読み終わった後、カクヨムを閉じ、音楽を聴いたりトイレに行ったりごはんを食べたり、そうした日常を過ごしている最中、ふいにこの小説のことを思い出しては、ぼうっと思考に浸ってしまいました。
心に引っかかっているというレベルではありません。色濃く、残っているのです。
いてもたってもいられなくなり、自己満足であるかもしれませんが、こうしてレビューを書くことにしました。しかし、感想に近い文章になっています。ご了承ください。
ただ、現実を書いています。ありのままの、飾らない、綺麗事も絵空事も何一つ無い、現実のみを。なので、この小説を、「娯楽」として楽しむことは出来ないと思います。
実に静かに、淡々と、現実がそのものが突き付けられます。
平和を必死に謳った人間が、一人この世を去った。
その時世界は、どうなるのか。
群像劇として、色んな国の色んな人達の様子が、描かれます。
そして最終章にて、それまで出てきた人々の思いがそれぞれ交差し、
そしてまとまっていきます。
描写がとても秀逸で、高い文章力の持ち主だとわかる小説ですので、
ぐいぐいと読んでしまいました。
とても重く、書くことが難しいテーマを書き切り、そしてこんなに上手くまとめるのは、並大抵の人では絶対に出来ないと思います。
作者様の力量と、平和への確かな願いがあったからこそ、
この小説を書くことが出来たのだと思います。
こういうのを、傑作と呼ぶのではないでしょうか。
そうでなかったら、こんなにも読んだ人の心に何かを残すことは、出来ないと思うのです。
読了後、虚無に近いものに襲われている中で、自問自答しました。
なぜ、争いが起きるのか。どうして無くならないのか。
平和とは、一体なんだろうか。本当の意味での平和とは、なんだろうか。
しかし私は、答えを出すことは出来ませんでした。
けれど、こう思いました。
どうせ無理と、諦めてしまうことは至極簡単。
でもそれをしてしまえば、平和がもっと叶わない夢になってしまうのでは、と。
突き刺さるようなこの世界の現実そのものが、隠されることなく書かれた小説。
そこに何を見いだすかは、人それぞれです。
物語を引き起こした、M氏の言葉に、何を思うかも。
一度でいいです。どうか読んでみて下さい。
そしてわずかでも思う事があったら、考えてみて下さい。
答えは出なくても良いんです。少しの時間でいいのです。
それが、平和に近づく第一歩になるのです。
間違いなく。
戦争という古今東西変わらぬ重いテーマ、
それを鮮やかな視点の切り替えで描いた
素晴らしい作品です。
思考を起動する作品でした、
よい読書をお楽しみ下さい。
と、簡潔に評を終えるのもよいと
思いますが、以下に蛇足を少々。
※
発生事象について事実は一つしかない、
しかして真実は関与する人それぞれに
与えられる、と考えます。
何故なら、事実は外部的なものであり、
人との関わりを要しませんが、真実は
内部的であって人の内にしか発生しない
と考えるがゆえです。
自然界は真実を必要とはせず、
人だけが真実を必要とします。
つまり、真実は人により色が違う。
歴史的経緯から怨恨を抱く人、怨恨より
発する事象に当事者として苦しむ人、
利害から事象に関わろうとする人に
遠くから興味薄く眺める人、身を賭して
事情を変えようとする人、それぞれ自身
の立場から事象に触れて自分なりの真実
を抱えています。
それは必要によって物語、信仰、思想、
経済的または政治的動機に千変万化して
人を動かしていく、人はそれらにより
操られているとも換言できましょう。
その束縛から逃れるには事象を様々な
角度から眺めて対立矛盾する複数の
真実を探り当て、いずれからも距離を
とって俯瞰する視座が必要になります。
これは輪廻の輪から逃れるくらいにも
難しいことです。
安易に使われがちな、「自分を括弧に
入れて考える」とは、それほどまでに
難しいことだと思います。
本作は意図的にさまざまな視点から同じ
事象を描くことで、普段は意識されない
思考の限界を強く意識する機会となり、
様々な思考を惹き起こしてくれます。
脳が活性化するよい読書を本作でお楽しみ下さい。
まず最初に言っておきますと、私自身はこの作品、すごく好きなんですが、万人にお勧めできるかっていうと微妙なんですよ。だって、都合の良い物語を求めている人は多いですよね?
