海賊乙女と英雄騎士⑤
戦場で味方を死なせることなく護りきった、救いそのものを体現する存在だ。
しかし、アドルフは興味がなさそうにこちらを一瞥した。
ぞくりとするほど深い青色の瞳だ。彼はすぐに視線を戻すと、扉の向こうへ歩き始めた。
「駄目でしょう? そのような扉の開け方をしては。エルヴィス兄さまに怒られますわ」
「お前があいつに報告しなければそれで済むだろ」
ここまで来ればもうひとりの声の主も明白で、クレアは正面の人物を見据える。
足を踏み入れた大理石の広間で、少女は堂々と椅子に腰を下ろしていた。
十歳ほどであろうあどけない面差しに、金色の髪。真っ白なドレスにひけをとらない白い肌。笑みを浮かべる少女の隣に、同じく人形めいた作りの黒い騎士が並んだ。
下調べをしておいた情報が脳裏を過ぎる。この島を治めるのは王位継承権四位のエルヴィス王子と、幼い妹王女であると。その名も――。
「イヴァンジェリカ王女……」
「ようこそ私と兄さまの城へ。不在の兄さまの分も歓迎いたしますわ、海賊姫さん」
口上を述べた幼い少女は、にっこりと笑んだ。
「イヴァンジェリカは長いでしょう? みなさま呼びにくそうにされるものですから、私は傷付いているのです。どうかイヴと呼んでいただきたいわ。ね、アドルフ?」
「知るか。どうでもいい」
主君である王女に随分な受け答えだ。けれどもイヴは不遜を咎める様子もなく、ただ愛らしい頬を膨らませる程度だった。
「もう、アドルフ。主をもっと慮らないと、近衛隊長より上に出世出来ませんよ」
「興味ねーの知ってんだろうが。それよりさっさと終わらせろ」
青の瞳に再び射抜かれ、立ち尽くしていたクレアは居住まいを直した。王族を前にしてこちらも大概の無礼だが、戒められた両手首を胸の前に掲げて問い掛ける。
「用件をお聞かせ下さい。無駄話をするだけのおつもりなら、縄を解いて」
イヴはやんわり微笑むと、日向のような表情とはまったく異なる静かな言葉を紡いだ。
「あなたの小さな海賊船は、カーヴェル海賊団の本船ではありませんわね?」
やはり、狙いは海賊の情報らしい。
「本当の規模はどれくらい? 一番脅威であろう船の火力は? 次はどの海を襲い、これからどちらで合流する予定ですの? 情報と引き換えに、あなたを逃がしましょう」
「お断りします」
即座に提案を返上すると、王女はちょこんと小首をかしげた。
「あらまあ、なあぜ? お喋りするだけであなたを助けると申していますのに」
「喋るだけ? 違うわ。それは仲間の命を差し出せということよ」
「困りましたわね。お話ししていただきませんと、わたくしはあなたにひどいことをせねばなりません。見せしめに、なるべく苦しい方法で」
ランプの火が揺らぎ、イヴはいっそう鮮やかな微笑みを作る。細い指を折りながら、優雅な声で言い放った。
「爪剥ぎ、ギロチン、処刑台」
「お好きにどうぞ。王女殿下」
王女の声音とは相反し、クレアの内側には明確な憤りが燃えていた。「馬鹿にしないで」と声を荒らげたくなるのを堪え、極力冷静に告げる。
幼いころ、海賊の父に拾われて以来、仲間たちはずっとクレアの傍にいてくれた。
嬉しいことがあれば報告する。かなしいことがあれば泣きついて話す。クレアの話すさまざまなことに心から笑ったり泣いたりしてくれる、そんな家族なのだ。
「あなたたちはどうせ、海賊ならすぐに仲間を売ると思っているんでしょう」
気付かれないように深呼吸をした。
「けれど海賊には掟があるの。信頼する仲間を裏切って掟を破るくらいなら、違う道を選ぶわ」
言いながらおもむろに
恐怖心が脈を打っていることなど認めない。
たとえ無惨に殺されようとも、仲間を差し出したりするものか。クレアはゆっくりと顔を上げ、イヴを睨んだ。
「このままで、あなたたちの欲しい秘密と一緒に死んであげる」
言い切った瞬間、イヴの瞳がまるで明るい星のように輝いた。
思わぬ反応を怪訝に感じる。だが、王女よりも先に静寂を断ち切ったのは騎士の方だ。
「……もういいだろイヴ」
自分の主君を堂々と呼び捨てたアドルフは、軍靴を鳴らして近付いてきた。
「信じるだのなんだの、いい加減
クレアの前で立ち止まり、騎士の証が刻まれた剣を鞘から抜く。振り下ろされた剣先は、クレアの額から一センチほどの場所にびたりと突き付けられた。
「望むなら、俺が殺してやるよ」
「……っ!」
凄まじいまでの怒気に、肌がぴりぴりと痺れるようだ。
本能的に身が竦みそうになるが、クレアは両手を爪が食い込むほど握り締めることでそれに抗う。
「信じることを否定するなんて、騎士の正義はたかが知れてるのね」
挑発の声を上げると、アドルフは海のように青い双眸を細めた。
「
「あら、それじゃあ騎士の名は形だけなの? あなたと同じ場所で剣を持つ仲間も可哀想」
「仲間なんか生まれてこの方作ったこともねーな」
静寂に包まれた広間へ膝をついたまま、クレアはぐっと眉をひそめた。
「あなたのことが気に入らない」
「そんなに褒めんな。いますぐこの剣を振り下ろしてやりたくなる」
涼しげな顔立ちとは相反する棘のある声が、ゆっくりと提案を繰り返した。
「とっとと吐けよ」
「――絶対に御免だわ」
家族を護るためなら、なにを投げ打っても構わない。意志を込め、強く睨む。
「もういいでしょう、アドルフ」
諦めたようなその声は、しいんとした大理石の広間に響き渡った。
冷めた言葉選びに反し、イヴの表情は何処か活き活きとしている。端的に言えば楽しそうなのだ。それどころか、彼女は一拍の呼吸を置いたあとにこう告げた。
「第一試験は合格です」
「……え?」
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