命を売り買う宵市にて⑥




 それから一時間が経ったころ、泣きじゃくる少年の枷をすべて解いたクレアは、縋ってくる背中を撫でながら白い月光に鍵を翳した。


 周囲の人だかりはすっかり消え、元の喧噪的な日常へと戻っている。魔物によって散らされた瓦礫はそのままで馬鹿騒ぎを再開している辺り、実に裏稼業らしい切り替えの早さだ。情報屋ギルもいつのまにか姿を消しているが、あれはそういう男である。


「もうそろそろ落ち着いた?」


 やさしく尋ねると、ドレスにしがみついていた少年は顔を上げた。死の恐怖から解放された彼の顔は、安堵と涙でぐちゃぐちゃになっている。


「ありがとうございます……ありがとうございます、ありがとうございます! 僕……」


 また泣き始める少年を宥めつつ、アドルフの様子も窺っておく。


 よほど先ほどのことが気に入らなかったのか、アドルフは転がされた木箱に腰を下ろしていまだに一言も喋らない有り様だった。これはまた、帰りの航路が思いやられることだ。


 クレアは少年の頭を撫でながら、傍らの地面に落ちている首輪に目を遣る。先ほどまで少年を戒めていた首輪には、「C」という乱雑な書き付けがされていた。


「あなた、親御さんと一緒に奴隷として捕まったのね?」


 それが再びの核心をついたのか、少年は途端に顔をくしゃくしゃに歪めた。怪訝そうなアドルフに向け、クレアは海賊のやり方を説く。


「奴隷を親子で売るときは、こんな風に父親、母親、子供に分けて印を付けるの」

「ああ? わざわざなんのために」

「合わせて売るための目印ね。家族で買われた奴隷は家族を護ろうとして、ひとりぼっちでいるよりもずっとよく働くから」

「情を利用した付加価値か。合理的な方法だな」


 騎士の名が声を上げて泣き始めそうなほど辛辣な言葉に、少年が再びしゃくりあげた。


「リトだっけ。ごめんね、また泣き出しちゃう前に聞きたいことがあるの」


 酷なことだとは承知しつつ、覚悟を決めて目的を尋ねる。


「あなたの船を襲った海賊の名前を教えて。私はクイン・ローゼを襲った海賊のことを知りたい、そのためにあなたを買ったのよ」


「……かいぞくの、名前?」


 少年の双眸に、紫がかった不思議な色が滲む。これまで涙で霞んでいた瞳が、ここで初めて明確な光を宿した。


「あのときの、かいぞくの……」


 つたない言いように、アドルフが焦れて舌打ちをする。


「さっさと言え。何も知らないならお前に用はない」


 少年が怯えるので、クレアは「アドルフ」と名前を呼んで窘める。少年は俯くと、シャツの裾を指で摘んでこう言った。


「……ジギゼート、海賊団……」


 落とされたのは、消え入りそうなほどか細い声音だ。


「ジギゼート? 確かなのか、餓鬼ガキ

「そ、そうだとおもいます。僕、クイン・ローゼの厨房で、ちゃんと聞いたんです」


 リトは次に、一生懸命に記憶を探るような顔付きで話し始めた。


「クイン・ローゼ号は遠くに行くから、まだお日様が昇る前の、暗い時間に出発でした。僕はとても眠くて、お仕事の前に朝ご飯を食べられなかったんです。途中でお腹が空いて、お母さんがこっそり厨房の裏に呼んでくれて。海賊が出たのは、そのときで」