信念を持った正義の味方によって、悪い奴がぎゃふんと言わされたり改心させられたりして、救われた人々は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし――そういうやつです。
いえ、そういうのが駄目って言うつもりはまったくありません。現実世界は都合良くいってくれないことだらけで気が滅入るんですから、虚構でくらい都合良く話が進んでスカッとする世界を楽しみたくもなりますよ(流行りの異世界チートとかはまさにそういう感じですね)。
現実は物語のようにきれいに都合良くいってはくれなくて、テロや戦争の話となれば尚更そうです。どちらが正義でどちらが悪かは見方によって変わり、悪と評される側にも三分の理くらいはあり、正義と評される側にも醜悪な面がある。そして、多くの人々は救われていない。
だから、テロや戦争を扱った物語で御都合主義を排し、リアリティを追求しようとすると、美しい話、スカッとする話にはしづらくなり、読者の心を打つのも難しくなるのではないでしょうか。
そういう意味では、この物語も美しくてスカッとする話ではありません。読み終えて、モヤモヤとする人も多いでしょう。ラストに一抹の救いを見出す人もいれば、なんと救いのない結末だと思う人もいるかもしれません。
イスラム圏でのテロと戦争を扱ったカクヨム作品として、私が他に読んだものでは『撃ち落とされるまで、あと何分?』がありますが、あちらの作品が現実ではそうそう無さそうな美しい展開を入れることによって気持ちの良い結末にしているのとは、好対照と言えるかもしれません。
万人にお勧めできるかは微妙、と私が最初に書いたのは、まあ、そういうわけです。
しかしそれでも、私はこの作品が好きです。
最後にMが求めた、些細なようで、しかし得難いものが明かされた時、「ああ、そうか。彼は、それを求めたのか」と、しみじみと心を打たれました。
都合良くも美しくもなく、どこまでも現実的な、やるせない世界を描いた作品でも、人の心を打てるのだと示した良い作品だと思います。
本作は、中東に位置する架空の国家を主な舞台とする、戦争を題材にした作品です。
ふたつの国家が血で血を洗う闘争を繰り広げ、屍山血河によって設けられた国境であるから「ブラッドライン」。
その国境付近で起きたひとつの事件を巡って、世界のさまざまな視点から描かれる群像劇という体を取っています。
しかし、本作を読んで私が感じたのは、「ブラッドライン」は世界のどこにでも存在する――という事。
本作における「ブラッドライン」は、アラルスタン共和国とラザン独立国との血塗られた闘争の歴史を象徴する国境ですが、
その本質は独善、無理解、傲慢、レイシズム、そういった負の感情に由来する心の壁であり、
その壁の向こう側にいる人を攻撃する事に良心の呵責さえ感じない、人間の醜さそのものが本作のテーマであると感じました。
群像劇の形を取っている本作は、1話ごとに語り部となる視点が切り替わりますが、
いずれの語り部もみな、人間の醜い部分が赤裸々に描かれており、そして心の「ブラッドライン」によって誰かと分かたれている。
誰もが、同じ人間であるはずの誰かと、なぜか傷つけあっている。
そしてそれは、日常的に誰かと対立し得る、現実の我々にとっても他人事ではありません。
『憎しみの始まりを 君は知らない それなのに 渡されたそれを 君は次の人へと手渡していく』
虚しく流れるばかりだったのは、全ての人類に向けた、優しさを忘れないでほしいという願いの歌。
現実を生きる我々はこれを、優しさと平和について考える契機にせねばならないのかもしれません。
魯迅という中国人の作家がいます。
今は知りませんが少なくとも僕の学生時代は国語の教科書に載っていたので、ご存知の方も多いでしょう。「阿Q正伝」や「狂人日記」の著者です。彼は元々、作家ではなく医者を目指していました。しかし1900年代初頭、彼は日露戦争に纏わる幻灯写真を見て目指す道を医学から文学へと変えました。この争いに満ちた世が真に必要としているのは病気や怪我の治療ではなく精神の改造である。そのためには文芸を用いて人々の心を変える他ない、と。
僕はこの「ブラッドライン」という作品から、その魯迅が抱いていたものと同じ志を感じました。
本作で描かれる「事件」や「戦争」がリアルであるかどうかは、僕の拙い知識では判別がつきません。しかし本作で描かれる「人間」が腹立たしいほどにリアルであることは、僕の拙い感性でも判断できます。繰り返される悲劇と終わりのない怨恨の連鎖。争いの止まない世界に翻弄される罪なき人々と罪を背負う人々。そうやって閉塞する世界に小さな風穴を開ける一人のスーパースターの死と、その死の真相が招く結末。それらは物語として綴られ、物語的装飾を受けながらも、物語とは思えないリアルな感触を以て読み手の心に楔を打ち込みます。作中における「M」の死がそうであったように、人々の胸中に静かなさざ波を立てて価値観を揺るがします。
