海賊乙女と英雄騎士③



 振り返った桟橋には、ぞくりとするほどに綺麗な黒髪の青年が立っていた。


 クレアに真っ直ぐ剣を向けていることから、殺気の主は彼だろう。頭の冷静な部分がそう判断するのだが、理解していてもなおクレアは動けなかった。


 それほどまでに、向けられた青年の双眸が美しかったからだ。


 彼の青く透き通った瞳はまるで、北の果てに見たことがある流氷の海のようだった。冷たくも確かな意志が灯っているのに、その輝きは吸い込まれそうなほどに暗い。


 青を見て闇を連想するなんて、生まれて初めてのことだ。


 ここからでも長さが見て取れる睫毛は目元に影を落とし、通った鼻筋や薄いくちびるも人形のように整っている。そのため、きつく眉根を寄せた不機嫌そうな表情さえさまになっていた。剣さえ向けられていなければ、もうしばらく見惚れていただろう。

 けれども彼は紛れもなく、クレアに向けて武器を翳している。


「な、なんですかあなた? その剣、どうして私に」


 怯えるふりをして尋ねると、「ちっ」と品のない音が落とされた。

 それが外見に似つかわしくない舌打ちであると認識する前に、形よいくちびるから粗暴な言葉が漏れる。


「うっせーな、クソが」


「はっ……?」


 その見た目の上品さには、まったくそぐわない言葉だった。


 海賊船では耳慣れた言葉遣いだが、この貴族めいて綺麗な青年が使うと妙に物騒な言葉に聞こえる。そこへすかさず船員たちが、クレアを庇って歩み出た。


「青年よ、お嬢さんになんのご用で? お嬢さんは竜の出現で怯えていらっしゃる。丁寧な言葉で話しかけてもらえねーかなあ?」


「黙れ。俺はこの女に用がある」


「ああ? テメエ、黙って聞いてりゃうちのお嬢に向かって……」


 青年に掴み掛かろうとする船員を、クレアが宥めようとしたその瞬間。

 屈強な船員ふたりの体が、崩れるようにして桟橋に伏せた。


 何が起きたのか理解が出来ず、クレアはふたつ瞬きをして足元を見下ろす。するとどうだろう、声のひとつも上げなかった彼らは白目を剥いて気を失っているではないか。

 呆然とするクレアの耳に、男の溜め息が聞こえた。


「――っ!」


 無意識のうちに体が動く。

 自身の手が舶刀の柄を握り、きいんと鉄の爆ぜる音が響く。クレアは舶刀を振り下ろした形のまま、それを剣で受け止めた青年を見据えた。


「何をしたの?」


 二本の剣が噛み合って、火花が散る。


「私の家族に、何をしたの……!」


 再び舶刀を翳し、青年の剣を叩き折る勢いで振りかぶった。


 ――だが。


 クレアの渾身の一撃を、男は難なく受け止める。それも力で拮抗させるのではなく、受け流すような最低限の動きだけで。


 次の一撃は、男によって真横に払われた大きな一閃だった。


 先ほどの繊細な剣さばきとは一転し、あまりにも大胆な太刀筋だ。懸命に刃で受け止めるも、握り締める指に痺れが走る。


(このままじゃ、押し負ける……!)


 血が上った頭でどうにかそれだけ飲み込むと、クレアは急いで身を翻した。桟橋に繋がれている小舟のひとつに飛び移った瞬間、再び迫り来る殺気に体を捩る。


 しかし、訪れたのは予想していた剣戟ではなかった。


 なんと男はその手を伸ばし、やすやすとクレアの手首を掴み上げてしまう。骨の軋むような音がして舶刀を取り落とした次の瞬間、首筋に痛みが走った。

 青年の手が、クレアの首に下がった細い鎖を掴んで引き絞ったのだ。


「うあ……っ」

「ちょろちょろ逃げてんじゃねーよ」


 青年の腕に爪を立てたが、まったく気に留める様子もない。

 ドレスの胸元に隠していた銀貨が引きずり出され、輝かしい陽を浴びる。

 彼の碧眼が、銀貨に刻まれたカーヴェルの髑髏を見てゆっくりと細められた。


「お前で間違いねーようだな」


 首飾りを掴んで無理に顔を上げさせられたまま、クレアは青年を睨み付ける。すると、そこで初めて彼の襟元に輝く徽章に気が付いた。


 竜の翼を象った、シェランド王国の紋章だ。剣や襟に宿らせるのは、王に忠誠を誓った者の証である。


「……あなた、シェランドの騎士ね……?」


 乱れる呼吸の中で問い掛ければ、青い瞳にぞっとするほど冷たい影が滲む。


「お前は俺の質問にだけ答えればいい。余計な言葉を喋るな」

「質問、ですって?」


 眉根を寄せれば、青年の低い声は淡々とした調子で言葉を紡いだ。


「そこに浮かんでいる船は、お前の海賊船だろう」


 見透かすような言葉にも、動揺してはいけない。

 クレアは敵意を注ぎながらも両足の幅を開け、簡素な小舟の上で体勢を整えた。青年が再び何か言おうとしたが、構わず波音に集中する。


 次に舟底が揺らいだとき、波に逆らわず重心を引いて膝を折った。

 首裏に鎖の強い力が加わるも、すぐにぷつんと音がして解き放たれる。船の揺れを利用して手元から逃れたクレアに、男が少し目を瞠った。


 首に絡まっても危なくないよう、鎖は一定の力で切れる仕組みになっているのだ。

 拘束さえ外れれば、船上に慣れていない騎士など怖くない。船倉に手をついて身を低くし、振り子の反動を利用して下から舶刀で斬り上げた。

 しかし。

 青年の喉仏の傍には、短い傷が付いたのみだった。


「――へえ」


 それを認識すると同時、冷めたまなざしを向けられてぞっとする。動揺が生んだ僅かなあいだに青年は剣を返し、その柄がクレアのみぞおちに叩き込まれた。動きを理解していても、まったく避けきれないほどの鮮やかさで。


 衝撃に思わず息が詰まり、くわんと視界や足元が歪む。

 立っていられないほどの眩暈が襲い、クレアは船底に手をついて咳き込んだ。必死で顔を上げるも、靄が掛かったように視界が霞む。


 桟橋にはまだ、倒れたままの仲間がいた。すぐ傍の海面では竜の影が翻る。

 魔物が、島から遠くに去ってゆく。


(護らなきゃ……)


 青年の靴音が間近に響いた。

 波の音が近くに聞こえる。脈絡のない感覚に思考が塗り潰され、クレアは静かに意識を手放した。

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