海賊乙女と英雄騎士⑥




 ぽかんとする。

 クレアが文字通り開口するのを前に、イヴは両手の指を組んで極上の笑みを浮かべた。


「単純にお仕事の手腕を見せていただくつもりでしたが、口の堅さまで証明されては敵いませんね。カーヴェルのあなたに対する信頼まで垣間見えたようで、嬉しくなりました」

「手腕、って」

「私共へのお披露目はこれで結構です。あなたが船長候補のひとりだというのなら、我が王家は喜んで試験の準備をさせていただきますわ」

「ちょ、ちょっと待って!」


 どうしてここで「試験」という言葉が出てくるのだ。慌てたが、イヴはクレアの動揺に構う様子もない。


「養父の買い被りなどではないようで安心いたしましたわ。……ね、カーヴェル」


 王女のくちびるが呼んだ名前に、一瞬思考が止まった。

 次いで弾かれたように振り返ると、王女が声を掛けた柱の陰からひとりの人物が現れる。


 しっかりとした筋肉のついた長身と、伊達に生やした顎の髭。

 だぶついた服から覗く日焼けをした肌にはところどころにもう治らない傷痕があって、そのうちのひとつは幼いころのクレアを護るためについたものである。


「お父さん!?」


 そこに現われたのは、カーヴェル海賊団船長、レオン・カーヴェルの姿だった。


「よーお、元気だったか我が娘よ! 会いたかったぞ、一日ぶりだな?」


 場に不釣り合いなほど明るいその声は、決して聞き間違えようもない。遠き日の浜辺でクレアを拾い、海賊としての教えや戦いの術をくれ、大事に育ててくれた父のものだ。


 呆然とするクレアを前に、父はにやりと笑ってアドルフを見遣る。


「どうだアドルフ。前から言ってた通り、俺の娘は別嬪べっぴんさんだろお?」

「くだらねー。どんな顔をしてようと首を落としたら一緒だろ」

「はっはっはっは! っておいこらぶっ殺すぞ」


 どうにもこれは、父まで捕らえられているというわけではなさそうだ。何故ならどこも縛められていない。


「お父さん、どうしてここに! みんなは?」

「おいおいお父さん言っただろ? 今回はお前の『試験』を行うってよ」


 顎の髭を指でいじりながら、父は楽しそうに目を細めた。


「仲間の情報を売るやつは掟破り、掟破りは海賊のクズだ。昔から教えてきたことだな」


 その通り、海賊の掟はほかならぬ目前の父によって叩き込まれたことだ。それを破れば育ての親だろうと容赦がないことは、クレアが一番知っている。

 

 けれど、だからといって。


「それでは、改めてご説明いたしましょうか」


 王女イヴは優雅に微笑むと、右手でアドルフの剣の柄を示した。

 金の柄に刻まれているのは、竜の翼をモチーフにしたシェランド王国の紋章だ。


 続いて左手が父の舶刀の鞘を示す。そこには竜の翼と髑髏を組み合わせたカーヴェル海賊団ジョリー・ロジャーの刻印が彫られていた。考えてみれば、どちらも同じ竜の翼だ。


「カーヴェル海賊団は、我が王家の密やかな盟友なのです」


 すぐには信じ難い説明に、クレアは再びぽかんと開口した。


 海賊は国に悪事を働き、騎士は正義の名の下にそれを討つ。双方はこのように敵対するもののはずなのだが、クレアの目の前では騎士隊長と海賊団の船長が、王女を護るようにして左右へ控えている。


「聞いての通りだクレア。カーヴェル海賊団は初代船長の時代から王族の影の騎士として動いてきた、そりゃもうすごーい海賊さまなのさ。な、同じ右腕のアドルフくん」

「うるせー黙れ。同類扱いはやめろっていつも言ってんだろうが」


 父がアドルフの肩を叩こうとするが、彼は迷わずその手を払い除けた。まるで不機嫌な猫のようだと、混乱する頭の中であまり関係のないことを考えてしまう。


「海賊の手法は、時として私たちには想像も及びません」


 頭上で行われている小競り合いのことなど気にも留めない笑みで、王女は続けた。


「ですから私たちシェランド王家は、カーヴェル海賊団に目溢しをする代わり、極秘の騎士として召し抱えているのです。あなたの試験に関しても是非協力させていただきますわ」


 クレアはこくりと喉を鳴らした。


 つまるところ、本当の「試験」はノストリー島で王家の船を襲って利益を上げることではなく、これから命じられることだったのだ。


「試験はまだ続くのね?」

「そうだ。シェランド王家との仕事によってその器を測り、本当に船長にふさわしいかどうかを見極める。それがカーヴェル海賊団における、船長になるための条件だ」


 ならばクレアが取るべき行動はひとつだ。王女に対し、挑むような勢いで言い募る。


「前置きはもういりません。本題をお聞かせください、王女殿下」


 すると、王女はゆっくりといたいけなくちびるを開いた。


「あなたには、とある虐殺ぎゃくさつ事件について探っていただきます」

「虐殺事件?」

「先日、我が国の船クイン・ローゼ号が海上で襲われました。積荷はすべて略奪され、乗っていた船員三百名が命を奪われた、とても痛ましい事件です」


 三百という数字に、クレアは思わず顔をしかめる。他人の犯罪を非難できる立場ではないが、不必要な殺しの話は聞いていて気持ちが良いものではない。


「狙いは恐らく、船に七つほど積んでいた魔物の卵でしょう」


 魔物の卵及びその卵殻というものは、莫大な価値を持つ代物である。


 フェニックスの卵殻は燃え尽きることのない火種に。ニクスの卵殻は飲み水に落とせば腐食を極端に遅らせ、キマイラの卵殻で作った刃は百年こぼれない剣に。  硬貨ほどの大きさしかない欠片であろうと、大人ひとりが一年働いた値段に匹敵する。だから一部の人間は、孵化した魔物に襲われるリスクを負ってでも、大きな塊である生きた卵を狙うのだ。


