やり直しに三〇〇〇ドル 5

〈17〉


 高さ十三メートルの壁に囲まれた〈タルト・タタン〉のホームの中心部に据えられたコンテナの中は薄暗かった。天井からぶら下がっている電球の光量が足りないからじゃない。高いところに開いた明り取りから差し込む光の道ばかりが苛烈に明るいせいだ。

 ボクは大きなL字型ソファーの端っこに座って、コンテナハウス内の惨状をぼんやりと眺めている。

 そうでなくとも雑然としていた部屋は、昨夜の襲撃でより一層混沌の度合いを深めていた。壁から雪崩を起こした書類だのポラロイド写真だのが、文字通り足の踏み場もなく床を埋めている。このソファーに辿りつく数歩の距離ですら、障害物を回避したつもりでも靴底にはなにかを踏み潰す感覚があった。

 でもロシナンテは気にした素振りもない。彼女はホームに戻ってからずっとパソコンに掛かりきりだった。ジギィやエヴァンの逃走先でも探っているのだろう。


 ジギィとエヴァンが逃げ出した後、すぐに医療スタッフが駆けつけた。逃げる最中、ジギィが指示を出して行ったらしい。律儀なのか恩返しなのかは判断し辛いところだ。

 ボクの母を担架で運び出した医療スタッフは、病室に散らばった肉片の主やマナナには見向きもしなかった。それが、エヴァンが腹の底に溜め込んできた〈緑の虎〉に対する憎悪の大きさを示しているようで、ボクは少なからずぞっとした。

 たぶんボクは、ボク自身がエヴァンの怨みの対象になっていたかもしれないことに、怯えたんだ。

 リューイがマナナに応急手当てを施している間に、警察だか軍だかが施設に踏み込んできた。明らかに病人ではない子供たちを縛り付けたベッドと、血と人体の切れ端が散乱した部屋を前に、警官たちはあっさりと引き返していった。スタッフたちも慣れた様子で彼らを見送り、何事もなかったように自分たちの作業に戻っていった。

 こんなものだよ、とエヴァンの嘲笑がきこえた気がして、ボクは思わずシシリに殴られた頬を押えた。

 こんなことに、ボクの母は加担していたのだ。こんな風に、エヴァンが唱えた理念は世界を蝕んでいくのだ。

 人身売買の施設は黎明に微睡みながら、平然と稼働し続けていた。

 リューイに導かれて上がった施設の屋上で、ボクは冷たい風に曝されながら身震いする。

 屋上でボクらを待っていたのは、ぽってりと太った胴を持つヘリコプタだった。〈タルト・タタン〉のステッカーはない。両側に備え付けられているのは機関銃だけでミサイルも装備されていない。

