妊娠判明から中期まで

妊娠初期

つわりが激しくて本当に死ねると思った

 5週の終わりには、既に吐き気がありました。初めに受け付けなくなったのが鶏肉。これはつわりが終わって後期に入っても産むまで食べられませんでした。

 焼き鳥大好きなのに、一生食べられなくなったらどうしようかと心配しましたがそれは大丈夫でした。

 鶏肉を皮切りに、間にあっという間に食べられるものがなくなります。


 ピーク時は水すら飲めない。お茶も早いうちから匂いでダメ。あめ玉も舐めてる時はいい。でも、舐め終わった瞬間にトイレまっしぐら。レモン味の黄色い砂糖水をゲロゲロ。

 お腹が空いては吐き、何か食べてはまた吐くの繰り返しでした。

 「何やってるんだろうな、わたし……」と、常に思っていました。でも逃げられるわけではないし、耐えるしかない。もう生きた心地がしない。むしろ実は死んでたりして……と、さえ思っていた。

 ピークの2日程は、水とあらゆる固形物が受け付けませんでした。水がダメなので、本当に死ぬかもしれないと覚悟を決めてました。(今思えば、死ぬ前に病院へ行けば点滴で栄養取れますが、その時はまずそんなこと知らなかったし、入院したくないだとか思考が偏って変になっていました。食べられられないといろいろおかしくなるようです。っていうか病院がちゃんと教えてくれよ)

  でも、何故かスポーツドリンクとフルーツアイスは食べられたたので、入院も死ぬのもなんとか回避。よかった。


 臭い、特に香料の臭いがとことんダメでした。一番酷かったのが洗剤の臭い。その中でも食器用の洗剤が特にダメ。この世の物とは思えない悪臭でした。

 その頃、キュ○ュットが好きで愛用していました。もともと香料は嫌いでしたが、汚れがよく落ちるし、他も似たような物しかないので妥協して使っていました。けれど、その香料が更に苦手になってトイレまっしぐら。(出産後も耐えられなくなりました)

 更に、トイレへ行くために廊下に出たら、そこで部屋干しの洗剤の臭いが籠もっていてトドメを刺されます。よけい気持ち悪くなってもっと急ぐはめになりました。

 極めつけは、自分の体臭。やたら甘く感じて変な臭い。動いたりしてふっと臭う度に軽く吐きそうになっていました。

 そして、汚い話ですがトイレで自分の排泄物の臭いを嗅いでしまうともっとダメ。用を足したら吐き気を催して、急いで拭いて急いで流して立って吐く、などということもありました。我ながらひどいもんです。


 1日に何度も吐きまくっていると結構疲れます。相当体力を使います。こんなに腹筋使って赤ちゃん大丈夫なの?と、思ったけれど案外大丈夫なものですね。お互いにそれくらいの生命力は必要らしいです。

 ああ、気持ち悪い。だからとりあえず今日も赤ちゃん元気らしい。それだけが生きる支えといっても過言ではありません。(後から聞いた話をだと、これも根拠も関係もないらしいですが)

 陣痛よりも出産よりも、悪阻が一番辛かった。7ヶ月まで吐いていました。中には出産まで悪阻が続く方もいらっしゃるとか。これは本当に辛いです。


 妊娠は病気ではい。だからこそ、薬で治らないから大変なんです。なので、そういう妊婦に怠けるなとか言ってる人がますます許せなくなりました。

 女同士で、自分が悪阻などの妊娠中の症状が軽かった人ほど、ひどい症状の妊婦に暴言を吐く傾向にあるとか。「自分が楽だったから、あなたも大丈夫」は通じません。全く同じ人間ではないのですから。


 体調の悪さも何か変。前項でも書きましたが、それで妊娠に気付いたくらいです。心音を確認出来る頃まで少量の出血が続き、当初はめまいもあって初めから寝たきりでした。

 夫曰く、顔が青白かったらしい。横になっていてもクラクラして、平衡感覚が変になりそうでした。

 ただ、めまいが酷かったのは極初期だけで、中期に入る頃にはだんだん治まっていきます。

 ついでに書くと、つわりの激しさと性別は関係なかった。


 聞くところによると、悪阻で死ぬ人も中にはいるようですね。わたしも100年前なら死んでたかも。スポーツドリンクが飲めたから生きてたようなもんです。二人目の時は酷くて、スポーツドリンクもだめだったから点滴に通ったし。



 妊娠がわかってすぐの頃、実は夫がわたしのためにフィギュアスケートのエキシビションのチケットを取ってくれていました。

 毎年3月に行われる世界選手権が日本開催で、しかも行ける会場が生活の範囲。そして、羽生結弦選手も出てらっしゃいました。

 実は長年のフィギュア好きなわたし。なやんだ末に、根性で見に行ってしまいました。

 バカです。こんなにしんどいくせに。車を出して貰えてなかったら確実に行き倒れてた。今考えると本当にバカなことをしたなと思います。

※本当に絶対に真似しないでください。


 その頃の生活は、ほぼ布団とトイレの往復のみ。たまに産科へ検診に行くのが唯一の楽しみでした。

 起きていられないくらいだるい上に、5ヶ月くらいまではほぼ何も食べられていなかったから本当に動けなかった。

 しんどいのとはちょっと違うけれど、何だかよくわからないけれどとにかく起きていられない。起きていることを全身で拒否しているかのような感覚で、横になると心底ほっとするくらい。

 年が明けてすぐに妊娠がわかって悪阻に苦しみ、次に気付いた時には春になっていました。

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