月給七〇〇〇ドルの人殺し 3

〈7〉


 砂漠のど真ん中だった。茶色い大地に擬態した街並みが彼方に揺らいでいたけれど到底近場と呼べる距離ではなかったから、シシリがタンドラの進路を舗装された道から逸らしたときはとうとう故障したのかと思ったくらいだ。

 はるかな高みを旋回するジギィのヘリが、ともすれば聞き逃すくらい小さなプロペラ音を落としてくる。

 その下に、一トントラックが待っていた。空っぽの荷台には乗り心地を重視したのか、ところどころからスプリングをはみ出させたベッドマットが敷かれている。

「マナナ……」と子供たちのざわめきが一つの名前を作った。トラックの運転席から細身の女性が滑り出る。浅黒い肌に金色のスカーフがよく映えていた。戦闘用のタクティカルベストではなく最低限のポケットしか装備されていない防弾着に身を包んでいる。

 すぐに護衛らしき人影が助手席から飛び降りて運転手に――マナナに並ぶ。こちらも女性だ。白い肌と、黒いスカーフからこぼれた金髪が太陽に透けている。膨れたポケットがたくさんついたタクティカルベストと胸に抱かれたカラシニコバAK‐47の暗色が、やけに沈んで見えた。

 二人ともボクと同い歳か、違っても一、二歳上といったところだろう。

 タンドラの荷台から子供たちが転げるように降りていく。でも誰も抜け駆けしたりはしない。怪我を負った仲間に肩を貸し、手を引き合いながら二人の女に近付いていく。

 砂を踏み締めたシスターが、半歩後退った。俯きがちに周囲を窺っている。

「〈リチャード・ロウ〉?」と降車したシシリが顎をしゃくる。

「〈ヘレントルテ〉、ですね」

 マナナが上品に微笑んだ。金とも緑ともつかない虹彩が、まるでしなやかな黒猫みたいだ。

「どうして」とシスターの、独り言めいた詰問だ。「〈プラント〉が来るって話だったのに。どうしてその二人が来るの。〈ヘレントルテ〉って、なに? あなたたちは私が雇った、私の護衛よ。私は、私と子供たちを護ってほしくて雇ったのよ! それなのに、どうしてテロリストが来るの!」

 ボクにだってわけがわからない。タンドラに貼られたステッカー通りシシリたちは〈タルト・タタン〉であって〈ヘレントルテ〉なんかじゃないし、〈リチャード・ロウ〉といえばリューイがヘリの積荷として挙げていた身元不明死体ジョン・ドゥと同じく『匿名希望』を示す言葉だ。狐に抓まれた気分でぽかんと口を開けて、すかさず入り込んできた砂に唾を吐く羽目になった。

『〈ヘレントルテ〉は』こっそりとエヴァンが耳打ちしてくれる。『ウチのダミー会社の一つだよ。収入額の調整やトラブル時の雲隠れ用、今回みたいに同じ仕事を二者から請け負う場合に使い分けるんだよ。どっちの依頼を優先させたって評判が落ちたりしないようにね。この業界じゃ信頼は生死に直結する問題なんだ。ロシナンテに命名権をあげたばかりに〈モーレンコップフ〉とか〈ガレット・デ・ロワ〉なんて社名ばかりが登録されて、ケーキ屋パティスリーなんて呼ばれるようになったのは大誤算だったけどね』

「このたびは」とシスターの混乱などにはお構いなしに、マナナが胸に手を当てた。「取引に応じていただいて、ありがとうございました。我々は無益な戦闘を望みません」

「こちらこそ、ご用命いただきありがとうございます。金で片付くことは金で。とても好ましい姿勢です。早速ですが〈リチャード・ロウ〉、欠品が出ました。こちらの不手際です」

