五〇〇ドル分の欠品 2

〈9〉


チュイムクブワ ア キジャニ緑の虎

 ボクはその名を、乾ききった砂漠の真ん中で噛み締める。『リチャード・ロウ匿名希望』なんて不確かな名称よりもよほど彼女たちに似合う組織名を、彼女たちに教わったスワヒリ語で発音する。

 右耳に入れたイヤホンの中で、シシリが『〈緑の虎〉』と同じ名を英語で繰り返した。それが鼓膜の内で増幅されて幾重にも反響する。その名の下でボクが葬った誰かの断末魔の、幻聴だ。いや妄想だ。そうであってほしいと願いながら、体は自然と竦む。

 そんなボクに、レナードが一層眼光を砥いだ。あの村で、ボクが裁いた男へ注がれていた眼差しだ。

 砂塵が押し寄せた。急速に高度を落としたジギィのヘリが、排他的な爆風を従えてボクらの背後に舞い降りる。

 マナナが尻餅気味に座り込んだ。素早くレナードが膝を折って、銃を保持していない手で彼女の膝に触れる。

 チョコレート色の肌に黒い縮れ毛のマナナと、陶磁の肌に金髪のレナード。

 ボクの十三歳の夏と心中していた二人だ。とても大事な、生死を共にした二人だ。それなのに今のボクは彼女たちに駆け寄ることもできず、シシリの背とジギィの威圧感との板挟みになっている。

 ボクらを苛む風はさらに力を強めていく。マナナたちにしがみつく子供の何人かが踏ん張りきれずに倒れ込み、転がっていく。

 ボクだって立っていられない。吊るしたカラシニコバの銃底が擦れるのも構わず両手と両足を突っ張って地面にしがみつく。

 わずかに膝を緩めたシシリの背だけが、あまりにも超然と聳えていた。

 首に絡みつく縮れ毛を押さえて身を竦めるマナナに覆いかぶさったレナードが、カラシニコバを抱き寄せた。銃口が天を向いている。後頭部で無理やりひっつめた金髪がひょこひょこと小動物みたいに跳ねていた。

「トール」と不意にリューイの声が右耳のイヤホンと左の耳朶の両方に触れた。タイヤ式のヘリの脚はまだ接地を躊躇っているのに、飛び降りてきたらしい。黒い覆面で鼻から下を隠したリューイがM4カービンとは逆の手でボクの肘をつかんでいる。

「交替だ。パッケージを降ろしたらお前が乗れ」

「え、なにに?」

「ヘリに、に決まってんだろ」

 寝惚けてんのか、と悪態を吐き終えるより早く、リューイがM4カービンの銃口を上げた。ぎょっとして射撃軸を追う。レナードがシシリを狙っていた。

 違う。シシリ自身がレナードの射線を遮ったんだ。レナードは、ボクを狙っている。

『ねえ、ジギィ』とロシナンテの猫撫で声だ。『もう少し離れてくれないかしら、ジギィ』

『殺していいとは言ってないぞ』

『あら、だって彼女たち、明らかな敵意を向けてるわ』

 敵よ、と断ずるロシナンテの殺気を察したのか、レナードがわずかに銃身を迷わせた。引き金に掛けていた人差し指も伸びていく。どこに潜むかも知れぬロシナンテが怖いようだ。

 ヘリの風を受けた銃弾がまともに飛ぶはずもないのに、とレナードの過剰な怯えに疑問を覚えてから、彼女にそんな知識がないことに気付く。ボクが彼女たちと行動していた短い期間に限定したことだけど、〈緑の虎〉の装備といえばナイフとカラシニコバアサルトライフルが一般的で――部隊の共有装備として機関銃やRPGといった大火力の武器もあったけれど――長距離用狙撃銃なんて繊細なものは存在しなかった。ロシナンテがシスターの頭を撃ち抜くために必要とした緻密な弾道計算を想像しろというほうが無理なんだ。

 レナードが歯を剥いた。地鳴りに似た騒音の隅に叫びが入り雑じる。当たり前に、聞こえない。でも唇が、「アドゥイ」という単語を形作った。

 マイクが、シシリの低い笑いを捉える。言葉はない。獲物を前にした捕食者の、唸りだ。

 ぎゅん、とヘリのローターが出力を変えた。風が弱まり、砂に煙る視界が少しずつ晴れてくる。肩越しに振り返れば、まだ回転を止めきらないプロペラブレードの影が不吉に地面を裁断しているところだった。

