面白くもなんともない(むしろどうでもいい)内容なのであった。

 とはいえ、イーサンとの会話で気分が晴れるのも確かだ。屈託のない彼のこの性格に、ジークは少年時代よりずっと支えられてきた。

 今は今で、平均年齢四十五、六歳という将軍組織に身を置く唯一の二十代であるジークを、イーサンは人一倍気にかけてくれているのだ。

「あ、そうだ。……この前久しぶりにマキシムに会ったんだけどよ。あいつ、最近やっと肉付いてきたな」

 コーヒーを一口啜り、咳払いをしてから、イーサンは話題を転換した。咳払い一つとってみても、まことに豪快である。

 話題の転換先は、ジークのよく知る人物についてだった。

「ラボでの寝泊まりからようやく解放されて、今は毎日自宅で休めていると言っていました」

 これに対し、ジークもコーヒーを啜りながら応える。

 研究所で会ったあの日以来、直接顔を合わせてはいないが、つい先日、電話で彼と話したばかり。相変わらず飄々としていた彼だったが、声の調子でそれほど疲れていないことが窺え、胸を撫で下ろしたところだった。

「俺も安心したわ。……しっかし、あいつの頭ん中はどうなってんのかね。いっぺん脳味噌見てみてぇな」

 ソファに深く腰を沈め、腕を天に突き出し、背伸びをしながらイーサンが言う。

 実は、イーサンもジーク同様、マキシムとは長い付き合いなのだ。

「頭脳だけではありませんからね、彼の場合は。研究に取り組む姿勢も、この国に対する忠誠心も……尊敬します」

 というのも、に関しては、イーサンも一枚噛んでいる。

「……あいつに限っては、あの罪状に到底納得なんざできねぇよな」

「……」

 今から遡ること八年前、郊外に作られた学術研究都市のとある施設で、マキシムは働いていた。今と同様に、研究者として。

 そこでも、上司や同僚からの信頼は厚く、何もかもが順風満帆だった。

 反逆罪いわれのないつみで捕えられるまでは。

「あのときは、本当に助かりました」

「俺はほとんどなんもしてねぇよ。大半は、お前が動いたから実現できたことだ」

 イーサンは、こう謙遜してみせたけれど、投獄されたマキシムをジークとともに救い出し、今の職場につけるよう上に働きかけたのは彼だ。

 当時のジークは、まだ将軍のポストにいなかった。それに加え、貴族や元帥の息子という、立場上様々な制約があったため、思うように行動することができなかったのだ。

 下手に動けば、状況は退転し、自分はおろか周囲にまで飛び火してしまう——そう懸念した。

「まっ、俺も無実のヤツを檻に入れて平気でいられるほど冷血漢でもねぇしな。それに、可愛い後輩の頼みとあらば、一肌でも二肌でも脱いでやんよ」

 いつもの『イーサン節』を炸裂させ、やんちゃそうに笑う。

 なんて心強い存在なのだろうと、ジークは改めて敬服した。彼の言葉や態度、悪戯な笑みでさえ、こんなにも頼もしく感じられる。

 謝意を込めて頭を下げたジークに、イーサンは「んなことせんでいい!」と語気を強めるも、一転。

「……お前も気をつけろよ」

 険しい表情で、こう忠告した。

 マキシムを陥れた人物は、まだ見つかっていない。というより、目星はついているが、依然野放しのままなのだ。

「……はい」

 自分にとって煙たい存在を、片っ端から排除してきたような人物だ。そのリストの中には、間違いなくジークの名も載っている。やすやすと尻尾を出すとは到底思えないが、それでも屈するわけにはいかない。