 医療スタッフにも警官にも見放されたマナナをキャビンに寝かせるボクらに、操縦席から「よお」と気安く手を挙げたのは、男だった。

 たぶん、ホテルを警備していた男だ。名前を聞いた記憶はなかったけれど、ロシナンテが親しそうに喋っていたのを覚えていた。

「君が、ロシナンテの幸運の天使?」と意外そうに訊いたシシリに、男は心底嫌そうに顔を歪めた。鼻の頭にまで皺が刻まれた本気の表情だった。

パートタイマー短時間労働者よ」

 そう教えてくれたのは、屋上の階段室に姿を現したロシナンテだ。肩から大きなガンケースを二つも提げて、彼女は太陽の気配で薄紫色の空を睨みつけた。

「どこかの裏切者がホームの足を根こそぎダメにしてくれたから、急遽雇ったの」

 かっ、とアーミーブーツの踵を踏み鳴らして、ロシナンテは威嚇的にシシリの鼻先に立った。それなのになにも言わない。沈黙の質量だけでシシリを押し潰せそうだ。

 シシリは母親の前に立つ幼子のように落ち着きなく指先でカーゴパンツの布地を抓んで、俯いていた。唇を数度開閉させて、シシリはようやくロシナンテを上目に見やる。

「……怒って、る?」

「ええ、とてつもなく怒ってるわ」

「ごめん。でも……ジギィなんだ。ジギィだけが、彼が生きてくれることだけが、支えなんだ。だから、撃ってほしくなかった」

 ぱんっ、と音を立ててロシナンテの両掌がシシリの頬を挟んだ。身を屈めたロシナンテはシシリの顔を覗き込んで鼻先を触れ合わせる。

「あたしが怒ってるのは、あんな男のために死のうとしたあなたに対してよ、シシリ」

 瞠目したシシリを豊満な胸と腕で囲い込んで、ロシナンテはため息に言葉を乗せた。

「あたしはね、これでもあなたを妹のように思ってるのよ。たくさん嘘をついてるけど、これは本当。あなたが生きいてくれて、よかったわ」

 うん、とシシリがロシナンテの背に手を回す。ごめん、とくぐもった嗚咽が聞こえたけれど、ボクもリューイも気付かないフリでヘリのキャビンに乗り込んだ。


 朝日に追い立てられるようにして還りついた〈タルト・タタン〉のホームもまた、エヴァンの病室に劣らず血腥かった。

〈タルト・タタン〉を砂漠から隔離する防弾壁には内側から無数の穴が穿たれていた。恐ろしく高いところにも平然と散っているから、ロシナンテが雇ったパートタイマーがヘリの武装で撃ち抜いたんだろう。

 壁の足元から敷地の中ほどまでは、あらゆるところにクレーターを刻んで黒焦げになった地面が曝されていた。ヘリの武装が機関銃だけだったのは、すでにミサイルを放ち尽くしていたかららしい。

 それなのに、コンテナ群を取り巻く塹壕はなんの変哲もなくのたうっている。〈緑の虎〉はコンテナに迫るはるか前に制圧、懐柔されたらしい。

 ボクらは柱状になったハエの群れを目印に散らばった子供たちの手足と遺体を掻き集め、生存者をコンテナの影に運び入れた。

 でも〈タルト・タタン〉が手を貸したのはそこまでだった。マナナと応急セットを満身創痍の子供たちに残して、〈タルト・タタン〉のみんなは各自のコンテナに引き籠ってしまった。

 そして現在に至るというわけだ。

「結局さ」

 絶え間なくキーボードを操作していたロシナンテが動きを止めた。ボクは慎重に、全神経を研ぎ澄ませてロシナンテの気配に集中する。

「君は最初から、エヴァンの正体に気付いてたんだね」

「ええ、〈ヒューゴ〉をあんな風にしたのは、あたしにも責任の一端があるもの」

 予想外の答に、ボクは間抜けに「へ?」と顔を上げてしまう。

 ロシナンテはキーボードから離した左手を振った。男物の腕時計が得意気にきらめく。

「あたしの父は神さまにとても忠実で、神さまから与えられた体に人間が手を加えることなんて赦されないって考えの持ち主だったの。対して〈ヒューゴ〉は人間の叡智を集めにあつめて移植治療に特化していったわ。なにが起ったか、わかるでしょう?」

 ロシナンテの長い爪が、彼女自身の首を横一文字に切り裂く。シシリの首の傷痕を、否でも彷彿とする。

「君のお父さんが、シシリを……」

「シシリだけじゃないわ。エヴァンもGGヂヂも、あたしの目の前で斬首されたの。当時、シシリたちはまだ七歳で、あたしは……まあ、そうね、あなたより少しだけ大人だったってことにしましょうか」