「欠品だって?」護衛の女が尖った声を張った。「随分と減らしてくれたね、〈ヘレントルテ〉」

「欠品は一点のみです、残りの荷は」シシリは人差し指を立てる。「別ルートで」

 孤高に浮かぶヘリを認めて、護衛の女が舌打ちをする。

「……人質ってわけかい」

「いいえ、まさか。事故です」

 護衛が素早くアサルトライフルの安全装置を外した。シシリは動かない。M4カービンに触れることもなく、佇んでいる。

「レナード」子供の一人が護衛の袖を引いた。「やっぱり、迎えに来てくれたんだね」

「アタシたちは仲間を見捨てない。絶対に、絶対に、絶対に。だろ?」

 子供たちが大きく頷く。

「でもね、シャーリーが死んじゃったの……シスターのせいで、死んじゃった……」

「本当に、シャーリーだけ。他のみんなは無事だよ。病気の子は先に病院に送ってもらったし、あたしたちの怪我も、大丈夫」

「シシリたちは、あたしたちを守ってくれたんだよ」

 口々に紡がれる子供たちの擁護を、ボクは半分も聞いていなかった。

「……マナナ、と、レナード?」

 二人の名前が、心臓の深いところに突き刺さる。強すぎる拍動に眩暈までしてきた。ボクは、この二人を知っている。十三歳のボクが、知っている。

 名指しに、二人が首を傾げた。訝し気にレナードの唇が開かれて、でもそこから生まれたのは「動くな」という警告だった。

 四つん這いになったシスターが砂を掻いて距離をとろうとしていた。

「捜したよ、シスター」大股に歩み寄ったレナードがシスターに銃口を押し付ける。「市内の病院で子供たちに健康診断を受けさせると聞いた記憶があるんだけど、どうしてこんな国境間際まで来てるんだい。まさか、先月コンゴの反体制グループから連れ去った子供たちみたいに、ウチの子たちまで消息不明にする気だったんじゃないだろうね」

「私は」砂を両手で集めながら、シスターは気丈に反論した。「子供たちを社会復帰させるために、あなたたちのようなテロリストから子供兵士を保護しているの!」

「アタシたちは」レナードの声が平淡に凪いだ。「自分たちの意思で、自分たちの国を正すために戦ってるんだ」

「国を正したいなら、話し合うべきなのよ。武力で、なんて間違ってるわ。そこに子供たちを引きずり込むなんて許されないの」

「ボクらは」子供の一人がショートパンツの裾から折り畳み式のナイフを抓みだす。「誰に許される必要もない。ボクの意思はボクのものだ。ボクらの決意はみんなの決定だ。ボクらはみんな、血の結束でつながった家族なんだ。家族のために、ボクらは戦う。仲間を裏切ったりはしない、絶対に」

「絶対に!」と子供たちが雄叫びを上げた。

「どんな理由を取り繕ってみても、武力はなにも生まないわ」

 理由、とボクはシスターの言葉を喉の奥で苦く繰り返す。そんなものがあのころのボクに在っただろうか? 在るはずがない。だって初めてカラシニコバを握ったボクの前には『自分が殺される』か『他人を殺す』かの二つしか選択肢がなかった。レナードが揚々と語る理由も子供たちが妄信する家族とやらも、ボクには与えられていなかった。

「どんな子供にも適切な教育を受けて、幸せに暮らす権利があるのよ。勿論、あなたにも。あなたも、大人の都合で戦争に引き出されてしまった犠牲者なのでしょう」

 シスターは砂ごと自らの肘を擦る。この懐柔さえ巧くいけば窮地を抜け出せるのだ、と怖じ気る自身を鼓舞しているのかもしれない。そのくせ彼女の瞳は、保護したのだと主張する子供たちの足先ばかりを映している。

「往々にして」と唐突にかけられたシシリの声に、シスターが勢いよく顔を上げた。

「人命と人権の比重を状況に応じて正しく判断できない奴が、危機を連れてくる」

「わっ」私は、という言葉を盛大な咳にしてから、シスターはひっくり返った金切声を出す。「私は子供たちの命を最優先に考えているわ。だからこそ、PMSCsあなたたちを雇ったのよ。この子たちは兵士である必要はないの。子供らしく護られて、甘えることを知るべきなの。そうさせてあげることこそ私たち大人の責務なの。だから」

「だから」とシスターの演説を継いだのは、マナナだった。おっとりとした語調と子供たちを引率する教師然とした張りとの調和が耳に心地好い。

「私から子供たちを、家族を奪った、と?」

「奪って、など……」

「私たちは子供たちの生存に最大限配慮してきました。銃を向けてくる敵から生き残れるように、鉈で手足を斬り落される前に逃げ出せるように、私たちの知り得る全ての術を教えてきました。それを、あなたは否定する。ならばあなたは子供たちに、戦わずにただ殺されろ、と言うつもりなのですか、シスター・テレーズ」

