三度目の正直 わたしが赤ちゃんを授かるまでの記録

豊福 れん

不妊治療にいたるまで

流産から不妊治療を考えるまで

 流産からの不妊治療を経て、ようやくの妊娠でした。妊娠出産はもちろん、不妊治療も早いほうがいい。24歳くらいが妊娠適齢期だとどこかで読みましたが、そんな風にできたらどんなによかったことか。いまどきなかなか難しいことが多いのではと思います。


 28歳で結婚し、その二ヶ月後に妊娠。新婚旅行の出発日から生理の予定が、来ないまま旅行終了。これはもしかして、と思い旅行から帰宅して直ぐに市販の妊娠検査薬を試しました。もちろんくっきり陽性。

 夫に報告すると大喜びで、なぜかその場で記念写真まで撮りました。けれど、順調だったのはここまで。


 初めて病院に行ったのが5週3日。胎嚢らしきものは見えましたが、まだ確定できませんでした。その後9週0日まで何度か受診しましたが、心拍どころか胎芽すら確認できない。結局は繋留流産と診断され、翌々日に手術の予約をしなくてはなりませんでした。

 しかも、エコーの画像がモヤモヤしているとの事で、胞状奇胎の可能性まで出てきました。ショックどころじゃありません。でも仕方がないので手術は受けるしかない。


 当日病院に行くと、当たり前ですがお腹の大きな方が居て、赤ちゃんの声が聞こえるのでやりきれなかった。その状況におかれていることにイライラする。それを抑えるのに必死でした。

 わたしは昔から同情されるのが嫌い。なのに変に気遣われると余計だめで、あれは本当にしんどかった。


 手術のことはあまり細かく覚えていません。子宮口を開くための細長い棒状の薬を入れるのが痛かったなあ、くらいです。

 全身麻酔が始まると直ぐに寝てしまったようで、看護師さん達と話をしていたと思った次の瞬間には妙な感覚の夢を見ていました。


 あの感覚は他にない。絵の具を使った後の筆を洗うバケツの水をザーッと流したような、いろんな色が細かく混じり合っている中に自分も溶け込んでいる感じ。実体のない幽霊にでもなった気分でした。

 自分が何者だったか、それまで何をしていたかなど、一時的ですがその夢の中では一切の記憶がありませんでした。そして、それに対して特に焦ったり困ったりもしていない。寧ろ、しがらみから解放されたような気分ですらあったりして。それからだんだん思い出してくると同時に覚醒し、ぼんやりと目が覚めたのを覚えています。

 目覚めるときに唸っていました。声が出ている自覚もなかったので、本当に不思議な感覚でした。


 麻酔のせいか、しばらくぼんやりしていると、だんだん身体も覚醒してきます。まだ頭はぼうっとしていても、徐々にお腹が痛くなってきました。その時、看護師さんが様子を見にきてくれてました。


「どうですか」

「お腹が痛いです……」


 そう返事をすると、すぐに痛み止めをくださいました。その後部屋の外に母が来ていたようでした。


「まだ少しぼうっとしていらっしゃいます」


 看護師さんが母に話すのを聞きながら、うとうと。痛みが薬で治まるとまた少し眠りました。その後母とも少し話をして、夜に夫が迎えに来て帰宅。痛みはそれ以降ありませんでした。


 それからの一週間は実家へ帰り、寝たきりで療養へ。家事をしなくていいのでよく休め、回復に専念できて大変助かりました。

 が、しかし。そればかりでもないから困ったもんです。少しくらい労ってくれてもいいのに、両親は追い討ちをかけることしかしなかった。


 妊娠の極初期の流産のほとんどは誰の責任でもないことです。その受精卵に何らかの問題があって、それ以上自力で育つ力がないからです。なのに、両親にはお前のせいだと散々なじられました。でも、それを責められる義理はないわけです。

 確か、流産が三回続くと不育症を疑うそうです。でも、わたしは妊娠自体が初めてだった。傷付いているのはわたし。しかも胞状奇胎かもしれないなんて言われて不安がっていた時だった。

 夫に電話して慰めてもらい、こっそり泣きました。意地でも親の前では泣かなかった。早く家に帰りたくて仕方がなかった。


 しかしまあ、母なんてわたしよりも多く流産してるくせに、よくもあんな風に言えたものだなと今でも思います。

 切迫早産の時も出産の後も世話してもらっているし、感謝はしているのですが、あれは本当にひどかった。


 よく、「妊娠出産のときにされた酷いことは一生恨み続ける」と聞きますが、あながち間違っていないように思います。(余談ですが、流産とはいえ、基本的に軽い出産と考えるそうです。きちんと養生しないと、やはり後々になって響くとか。)これは忘れられそうにありません。なんたる恨みがましさかと自分でも思いますが、そういう問題ではない。



 検査の結果、胞状奇胎ではありませんでした。とりあえず違ったから良かったものの、同じ時期に友人が出産したり、同じ時期に正常妊娠した友人がいたりでしばらく気持ちは落ち着きませんでした。

 もちろん大事な友人なので嬉しかったし、きちんとお祝いはしましたが内心は複雑。会いに来て!と、言われましたが行きませんでした。行けるほど人間できてません。

 この後、二ヶ月程で生理が復活しました。痛かったのも術後しばらくの間だけでした。傷口というよりも、子宮の大きさが元に戻る痛みが強かったようです。初期だったし、たいして大きくなっていなかったはずなのにエラいもんです。

 翌月には温泉旅行が出来るくらいだったので、回復は順調だったと思います。けれど周期が変わってしまい、元よりも5日程短くなっていました。量も期間も少なくなったし、生理痛も一切なくなりました。

 痛くないのは助かりますが、量と期間と周期が減るのはちょっと心配。手術した病院問い合わせてみましたが、「周期は変わることがあると言ったでしょ」と、軽くあしらわれるだけでした。

 でもわたし、その話聞いてませんけど。そう思ったけど、あまりにも面倒くさそうに言われたので言えなかった。

 聞き逃したのかもしれませんが、手術に関する説明文には書いてない。モヤモヤしましたが、「その程度の事なら大丈夫なんだろう」と思い、放っておくことにしました。

 今思うと随分な対応をされたものです。その地域では有名な医院だと聞いていたのだけど、だいぶガッカリした。

 ぞんざいにあしらわれてしまうと受診するのも憚りました。けれど、結局その後一年経っても、授かることはありませんでした。


 そして、その後通った不妊治療専門の医院で、不妊の原因の一つにその周期の短さを指摘されることになります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る