悪誉れの乙女と英雄葬の騎士/夏野ちより
ビーズログ文庫
プロローグ
正義の輪郭
その場に居並ぶ海賊たちを統べるのは、美しいひとりの少女だった。
ミルクティー色の髪を背中まで流し、海のような藍色のドレスに身を包んだ少女は、強い意志を宿したまなざしで騎士たちを見下ろす。
エメラルドと翡翠のあわいにある色合いをした瞳は、配下の海賊たちが手にしたランプによって星の如く輝いていた。
睫毛は硝子細工のように繊細で長く、指先も人形のように整っている。到底野蛮なことをするようには見えない容姿であるのに、その白い手には
少女はまさしく海賊なのだ。
彼女の指揮に導かれ、先ほど行われた攻防は海賊たちの勝利で幕を下ろした。ひとつところに集められた騎士たちは、屈強な海賊を背後に従える少女を睨み付けている。
「クレア嬢。ここからは
海賊が言うと、クレアと呼ばれた少女は鮮やかな所作で舶刀を鞘に収めて応えた。
「ええ。すぐに船内の積荷を改めて」
「承知した。おいおめえら! お嬢の言う通りにするぞ!」
おうと威勢よい返事が上がり、海賊たちはすぐさま『仕事』に掛かる。船倉の荷に手を掛ける者、箱を開けて中を確かめる者と働きはさまざまだ。しかしその優秀な仕事ぶりも、船を護衛していた騎士にとっては忌々しいものでしかない。
「クレアだと?」
縛られた騎士のひとりが、卑屈な笑い声を上げた。
「なるほど、聞いたことがある。近頃この海域では女海賊が幅を利かせている上、女はあのカーヴェル海賊団の一員だと」
嘲るような声音に、采配を振るっていた少女が騎士を顧みる。
「貴殿が噂の海賊姫、クレア・カーヴェルか」
ぎらついた視線がクレアの整った面差しへと向けられた。線の細い首に下がる銀貨の飾りには、竜の翼と
その髑髏こそ、クレアたちが属するカーヴェル海賊団の象徴だ。
「傑作だな。各国の騎士が手を焼くカーヴェル海賊団が、女に誑かされたという噂は本当だったらしい!」
「……あんだと?」
海賊のひとりが低い声を落とすが、騎士は
「どんな女狐かと思えば、まだほんの小娘ではないか。奪うか殺すかしか能のない女が、正義の騎士である我々に剣を向けるなど許されると思っているのか!」
「てめえ! お嬢を侮辱するのは許さねーぞ!」
「やめなさい」
少女の澄んだ声が、騎士の顎を掴む海賊を鋭く咎めた。
「船が血で汚れるわ。そんなことをしたら、せっかく奪った船の価値が下がるでしょう」
その言葉だけで、屈強な海賊が「分かったよ、お嬢」と意外なほど大人しく手を引く。少女は一歩前に歩み出ると、透き通った瞳で騎士を見下ろした。
「それに、彼らは騎士の誇りにかけて最後まで私たちと戦おうとしている。こちらとしても、最低限の敬意は払うべきだわ」
到底海賊らしからぬ敬意という言葉に、開き直った騎士が口の端を上げる。
「
「あら。さっきの言葉が侮辱だとは思わないもの」
「ほざけ、悪党が」
「悪党だなんて誰のこと?」
その瞬間に浮かべられた笑みは、海賊という肩書きに不似合いなほど鮮やかで美しいものだった。
少女は青いドレスが汚れるのも構わず床に膝をつく。騎士の目を見据えると、
「――あなたの言う通り、私たちは海賊よ」
落とされた声音は決して大きいものではない。
だというのに、凜とした響きが船倉の隅々まで渡る。仕事をしていた海賊たちが手を止め、まだ幼さを残す指導者の姿へ見入るほどに。
「何を言われようと、自分の信じる『正義』のためには譲れない。違う正義を貫こうとするあなたたちに恨まれようと構わない犯罪者なの。どんな言葉を向けられようが、全部甘んじて受けてやるわ」
少女はそこで立ち上がると、真っ向から騎士に向き合って両手を広げた。目を逸らしたくなりそうなほど強い視線が、男を捉える。
「それが、世間に顔向け出来ない正義を持つ者としてのせめてもの誇りよ」
「……っ」
堂々と言い切ったその姿に、騎士たちは図らずも押し黙ってしまうこととなった。
華奢な腕に恐ろしい剣を持ち、自分たちの護る船を襲った海賊ではあるが、可憐な外見で堂々と罪を背負う姿は潔くも誇り高かったのだ。少女クレアは彼らに背を向けると、自身への侮辱に憤った海賊に笑い掛ける。
「私のために怒ってくれてありがとう」
「ったく、なにがありがとうだ! 一人前なこと言いやがってこの!」
「ふふっ」
くしゃくしゃと頭を撫でられて肩を竦めるクレアの表情は、先ほどのものとは一変して年相応に無垢なものだ。海賊たちは、騎士に聞こえない程度の小声で明るく零す。
「お嬢も十六歳、立派になったな。これなら今度のお頭からの『試験』も安泰だろ」
「どうかしら。船長のことだもの、次期船長になるための試験なんてきっとすごく捻くれてるわよ」
そんなことを言い合ううち、船倉の隅に散った海賊から声が上がった。
「クレア嬢、あったぜ! 魔物の卵だ!」
「本当?」
瞬間、綺麗な輪郭を描くクレアの頬が薔薇色に染まる。
瞳を輝かせた彼女は急いでドレスの裾を翻した。示された木箱の前に屈み込み、こくりと神妙に息を呑む。上等な絹の掛け布を掻き分けて取り出したのは、両手のひらでもくるみきれないほどの大きな卵だ。
その卵は、一見すれば透明な宝石そのものだった。
吸い込まれそうな橙色の輝きが、とろけた太陽に染まる夕暮れの空を連想させる。ところどころに金色の色彩を帯びた表面には、光の加減によって紫の艶が滲んで見えた。一種の儚ささえ感じる美しさに、覗き込んだ海賊たちが感嘆の息を漏らす。
「こりゃあ見事なもんだ。売れば船一隻はゆうに買えるぜ」
「情報屋の話によりゃ、親の魔物から奪うのに傭兵が二十ほど死んだらしい」
「それで商船一隻にこの騎士の数か。お嬢の『力』がなきゃあ面倒だったろうな」
仲間たちが口々に漏らすが、クレアの耳にはまったく入っていない。
まだ幼さの残る瞳に、いまにも泣き出しそうな情感が揺らぐ。
彼女が卵に注ぐ熱心さときたら、仲間の誰かが気付いていれば間違いなく声を掛けていたであろうほど真摯で危ういものだった。けれどその前に顔を上げ、周囲を見回す。
「急ぎましょう。騎士たちを小船で流すなら、夜のうちに港町の傍まで行かないと」
「おうよ! もう一仕事だ」
動き始める男たちの傍らで、クレアはもう一度だけ木箱を見下ろした。愛おしそうに目を伏せて、誰にも聞こえない小さな声で囁く。
「どんなことをしてでも、私が護ってあげるからね」
誓いの言葉だ。
それは、確かに内側に命を宿らせる存在に向けたものだった。海賊姫を乗せた船は、帆に風を受けて前へと進む。
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