 この国を、自身が愛する存在を、守るために。

「ところでよ」

「?」

 と、ここでイーサンの顔つきが一変した。部屋の雰囲気、ひいては色までがらりと変わってしまった。なぜかパステルカラーに。

 大の男が二人。どう贔屓目に見ても似合わない。とくにこの大男には。

 はじめキョトンとしていたジークだったが、ハッとして、すぐさま身構えた。……嫌な予感がする。

「新婚生活はどうよ?」

「……」

 予感的中。

 本日最大級に悪そうな顔つきでイーサンが尋ねてきた。

 ジークにとって、これはもうお馴染みの質問だ。溜息すら出ないし、迷惑そうな色を顔に浮かべることさえ面倒くさい。

「いたって順調ですよ」

 なので、素直に答えて差し上げる。だって本当のことだから。

 最近、ディアナの感情表現が多彩になってきた。よく声を出して笑うようになったし、とりわけ言葉数も以前より多くなった。それに比例して、少しずつではあるが、自己主張もできるようになってきたのだ。

 控えめだった彼女が、自身の思いを言葉にしてくれる喜びとその尊さを、現在進行形でジークは噛み締めている。

「可愛い子だってもっぱらの噂じゃねぇか。……十代の嫁さんかー。若ぇよなー」

 後輩の新婚生活やその妻に関心を寄せたイーサンだったが、彼からは、羨ましい素振りも妬みや嫉みといった感情も、いっさい感じられなかった。意外にも。

「しっかりしてんのか?」

「それはもう」

「だろうな。じゃなきゃ、お前が結婚なんてするワケねぇもんな」

「中将の奥様も、大変素晴らしい御方ではありませんか」

 そう。実はイーサン。こう見えて、結婚八年目を迎える既婚者なのだ。

「まあな。仕事も子育ても、ほんとよくやってくれてると思う」

 さらには、二男一女のパパでもある。彼の執務机に飾られているのは、彼ら家族五人の写真。

 では、なぜこの幸せそうな家族写真がひときわ目をひくのか。その理由は、彼の妻にあった。

「まさか、中将とイザベラさんが本当に結婚できるなんて、思ってもみませんでした」

「……すっげぇ腹立つけど、正論過ぎて反論できねぇ自分にさらに腹立つわ」

 後輩のなんとも失礼な発言に、眉間に皺を寄せるも、イーサンは項垂れてしまった。

 彼の妻であるイザベラ・オランドは、彼よりも三つ年下の三十四歳。水色のウェーブヘアーに萌葱色の瞳が魅力的な、花のように清楚な女性だ。

 まさに『美女と野獣』。

 彼ら夫婦を見た者の心中には、十中八九、この言葉が浮かぶに違いない。

「付き合うようになったと聞いただけでも衝撃だったのに」

「それ以上俺の心臓を握りつぶすんじゃねぇ」

 花に一目惚れした熊。

 猛アタックに猛アタックを重ねた結果、イザベラの心を射止めることに、イーサンはなんとか成功した。そこから結婚までは、自身でも驚くくらいに早かった。

「……ですが、お二人は私にとって、理想の夫婦です」

 少しだけ残っていたコーヒーを、最後まで一気に飲み干したジーク。この言葉の真意には、イーサンもすぐに察しがついた。

 フレイム夫妻とオランド夫妻は、なのである。

「まあ、いろいろと大変なことはあるけどな。とくにお前は貴族だから、嫁さんにもなるべく負担かけないように、いろいろと気ぃ遣ってんだろうけど」

 イザベラもまた——ヒトなのだ。

 もちろん、互いに差別心など抱いていなかったし、周囲からも反対の声など挙がらなかった。だが、戸惑いや憂いが、まったくなかったわけではない。

「けど、お前ンとこは大丈夫だ。今のお前の顔見たら、お互い上手くやってるのがよくわかる」

 それでも、なんとか夫婦二人で乗り越えてきた。子どもが生まれてからは、その子たちにも支えられながら。

 難しく考える必要なんてない。家族とは、そういうものだ。

 それからイーサンは、「あとは、嫁さん立てときゃ間違いねぇよ」と、存分に茶目っ気を含んだ笑みでこう言った。

 最後の一言に妙に納得したジークは、「そうですね」と、頬を緩めて首肯した。

 部屋に西日が差し込む。

 ふと窓の外に目をやると、山の端に、隊列をなす鳥の群れが見えた。茜色に暮れる空を、忙しなく羽ばたいている。

 時刻は、午後五時を回ろうとしていた。

「では、私はそろそろ失礼します。長居をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 鳥たちに感化されるように、ジークがソファから立ち上がる。それにつられて、イーサンも腰を上げた。