 声が震えた。


「副船長って呼ばれてた人が母さんを引っ張って、僕を抱え上げました。そのとき、『命令は皆殺しだが、あいつは信用出来ない。このままじゃジギゼートは利用される』って」


「利用ですって?」


 気に掛かる言葉だった。

 副船長に命令できるなど、海賊団においては船長ただひとりである。だが、船長の命令であれば、ジギゼート海賊団が利用されるという言い方にはならないはずだ。


「ジギゼート海賊団のほかに、誰かが関与しているのかしら? それに、ジギゼートって何処かで聞いた名前だわ」


 取引相手や父の知り合いにいたのだろうかと記憶を探る間もなく、隣でアドルフが舌打ちをする。見上げれば、呆れたような視線とかち合った。


「鳥頭。今朝方ウェルズのジジイが手に入れた海賊だろーが」

「そういえば」


 出発前、島の港で確かにそう言っていた。それらを追うため不在にしており、今朝無事に捕らえたのだと。


「クイン・ローゼ号襲撃の犯人は、もう捕まっているかもしれないってこと!?」


 それならば、今日の市場で魔物の卵が出ていない理由も明白だ。既に捕らえられているならば、当然のことながら稼業は出来ない。


 血の気がさあっと引いてゆく。


 探している海賊が先に捕まっていたかもしれないのだ。その場合、捕らえるための有力な情報を差し出さなければならないという試験についてはどうなる。


「帰る! ねえアドルフ早く、早くお城に帰りましょ!」

「ふざけんな。あの船じゃ夜のうちに出航するのは無理だろ」

「だって今すぐ戻って確かめないと、このままじゃ私の仲間が処刑されちゃう!」

「知るか。大人しく朝でも待ってろこの馬鹿」

「クレア・カーヴェルよ!」

「馬鹿で十分だバ――カ」


 年上のくせに、全力で子供のような暴言を向けてくるアドルフの不機嫌はとめどない。


 一刻も早く確かめなければ。


 焦れるクレアのことを、少年が不安そうに見詰めてくる。その頼りなさに思わずぎくりとした。


 心細いに決まっている。一緒に捕らわれたはずの母親が傍にいないのは、別れ別れになる理由があったからだろう。幼い日のクレアとおんなじで、彼はもうひとりぼっちなのだ。


 胸が痛む現実を前に、クレアはやさしく彼の頭を撫でた。


「あなたは私の奴隷よ」


 買われた奴隷の運命は、すべて主人が握ることになる。

 どんな風に働かせても構わない所有物になるのだ。少年リトの目に再び怯えが浮かぶが、クレアは構わずに言葉を続ける。


「だけどこの闇市じゃ売値は知れているし、なるべくなら海賊の息が掛かっていない場所で売りたいわね。よし、決めた」


 戸惑ったように表情を曇らせる少年の鼻先に向け、クレアは人差し指を突き付けた。


「このままノストリー島に連れて行って、住み込みのお店にでも売っちゃいましょ」


 微笑めば、少年がふたつ瞬きをする。


「僕を、ノストリー島に、連れて帰ってくれるんですか……?」

「連れて帰るんじゃないわ、売るのよ。奴隷の売買は海賊の通常業務だもの」


 リトは首を横に振り、そのまま何かを言おうとしたあと、結局は言葉に出来ずに泣き始める。大きな声を上げ、やはり何度も「ありがとうございます」と繰り返して。


 そこに響いたのは、不機嫌そうなアドルフの声だ。



「――どうして、知っていた」



 それは、確信めいた響きを持つ言葉だった。


「なんの話?」

「あの魔物が人を食わずに逃げると、お前はどうして知っていた」


 冷たい目は射抜くような強さでこちらを見据えてくる。クレアは騎士に気付かれないよう深呼吸をし、口を開いた。


「そんなの分かるわけないわ。魔物が何をしたいかなんて、誰にも分かるはずないでしょう?」


 少なくともクレアには不可能だ。魔物の心を読む力など、持ち合わせていない。


 クレアが出来るのはただひとつ。


 けれど、自身の秘密を口にはしない。


「私はただあなたの剣を信じて、グリフォンが好きなものを差し出しただけ」

「信用なんて薄っぺらいものを根拠にして、この餓鬼のために命を張ったのか? 船長候補が聞いて呆れる甘さだな」


 少年の頭を撫でながら、半ば独白のような気持ちで口にした。


「私もおんなじだったから」


 アドルフが目を細める。


「身寄りのない孤児だった私を買った人は、船が魔物に襲われたとき、私を囮として海に投げたの」


 口にしたのは、あの日の砂浜で父に拾われる前の経験だ。


「船の人は、私を魔物の餌として扱ったわ。さっきのこの子みたいに助けてって叫び続けて、怖くて悲しくて、そのとき助けてくれる存在が現れなかったら死んでいたと思う」


 深い暗闇に沈むだけの身を、一匹の魔物が助けてくれた。

 御伽噺おとぎばなしでさえないような出来事だから、父以外に打ち明けたことはない。いまだって決して口にはしないが、それでもこれは真実だ。


「そこからカーヴェルのお父さんに出会って、仲間が出来て、家族になった。あのとき助けてくれた存在や父さんたちを信じてよかったって心から思ってるし、いまも」


 どうか少しでも伝われと、クレアはアドルフの青い目を見据える。


「あなたの剣を、信じてよかった」


 本当に忌々いまいましいけれど。


 けれどもこれが彼でなければ、実際に剣を交えてその圧倒的な腕前を知っているアドルフが相手でなければ、先ほどのように無謀な手段には出られなかった。例え彼自身がどれほどそれを否定しようとも、踏みにじろうとも。


 アドルフは眉根を寄せる。


 その渋面は、普段と少しだけ違うようにも見える表情だった。

 どうしてなのかは知る由もないが、例えるならば痛みの片鱗のようなものが生まれた気がしたのだ。


 だが、落とされた返事は結局いつもの通りである。


「……信じるなんざ、責任転嫁の汚ェ言葉だ」


 相変わらずの言いようだが、彼は信じるという行為のなにをそんなに憎んでいるのだろう。どうして疎み、嫌っているのだろうか。


 あるいは違う感情が、そこにはあるのかもしれない。


「もしかして、こわいの?」


 思い付いたことをそのまま尋ねた。


 皮肉ではないことが伝わったのか、青い目に一瞥される。アドルフはすぐに視線を遠く、景色の果てに見える海の方へ向けた。


「馬鹿か」


 暴言は淡々と、それでいて何処か否定の形にもなりきれないような音として響く。海面には星が映り込み、溶けるような淡さで瞬いていた。


 まったくもって妙な騎士だ。


 剣を取れば戦場をひとつ掌握出来るほどの力を持っているというのに、信じられることが恐ろしいなんて。




※この続きは、書籍版にてお楽しみください!

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悪誉れの乙女と英雄葬の騎士/夏野ちより ビーズログ文庫 @bslog

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