本作がテーマとしている「戦争」という事象は現代日本に生きる我々にとって縁遠く、しかし本作が訴えるメッセージは決して「他人事」ではありません。例えば、いじめ。例えば、マイノリティへの差別。そういった身近な事象に拡大適用出来る普遍性を供えています。誤まった道に進みそうな時、本作のことを思い出せば自分を律することが出来る。この作品はそれだけの強度を持っています。
魯迅が死しておよそ80年、世界には未だ戦争が満ち溢れています。しかし魯迅の行為は決して無駄ではなかったはずです。この世には一人一人が考えたところでどうしようもない問題がゴロゴロしていますが、それでも一人一人が考えないことには解決のスタートラインに立てません。だからまず、読んでみて下さい。そしてよろしければ、考えてみて下さい。その先に出た結論が善きものであること、その結論が貴方の人生を豊かにすること、その果てに世界がほんの僅かでもプラスの方向に傾くことを願います。
世界的なスーパースターである"M"が、紛争状態にある二ヶ国間の国境"ブラッド・ライン" で、射殺体になって発見される。
Mの死は、様々な国、様々な立場の人々の心を、波紋のように揺らしていく。
あらすじからはどういった話なのかなかなか想像できないまま読み始めました。
そしてすぐに、甘さも容赦もない生々しい展開に圧倒され、心を鷲掴みにされてしまいました。
『憎しみの始まりを 君は知らない それなのに 渡されたそれを 君は次の人へと手渡していく』
というMが作中で歌う歌詞がぐっさりと心臓に刺さります。
自分の手の中にある常識は、本当に自分のもの?
無意識のうちに、誰かから手渡されていたもの?
そう、自問自答したくなります。
カクヨムではあまり見ない、非常にずっしりとした読後感の小説で、個人的な願望ですが、こういった読み味の小説が増えてほしいなと思いました。
8万字という比較的短い分量で、この密度はそうそう味わえるものではありません。
あまりの慈悲のなさに目を背けたくなるような瞬間もありましたが、これが今の世界を覆っている現実なんですよね…。
読み終えた後、心の中でせめぎあっている声に、しばらく耳を澄ませました。
これまで読んだ小説の中で、トップレベルで心と頭を動かされた。それなのに、読みやすさは抜群。気づけば時間を忘れ、最後まで一気に読み進めていた。
人物の表情や風景がありありと浮かんでくる、細かくも、分かりやすい情景描写には驚かされた。また、出てくる人物に対し、国や年齢も違うはずなのに、どこか共感できる部分を誰に対しても感じる。それによって、テーマは「戦争」ではあるが、とても身近に、自分ごとに落とし込めるようにストーリーに入り込むことができる。
章が変わるごとに舞台の国は変わっていくが、至る所に張られている伏線が、次々と回収されていくのがとても快感。多すぎずもなく、少なすぎずの数の伏線たちが、「待ってました」というタイミングで回収されていくので読んでいて飽きない。
作者は一体なぜ、このような結末を設定したんだろう、、、
読んで数日経った今も、そのなんとも言えない良い意味でのモヤモヤ感と、登場人物たちの顔が思い浮かぶ。
今の時代だからこそ、多くの人が読むべき小説だと強く薦めたい。
<憎しみの始まりを 君は知らない それなのに 渡されたそれを 君は次の人へと手渡していく>
名言ですね。
愛と憎しみ。どちらが人間を生かす力となるのか?
考えさせられてしまいました。
愛だと思いたいところですが。
他国や他民族への憎悪が、
国民のアイデンティティーになってしまうことが恐ろしいです。
この小説に書かれていることは、現実の世界で今起きていること、
起ころうとしていることです。
もちろん、日本も無関係ではありません。
無知と無関心は罪だと反省せずにはいられません。
力強いメッセージと作者様の祈りが伝わるような、
素晴らしい作品を読むことができて幸せです。
心に重く響きました。
まさに、ヘビーノベル。
戦争は愚かだと強烈に訴えてくる作品。何百年も前から幾度となく争い続け、直接被害を受けたわけじゃないのに綿々と受け継がれていく恨み。自国の利益のために紛争に首を突っ込む強国。現地の人を人と思っていない兵士。あまりにも浅慮で短絡的で利己に凝り固まっていて、読んでいて本当にイライラする。
でも同様のことは現実に起きていて、自分が平和な国に身を置く第三者として外から眺めているからこその感想であり、そして間接的に加担していることを見ないふりしているのだと容赦なく突きつけてくる。
ラストのメッセージには感動する。だけど、それだけじゃなくて、自分にできる何かを考えるきっかけにしたい。