 開放された右側面の扉から、女の子の遺体を包んだ青空色の防水シートとそれを取り巻く子供たちが覗いている。ジギィの降機許可を待っているのか、みんな行儀よく膝を突いて座ったままだ。

 優雅な仕草でカーゴパンツの砂を払って、マナナが立ち上がった。慌てたようにその前に立ち塞がったレナードを擦り抜けて、マナナはリューイの銃口へと身を晒す。

「感謝します、〈ヘレントルテ〉。あなたは私の子供たちだけでなく、昔の仲間まで連れて来てくれた」

「誤解ですよ、〈リチャード・ロウ〉。確かに子供たちはお返しするとお約束いたしましたが、彼は違う。彼はウチの荷物だ。決して、あなたたちへの貢物なんかじゃない」

「けれど本を正せば、最初に私たちから彼を奪ったのは、あなたたちでしょう。あなたを、覚えていますよ」

「反政府武装組織に拉致された民間人を取り戻すことが奪うと表現されるならば、イエスと答えるべきですね」

 もしシシリと初めて出会ったのがあのアフリカのジャングルにひっそりと存在した小さな村だったら、シシリの言い分は正しい。でも今朝の夢が真実なら、ボクらが出逢ったのは神経質なくらい清潔に管理された白い施設でのことだ。ボクの両親が働いていた医療施設からボクを連れ出したことは、奪ったと言われても仕方がないだろう。

 それなのにシシリは悪びれる様子もない。まるであの施設ごと反政府組織だと思っているようだ。

「その少年は」とマナナの後ろからレナードも声を張る。「アタシたちと一緒に、人権保護団体とやらに買い取られたんだ。アンタの主張する民間人の奪還ってのが、まっとうに売買された人間を銃で脅して連れてくことを指すなら、アンタの返事はそりゃイエスだ。だろ?」

『どっちもじゃない』

 リューイの至極正常な突っ込みは、勿論無線を装備していないレナードたちには届かない。シシリだけが不本意そうな顔の半分だけを発言者に向ける。

 大人気ない女性陣の応酬を余所に、ヘリから降りた子供たちが防水シートを運び出そうとしていた。周囲をぐるりと囲んだ小さな手が、半身を失った仲間の一切をこぼさないように慎重に扱っている。

 操縦席のジギィも、M4カービンをレナードに当てているリューイも、睨み合っている女性陣も、助けに行かなかった。マナナの傍にいた子供たちが駆け寄って、怪我の大小に関係なく十七人全員で少女の遺体をトラックへ移動させている。

 防水シートが荷台に引き上げられるのを待って、ようやくマナナが「〈ヘレントルテ〉」と囁き声を発した。

「欠品は一点、と仰いましたが、私の子供たちは四人足りていません。彼らは、どこですか?」

「いいえ、〈リチャード・ロウ〉。欠品は確かに一点です。あなたたちからご依頼を受けた時点で我々が取り戻し得た子供たちは、これで全てですよ。欠損した商品は一点ですので、お約束通り成功報酬から五〇〇ドルを差し引いて請求させていただきます。すぐに修正した請求書をお送りいたしますのでご確認ください」

 マナナが肩に纏わりつくスカーフの下、防弾着の内に着たシャツの胸ポケットから携帯端末を取り出した。どうやら修正済みの請求書とやらを受信したらしい。通知ランプを瞬かせる端末を操作するマナナの肩には、新品じみたホルスターが巻かれていた。