「ちょうどいま、この島の統治者であるエルヴィス兄さまが不在なんですの。兄さまが戻ってこられる一ヵ月後の今日までに、犯人についての有益な情報をもたらすこと。これを試験とさせていただきますわ」


「……そんな大きな事件、一海賊に任せていいんですか」


「もちろん私も全力で調べています。だって、お忙しい兄さまのお手を煩わせるなんて死にたくなりますもの。ですからこの試験を利用させていただきますの」


 つまるところ、使えるものはなんでも使うということなのだろう。


「試験に当たっての約束ごとがいくつかあります」


 言いながら、イヴは一本の指を立てた。


「まずひとつめ。あなたにはこの城に滞在していただきますが、海賊という正体はここにいる面々以外に悟られてはなりません」


 次に、二本目の指が立てられる。


「ふたつ、カーヴェル海賊団の力は借りないこと。放り出された環境にあるものを使って生きられない海賊は、死ぬしかありませんものね」

「ま、俺たちは俺たちで動くけどな。競争だぞクレア」

「ふふっ。頼りにしてますわね、カーヴェル」


 そういえば父は昔から、船員たちに詳細を説明しないで「仕事」のためにいなくなることがあった。それらはもしかすると、シェランド王国からの命令に起因するものだったのだろうか。俯いて考え込むクレアに対し、三つ目の条件が挙げられた。


「最後に、あなた自身とお仲間の命を懸けていただくこと」

「なんですって?」


 仲間という言葉に驚き、弾かれたように顔を上げる。


「試験に失敗した場合、港にいらしたお仲間三十四人とご一緒に死んで下さいませ」

「みんなをどうしたの!」


 反射的に詰め寄ろうとしたものの、縛られた手首の所為で重心が崩れて床に倒れた。


「おいおい、王女の御前でそう騒ぐな娘よ」

「お父さん! 仲間を売るのは掟に反するって、お父さんがそう言ったはずじゃない!」

「売ってねーよ。さっき『試験』の内容を話したら、あいつら喜んで人質になったぜ」


 クレアの目の前にしゃがみ込んだ父が、諭すように笑う。


「お前を信じてるとよ」

「……!」


 彼らがそう言ってくれる姿が目に浮かぶようで、思わず胸が詰まった。


「根性見せろよクレア。この試験を受けるのは、お前自身が決めたことだ」


 低い声で言い切った父の目に、暗い光が宿る。まるで知らない人のようにも見えるこの表情は、父が戦いの際に浮かべるものだ。


「あなたの見張りには、私の腹心であるこの第七近衛隊隊長アドルフ・フォードをつけますわ。第七隊は少数精鋭の優秀な隊ですから、隊長がしばらくいなくとも問題ないですし」


 くちびるを綻ばせる主君とは反対に、アドルフはいまだ冷たいまなざしを向けてくる。


「――どうする海賊女。お前は本当に、仲間や信頼だとかいうくだらないことのために命を懸けるつもりか?」

「……っ!」


 クレアはアドルフを睨み付けた。

 この騎士とは本当に相容れないことをしみじみと痛感しながら、縄で縛られた両手首を王女に向けて掲げる。それを受け、イヴが満足そうに言った。


「条件を呑んで下さるのですね、海賊姫さん」

「試験のあいだ、ひとりも病人や死人を出さないと約束して」

「もちろん。もしも信用出来なければ、こちらが約束を破ったときの保障も何か決めておきましょうか」

「いらないわ。保障を与えられる必要なんかない、私たちは奪うのが仕事だもの」


 真っ直ぐに見据え、言い放つ。


「あなたが約束を違えたときは、そのままこの島を焼き尽くすだけよ」


 王女がうっとりと目を細めた。忌々しそうに舌打ちをしたアドルフの靴音が響き、突き付けられた剣先がクレアの手首に触れる。


 実に鮮やかな剣さばきだ。


 縄は簡単に切り裂かれ、圧迫されていた指先に血が巡る。クレアはすぐに立ち上がり、背の高い青年を睨むようにして見上げた。


「しばらくのあいだよろしくね、英雄騎士さん」

「必要ねーだろ。どうせすぐにしくじって俺が殺すことになる」

「そう? あなたへの抵抗がカーヴェルの不利にならないよう、十分気を付けることにするわ」


 整ったアドルフのかんばせは不機嫌そうで、クレアに対する明確な敵意がありありと見える。


 これから一ヶ月という期限の中で、彼と共に命を懸けた試験に臨むのだ。

 幼いころにいだいた誓いを胸中で噛み締め、クレアは前を向いた。

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