「大人だったことにって、なに?」

「女の歳を逆算しようなんて無粋よ、坊や」

 そんなつもりは全くなかったけれど、こういう冗談はロシナンテの気遣いなのだと理解して、ボクは肩を竦めてあげる。

「父はそれ以降消息不名よ」

「〈ヒューゴ〉が……エヴァンがお父さんの行方を知ってると思ったの?」

「そうね……。そうかもしれないわね。でも、本当のところあたしは、父が死んでいてくれればいいと思っているのよ、たぶんね」

 いつかの自分を見ているようで、ボクはロシナンテの弱い笑みから視線を逸らす。靴の下でDVDデッキが〇〇:〇〇の時間表示を明滅させている。助けを求めているようだ。

「シシリとエヴァンとGGを失ったことで、〈ヒューゴ〉は臓器提供者を世界中から強制的に集め始めたわ」

「さっきも出てきたけど、GGって誰?」

「シシリたちの母親よ。〈ヒューゴ〉の設立者であり、あなたの母親の共同研究者でもあったのよ。彼女の死はともかく、シシリとエヴァンの蘇生が〈ヒューゴ〉を狂わせた。さらに、〈緑の虎〉があなたの両親を撃ったことでエヴァンのタガが外れたの。いいえ、もっと早くからエヴァンは限界だったのかもしれないわね。同じ顔の双子の妹が病院内を、自分のことを忘れて歩き回っている。それなのにエヴァン自身はベッドに横たわったまま、体を次々に移植しながら生きている。だからきっと、シシリの体が羨ましくて、妬ましくて、最後にはシシリの体に自分の首を挿げようなんてバカな結論に達したのよ」

 ぱぱん、と軽い指使いでキーボードを叩き、ロシナンテは「あたしの話はこれでお終い」と一方的に宣言した。

「お終いって……」

 あまりにも平然と言い切られたものだから、続ける言葉を見失う。それじゃあ、あまりにもいろんなことが宙ぶらりん過ぎる。だからボクは「えっと」と時間稼ぎを口にしてから、ロシナンテの終結宣言を無視することにした。

「ひょっとして、シシリやエヴァンだけじゃなくてボクもマークしてたの? ボクに、母が生きてるってメールをくれたのも、君?」

「ええ。あまりにも〈プラント〉に消えていく子供たちが多いのに、肝心のエヴァンはいつだってスピーカの向こうに隠れているんですもの。手詰まりだったのよ。だから四年前と同様、あなたが危険地域に入れば〈ヒューゴ〉が動くと踏んだの。計画では、国境検問所で直接あなたの身柄を確保する予定だったのよ」

 ごめんなさいね、とロシナンテは深紅に塗られた爪を肉感的な唇に押し当てて微笑む。

「つまり、ボクがテロリストに払い下げられる直前の国境検問所に電話をしてきたのも、君だったんだ。ボクはてっきり、シシリかエヴァンだと思ってたよ。途中までね」

 大人しくテロリストに囚われること、抵抗せず助け出されること、助けてくれたメンバーと一緒に行動すること。そして、その契約を他言しないこと。その条件を守れば母に逢わせてやると告げた相手が、ロシナンテだったなんて。

「最終的に〈タルト・タタン〉にあなたの救出命令を出したのはエヴァンよ。エヴァンと一緒にいたあなたの母親が頼んだのかもしれないけどね」

「随分と素直に教えてくれるんだね」

「あたしは、あたしの想像を話しているにすぎないわ。証拠たるエヴァンもジギィも」ロシナンテは両手を肩口でぱっと広げた。「消えちゃったもの。それに」

 コンテナのどこかで、小さく機械の振動がした。書類や写真が積み重なる一画で、斜めになったプリンタが勤勉に紙を吐き出すところだった。

「〈ヒューゴ〉の役員となったあなたは、知っておくべきなのよ」

「……誰が、〈ヒューゴ〉の、なに?」

 ロシナンテは両腕を頭の上で組んで大きく伸びをすると、力強く床の堆積物を踏み潰しながらプリンタから紙を奪う。ボクの鼻先に掲げられたそれには、初めて目にするリンゴマークとボクの名前が仲良く印刷されていた。ついでにシシリの――綴りはセシリアとなっていた――名前もある。

「あの施設を筆頭に、いくつかの医療機関があなたの下につくわ。あなたの母親の後任、というところかしら。シシリは、正式に彼女の母親とエヴァンの権限を委譲されたわ」

「……それ、シシリは了承してるの?」

「するわよ。だってエヴァンは移植なしじゃ、生きていられないもの。必ず〈ヒューゴ〉の関係先に現れるわ。ジギィとともに、ね」

「ああ」なら、シシリはどんな役割だろうと受けるだろう、と変に納得した。「でも、じゃあボクは、どういう理由で、子供たちを更生と死とに選り分ける施設を引き受ければいいの?」