「そうまでして国に留まる必要はないわ。私たちに任せてくれれば、世界中の安全な国へ養子に行ける可能性があるの。カウンセリングや職業訓練も」

「あなたのことは調べさせていただきました、シスター。確かに少年兵の社会復帰活動を行っている団体に、あなたの名は登録されています。しかしながら先月コンゴから連れ去られた子供たちに対しても、今回私たちから奪ったこの子たちにかんしても、団体側は一切の関与を否定しています」

「なにかの……そう、なにかのトラブルで連絡の行違いが起きたのよ」

「シスター・テレーズ。あなたの最大のミスは私から子供たちを奪ったことではなく、私の子供たちを〈プラント〉に引き渡そうとしたことですよ。あそこが子供たちを支援する場などではないと、あなたもご存じなのでしょう?」

 マナナが子供たちの輪を出た。レナードがなにかを恐れる速度で体を反転させてマナナの進路を塞ぐ。シスターに近付けたくないのだろう。

 レナードの銃口がシスターから逸れる。小さな、けれど十分な隙だった。

 シスターが一息に起き上がる。

 焦ったレナードが銃口を戻した。子供たちも武器を構える。さらに、ボクがシスターに抱きつかれた。その全てが、ほとんど同時だ。

「撃つな!」

 シシリの鋭い制止に子供たちがたじろいだ。それでも彼らはボクごとシスターを害したそうに固まっている。

「子供たちは返すわ。だから」シスターが囁き声で懇願する。「お願い、見逃して」

「ここで」思ったより弱々しい声になって、少し恥ずかしくなりながらボクは咳払いをする。目を眇めるシシリに頷いて、ボクはもう一度繰り返す。

「ここで彼女たちに見逃してもらったって、きっと無意味だよ」

 黙れ、と言いた気にシスターの腕がボクの首に巻きついた。身長が足りないせいでつま先立ちの不安定な姿勢になっている。予想より過剰な反応だけど、悪くはない。

「子供たちの眼を見てよ、シスター。ボクを盾にしたって無意味だ。ここから無事に逃げ出せたって、追ってくるよ。彼らは仲間を絶対に取り戻すし、仇だって絶対にとる」

 だろ? と子供たちに同意を求めながら、真下に体重を掛けてシスターの拘束を振り切る、はずが。

『余計なことをしないでちょうだい』

 ロシナンテの通信を受けた右耳が、灼熱に焼き切られる。

「あっつっ!」

 自分の状態も忘れて耳を押えた。耳朶は、ついている。千切れていない。耳に入れたイヤホンが壊れた様子もない。でも音が聞こえない。側頭部に釘でも打ち込まれているような痛みと、ギンギンと響く金属音が脈拍に合わせてボクを苛んでいる。

「殺すな!」というレナードの叫びが、なぜか左の鼓膜だけに届いた。

「ごめん」幼い口調で詫びるシシリの声も、やっぱり左耳だけだ。「でも、遅いよ」

 こんなに乾燥した土地なのに、大粒の雨が降っていた。天を窺う。当たり前の快晴だ。蒼天から、赤い雨が注がれる。

 ようやく、ボクに密着していたシスターが離れていることに気が付いた。嫌な予感がした。そっと、呼吸すら抑えて振り返る。

 スカーフが砂と戯れていた。広がった薄布の下から顕わになった喉に、ねっとりと光沢のある深紅が絡みついている。

 そして頭が――シスターの首から上が、消えていた。辛うじて残された下顎の残骸に埋もれた歯が異様に白い。

 わっと歓声を上げて子供たちが群がった。ボクを案じてのことじゃない。子供たちの波は容易にボクをシシリの傍まで弾き出す。

 裸足だったりスニーカーだったりする子供たちの小さな足が、熱心にシスターだったものを踏みつけていた。怪我がひどくて加われない子たちも囃しているようだ。

 ボクは再び自分の側頭部を確かめる。ついている。血も出ていない。右耳の底でロシナンテがなにかを喋っているけれど、ひどく割れていて聞き取れない。

 ぞっとした。ロシナンテの放った銃弾がボクの右耳のすぐ傍を抜けてシスターを穿ったんだ。耳栓代りに通信用イヤホンを嵌めていてよかった。もし無防備な左側から狙われていたら鼓膜が破れていたはずだ。