「いや。もとはといえば俺が誘ったんだ。久々にお前と話せて良かったよ」

 つかの間の戦士の休息。それももう終わりを告げる。

 男同士、互いに信頼の笑みを交わすと、入り口のほうへ足先を向けた。

「ん?」

 ちょうどそのとき。二人の耳に、ドアをノックする音が飛び込んできた。

 今日は来客の予定などないはずなのに……と首を傾げながらも、イーサンは短く返事をする。

 扉が開いた瞬間、ノックの主と最初に顔を合わせたのは、入り口に近い場所に立っていたジークだった。その人物に対し、にこりと笑顔を向ける。

「……あら、フレイム少将。ご無沙汰しています」

「ご無沙汰しています、イザベラさん。お元気そうで」

 顔を覗かせたのは、いましがた話題に上っていた、イザベラ・オランドその人だった。

 センター分けした長い前髪を、後ろ髪とともに一つにまとめた彼女。普段は髪が背中全体を覆っているが、仕事のときはこのスタイルだ。

 清純な白のブラウスに、膝丈の黒いタイトスカート。そして、その上に羽織っているのは、彼女のユニフォームとも言える白衣。

 全身から知性インテリジェンスが滲み出ている。否、溢れ出ている。

「あれ? お前今日は夜勤だって言ってなかったか?」

「そうよ。急にここへ呼び出されてね。でももう終わったから、ちょっと顔見て家に帰ろうと思って」

 それもそのはず。

 イザベラは、軍の専属病院に勤務する軍医なのだ。

 内科と外科の両方を専門とする非常に優秀なドクターで、その人柄と技量の良さで、軍内外からとても慕われている。

 以前は戦地に赴き、兵士とともに移動しながら医療任務にあたっていたが、イーサンとの結婚を機に、現在の病院へと異動したのである。

「今晩、子供たちのことお願いね」

「ああ、それは心配すんな。お前が出掛ける前には帰るから」

 どうやら今夜は、父が母に代わり、子守をする番のようである。

 オランド家には、六歳になる一卵性双生児の息子と、四歳になる娘がいる。母が外出している今は、兄二人が妹の面倒を見てくれているらしい。

「では、私はこれで。また家にも遊びにいらしてくださいね。奥様もご一緒に」

「ありがとうございます」

 ジークにこう挨拶すると、イザベラは夫よりも一足先に帰路へとついた。

 花が去ってしまったここは、またもや男二人だけの空間に。

「相変わらず物腰柔らかな方ですね」

 夫に向かい、ジークは彼の妻をこのように称賛した。

 同じ軍人ゆえ、彼女のことは、それこそ軍に入隊した頃から知っている。世話になったことも、ある。

 溺愛している妻を褒められれば、自分のこと以上に嬉しいはず。自身もその情調は経験したことがあるので、彼の心情は容易に想像することができる。

 ……と思っていたのだが。

「普段はな。……あいつ怒るとめちゃめちゃ怖ぇんだぞ」

「え?」

 彼から返ってきた予想外の言葉に、ジークの思考は一瞬停止した。

「うちの嫁さん、虫が大の苦手でな」

「……べつにそれほどおかしくないのでは?」

 必死で話を追いかける。

 初っ端から頭の回転がつまずいたせいで、返答がワンテンポ遅れてしまった。

「いやいやいやいや。その怖がり方が尋常じゃねぇんだって」

 当初想定していた反応と、イーサンの口から出てくるワードがどんどんかけ離れていく。

 そもそも、『怒ると怖い』ということと、『怖がり方が尋常でない』ということが、どうにもイコールで結べなかった。

「この前、庭先にムカデが出てよ……」

 そんなジークのことなどお構いなしで、イーサンは話を続ける。

 彼の話を要約するとこうだ。

 先日、家族でバーベキューを楽しんでいたときのこと。足元に「こんにちは」したムカデに発狂したイザベラが、イーサンに退治を依頼するも、手が離せない状況だったために少し待つよう言い渡されてしまった。

