妊娠中期

入院一回目

 思えば安定期なんてものはありませんでした。

 5ヶ月に入る頃。つわりのピークを過ぎた頃からは多少食べられるようになっていました。けれど、その分前にも増してよく吐くようにもなっていました。

 里帰り出産を予定していたので、その頃に実家の近くの病院へ受診することになっていました。(それにしてもなんで受診しないといけなかったんだろう。もっと遠いところからの里帰りだったら行かなくてよかったのか??? )

 実は妊娠がわかって直ぐに主人の転勤が決まり、よその地域の結構遠くへ引っ越しが決まっていました。けれど、ギリギリまで時期が決まらなかったので、どこで分娩予約をするかだいぶ悩みました。

 いつ行くかわからない知らない土地で予約なんてできないし、かといって当初予定していた病院には通えない。そこで、特に動く予定のないわたしの実家の近所へと思ったのです。

 わたしは他の病院のつもりだったけど、親がもっと近所の病院を押し付けて来た。車での送り迎えを約束するからと、かなり強引に決めさせられました。

 これが波乱の幕開けとなるわけです。


 受診前日

 実家まで少し遠かったので、両親が迎えに来てくれました。

 その頃は多少体調が良くなっていたので、歩いて三分のクリーニング店へ夫のスーツを預けていました。その日に取りに行く予定だったので、ひとりで行こうとしたら母も付いて来る、と。

 一緒に歩き始めたら、母はひとりでどんどん進み、ちらっと振り返ると「遅い。早く。」と。

 妊婦に早歩きさせる実母ってなんだ? と、思いましたが、母に言われると何故かしないといけなくなるような気になってしまう。しなくていいのにちょっと早く歩いてしまった。

 調子づいた母はさらに早く歩かせようとするからそこでやっと抗議。すると、やっと娘が妊婦だったことを思い出したと言う。

 わたしは呆れるしかない。面倒くさいなと思いながら、右の下腹部がなんとなく痛くなってきた気がする。でも大したことないし、明日病院いくし、とそのまま家を出て実家に泊まりました。でもじわじわ痛い。


 受診当日

 朝からやっぱり、なんとなく右の下腹部が痛みました。妊娠前からその辺りに小さな子宮筋腫があることはわかっていたので、たぶんそのせいかな、と思っていました。

 子宮の外に出来るタイプのもので、妊娠前にも炎症を起こしたことがありました。その時に盲腸を疑ってCTを撮ったら筋腫だったわけです。嫌な予感はしつつも、「どうせ今から病院行くんだし」と割と軽く考えてました。


 が、しかし。

 いざ診察となると、かなり一方的な先生でわたしは一切しゃべらせてもらえませんでした。

 胃の調子が悪い旨と、お腹が痛いことはメモに書いて、うっかり検診の助成券に挟んだまま提出してしまったので読んではくれたようですが、勝手に「胃の痛み」だと判断されてしまったようです。

 本当はカロナールあたりの痛み止めが欲しかったのですが、実際に処方されたのはムコスタ(胃薬)。確かに胃の調子も悪かったけど、痛いのは下腹部なのになあ、とモヤモヤ。

 わたしも勢いに圧倒されて口を挟めなかったとはいえ、せめて痛い場所は聞いて欲しかった。そして向こうも聞くべきだった。これが後でエラいことになるわけです。


 朝から出かけてやたらと待たされて、帰宅したのが午後三時。ずっとお腹は痛いまま。だんだん強くなってる気がするけど、仕方がないのでムコスタを飲んだ。

 疲れてしまったので、その日は家に帰らないで実家に泊まることにしました。痛みはだんだん強くなる一方で、その夜は痛すぎて一睡もできませんでした。

 夜中に気付いた時は、右の下腹部にゴルフボールよりもちょっと大きいくらいの固まりがお腹からにゅっと出てました。痛みに波があって、その固いのが出ていると激しく痛む。その頃は、腸が動いているのかな? くらいの胎動だったので、中で筋腫を蹴られていたわけではないと思います。ですが、蹴られているんじゃないかと思うくらい痛かった。

 寝返りを打つのにいちいち決心しないといけない異常事態。一晩中のたうち回っていたわけですね。今思えば夜間でも受診すればよかったのに。


 翌朝

 これは普通でないと思い、朝一番に受診。前日とは別の医師に当たり、直ぐに入院となりました。

 虫垂炎を疑われるほど痛みが強く、その頃は自力で寝返りや体を起こすことが困難でした。幸いにも血液検査と腹部エコーの結果、虫垂炎の可能性は否定できました。純粋に筋腫の痛みだったようです。

 入院と言われてわたしは驚きましたが、その重要性は後々よくわかりました。


・筋腫が腫れると子宮も収縮する。

・収縮が続くと子宮頚管が縮む。

・そのため切迫流・早産に移行する可能性がある。

・でも妊娠中なので抗生物質などは使えない。


 妊娠前に炎症を起した時は筋腫の根元が捻れて変性していたので、今回よりもより酷かったはずでした。けれど、妊娠していなかったので強めの抗菌剤が飲めました。一週間の服薬でケロリと治ったので、呑気な話ですが何となくそんな気でいたのです。

 実際に、子宮は収縮していたと思います。全方向からぎゅうぎゅうに絞られる感覚でした。もうそうなったらもう筋腫が痛いのか子宮が痛いのかわかりません。

 痛すぎると人間は攻撃的になるようで(わたしだけ? )付き添いに来てくれた母に当たり散らして散々でした(でも母も母で、見当違いのことばっかりでわたしもイライラする。もともとあまり理解もない。そもそも引き金は母の早歩きの強制だし)

 その時はまだ経験していませんでしたが、もしかしたら陣痛はこんな感じなのかもしれないなとも思いました。実際には違ったけど。


 聞くところによると、妊娠16週~20週くらいにかけては筋腫が腫れやすいそうですね。わたしもちょうど18週でした。

 わたしのは漿膜下筋腫(外に出来るタイプ)なので、医師からは妊娠出産にはあまり影響しないと聞いて勝手に安心していました。確かに着床にも胎児の発育にも邪魔にならずに助かってましたが、だんだん大きくなってきてはいました。痛くなるとこんなこともあるんですね。

 ちなみに、月を経るごとに筋腫の数も増えていきました。あまり産道に近い場所で大きなのが出来ると経膣分娩が出来なくなるそうですが、そういうものやあまりに大きくなり過ぎたり痛くならない限りは特に問題にはならないようです。

 ちなみに、妊娠中の筋腫の手術は出血しやすいそうで、余程のことがない限りまずしないそうです。


 一週間の入院中は朝夕の張り止めの点滴(確かズファジランだった)と頓服にカロナール200mgを一回2錠を処方されました。

 その頃、子宮頚管は4~5cm。子宮の収縮も直ぐに収まりました。実際に切迫流産ではないものの、同じ薬を使うので病名は切迫流産とつきました。

 妊娠中は本当に普通でないのだなあと実感した出来事でした。


 これだけでも十分大変でしたが、わたしの妊娠中期の波乱はまだ続きます。むしろ序の口です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る