 マナナは右手で端末を握り左の人差し指一本でタッチパネルを突く。

『〈リチャード・ロウ〉からの入金を確認』

 リアルタイムなエヴァンの報告に、「〈ヘレントルテ〉」と内緒話に似たマナナの呼びかけが被さる。

「あなたが取り戻せなかった子供たちは、〈プラント〉の手に渡ったのでしょうか?」

「さあ? 管轄外です」

「〈プラント〉に引き渡されたときくコンゴの子供たちは、どうなったのでしょうね」

 肩を竦めて、シシリは無防備な両手をM4カービンの銃身に添えた。

「依頼に不要な情報に興味はありません」

「四年前、あなたがトールを連れ去ったあの施設も〈プラント〉の一部でした。あなたはなにか、あの組織についてご存じなのでしょう? 断頭台の幽霊」

「それは」シシリは、マナナの揶揄を無視する。「〈プラント〉について探れという新たなご依頼ですか?」

『シシリ』だんまりを決め込んでいたジギィが、不機嫌そうな通信だ。『仕事は終った。かかわるな』

「ウチのボスは乗り気じゃない。お断りします」

「……子供たちの命がかかっているとしても、ですか?」

「人の命は安い。あなたが今、我々に入金した程度だ」

 マナナはため息をついた。それなのに、彼女の顔は相変わらず情愛に満ちた微笑を張りつけたままだ。代りにレナードの眦が吊り上がる。

「〈ヘレントルテ〉、アタシもアンタを覚えてる。思い出した。アンタは四年前、アタシたちから仲間を奪った。その償いをするべきじゃないのかい」

「あのとき、トールを取り戻したのは〈リチャード・ロウ〉からではありません」

「屁理屈だね。アンタだって、アタシたちを覚えてるはずだ。アンタから貰った弾は」レナードがタクティカルベストの腹を鷲づかむ。「まだここにある」

「忘れたほうが好いことも人生にはたくさんあるんだよ、〈緑の虎〉。それができないなら、大人しくアフリカでいもしない虎を探してればよかったんだ」

「そうですね。後悔しています。私たちは、自分の国から出るべきではなかった。人道主義者を名乗る連中が、結局は子供たちから搾取することしか考えていないと、私は身を持って知っていたはずなのに」マナナはガラス玉になってしまった自身の瞳を、瞼の上から撫でた。「私は子供たちを預けてしまった。信じた私のミスです。けれど信じたくなるほど、私の国の医療レベルは低いのですよ」

「だから、同情しろと?」

「いいえ。ただ、理解していただきたいのです。私たちはみんな、家族なのです。いなくなってしまった四人を、私は諦めたりはしません。だって、ほら、トールと再会できたのですから。四人を見失ってしまいましたが、今回の別れだって悪いことばかりではありませんでした」

「そっちの兵士が一人死んで、四人は戻らず、トールはウチの荷物。それなのに、悪いことばかりじゃない?」

「ええ、私たちからトールを奪ったあなたがまた、トールを連れて現れてくださった」

 緩やかに、マナナは空っぽの左手を肩の高さまで上げた。ボクの身の返還を求めるように、ボクを誘うように、掌が伸べられる。

 あのころは砂と傷に塗れていた指が、丁寧に整えられた爪ときれいなチョコレート色の肌を備えている。もう、誰も彼女を虐げていない証拠だ。彼女の子供たちも痩せてはいるけれど、あのころのボクらとは違って健康そうだった。

 それに見惚れていたから、気付かなかった。

 ド、とトラックが跳ね上がる。フロントグリルが炎に包まれた。荷台から滑り落ちた子供たちが、それでも防水シートの上に体を投げ出して仲間の遺体を庇うようだ。

 なにが起きたのか、わからない。

 カラシニコバを落としたレナードが、左の側頭部を両手で覆って蹲っている。苦痛の呻きと指の間を伝う鮮血が砂に斑を描いていた。

「あなたたちとは一生わかり合える気がしないね、〈緑の虎〉。さよなら、だよ」

 シシリが宣言とともに身を翻した。立ち竦むボクの肘を捕えてヘリへと歩み寄る。

 引きずられるようにヘリへ近付いて、ようやく事態が呑みこめた。

 ヘリの鼻先から突き出たマシンガンが薄く白煙をくゆらせている。ジギィが、高火力兵器でトラックを撃ち抜いたんだ。

 加えて今さら、ポォン、と小さな低音がした。遠すぎる、ロシナンテの発砲音だ。

 ボクは頭部を失ったシスターの肉塊を見下ろす。同じだ。さっきと同じように、けれどイヤホンを嵌めていたボクとは違って無防備なレナードの耳朶を、長距離狙撃の銃弾で掠めたんだ。ヘリの暴風が収まった砂漠でなら、ロシナンテにはそれができる。

 ぱぱ、と連続した発砲音がひどく近くで上がった。発砲者を確認する前に、背を突かれる。熱せられた鉄板じみたヘリの床に頬から倒れ込んだ。両腕で体を起こうより早く、今度は膝をすくわれた。そのまま荷物のようにヘリのキャビンに押し込まれる。

「シシリ! 待って!」

 慌てて振り向いたボクの鼻先で、スライド式の扉が閉ざされた。一気に音が遠退き、鉄錆の臭いと湿度がむせ返る。

 腹の底から振動が抜けた。ヘリが再始動したんだ。

「ジギィ!」這うようにして、操縦席のシートに取りついた。「待って! 撃たないで。話し合いをさせて。彼女たちはボクの仲間だったんだ、お願い、少しだけ時間をちょうだい!」