「言ったでしょう? あなたの下に、医療機関がつくの。今の体勢を維持か変革をもたらすかは、あなたの判断次第よ」

「それは……」

〈ヒューゴ〉が臓器提供者として集めているのは、少年兵だ。望まずして人を殺しながら生きている子供だっている。それは〈緑の虎〉に拉致され、たった数週間とはいえ少年兵として生活していたボクには痛いくらいわかる。そんな子供たちを、誰かを生かすための臓器として扱うなんてボクにはできない。でも、シシリはそのおかげで助かった。エヴァンは、移植なしには生きていけない。

 誰かの命を助けるために、誰かの命が使われている。

「一つ」ロシナンテが、人差し指で天井を示す。「教えてあげるわ。ジギィはね、GGがテロリストから保護した少年兵なのよ」

「……君は、ひょっとし〈ヒューゴ〉を壊滅させたいの?」

 ロシナンテは声を上げて笑った。さも面白そうに豊かな胸を揺らして、引き付けでも起こしたように笑い続ける。

 そんな彼女に、ボクは静かに「ねえ」と囁く。

「シシリは……〈タルト・タタン〉はどうなるの?」

「そんなの」ロシナンテは笑いの余韻を、眼尻に滲んだ涙ごと弾く。「決まってるじゃない。シシリが望む限りあたしは〈タルト・タタン〉の警備員オペレータだし、あたしはあたしの父が壊した〈ヒューゴ〉の末路を見届けるわ。それにね、きっとエヴァンもジギィも」血色の爪が埃っぽい大気をかき回して空を指す。「シシリを気にかけているのよ」

 そうかもしれない、とボクは前面のネットが破れたスピーカを見る。姿なきエヴァンが送ってきた電子音声が「そうだね」って答えてくれた気がした。

 でも実際に応じたのは、コンテナハウスの扉だった。暴力的なくらい強い陽光がボクを包んで、喉の粘膜に優しくない熱風が吹き込む。

 白光に縁取られたシシリがいた。影になった表情はわからない。M4カービンを腹に固定して、手にはボクのバックパックを提げている。

「トール」硬質な声だった。「時間だ」

「……ボクは、日本に還されるの?」

「それが、わたしの仕事だから」

「……ボクを還して、それから君は、どうするの?」

 ホームにあった武装は粗方ジギィによって破壊されている。車はともかく、シシリにヘリコプタを調達できるとは思えない。さらに電子オペレータもいない。創立者の二人が逃亡したことで〈タルト・タタン〉は瓦解した。

 それなのに、シシリは不思議そうに首を傾げた。

「ジギィが請けた仕事は、まだ残ってる。それを完遂するだけだよ」

 ああ、とボクはカーゴパンツのポケットを布の上から押さえる。その下に納めたボクとシシリのポラロイド写真に、そっと触れる。

「ボクなんかに頼んだってしかたないよ」

「……なにを?」

「こっちの話」

〈タルト・タタン〉から離反するジギィが初めてボクに掛けた言葉だ。シシリを頼む、そう告げられた。でも、彼女の行動原則はジギィだ。たぶんこれから先もずっと、彼がシシリを生かし続けるんだ

 だから、ボクは彼女のためにソファーから立ち上がる。

 ロシナンテが、遠慮なく床の堆積物を踏み砕きながらボクの肩を引き寄せた。大きく開いた胸元が、別れのハグにしては不穏に迫る。

「大丈夫よ」ロシナンテの唇が、ボクの耳朶に吐息を注ぐ。「あなたがどんな結論を下しても、あたしやシシリは責めないわ。あたしはね、〈ヒューゴ〉にかかわる人たちの、そういうどうしようもなく狂った、愚かなところを憎んでにくんで厭うて、愛しているのよ。きっと、あたしも父に似たのね」

 長い髪を翻して、ロシナンテはボクより先に灼熱の砂漠へと踏み出していく。

 彼女の手首で瞬く男物の腕時計が眩しくて、ボクはロシナンテの背を視界から追い出した。

「トール」とシシリに促されて、我に返る。靴跡だらけの書類を踏み締めて、ボクもシシリの隣を抜ける、寸前で肘をつかまれた。でもシシリはボクを見ていない。視線はコンテナの奥、散らばったポラロイド写真の海へ向けられているようだ。

