命を売り買う宵市にて④
「さあさあ見ろ! 次なる目玉はこの餓鬼だあ!」
思わず素直に振り返ってしまう。
歓声を生む人だかりの中央には、鎖で繋がれた少年がいた。柔らかい茶の髪色を持った十歳ほどの少年は、痩せこけた手足を縮こまらせて震えている。
「この細っこさじゃ体力仕事には向かねえが、なんといっても格安だ! 道中魔物が出たときなんか、餌にして囮にするのにも使えるぜ」
「よお、本当に男の餓鬼か? なかなか可愛い顔してるじゃねえか」
「……っ」
古い記憶が蘇り、クレアの心根がざわめいた。
大人たちの罵声。
どれほど不要な人間か言い並べて安く買い叩こうとする者や、何に使えるか値踏みする目。孤児ならば良心も痛まないと平気で笑い、乱暴に掴んでくる腕の強さ。
心臓がとうとうと早鐘を刻み、握り込んだ拳に嫌な汗を掻く。
こんなもの、とうに忘れたつもりでいたのに。
「ぼけっとしてんな、海賊女」
アドルフに冷たく言われ、脳裏の映像が掻き消えた。
「お前たちにとって、あんなものは当たり前の光景だろうが」
突き放すような言い方に、反射的な怒りが湧く。
「……騎士のくせに、あの光景を見てなんとも思わないのね」
「この島で騎士の振る舞いは必要ねーだろ。違うか?」
悔しいが彼の言う通りだ。けれど、それでも。
「たとえ当然の光景でも、許せなくって嫌なものはあるわ。海賊の常識と矛盾しても、あなたたち騎士の正義と違っていても」
「言っただろ。俺は自分のやり方に、正義なんざ薄汚い言葉を掲げた覚えはない」
その口振りにむっとした。国の証を戴いておいて、何を今更という憤りだ。
「なら、あなたは一体何のために剣を持っているの?」
どうして騎士でいるというのだ。
正義をそれほど嫌うなら、誇りを不要とするならば、その名の下に戦わなければいい。
奴隷を競る男たちの声が上がる中、お互いに真っ向から視線を重ねた。そこへ、こちらの険をものともせずギルが言う。
「なあなあクレア嬢。俺もこれ返すのヤだから、ちょっとした情報をご提供なんスけど」
ギルはひょいとクレアとアドルフのあいだに割り込むなり、遊ぶように銀貨を弾いた。
「おふたりさん注目の的になってるあちらのおチビちゃん。沈んだ海賊船の板切れにしがみついて、漂流してるところを拾われたらしいッスよ」
「……ということは、ここに来る前も海賊の捕虜だったのかしら」
不運なことだ。ギルはしみじみと頷き、見聞きしたのであろう少年の遍歴を語
る。
「更に元々は、シェランド王国のなんとかって船に使用人として乗ってたらしいッス。でも一ヶ月前、そいつが海賊に襲われて戦利品の一環として連れてかれたって」
思わずアドルフと顔を見合わせた。
一ヶ月前に襲われたシェランド王国の船。その条件に当て嵌まる船は、ただの一隻だ。
「あの男の子、襲撃があった日のクイン・ローゼ号に乗っていたの!?」
「これ以上は別料金ー」
はぐらかされたが構ってはいられない。急いで少年を値踏みする輪の中に飛び込もうとしたところで、アドルフの強い力に腕を掴まれる。
「待て」
「……なによ」
眉根を寄せて見上げるが、アドルフはクレアを見向きもせずに周囲へ視線を巡らせた。
「妙な気配がする」
「え?」
訝しく思うのと同時、異質な臭いに気が付いて顔をしかめる。
言い知れない気配の影を感じ、クレアも辺りを見回した。獣のものとも魚のものとも言い難い独特の臭気が南から吹く風に混ざっており、嫌な予感が這い上がる。
最初の
次の瞬間、クレアとアドルフは殆ど同時に夜の始まる空を見上げる。月を遮る影に気付き、ほかにも数人が顔を上げた。
「――うそ」
そこにあったのは、月を覆い隠すほどの大きな姿だ。
獅子のような体に鳥の頭を持ち、白い翼で力強く羽ばたく肢体。本来なら動物の肉を好み、滅多に人里には近寄らないはずのその怪鳥は、鷲よりもずっと鋭くて大きな爪を開いて低空を滑る。
「おい、冗談だろ……?」
誰かが零したそのあとに、大きな悲鳴が響き渡った。
「グリフォンだ! 魔物が出たぞ!」
逃げろ!
叫び声と共に、客たちはみんな弾かれたように逃げ出した。
「走れ! どこでもいい、建物の中に逃げ込め!」
「待って……待ってよう! 助けて、置いていかないで!」
響いたのは少年の声である。それもそのはずで、奴隷として囚われている体には強固な鎖が絡まっていたのだ。クレアは急いで奴隷商人の腕を掴み、訴えた。
「ねえ待って、あの子の鎖を解かなきゃ! 鍵は何処!?」
「鍵は船に置いてるよ! どうせ拾った餓鬼だ、放って……」
瞬間、強大な翼がクレアの眼前を掠る。
クレアが慌てて少年の元へ向かおうとしたところで、アドルフに腕を掴まれる。
「なにやってんだ海賊女。さっさと退け、死にてーのか」
「駄目! 助けなきゃ、あの子がグリフォンに襲われちゃう!」
「諦めろ」
「駄目よ!」
恐怖に満ちたまなざしは、かつての自分とおんなじだ。
目の前のすべてに見捨てられ、放り出される絶望。いらない人間なのだと突き付けられ、誰にも救ってもらえない恐怖。あの暗闇をいまこの瞬間に味わっている子供がいる。
「私は海賊よ、狙った獲物は諦めない! あなただって騎士でしょう!? 助けなきゃ!」
「言われなくともイヴにどやされない程度の仕事はする。だが、見ろ」
「……っ」
声を低くしたアドルフはクレアの顎を掴み、無理やり空の方へと上向かせる。
「一体あの距離でどうやって攻撃する? いくら能なしでも分かんだろうが」
言い聞かされ、ぎゅうっとくちびるを結んだ。アドルフをどうやっても振り払えず、たたらを踏みながら月の影を見上げる。
そこで初めて、雄大なほど荒々しい飛行の姿に違和感を覚えた。
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