 パシ、とガラスが爆ぜる音がした。レナードか、拳銃を持っていた子供かが応戦しているのだろう。でも、圧倒的すぎる。

 ジギィの指先一つでヘリの過剰な火力がマナナたちの生身を引き裂く。容赦ないシシリとリューイの銃弾はもう、注がれている。

 鈍い浮遊感が襲ってきた。ヘリが地面を離れたんだ。膝が砕けた。床に縋った掌が生温いゼリー状のなにかに触れた。

 固まりかけた、血だ。ブルーシートに包まれた少女の亡骸から流れたものだろう。少女の遺体を庇った少年の残像が瞬きの間に焼きついては消える。

「彼女たちを撃つなら」

 ボクは四つ這いでヘリの床を移動する。閉ざされた扉に両手を掛けて、全体重でもって引き開けた。

 暴力的な風が呼吸を封じてくる。自分の声だって聞こえない。眼下に広がる茶色い大地が遠いのか、まだ近いのかもわからない。眩暈と耳鳴りと息苦しさの下で、それでも交わされる銃撃音は拾えた。

「ボクは降りる」

『は?』とリューイの間抜け声がした。

「〈緑の虎〉を撃つなら、ボクはここから、飛び降りる!」

 イヤホンの中で舌打ちが、三人分くらいした。シシリとロシナンテと、たぶんリューイだ。ジギィは機体を動揺させることもなく黙りこくっている。

『本気で』非難めいたシシリの抑揚が右耳に刺さった。『こんなテロリストたちを助けるために、君が投身自殺をする気?』

「本気だよ」

 言ってから、ふくらはぎが痙攣していることに気付く。ボクは、怯えていた。高さに、そしてもしシシリたちがボクの脅しに屈しなかった場合の想像に、今さら怖気が湧き上がる。

 銃撃音が和らいだ、気がした。ボクの願望がそう思わせたのかもしれない。

 永遠にも近しい時間がボクの顔を嬲る。ぱらぱらと断続的な銃声が、眠たそうな合間を挟み始める。

『シシリ』とエヴァンの機械音声に、肩が跳ねた。知らず息を止めていたらしい。

『撤退しよう。〈緑の虎〉との契約は果たされた。仕事は終りだよ。連中にはトールを取り戻しに来られるだけの武装はない。ここでトールに飛ばれるより、テロリストを見逃すほうがマシだ』

『全員仕留められる!』

『〈緑の虎〉の末端部隊を始末するために、トールを失うわけにはいかないよ』

 不満そうに無線はノイズを孕んだまま沈黙している。ロシナンテの特徴的な銃声も、拒否を伝えるように轟いた。

『シシリ』ようやく、ジギィの囁きだ。『撤退しろ』

 応えはなかった。

 ボクはヘリの手すりを握って首を伸ばす。はるかな下方、想像していたよりずっと遠いところで、小さくなったピックアップトラックに乗り込む人影が見えた。シシリとリューイだ。

 トラックの周りには子供たちが蹲っている。ひょっとしたら撃たれたのかもしれない。

 そんな中で、金が輝いた。

 レナードの、金髪だ。寄り添うマナナの黒もはっきりと見える。二人が、ボクを見送ってくれている。

「逢えるよ」ボクは暴風の中で、二人に誓う。「また逢える、逢いにいく」

 舌に乗せてみれば、なんだかそんな気がしてきた。ボクは十三歳の夏に失った彼女たちを思い出すために、彼女たちと再会するために、日本を出てこんなロクでもない国まで来たんじゃないか。

 それこそが、死の旅とからかわれた五〇〇〇ドルの使い途に相応しい。ボクを愛してくれなかった母の生死を確認しに行くよりはよほど、相応しい。

 シューティンググローブとボクの肌との間で、血が乾いていく。

 砂漠の熱風に、ボクは苦しさを覚える。今ここで、〈タルト・タタン〉から逃れてマナナと一緒に往きたい。そう願う。けれど、それを実行に移した途端、彼女たちが容易くハチの巣にされる未来が見える。