「君の母親を今でも憎んでる」

「……え?」

「わたしの記憶は、君の母親から受ける辛い検査の数々と、閉鎖的な病室から始まってる」

「……うん」

「でも、感謝もしているんだ。生きていることに、ジギィに逢わせてくれたことに。……自分に、あんなのだったけど、それでも家族がいたってことに、感謝してる」

「あんなの……」

 はは、と笑って、ボクも他人の家族をどうこう言えた義理じゃないと気付いて、笑いを引っ込める。

「だから」

 ありがとう、と言われた気がした。砂交じりの風が耳朶を叩いた音だったのかもしれない。ボクが砂塵から解放されたときにはもう、シシリはコンテナを出て行ってしまった。

 ボクは陽炎に揺らぐシシリを追って、コンテナを回り込む。途端に、ぶぶ、と多重な羽音とともに黒い虫たちが柱状に立ち昇った。たたらを踏んで立ち止まると、ハエたちはすぐに地面へ収束していく。

 その下で、マナナが身を起こしていた。

 乾いた血と無数のハエで黒くなった包帯が、彼女の顔の右側を塞いでいる。彼女の周りには苦痛に呻く子供たちが寝かされている。マナナがレナードもろとも切り捨てようとした子供たちだ。どの子も地雷や銃弾の恐怖を忘却するためなのか、マナナの服の裾や投げ出された手足に触れていた。

「大丈夫よ」マナナの虚ろなささめきが、子供たちに注がれる。「私が、いるわ。私がみんなを護ってあげる。〈緑の虎〉は、仲間を決して見捨てない。そうでしょ?」

 見捨てない、見捨てない、と子供たちが弱弱しく唱和する。他でもない、彼らを裏切った女に縋って、生きている。

 この女こそ、誰かのために死ぬべきだったのだ。

 そんなどす黒い感情が、隠しようもなく湧いた。

「……トール?」

 マナナが、顔を上げる。ガラス玉の左眼が、なぜかボクを直視していた。

 ボクはハエの羽音に自分の気配を紛れさせて、彼女たちの前を通り過ぎる。振り返りもせず、ボクはシシリだけを追いかける。

 駐車場では、扉の外れかけたボコボコのピックアップトラック・タンドラがボクを待っていた。黒焦げタルトのステッカーは本当に焦げて煤けてひび割れている。

 荷台にはタクティカルベストとM4カービンを装備しヘルメットと覆面で顔を隠したリューイが腰掛けていた。真新しいPK機関銃が黒光りしている。

 タンクトップから腕を剥き出しにしたロシナンテは、当たり前の顔で後部座席だ。窓ガラスを失った車内でクーラーが利いているはずもないのに、とても快適そうに手招いてくれる。

「ねえ、シシリ」

 ボクは灼熱の太陽の下でシシリの手を握る。シューティンググローブに包まれた、兵士の手だ。

「四年前、ボクを助けてくれて、ありがとう」

 ばらばらと、大気を叩くジギィのヘリコプタのプロペラ音が聞こえた気がした。

 はっとシシリが空を仰ぐ。その横顔があまりにも幼くて無防備で、ボクは指先に力を込めて彼女を地上につなぎ留める。

 一陣の風が彼女とボクを隔てた。眼を開けていられない。咄嗟に両手で鼻と口を覆って呼吸を確保する。

 口に入った砂を吐き捨てたときには、シシリの姿はすでにタンドラの助手席にあった。M4カービンをガンラックに立て掛けて、ヘルメットと黒い覆面を装着している。

 ボクを助けてくれたときと同じ配置だった。運転席が空っぽであることと、カーナビが黙っていることを除けば、なにも変わらない。

 ボクは鼓膜の底にこびりつくヘリの幻聴を探す。苛烈な太陽が孤独に浮かんでいる。淋しい快晴だ。

 肌を焼く日差しから逃れるように、ボクは空っぽの運転席に回る。運転免許なんて当然持っていない。それでもなんとかなる気がした。シシリの隣なら、リューイとロシナンテが後ろにいてくれるなら、たぶん大抵のことはどうとでもなるんだ。

 そんな確信を抱いて、ボクはセレクトレバーを強く握る。

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