五〇〇〇ドルで死の旅へ 4

〈4〉


 耳元でひたすら怒声が鳴り渡っていた。いや、銃声だ。本物の怒鳴り声も交じっているけれど、世界を占める音のほとんどが銃声だった。素足の爪に食い込む湿った大地が放つジャングル特有の香りすら、硝煙の甘さに呑まれている。

 ボクは銃の台尻をしっかりと肩に当てて引き金を絞る。銃が暴れないように脇を締めて、フルオートで三〇メートル先に朴訥と立つ人型を狙う。ボクだけじゃない。ずらりと並んだ子供たちがみんな、虚ろな表情でカラシニコバアサルトライフルを構えていた。

 背後を徘徊する男の気配に怯えながら、恐怖で狙いをずらしてしまわないように細心の注意を払って自分を無に近付けていく。

 急に隣の子がつんのめった。でも、視線を送ったりはしない。なにが起ったかなんてわかりきっている。

 男が――ボクらの監視者が、殴り飛ばしたんだ。

 踏み止まり損ねたその子が慌てて姿勢を正そうとして、躓いた。両手を振り回してボクの射線に飛び込んでくる。

 引き金は戻さなかった。戻したら、次はボクの番だとわかっていたからだ。

 その子の手首が千切れた。血が弾けて噴き上がって、それもすぐに首や顔から迸った赤と区別がつかなくなる。

 ボクは撃ち尽くしたマガジンを抜いて、次を滑り込ませる。その一挙動の間に目元を汚す血を拭う。

 ぽっかりと空いた隣には、もう別の子供が立っていた。

「ねえ」とその子が、話しかけてくる。ボクと同じくらいの年頃の、女の子だ。浅黒い肌と漆黒の縮れ毛の中で、金とも緑ともつかない瞳が美しい黒猫みたいに輝いていた。

 ボクは人型だけを睨んで引き金を絞る。

「ねえ」諦め悪く、今度は反対側から別の女の子の声がした。こちらは白い肌と金髪が眩しい。「大丈夫だよ。トールは仲間だから、殺したり、しない」

「ねえ」と三度促されて、ボクはようやく真っ白な廊下にいる自分に気付く。両手をそれぞれ女の子にとられていた。

 ボクらの他にも薄水色の検査着に痩せ細った体を隠した子供たちがたくさん犇いていた。不安そうに身を寄せ合って、でもボクたちみたいに手を取り合っている子はいない。

 なんとなく優越感を感じたとき、廊下の先に大人が出てきた。白衣を着た大柄な男が太い指でボクの後ろを示す。

「トオル!」

 久し振りに見る母だった。父も駆けてくる。

「とおる! 徹!」と叫びながら母がボクを掻き抱いた。父までもが母ごとボクを抱きしめる。こんなこと、ボクが記憶している限り初めてだった。

 無事でよかった、と喘ぐ母の泣き顔が、ぐにゃりと歪んだ。黒髪をそのままに、顔つきが幼く鋭く虚無に、変じる。

 少女が、座っていた。純白のワンピースを車椅子に詰め込むようにして、長すぎる袖と裾を納めている。その上に載った顔も、壁に溶け込みそうなくらい白かった。彼女を彩る漆黒の髪と焦げた瞳だけ艶やかで、ドキリとする。

 いつの間にか母も父も、ボクの手を握っていた二人の女の子までもが消えていた。ボクと白い少女の二人きりだ。

 少女はささくれた唇で呟くように、旋律らしき音階を辿っている。

 ――魔女が作ったリンゴのタルト、メインディッシュのお姫さま、ハーブを詰めて丸焼きに、ことこと煮込んでシチューにするか。

 そんな物騒な歌詞に、ボクは思わず「君が」と吐息で話しかける。

「メインディッシュのお姫さま?」

 数秒して、少女は初めてボクの存在に気が付いたようだ。緩慢に顔を向けてくれる。

「ボクも連れて来られたんだ。たぶん、悪い魔女に」

 少女は不思議そうに瞬く。

 言葉が通じなかったのかもしれないと思って袖の上から少女の両手を握ってみたけれど、やっぱり彼女はなにも言わなかった。

「大丈夫、丸焼きにもシチューにもさせないよ。ボクが守ってあげる。ボクはね、こう見えても王子さまなんだ。お姫さまを助ける、王子さま」

 バカ気た夢物語だ。彼女の口遊んでいた歌にひっかけた、ただの言葉遊びだ。そんなボクに、彼女はようやく頬を緩ませてくれた。

 そのとき、ボクは少女の首に巻きついた醜い傷跡に気付く。美しい白い肌が、そこだけ醜く引き攣れている。ボクはそっと、彼女を怯えさせないように慎重に頼りない指先を引き寄せて跪いた。