 それに、あのバカ気たもまだ健在だ。

 ボクは手すりを抱き込むように、ヘリのキャビンに座り込む。ボク一人きりが、隔離されているようだ。

 このヘリは威嚇的な、鉄の檻だ。ボクから自由と仲間を奪う、ジギィの要塞。四年前、あの白い施設で別たれたときと同じだ。

 けれど、今は違う。ボクは護られているだけの荷物パッケージじゃない。

 そう自分に言い聞かせて、けれどそんなことを考えていることを悟られないように注意もして、ボクは血腥いキャビンの隅に腰を下ろす。


 乾いてゼリー状になり始めた血溜まりを眺めながら、ボクは狭いキャビンでロシナンテと肩を並べて座っている。

 扉を閉めていないせいで、ヘリの暴風が直接キャビンを圧していた。大きなヘッドホンで耳を塞いでいても自分の存在すらかき消されそうな騒音がわかる。さらに全方位から叩き付ける強風は最大出力のドライヤーを向けられている気分だ。呼吸すら焼きついて喉が痛い。

 ボクはロシナンテが貸してくれたシューティングゴーグルの内で眼を眇めて、地上を疾走する〈タルト・タタン〉のピックアップトラックタンドラを見下ろす。

 荷台は機関銃もない、空っぽだ。窓ガラスを喪失したタンドラのハンドルを握っているのはシシリで、助手席ではリューイがM4カービンを抱えている。速度は時速一二〇キロメートルに少し足りない程度だろう。

 恐ろしいことにタンドラは、その猛スピードで片側二車線の国道を逆走していた。車通りが少ないとはいえ自殺行為だ。それでもロシナンテ曰く、あれが敵に背後をとられる可能性の低い一番安全な走り方らしい。

 シスターの首なし死体から一足先に逃れたボクとジギィは、マナナたちだけでなくシシリとリューイまでをも置き去りにしてロシナンテを迎えに行った。ざっと二キロメートル弱といったところだろう。ロシナンテが這いつくばっていたのは焦げた装甲車の屋根だった。ボクの視力じゃいくら目を凝らしても、マナナのトラックも〈タルト・タタン〉のピックアップも砂漠と一体化してしまう距離だ。

 カモフラージュ用の茶色い布とガンケースを抱えたロシナンテはキャビンに乗り込んだ瞬間、恐ろしい形相でボクの真横の壁を蹴りつけた。当たり前といえば当たり前だ。ロシナンテにしてみれば、自分の仕事を邪魔したボクは裏切者だ。

 けれど、長い溜息をついたロシナンテはそれ以上の怒りを見せることなく、「いいこと?」とボクの額に自分の額をくっつけた。

 瞠目するばかりのボクの頬を、ロシナンテは芸術的に伸びた爪先で撫でる。昨夜は朱一色だった爪に、金のラインが入っていた。

「坊やは、あたしたちの荷物なの。あたしたちは人間の護衛には就かないわ。坊やは、勝手な判断で動いたりしない荷物であるからこそ、あたしたちの庇護下にあるの。荷物らしく護られてちょうだい。でないと今度は、坊やが脳をぶち撒けることになるわよ」

 シスターの拘束から自力で逃れようとしたときのことも含めての忠告だろう。少年兵たちからいくつもの銃口を向けられて大人しくしてろなんて無茶で理不尽な要求だったけれど、ロシナンテの態度に懇願さえ感じたボクは、何度も頭を上下させた。

 ロシナンテの真剣さは、本気でボクを護ろうとしてくれている証拠だ。

 ジギィの撤退命令にすら答えなかったシシリは、ボクの脅しをどんな気持ちできいていたんだろう。

 たぶんシシリは、ボクに憤りを覚えたとしても、ボクを見捨てはしない。でもそれは単純に、ボクが高い報酬つきの荷物だからに過ぎない。

 ボクはジギィが請けた仕事の、荷物だ。

 十三歳の夏、外国人仲間とともに無料タダで〈緑の虎〉に拉致されたボク。三基のRPG-7と五挺のAK-47で〈緑の虎〉から買い取られたマナナやレナードや、ボクを含めた少年兵たち。両親と再会した白い施設からボクを連れ出したシシリには、いったいいくらの値がついているんだろう。

 ロクでもない、と頭を振ってそれ以上の思考を止める。人の命に値段がつくなんてロクでもない。でも考えれば考えるほど、ボクはずっと命の売買の上を生きてきた。

 だから今度こそボクは一ドルだって払うことなく十三歳の夏を取り戻すし、自分の意思と足でマナナたちに会いに行くんだ。そう、息を殺して決意する。

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