 耳鳴りが治まりつつあるボクに、今度は子供たちが肉塊を土へ還そうとする音が侵入してくる。腹の底を直接掻き混ぜられているような不快で粘度の高い音だ。遠くからヘリのローター音までが低く這い寄ってくる。

「……死人は喋らないじゃないか」唾棄したレナードがカラシニコバを握り締める。「貴重な情報源だったのに。どうしてくれるんだ〈ヘレントルテ〉」

「知らないよ。〈ヘレントルテ〉への依頼は子供たちの輸送だけで同行者の生死についての指示はなかったじゃない。それにね、彼はウチの荷物なんだ。商品に手を出されて黙ってるわけにもいかないよ」

「これだから戦争屋は嫌いなんだ」

「当社をご利用いただき、ありがとうございます」

 シシリの皮肉に舌打ちをして、レナードは一人喧騒から取り残されたマナナを振り返る。

 シスターの死にも子供たちの暴挙にも、マナナの微笑みは崩れていない。一層深まったようにさえ見える。マナナが子供たちの輪に近付いた。一歩だけ。

「もう、十分よ」

 子供たちが揃いのタイミングで動きを止めた。全員が機械仕掛けに似た挙動で、振り上げていた足を肉ではなく砂に下ろして破顔する。

「ほら、ちゃんと仇をとったよ」

「シャーリー、喜んでくれるかな?」

「ええ、もちろんよ」

「ボクたち、シャーリーを忘れないよ。仲間だもん」

「そうね、私も忘れないわ。かわいい、私の子供だもの」

「ボクたち〈緑の虎〉は仲間を見捨てない、仇は必ずとる、忘れたりしない、絶対に絶対に絶対に!」

 子供たちの唱和が、雷撃のようにボクを打ち据えた。呪いに近しいこの文言を、ボクは覚えている。

緑の虎チュイムクブワ ア キジャニ?」

 喘いだボクを、激しい風が煽る。ジギィのヘリだ。足元の危ういボクの肘を、シシリが支えてくれる。

 あのときと同じだ。

 ボクは二人の少女を――レナードとマナナを、見つめる。スカーフを吹き飛ばされた二人の容貌が、顕わになった。

 白い肌に金髪が美しい、レナード。

 黒い肌に金目が鮮やかな、マナナ。別れたときはガーゼで潰れていた左眼は、今はくすんでしまっている。ボクを追う視線だってついてきていない。義眼なんだろう。

 ボクは肩にかけた銃を撫でる。安っぽいし、実際たった一〇〇ドルと少しのカラシニコバだ。四年前、レナードが初めてボクを認めてくれたときに与えられたものと同じ種類の銃だ。

 初めてのボクだけの銃に、マナナが名前を付けてくれたことも覚えている。いや、思い出した。そうだ、その銃の名が。

「……パカ」

 マナナが、右目を見開いた。あのころの幼さが頬の辺りに甦る。

 ボクはレナードの握るカラシニコバを指す。マナナがレナードの銃に付けていた愛称を、丁寧に舌に乗せる。

「チュイ」

 マナナが口元を指先で覆った。大きく頷いて駆け寄ってくる。寸前で、レナードが彼女を阻んだ。滄溟色のレナードの瞳が、裏切者を認めた苛烈さに燃えている。

 鼻の奥がつんと痛んだ。ひどく懐かしい。そして忌まわしい。思い出したくなかった二人だ。思い出さなきゃいけなかった、大切な仲間だ。

 十三歳の夏、ボクは汗と血と硝煙の臭いが充満する灼熱の土地で、確かにこの二人と死の体温を分かち合いながら生きていた。

 そして、ボクらは村の子供たちと一緒に病的なまでに清潔な施設に連れて行かれた。

 あの施設で空と地上に別たれたときと同じ、ヘリのプロペラが轟いている。あのときと同じように、シシリがボクの手を握っている。

 ボクとシシリ、レナードとマナナ。〈タルト・タタン〉と〈緑の虎〉。

 四年振りの再会でも、ボクらは隔てられたままだった。

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