 すると、「ムカデ退治より優先すべき事項など今この場にはない!」と、髪を振り乱し、ものすごい形相でさらに発狂したらしい。

「あの迫力ったら半端ねぇのなんのって天変地異でも起こしそうな勢いだったからなマジで」

 この台詞を、イーサンは、無表情のまま息継ぎすることなく一息で言い切った。よほど恐ろしかったのだろう。そのときの壮絶な情景をより克明に思い出し、青ざめた顔で身震いした。

 ここへきて、ようやく合点がいったジーク。結婚する前から頭の片隅にそっと寄せておいた、が脳内再生された。

「俺にあんだけのプレッシャーかけられるんだから、ムカデぐらい余裕で退治できんだろって思うんだけどよ」

「言わなかったんですか?」

「ったりめぇだろ!! 俺が土に還されるわっ!!」


 女性は逞しい。


 ◆


「お帰りなさいませ」

 ジークが帰宅すると、薄暗い最中、ディアナが玄関にしゃがみ込んでいた。いろいろと道具を持ち替え、せかせかとその場を整えている。

「ただいま。……どうしたんだ?」

「プランターを移動させているとき、手元が滑って、落としてしまって……」

 そう言った妻の周りには、ガーデニング用の移植ゴテや箒などが無造作に置かれていた。どうやら、これらを駆使して、散蒔ばらまかれた土を片づけていたらしい。ほとんど処理されたあとのようで、もうどれほども残ってはいなかった。 

「大丈夫だったのか? 怪我は?」

「あ、わたしは大丈夫です。……ただ、落としたプランターは使えなくなってしまいました」

 妻の身を案じた夫に対し、彼女の口から返ってきたのは、自身の無事とプランターの有事。

「そうか。……プランターは、また買えばいい。お前に怪我がなくて良かった」

 妻が無傷であることに、夫はとりあえず安堵する。

 形あるものが壊れてしまうのは仕方のないことだ。次の休暇を利用して購入することを提案すると、嬉しそうに妻は頷いた。

 ジークも手伝い、すっかり元通りになった玄関。

 気づけばとっぷりと日が暮れ、空には月が昇っていた。

「ありがとうございました。すみません、お仕事から帰ってきたばかりなのに……」

「いや。二人でやったほうが早いからな。夕飯も二人で作るか?」

「あ、いえ。夕飯の支度はできてるんです」

 ディアナ曰く、片づけをいったん中断し、ジークが帰ってくる直前まで夕食の準備をしていたので、温め直せばすぐにでも食べられるとのこと。

「どうぞ先に家の中へ入っていてください。道具を倉庫に仕舞ったら、すぐに夕飯を用意しますので」

 ジークにそう告げると、倉庫に向かうため、ディアナは歩き出した。

 その直後。

「あ」

「ん?」

 自身の足元を這う、怪しげな存在に気がついた。

「ムカデ」

「え? ……!?」

 言うやいなや、移植ゴテの柄を逆手に持ち、ディアナは標的目がけて一気に振り下ろした。

 軍人のジークでさえ、感じ取ることができなかった殺気。

 気温が低くて動きが鈍くなっていたせいか、先端の尖った部分が、首尾よく頭部にクリーンヒットした。

 ——プチッと。

 驚き固まる夫を余所よそに、仕留めた移植ゴテでソレを掬うと、妻はスタスタと歩いて行った。そうして何事もなかったかのように、庭の隅へと埋めたのである。

「可哀想ですけれど、咬まれると痛いですからね」

「……」


 ムカデは、土に還された。


 その足で道具を倉庫に片し、夫のもとへと戻ってきた妻。

 いつものように、愛くるしいつぶらな瞳と可憐な声で、夫に話しかける。

「では、夕飯にいたしましょうか。……どうかなさいましたか?」

「いや。……やはり逞しいな。女性は」

「?」

 女性は逞しい。

 本日、このフレーズが夫の脳内をヘビロテすることになるなど、あどけない妻は知る由もなかった。

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