 彼女が、ぎゅっとボクの手を握り返す。そして車椅子を捨てて、駆けだした。ボクとつないでいないほうの手に、小さな拳銃を握っているように見える。

 瞬時にボクの脊髄がその性能を見抜く――弾は弾倉マガジンに七発、薬室チェンバに一発。

 ボクの手を引いて、彼女が白い建物から飛び出す。同じ色のドレスが翻って翼のようだ。そのまま空だって飛べるんじゃないかと思う。

 ボクと彼女は連れ立って、激しい風の中を進む。彼女の翼が大きく広がる。

 黒くて硬い床によじ登った。バラバラとヘリの騒音がうるさい。でも、ボクは達成感でいっぱいだった。彼女とあそこから逃げ出せたことに、幸福さえ覚えていた。

 それなのに、彼女は唐突にボクを振り解く。

 操縦席に、男が座っていた。彼女はそいつに駆け寄って、首に腕を回す。ついさっきまでボクとつながっていた腕を、男に与えている。

 ヘリがわずかに動揺した。浮遊感に苛まれてボクは尻餅をつく。

 その瞬間、ボクは大切な人を残してきてしまったことに気が付いた。慌てて床の切れ目から下を覗く。

 地表で、二人の女の子が悲鳴を上げていた。金髪の子が両腕を振り回している。縮れ毛の子は、なぜか左眼を白いガーゼで隠していた。晒された右の瞳が涙で光っている。

 建物から、両親が転がり出てきた。ボクの名前を呼んでいるのかもしれないけれど、ヘリに邪魔されて聞き取れない。

 不意にボクの顔の横から手が伸びた。男に抱き着いていたはずの少女が、危な気なくボクの隣に立っている。その手に、小さな拳銃が握られていた。

 細く筋張った腕を辿って視線を這わせる。コロンと骨の浮いた肩と、白いスリップと同化しそうな首と、異質な皮膚に覆われた大きな傷痕が、あった。断頭台から甦った幽霊みたいだ。

 ぱ、と火花が散った。白い排煙が広がって、金色の薬莢が吐き出される。立て続けに躊躇いなく、八発全て――。


 ボクは目を見開く。

 白く濁った部屋だった。発砲の余韻だろうか、と思ったけれどすぐに違うと気付く。火薬の匂いがしないし、床だって揺れていない。ごうごうと鳴っているのは天井にある空調だ。湿った砂の香りと少しの生臭さが鼻腔に流れ込む。鉄格子の嵌った窓を白んだ空が埋めていた。

 ホテルの部屋だ。

 あれは、あの夢はボクの、十三歳の夏の断片だ。

 柔らかいベッドの上で、ボクは身じろぐ。汗をかいていた。それなのに心臓は落ち着いている。いつもより少し拍動が強いくらいだ。

 首を捩じれば、もう一台のベッドでロシナンテが豊満な肉体を強調するタンクトップとホットパンツという姿で眠っているのが見えた。廊下へ通じる短い廊下にはリューイが、そして窓際のソファーではジギィとシシリが休んでいる。

 ソファーの上のジギィは長身を窮屈そうに畳んでいた。それを背凭にして、床に座り込んだシシリが眠っている。首には、あのときと同じ死人めいた色彩の傷跡だ。こぼれ落ちたジギィの長い腕がシシリを抱えていた。二人の指先が、彼女の膝元で幸せそうに絡んでいる。

 ボクは枕に頭を埋めたまま、その光景を――ボクから両親を奪った二人が朝日の中で寄り添う様を、微睡の中からただ見詰める。

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